【0】終末時計
時東は、落ち着いて一人になった時、再び時計の蓋を開いた。
歪んだ文字盤に、奇妙にぐにゃぐにゃした数字が並んでいる。
そう思っていたら――中に大自然が見え始めた。
すぐにそれが創世記の風景であると気づいた。全てが息づいていた。生命、命、それを実感した時、気付くと時東は、一人で瓦礫の中、夕暮れの最下層に立っていた。ゼスペリア教会の外観以外には見覚えがない。すぐにそれが旧世界の滅亡直後の光景であると理解した。そして、教会の礼拝堂から見えるゼクス――いいや、使徒ゼストの姿と夕方の祝詞を耳にした。そう、世界は一度滅びてしまったのだ。
祝詞が音楽のように脳裏で再生された。
あの悲劇を繰り返してはならないし、そもそも一人一人の命を滅亡させてはならない。強くそう実感した時、真っ青な青空の下に景色が変わり、ゼスペリアの赦祝という、ゼスト・ゼスペリア猊下以外読んではならない特別な祝詞が聞こえ始めた。それを口ずさみ微笑むゼストが、大自然を眺めていた。そうだ、彼のおかげで、今、またこの世界は存在しているのだ。全てにゼストは、いいや、ゼスペリアは宿っているのだ。それをPSY受容体のことだと言っても構わないのかもしれないが、もっと感覚的な何かがそこにあるのだと、時東は思い出したような気になった。
なぜ忘れていたのか不可思議だった。
全ては当然のことなのだ。助けたいと思ったら助ける、死んで欲しくないから医療行為をする、それで良いし、そういった想い、気持ち、個人の観念が作り出す世界、全て。それがゼスペリアであり、ゼスペリアとは世界そのもののことで、その器とは、結局のところそれを読み解ける優しさを持つ人間のことなのだ。天才部分のことなどではないのだ。はっきりとそう理解した時、気付くとわれに返っていて、改めて時計を見れば普通の文字盤で、半ば無意識に蓋を閉めた。
そして、そばにいた高砂を見た。
「――今、俺、なにかしてたか?」
「ん? 時計の蓋を開けて閉めたけど?」
「何分くらい?」
「三秒くらいかな?」
「なぁ――この時計って、なんだと思う?」
「終末時計という名前の懐中時計?」
「誰がなんのために作ったんだ?」
「――旧世界滅亡時に、ゼストと一緒にいたゼスペリアの医師の所持品じゃなかった? なんでも世界で、旧世界でなのかな、最初にゼスペリアとは何か気がついた人物と言われている。所持できるのは、ゼスペリアの医師だけ、っていう話の」
「……納得できない」
何に納得できないかといえば、直感的にその通りだと思った自分自身が、だった。
しかし蓋を開けると、やはり同じ光景が広がり、気付くと蓋を閉じていた。
その最中は、他に何も考えられなかった。だが、再度、直感で、これが真実だと理解していた。つまり、ゼスト――いいや、ゼクスは、ゼスペリアそのものであり、優しさを持ち、さらには万象院と同根ですらある。
「今は何秒?」
「三秒くらい。パカ、見る、パタン、みたいな」
「――真面目な話、俺をゼスペリアの医師だと思うか?」
「違うの? けどそれも持ってるし、最早周囲の評価的にもゼスペリアの医師でいいんじゃない」
「……――俺はゼスペリアの医師らしい。そんな気がするというか、そうだろうな。けど、じゃあ俺は、どうすれば良いと思う?」
「さぁ? 時東は、医者をやったらいいんじゃないの? 俺こそ何したらいいのか不明だよ。だって、自分を守れって……なんかねぇ? 医者は人助けができるけど、俺は何するんだろうって思うんだけどむしろ。ただ、自分がそうだと自覚させられるような感覚に動揺するのはわかる」
「うん、とりあえず医者やるわ。うん――ところで高砂、最近お前は夢、見たか?」
「まぁねぇ」
二人は、そんなやりとりをした。
「ところでさ、時東」
「なんだ?」
「時東が治してる間に、俺、倒してこようかと思って」
「――敵か?」
「うん。今ならやれると思う」
飄々と言った高砂に、時東は頷いた。
――高砂は、無理なことはしないと、時東は思っていた。