【5】意味のある打掛の糸
まずゼクスが引っ張り出したのは赤い打掛だった。
鮮やかな赤からはじまり、下になるにつれて暗い赤に変わる打掛だ。
銀の糸で鮮やかな雪のような粉が、暗い部分に斜めに縫い込まれている。
その少し上に、錦の糸と黒い糸で、大輪の不思議な華が描かれている。
紫陽花に似ているが、それとも少し違うようである。
光の加減で金色にも銀色にも虹色にも輝く。
正面は逆にシンプルで、胸元に――金色の糸で十二の花びらがある小さな菊がついている。そこから、同色の糸が下がっているだけだ。
後ろ側は、代わりに赤から桃色、薄紅色、最後はほぼ白になり、全面の粉雪部分が金箔になっている。そして白い部分には桜の花びらが舞っている。
これは院系譜や最高学府にも記録が残っている、闇の月宮が匂宮当主として身に纏う装束である。嘗ては、万象院と分院していなかったし、朱雀院から『朱の院』ともされていなかった――つまり美晴宮の平安朝の一番最初に、匂宮家当主が着ていた着物だ。当時は、総取りなども存在しなかったと言う。
――美晴宮同等の神の血を引く宮家としての、匂宮が着ていたとされる打掛だ。
これを着ている者は、華族にとって神様と同じなのである。
『正匂宮金桜の紅』と呼ばれる、匂宮一族最高の衣だった。
華族神話によれば、青照大御神の指示で地に降り立った三人の神の内の一人が、匂宮のしそである。天照と月讀という双子の兄、つまり月讀の末裔だ。末っ子が須佐之男とされる。
学術と信仰を統べる事を命じられた匂宮始祖が、その降り立った日に身につけていたとされる装束が、これだ。
最後にこれを着ていたのは、旧世界滅亡寸前の、最後の右副・鴉羽卿という人物であったとされる。その時の古文書へのメモリックにしか、この着物の存在は記録されておらず、既に消失していると考えられていた。非常に高貴な神の衣なのだ。
華族文明は完全PSY文明であったし、それ以前のロードクロサイト文明のPSY融合科学をひきついでいたから、科学的に見るならば、この衣は――完璧なPSY繊維製の防衛兵器とも言える。同時に色相補佐を行うのだが――……そんなことはどうでも良いほどに、存在が信じられないほど、神聖な打掛だった。
これには美晴宮朝仁も橘宮も、無論高砂も、なにより桃雪も呆気にとられるしかない。
なんでこんなものが出てきたのだ?
そして、驚愕は、さらに続くこととなった。
続いてゼクスは緑色の打掛を取り出したのだ。
それにも華族連中全員の目が釘付けになった。
そこにあったのは『真須佐之男清涼衣』だったからだ。学識等と夜の神月讀、その双子の弟で人間を統べることを命じられた天照大御神、そして二人の弟だとも異父弟だとも養子だったともされるが、美晴宮と匂宮以外の全ての華族の直接の祖先とされる須佐之男の尊――その神が平安朝に降り立った時に着ていたとされるのが、その緑の打掛だったのだ。
薄い翡翠色から始まり、深く暗い緑になっていく打掛で、斜めに金粉がついている。そして銀の糸で天へと昇る龍が描かれていて、たなびく白い雲もまた描かれている。それが金粉側の右下とは逆の、左下から右上へと横断するように斜めに上昇し、合わせ目を超えて描かれている。龍の鱗は、時に金にも青にも光る不思議な色彩だ。胸元には十二の花弁を持つ銀の菊があり、同色の糸がたれている。そして背後は、上側が翡翠から緑になった後どんどん白くなり、一旦完全に白となり、そのあとは次第に青くなり、一番下は濃い群青色となっている。そこには銀の糸で流水模様が描かれていて、青の始まり部分からそれは掠れて最後はいつの間にか消えるのだ。
これもまた科学的には繊維も色相も一種の装置として完璧なのであるが、やはりそんな問題では無かった。これを着ているものもまた神様なのだ。しかも圧倒的多数の華族の直接の祖先である神様の証なのだ。
橘宮は、三種の神器の起動の鍵になる扇の気配を感じて騒いだのだが、これが出てくるという予測など一切していなかった。そのため、ただただ冷や汗をかいている。こちらを着ていた人物の最後の記録など匂宮のものよりも古い。美晴宮家の跡取りが着ていた記録があるだけだ。匂宮と異なり、これは別段橘宮の継承品ではないのだ。華族筆頭の天皇を支える人物の証である。
だからその時々の皇太子か、当時の政治家が着用することが圧倒的に多く、そういう意味では橘宮家が預かった記録も多いが、まさか実物を見る日が来るなどとは思わなかった。皺がつかないようにPSYで保護されているようだから良かったものの、完全にしわくちゃ状態でスーツケースに押し込んできたらしきゼクスを、どうしていいか分からない感じで、華族達は見た。
ゼクスはといえば、やっと引っ張り出せた事に、すごく満足しているようだった。
「あのな、まずこの赤い華の方を、これから匂宮総取りをやってもらう桃雪匂宮様に着てもらって、それで緑の龍の方を、橘宮様に着てもらって、華族全部をまとめてもらうそうだ。夢を通して美晴宮静仁様――きっと朝仁様のお父さんに、ゼストが夢で言ってあるからすぐに着て良いそうだ。なるべく昼間はそれを着ていてもらうようにお願いしろとゼストが言っていた」
「「は!?」」
「元々匂宮をまとめる人――基本的には匂宮や華族の人が着る服だそうだ」
「「……」」
「それに桃雪様はそれを着ると、単体PKも完璧に使えるようになって、範囲も今までより強くなって、さらにESP欠乏障害がほぼ治るそうなんだ。そこの柄がESPを空気中から吸収するそうだ」
「「!」」
「橘宮様の方は――元々それを着ていた須佐之男の尊という人は、生き残った華族をPSY治療している人物だったそうで、天才科学者でもあったらしい。なんか当時の白衣みたいなものだったそうだから――橘宮様は絶対にそれを着ていないと、ならない。黙示録でみんなが怪我をした時、大変なんだそうだ。それと模様の龍が完全PSY護衛兵器でもあるらしくて、不審者は勝手に倒してくれるみたいで、背中の流水紋は病気の人を相手にしても自分への感染は全て防いでくれる白衣なんだそうだ。緑色だけど白衣だ」
白衣という語に、興味深そうに時東まで視線を動かした。
「それぞれを着て舵手桃雪匂宮様は攻撃面で、橘宮様はみんなをまとめる役目と――医学とは違うらしい完全PSY血統医術というらしき能力面で、ゼストは頼りにしていると言っていた」
「「っ」」
「二人には『青照大御神が宿った闇の月宮』といえば分かると聞いた。その人を守ってくれるようにお願いしろと、ゼストが言っていたんだ。探し出して、守ってあげてくれ。よろしくお願いします」
呆然としていた二人だったが、受け取らないとポイッと投げそうなゼクスに焦り、結局ビクビクしながら受け取った。両者ともに、生地に触れただけで神聖さが伝わってきて、ゾクゾクせずにはいられなかった。だが、すぐに自然と肌に馴染み、その気配に惹きつけられるようになった。
唾を飲み込み、二人はどちらともなく朝仁を見た。
すると彼も驚いてはいたが、いつも通りの微笑をすぐに浮かべて頷いた。
美晴宮家からの異もない。
結果――二人は袖を通してみた。
事情をよく知らない人々にも神聖さは理解できたが、単純に、似合っているというのが第一の感想だった。
続いてゼクスは、黄色の打掛と、橙色と黄緑で出来た打掛を、これもまたひっぱりだした。高砂は後者に見覚えがあった。これは最も近年まで存在が確認されていた衣だ。
ただ、先程の赤と緑の打掛が壮絶すぎて、それ以上に驚きようもない。
確かにこれはこれで貴重なのは間違いはないのだ。
これは――初代匂宮から賜ったという話の、匂宮配下高砂家当主の継承品である。
写真まで残っている代物だ。
最後に身につけていたのは、過去にただひとり錫杖を賜ったという人物である。
なのだが、その人物の死と共に継承されなくなった。
てっきり遺体と共に、埋葬されたのだろうとみんなが考えていた代物である。
肩部分が黄緑で、前側は下へ行くにつれて黄色になり、最後は橙色だ。
その橙色の部分に、もっと濃い緑と銀と金の糸で、素晴らしい松が一本描かれている。
そして背中は、濃い黄緑から、最後はほぼ黄色に近い明るい緑に変わるように染められていて、そちらには、橙色の鳥が止まる松の枝と、松の緑が描かれていた。
「なぁ高砂。俺、和服に詳しくないんだけどな、PSY処置すると、これ、普通の着物にもなるらしいんだ。さっきの二着もそうらしい。これから配るのもだけど。それで、お前は、さっきのど派手な袈裟の下にこれを着ると、ゼストが言うには、完全PSY繊維とPSY融合繊維それぞれの補助が入るから――あっちは攻撃力アップ、こっちは基本能力アップの効果があるらしい。着ていると良いそうだ。まぁこれもいらなければ捨てておけ。クラウからルシフェリアとヴェスゼストが受け取り、ゼストが保管していたと聞いた」
「――使徒クラウ?」
「さぁ? 俺の夢に出てくるゼストの知人だろうな」
「そう。とりあえず貰っておくよ。ありがとう」
「俺にお礼を言われてもない。俺はただの配布係のようなものだ――次、琉衣洲。ちょっとこっちに来てくれ」
そして突然名前を呼ばれて、琉衣洲が緊張したように目を細めた。