【1】原初文明
これは、ある日の記憶だ。
最下層――『白』と通称される住宅地のはずれに位置するストーンヘンジ。
それは、原初文明と呼ばれる、史上最古と呼ばれる原始文明の遺跡だ。
これがあるから、『人間は立ち入り禁止』となるため、王族から一般階層下までの国民は、立ち入り禁止なのである。そのため最下層に、戸籍の無い人々は居着いたし、今では住宅街まで立ち並んでいる。
『白』に分類されているから、ありとあらゆる戦闘行為は、遺跡付近においても無論禁止だ。だから、喧嘩(という名の殺し合い)をした場合も、一歩この敷地内に入れば、停戦となる。その辺は住宅街や有籍孤児院街と全く一緒なのだが、違いはといえば、避難場所という意味以外に、誰も遺跡になど興味を示していないことだ。
――ただのひとりを除いては。
そのたった一名は、『元々が人ではないから』という理由で、遺跡の管理を任せられている孤児院街の牧師の一人であり、元々歴史研究が一応の専攻というのもあって、孤児院街の牧師連中に押し付けられたというのもあるし、個人的にもそこそこ興味があったから、『原初文明遺跡管理者』として、ただの石の集まりにしか見えないストーンヘンジに、唯一、年に三度ほどやってきて、周囲の草むしりと石を磨く作業をしている。
名前は、ゼクス=ゼスペリア。
煙草を銜えて、いつもの牧師服姿で訪れたゼクスは、煙を吐きながらストーンヘンジを眺めた。ゼクスには、『神の御業』と通称される、特定指定PSY-Otherが使える。例えば、『聖歌』や『サイコメトリー』、『サイコメトリック映像再生』と呼ばれるものだ。だから、草むしりをしていると、大地が記憶している、様々な当時の事柄が脳裏に浮かぶ。
現実で草をむしっているのは理解しているが、頭の中では、まるでその場にいるような感覚になるのだ。だが、内容的に誰かに話せば、精神疾患を疑われるだろうとも、よくよく熟知しているので、これまで口外した事はない。
例えば、まずは大地の記憶だ。
現在の歴史は、原初文明から開始なのだが、ゼクスが見た限り、それは違うのだ。
ゼクスはそれを『原初前完全PSY始祖文明』と勝手に名付けている。
その文明は、全てをわかりやすく言うならば『超能力』――知る人の理解で言うならば、完全PSYにより維持していた文明だ。コミュニケーションは、ESPであるし、科学技術の代わりにPKを用いていた。家という概念は特別存在しなかったようで、洞窟等で暮らしていたらしい。今とは比べ物にならないPSYを人々が手にしていたため、科学技術が発展しなかったらしい。ESPで文化の継承も可能だから、紙すら存在しなかったのだ。
彼らは、比較的高度な文明を作り上げていたらしいとゼクスは感じる。
マンモスの毛皮で作った最低限の衣類を身につけて、洞窟に住んでいた、という部分以外は、ほぼ完璧だろう。単純に彼らには服や家という概念が無かっただけであり、必要もなかったのだと思う。600年から700年前後、彼らは文明を維持したようだった。
ただし、そうして生きていた彼らは――感染症に非常に弱かった。
新型インフルエンザ等、今では科学技術的な医学で即座に治癒可能であるのに、それが無かったのだ。結果的に彼らは、おそらくは新型の生体ウイルス感染症と、もう一つ、PSYの持ち主に非常に害のある病で、数十人を残して絶滅したらしい。
そもそもそのもう一つにより、新型感染症も発生した可能性をゼクスは考えている。
だが阿鼻叫喚の大地からの記憶で読み取れるのは、もう一つの側だけだ。
――ファルジャ=ジーノフ精神感染症。
簡単に言うならば、精神病である。ESPを経由して、一人が発症すると次々と感染していく病だ。ファルジャやジーノフというのは、無理矢理現在の発音に当てはめた当時の名前である。おそらくは人名だ。精神感染症という語句も、現在のものだ。これは現在ではPSY感情色相という部分が強く汚染させると発症者が出る病気と類似であるから、きっとその発症者も汚染されたのだろう。そしてその発症者は、統合失調症と呼ばれるような精神疾患の人間が抱く妄想を元々持っていたようで、だから広がった感染症の内容が悪かった。
――自分は全知全能の神である。
――従わない者は、全員が殺し合うか、病気で死ななければならない。
――自分の持つ、この青き光が神の証拠である。
――神以外は、基本的には神の力を使えない。
これは、強くストーンヘンジの外側にも刻まれている感染症の内容だ。
現在、ESPとPKの他に、PSY-Otherとして、どちらにも分類されない能力の存在が確認されているが、この人物も恐らくそれを持っていて、さらに非常に強力な力を持っていたのだろう。
結果、各地でPKによる殺し合いが発生し、それで大半が死に絶えた。
さらに精神感染症を防いだ人々も、全身に赤い湿疹が出て、最終的に眼窩や鼻から血を垂れ流し、吐血し、苦しみ抜いて死んでいったらしい。Otherには人体治癒等を行うものがあるから、逆にそれで内蔵を攻撃することも可能であるし、PKをそこに流せば赤い湿疹が出て内側からブチブチと体組織を破壊する。だからゼクスはOther-PKにより作り出された生体感染症だった可能性を疑っているのだ。
そしてこれらは全て、一瞬。それこそ一分以内で全土に広がり、対処可能な人間が気づいた時には、ほぼ全ての人々が死んでいたから、その対処可能な人物の周囲にいた数十人だけが生き残ったようなのだ。
続いてゼクスは、布を手に取り、草むしりを終えたので、ストーンヘンジのそれぞれの石の表面を磨く作業を開始した。すると、生き残った人々の記憶が、脳裏に浮かんでくる。一見、中央の円以外は無造作に並んでいる巨石群なのだが、それらが強いPSYを遮断する配置である事にゼクスは気づいていた。その場にあった石をPKで咄嗟に移動させて、生存者が構築したようなのだ。そうしながら、遠隔で神を自称した病人の脳を破壊して殺害した人物――それが、ようやく現代の歴史研究にも出てくる『青き月の指導者』らしいとゼクスは判断している。
歴史階層、地層。
そう呼ばれる原初文明は、月信仰をしていたとされている。
青い月だ。
その宗教的指導者が、ゼ=ラリアという名前であったらしい。
それは石版にも記録されている名称とも一致するし、王国全土の発掘物や後続の文明の記録からも間違いないと考えられている。ただ、このストーンヘンジの記録以外には伝わっていない事実が一つある。
どうやら完全PSY文明を滅亡させた病者は、この人物の双子の弟だったらしいのだ。
ストーンヘンジからは、弟を手にかけた辛さが、ひしひしと伝わってくる。
さらに『青き月』の信仰に変化したのは晩年であり、当初は、生存者の多くも精神感染症を瞬時に発症したから、概念として『青き光を持つ絶対神』の存在を記憶してしまったらしいのだ。記憶された箇所は、PSY血統記憶断層の最奥だ。無意識よりも下の本能の一歩手前部分である。これを消去する技術は、少なくとも現在までの間、存在が確認された形跡がない。逆に、その部分に記録する術も無い。
だからゼ=ラリアは、皆に宗教的指導者として扱われたのだ。
同じ青き光を持つからだ。
生存者達もそれが精神感染症だと頭では理解していても、体と感情では従う以外ができなかったらしい。だから――人々は、PSYの使用を止める事にしたようなのだ。そもそも防衛した人間の中にも、精神感染症の影響で、一部、PSYが既に使えなくなっていた者もいたらしい。
これが、科学技術による文明の発展へと繋がったのだ。
PSYに頼らない文明社会の構築だ。
それでもいざという時に備えて、ゼ=ラリアの血筋だけは、PSYを維持した。
彼らが使う超能力は、まるで青い月の光のようだったから、年代を経て、PSYを人々が忘れ去った頃には、『青き月信仰』という名に変化したらしい。紙が生まれて記録されているのは、その部分からであるようなのだ。
けれど、誰もここには来ないから、ゼクスしかこの事実を知らない。
訪れたとしてもゼクスのような力の持ち主は、少なくとも最下層には存在しないから、誰にも読み取れない。あるいは過去に読み取った人物もいたかも知れないが、彼らがそれを書き記した様子も無い。だからゼクスも黙っている。そして時折、太古の昔に思いを馳せるだけだ。そして漠然と、今の世界が平和で何よりだ、なんて思いながら掃除を終える。
この日も、このようにして掃除を終えて孤児院街へと出ると、噴水前のベンチで橘と高砂が雑談をしていた。
「今日も掃除か?」
「ああ、まぁな」
「雑用係お疲れ様。そうだ橘、俺と話すより、ゼクスは自称歴史研究が専門なんだから、ゼクスと話せば?」
「あー、それもありかもしれないな」
「何の話だ?」
「いやね、今、完全ロステク文明の話をしてたんだけど、俺は兵器にしか興味が無いからさぁ」
「俺的には、こう、文明とか社会とかを、もうちょっとさぁ知っておきたいんだよ」
「なるほどな」
頷いたゼクスは、掃除用具を置いてから、橘と高砂の共同研究室へと顔を出す約束をした。長閑な一日。こんな日々がゼクスは好きだった。