【2】完全ロステク文明



 原初文明が『歴史階層・地層』と呼ばれて最古とされているのだが、その次は、『歴史階層第一層』と呼ばれている、俗称――『完全ロステク文明時代』である。

 橘大公爵である――つまり高位貴族である橘康平と、高砂中宮家当主である高砂祐介がわざわざこの、人として認められていない者が暮らす最下層に研究室を構えているのは、その時代に作成された兵器が、最下層の地下に山のように眠っているからであり、その研究のためだ。高砂など最高学府の教授というエリート中のエリートだったのに、その職をあっさりと退職してここへと来た。橘だって、錦雅院という国内最高の完全ロステク兵器の保管施設の研究よりもこちらを優先していて、最近では最下層に入り浸りである。

 そんな橘が淹れてくれた珈琲を、礼を言ってゼクスは受け取った。
 現在は、研究室の休息室で、完全ロステク文明について話をしようという事になっているのだ。一応、歴史研究が専門であるからと呼ばれたのは分かっているが、ゼクスとしては最下層では本来食べる事など不可能な美味しい珈琲と、橘の自作した美味しいクッキー目当てでここにいる。

 そもそもの話、ロステクというのは、ロスト・テクノロジーの事である。
 今は失われている技術だ。そこに『完全』とついている理由。
 これは例えば『完全PSY』ならば、超能力のみの文明を指すのだが、こちらはちょっとニュアンスが異なる。PSY無しの『完全科学技術文明』を、完全ロステク文明と呼んでいるのだ。現在でも下水道・普通の水道・電気・お風呂・トイレだとか、そういった物は残存しているが、これらとは比べ物にならない超科学が広がっていたらしく、宇宙船で月はおろか、太陽系全土に進出していた等という話まである。現在も地球というこの惑星の周囲には、防衛システムがあるそうで、隕石等は降ってくる前に破壊されるらしい。代わりに宇宙へと行くのが困難らしいが、現在はその方面の完全ロステク技術を復古しようなどという動きはゼロだ。

 クッキーを頂いた後、ゼクスが煙草に火をつけて、珈琲を一口飲んだ時、橘が身を乗り出した。高砂は、完全ロステクの最近発掘した兵器の設計図を眺めていて、話に参加する気はなさそうである。

「まずさぁ、ゼクス。完全ロステク文明って、議会制度を導入したり、義務教育を導入したりした、完全民主主義国家だって言うだろ?」
「ああ、そうだな。歴史の教科書の初等科四年生の範囲だ」
「うん。で、さぁ。宗教とか存在しなくて、根本的に『科学』が、それだったって言うだろ?」
「そう習う」
「でもさ、『ゼガリア王室』っていうのが、ポツンと存在するだろう? 民主主義なのに、なんでこの王室――王様がいたと思う? 俺は、ここからして疑問なんだ」

 橘の声を、珈琲を飲みながらゼクスは聞いていた。基本的に、気だるげな無表情が多いゼクスであるが、本日もそうである。

「最高学府の歴史階層研究の主流理論だとさぁ、月信仰時代の宗教的指導者の『ゼ=ラリア』に敬意を払って、とか書いてあるけど、ゼクス、これ、どう思う? 敬意っつぅか歴史研究対象として残したという意味合い部分は理解できるんだよ。けど、『敬意』で、しかも『王様』として残しておくって不思議じゃないか? 意味不明だ。一種の宗教だろ?」

 その言葉に、珈琲のカップを置いて、ゼクスが頷いた。

「PSYを保有していたからだと俺は思ってる」
「――へ? それは歴史階層第二層で発見されたんじゃないのか?」
「いいや、月信仰時代から存在したんだ。だって、考えても見ろ。人間には全員PSY受容体があるんだぞ? 昔からあってもおかしくないだろ」
「それは歴史階層第四層で埋め込まれたんじゃないの?」
「動植物全てに? しかも生体だぞ? あくまでその際に行われたのは補助する物で、最初から生命全てに合ったと考える方が楽だろうが」
「……――なるほど。じゃ、月信仰の指導者からその末裔に至るまで、PSYを保持していたから、王様として保護していたけど、彼らは政治だのに口出ししなかったって事か?」
「多分な。この理論の文献が、最高学府の地下図書館の極秘第二区域にあるから、後で読め。PSY研究史と宗教史の複合論文だから、完全ロステク文明歴史研究文献で検索しても出てこないんだ」
「さすが! ゼクス、お前を歴史研究者として、ちょっと見直した」
「どういう意味だ、それ? 俺、すっごく歴史研究家だぞ?」

 不服そうな顔で、ゼクスが煙草を吸い込んだ。
 橘は微笑している。

「じゃあさ、ゼクス歴史研究家様よ。未だに、元老院だの、宗教院では枢機卿議会だのさぁ、民主主義的な議会や会議の大元となってる民主的な国家、これさ、選挙制度だけ存在しなかったのはなんで? 義務教育は納得できるんだ。国民の知識の最低限の維持で今も続いてるし。さらに今も、それの他に当時の選挙の代わりだったIQによる入学制限が最高学府に存在するのも、まぁ学習レベルを考えると分からなくはない。が、民主主義政治にIQって、どうなんだ? 頭が良いからと言って、政治ができるのか? 政治知識は習得可能だろうし、より良い案も出なくもないだろうが――なんで国民から不満が出なかったんだ?」
「橘が言ってるのは、完全ロステク文明以前の、科学技術水準が今と同じくらいの頃の民主主義だろ? その頃には選挙制度が存在した形跡があるし、国民だって不満があれば、デモだのクーデターを起こしていたみたいだ。あの二つの起源もそこだろ? で、お前はその部分と、自分達が研究してる完全ロステク文明の最高に発達していた時を混ぜて考えてるから、おかしなことになってるんだ。俺から言わせれば、お前が言ってる時代は、形式だけは民主主義だけど、ほぼ中央の統治者による独裁体制期だ。あの文明、3500年前後続いてるんだぞ? 混ぜるな」
「あ、なるほど。え? じゃあ歴史研究家の見解としては、民主主義じゃないとして、議会、あれ、なんなんだ?」

 驚いた顔をした橘がさらに身を乗り出した。そして両手を組んで、開いた膝の間に置く。ゼクスは煙草の煙を溜息と共に吐き出してから、珈琲を飲んだ。

「まずな、お前が言った通り、ポツンと王室が存在したけど、特に政治には関わっていない。この頃には、もうはっきりいって、独裁者達の管理下にあって、文明維持のために都合の良い時だけ『ご公務』だのとして、みんなの前で挨拶する係みたいなもので、その管理をしていたのが、『元老院』っていう今も使われている名称の集団だ。だけど、今とは全然内容が違う。何故『老』と入っているかは知ってるだろ?」
「――完全ロステク医療装置で、通常よりも長生きだったからだろ? 優秀な人間を加えつつ、有能な政治家の寿命を延ばして、政治を行っていたんだ」
「まぁそれはそうなんだろうが、はっきり言って、独裁者のみ寿命をのばし独裁体制を維持して、他にはそうしなかった、というのが正しいだろうな。それを言うなら王族だって寿命をのばすことなんて余裕だろ?」
「うわ、そう言われると確かにそうだわ。なんかガラっと平和的な文明イメージが崩壊した……え? 元老院議会の下にあった、政法院議会と科学院議会のメンバーは?」
「お前さ、当時の義務教育の内容知ってるか?」
「道徳教育とIQ維持プログラム、健康管理教育。少なくとも最高学府では、それが主流見解だろ?」
「……どうやって行っていたかは?」
「機械装置で学んでいたとされているな」
「どんな機械装置で、どんな内容だ?」
「へ? 最高学府の勉強で使ってるみたいな完全ロステクモニターで、記憶されてる講義内容の履修とかじゃないのか? 内容は、そりゃ、犯罪はいけませんとか、さ?」
「ああ、なるほどな。ま、平和的と聞いたらそういうイメージになるだろうな。だけど、実際には、学校という建物や施設は存在せず、当時の30億人の15歳未満に一括に同じ内容を叩き込む、というのを理解したら分かるだろうが、大規模マインドクラック装置を利用していたんだ。それが、機械装置だ」
「え」
「今も、洗脳兵器として残っているだろう?」
「あ、ああ……」
「そして当時の社会通念としての『平和な社会』というのは、まぁ犯罪をしないというのも含まれていただろうが、道徳教育というのは、画一化された理想的で温厚で真面目な性格および統治者連中に絶対逆らわず王室は尊重するという、そういう内容だ。だから完全ロステク文明最先端の頃には、デモもクーデターも犯罪も国への不満も何もなかった。代わりに、個性だのはゼロだ。みんな同じ性格で同じ行動パターンを記録された。人格統制プログラム、現在こう呼ばれている完全ロステク復古理論集に出てくる人格プログラムが、当時の道徳教育の正体だ。これは、『平和な社会を構築するとして』というどちらかといえば社会主義の文献に出てくる人格統制プログラムとマインドクラック装置の利用についての考察論文が最高学府のデータベースにあるから検索しろ」
「……まじかよ。え? IQ維持プログラムと健康管理は?」
「IQ維持プログラムは、マインドクラック装置で『統治者以外は低IQである』という概念を常に流しながら、脳機能操作兵器っていう、錦雅院の地下にある、国内最有事の場合に各方面のハンコが無いと使用できない完全ロステク兵器で、『低IQ化維持』をしていた、この両者の複合方策を『IQ維持プログラム』と呼んでいたんだ。これはロードクロサイト文明史の復古記録に記載されているから、ロードクロサイト侯爵家にある。今はザフィス神父が保管しているから、読ませてもらえ。花王院王家のハンコと貴族院のハンコで読めるから、お前ならどっちもすぐに手に入るだろ」
「……――衝撃的すぎた。お前はそのハンコ、どうしたんだ?」
「俺はザフィス神父の孫だから、ロードクロサイト関連文献は全部読めるに決まってるだろうが。かつあの人は医学にしか興味無いから、存在を知ってるかも怪しいし、それは時東も一緒だけどな」
「な、なるほど……」
「だから本来、当時は全国民が高IQだったのを、統治者連中が低くしていて、その装置でもIQが低くならない程、生まれつきIQが高い連中が科学院、人格プログラムを使っても、より良い行動をする人格者が政法院に呼ばれていて、その中から選ばれた人間が元老院にスカウトされていたんだよ。で、元老院メンバー以外は、『健康管理』として、寿命が原則100歳と決められていて、その年齢に達すると全員安楽死。さらに出生管理もされていたから、毎年、幼児と死者の数も一致。これで人口も一定に保っていたけど、人格統制プログラムがあるから、誰も不満を言わなかった。で、元老院メンバーは、脳の寿命限界の563歳までの生存が許されていたし、完全ロステク医療装置で、一番長生きした人物は、初代議長で、次の歴史第三階層も生き抜き、歴史階層空白地帯で行方不明になったとされているな。ま、それらの医療装置でも、1000歳が限度だから、今は死んでる可能性が高いけど。と、まぁこんな感じだ。これはロードクロサイト家保有のフェルナ・ロードクロサイトによる完全ロステク文明研究記録の、元老院議会議長考察に出てくる」
「俺はゼクスを見直したよ」

 橘が複雑そうな顔で大きく頷いた。
 ゼクスは、小さく吹き出すように笑ってから、煙草を深く吸い込んだ。

「じゃあ、思ったより殺伐としてた統制社会だったのか?」
「どうだろうな。ある意味、融和で平和だったかもな。個性が無いだけで。代わりに、今と同じで、天才技能として、絵画や音楽は鑑賞物というより、出来る人間が研究対象となっていたみたいだし、それを美しいと思ったりする感性もプログラムされていたみたいだぞ。平和といえば平和だったんじゃないか?」
「けど、俺、そんな社会、嫌だ」
「だから滅亡したんだろ。その時の戦争で、お前らが研究している完全ロステク兵器が生み出されたわけだしな」
「ああ、そっか。なるほどな」
「それに気象兵器やら災害誘発兵器だって、そもそもは、災害対策や災害防衛にこの時代に作られたわけだし、平和な社会の実現を志してはいたはずだ。価値観の違いだろ」
「ゼクスが思ったより馬鹿じゃなかったってよくわかった」
「あのな、橘。俺を一体なんだと思ってたんだ?」

 ゼクスが眉を顰めると、橘が苦笑した。
 すると、高砂が不意に顔を上げた。

「ねぇ、その時代って、PSYは王族しか持ってなかったの?」
「ああ、いや、そんな事はないはずだ」
「だよね。さっき、全人類がPSY受容体を最初から持ってたって言っていたし。なんでそれは当時、使われなかったの?」
「一番は、その頃は、『科学が全て』っていう概念で、そういうPSYというのは、科学で当時は解明できなかったから、手品だとか詐欺だとか思われていたからみたいだな。王族について知る一部の科学者とか統治者階級しか知らなかったみたいだし、低IQだとそういう理解の方が広がるみたいだ」
「じゃあ研究はされなかったの?」
「王族はされていただろうし、最終的に、IQと人格が統制されていて、人格者みたいなのが増えていったように、PSYを発揮できる人間も増加したみたいで、そこから本格的に研究が始まって、PSY複合科学時代に続くんだ。ただ当時は、あくまでも科学の一分野で、絵画を描く能力みたいな個人技能と考えられていたみたいだな」
「ああ、そういうことね」

 高砂が頷くのを眺めながら、ゼクスは心の中でひっそりと、とある事実を思い出していた。青き月信仰の指導者だった王族のみが、何やら、人々がPSYを使用できない理由が古代の何らかの精神感染症が理由だと、ESP記憶で継承していたようであり、普段は滅多に使用しなかったというような記録があるのだ。だが、それは別段口にはしなかった。時折使用していたのは間違いないから、確実に研究されていたのも事実だからである。

「ま、そんな感じで、人格者が増加して、そいつらが元老院議会の独裁が良くないと判断し、PSY能力者として研究対象になってた連中や、そのPSYで人格統制プログラムを解除された科学者と、統治者の間で戦争が起きたわけだ。これが、歴史階層第二層の終焉を導いた完全ロステク兵器戦争の実態だ。これに関しては、最高学府の主流見解と同じだろ? 元老院に反発した政法院&科学院と、元老院との間で完全ロステク兵器による戦争が起きて、文明が滅亡した。こういう事だな。ただまぁ、当時を生きていたわけでもないから、あくまでも残ってる資料や、大地の兵器痕跡だのからの推測で、全部が正しいかは保証できない。それが歴史だ」
「すごく勉強になったわ」
「うん、こうやって聞くと、歴史も面白いといえば面白いね――せっかくだから、次の歴史階層の第三層、PSY複合科学時代も話してみてよ」

 高砂が顔を上げて珍しく続きを促したので、ゼクスは微笑して頷いた。