【9】帰宅する悪役……。
翌日からは学園があった。
俺は疲れ切っていたが、学園をさぼるなんて考えられない。
よろよろと制服に着替えていると、ノックの音がして、宰相閣下の声が響いた。
答えると扉が開いた。
「やぁ。何とか私の権限と――正確には公主様の一言で、カイツ様がいる間は、帰宅できるようにしたよ」
「本当ですか……」
「スピア様は一週間学園を休んでそちらのお相手だ。よく頑張ってくれたね」
「……いえ」
こうして俺は、その日めでたく塔を後にすることが出来た。
学園へ行くと、取り巻き達が待っていた。
しかしその視線がどこか浮ついていて、痛い。きっと、俺とスピア様のことを聞きたいのだろう……。だが思い返せば大半が寝台にいたので、話せるようなことは何もない。
眠気を押し殺して、腰の痛みも気にしないことにして、俺は無言で席に着いた。
スピア様の右腕のルイザがやってきたのは、放課後のことだった。
手には夕刊を持っていた。
「おい、大丈夫か? 顔色が悪い」
「放っておいてくれ。何のようだ」
「――これ、見たか?」
夕刊にはでかでかと、今日の一大ニュースとして、スピア様とカイツ殿下の公園デートが報じられていた。白いボートにのり、観覧車にのり、お昼はカイツ様お手製のサンドイッチを召し上がったらしい。トリカブトは入っていなかったんだろうなだなんて考えた。
心底どうでも良いニュースだ。
俺もデートであればしてみたかったが、今となっては共通の話題も思いつかない。
それこそ俺達は、スピア様の言うとおり、体で話し合っただけだ。それも一方的にだ。
そう思えば泣けてきた。
「泣くほどショックか?」
「違う!」
「意地を張るな。スピア様がお前の反応を楽しみにしてるんだ」
「は?」
「スピア様はドSだからな」
「知ってる! もう俺には構わないでくれ」
「怒るなって。この調子で一週間はデート三昧らしいけど、気にするなよ? 向こうは政略結婚。こっちは恋愛結婚なんだから」
「恋愛何かした覚えはない」
確かに俺はスピア様が好きなのだが、やっぱりなんだか違うと思うのだ。
現状を正確に言い表すのであれば、ただの肉体関係だ。俺はそんなの恋とは認めない。
「……本当にスピア様の片思いなのか?」
「別にスピア様だって俺のことを好きじゃない」
「そんなわけないだろ。俺がどれだけお前に対する思いを聞かされたことか」
「思い?」
「ああ。好きだの可愛いだの綺麗だの取り巻きに嫉妬するだの煩くて叶わない」
「ただの冗談だったんじゃないか。好きな相手にあんなことする奴がいるか……」
「どんなことだ?」
「べ、別に!」
「……ヤったのか」
「なっ」
「だろうな。今日のお前色っぽい。一皮むけた感じだ。今までが硝子だとすると今日は海だな」
「たとえが意味不明だ!」
「艶っぽい」
「お前にそんなことを言われても嬉しくない」
「スピア様に、なら嬉しいのか?」
「嬉しくない!」
言ってから思った。ちょっと嬉しいかも知れない。好きな人に褒められたら胸がきゅんとする気がする。観覧車の中で言われてみたい。好きだ、とか。
「ちなみにこの公園のボート、のると別れるって言う伝説がある」
「何でそんな不吉な場所にデートへ?」
「元々この結婚にスピア様は乗り気じゃないからな」
「貴族の結婚なんてそんなものだろう」
「だったらお前も素直に結婚すればいい」
「嫌だ!」
「お前ほど貴族らしい貴族なら、そこは、光栄ですって腰低くしないと不自然だぞ」
「……だけど」
「なんだ? 好きな相手でもいるのか?」
「それは、その……俺は……べ、別に!」
「その反応、居るわけだな。まいったな、流石にいくら俺でも失恋したスピア様を慰める自信はない」
「ち、違う。違うんだ」
「ああ。なんだ。スピア様が好きなのか」
「っ」
「お前顔に出やすいよな。それでよく悪役が務まったな」
「うるさいな!」
「両片思いってやつだな。とりあえずお前が折れろ。素直になれ」
「なれるか! あんな強姦魔!」
「……やっぱりヤったんだな」
「く、あ、あのっ」
「愛故だ。許してやれ」
「愛があれば何でも許されるんなら騎士団は不要だ! 愛があったらパンを盗んでも良いのか!?」
「話しをすり替えるな。しかし困ったな。お前、この記事見ても、反応それだけか」
「十分反応してるだろう!」
「……後悔しても知らないぞ。どうするんだ、スピア様が殿下に本気になったら」
「好きにすれば良いんだ! 俺には関係ない!」
俺の言葉に溜息をつくとルイザは歩き去った。
残された新聞を一瞥してから、俺は帰宅した。
久しぶりに感じる自分のベッドにぐったりと横たわる。やっぱり落ち着く。
その日はそのまま眠ってしまった。
翌朝。
新聞には、今度は、夜景の見えるレストランでデート、と言う見出しがあった。
その店は俺も家族と良く行く。海が綺麗にみえる場所だ。店内にはいつも荘厳な音楽が流れている。朝食を食べながらぼんやりと眺めていると、父が言った。
「婚約者としての気分は複雑か?」
「解消して貰う努力をしています」
「スピア様がこの前内に来て、お前をくれと行ってきたぞ。私は断れなかった。恐れ多い」
「え」
「結婚報告だったぞ……もう、後には引けないんじゃないか……」
「だ、だけど、お家取りつぶしとか……」
「うん……参ったな。なんとか後宮で上手くやれそうにはないのか?」
「無理です」
「弱った……それがなぁ……『純愛ですね』と、公主様も乗り気で、一緒に挨拶に来たんだ」
「なっ」
「あれで断れる貴族が居たら奇跡だ。もうお前の外堀は埋まって居るぞ。私にはどうにも出来ない。結婚が嫌なら、何とか上手くかわすんだ」
「そんな」
「もしくは諦めて後宮に入れ。その内スピア様も飽きるかもしれん。公主様が絡んできたわけだから、お家取りつぶしは無いと願おう」
「だ、だけど、俺の人生は……」
「これも伯爵家に生まれた者の定めだ……」
朝食の場はどんよりと暗いものへと変わった。俺は泣きそうになった。
父は空笑いをしている。母は亡くなっているのでいない。兄は遠方の領地にいる。
俺はずっしりと沈んだ気分で学園へと向かった。
すると玄関でルイザが待ちかまえていた。手には朝刊を持っている。
「これを見たか?」
「ああ……」
「そんなに落ち込んだ顔をするなよ。昨日はやっぱり照れていたのか?」
「違う! け、結婚の挨拶に、生家にスピア様と公主様がいらっしゃったと聞いて……」
「……スピア様は狙った獲物は囲い込む方だからな。罠っていうか、その……」
「……ルイザ。俺はどうすればいいと思う?」
「……こういう時は、インターネットで調べたら良いんじゃないのか?」
その言葉に俺はハッとした。
そしてその日は、授業そっちのけで、魔導書を開き、ずっとインターネットを見ていた。
勿論ちゃんと授業も聞いていたが。
俺はひたすら、悪役転生ものを読みあさった。大人しく平穏な生活をゆったりと送れるルートに進む悪役を捜した。結論として、まず重要なのは、フラグをへし折ることだと学んだ。しかしネットの世界は広い。一歩間違えば、死亡、なんて言うフラグも溢れていた。心境的には俺に近いだろう。どうする? どうすればいい、俺!
そもそも俺のフラグはどこで立った? そうだ、図書館へ行ったのが悪かったのだ。いや、あの時遮った生徒を取り巻きが怒ったことか? いやいやいや、俺が素直に悪役職を引き受けたところまでさかのぼるのだろうか? しかし悪役道は今更……変えられないことはないが、変えたところで、スピア様に対していい顔をして居るだとか思われそうだし、スピア様には素直になったなだとか言われそうだ。
それから一週間。毎日毎日俺は新聞で、スピア様のデート速報を見たが、そんなものはそっちのけで、ネットに没頭した。……なかなか無いのだ。みんな主要人物とくっついてしまうのだ。それでは困るのだ。待てよ、この場合の主要人物とは誰だ。
まずはスピア様だ。次はルイザか。後はカイツ殿下か。宰相閣下と公主様もいれるとして、俺と俺の父と兄? 案外主要人物以外とくっつけばフラグは折れるのだろうか? くっつく……しかし俺はもう肉欲にまみれた生活などしたくない。他の人との恋愛は却下だ。心境的にはスピア様のことがまだ好きだし。回避したいのは結婚だ。
俺が必死で魔導書をのぞき込んでいると、その日もルイザはやってきた。
「そろそろ寂しくなったんじゃないのか?」
「悪いが今集中して居るんだ。後にしてくれ」
「何見てるんだよ?」
ルイザが不意にのぞき込んできた。おもいっきり『悪役令嬢死亡フラグだらけドキドキの学園生活』というタイトルを見られてしまった……これは最近の俺のお気に入りだ……。
「お前、こういうの好きなの?」
「す、好きだけど、違うんだ! フラグをへし折る方法を勉強してるんだ!」
「フラグねぇ……まぁむずかしいだろうな」
「わからないだろう。調べてみないと」
「だってスピア様、七歳の聖誕祭でお前に一目惚れしたらしいぞ。幼少時からやり直すのか? 公主様の時間聖術でも、一時間も巻き戻せないって言うのに?」
「へ?」
「スピア様は不器用だからなぁ。好きな子ほど虐めちゃうタイプなんだよ」
「……イジメの次元が斜め上過ぎる」
「それより、このままだとカイツ殿下、この国に居座るぞ」
「それは別に良いんだ」
「お前、一緒に王宮で暮らせるのか? 嫉妬とか無いのか?」
「無いな!」
「本気でスピア様は脈無しなのか……」
「いや、そう言う問題じゃないんだ。俺は肉体的に平穏に暮らしたいんだ」
「生々しいな――……んー、そうだなぁ。フラグが立っちゃってからへし折る、か。考えてみると難しいな」
そう言うとルイザが顎に手を添えた。そして長々と目を伏せる。睫が長い。
「カイツ殿下を応援してみるとか」
「駄目だ。大抵の場合の悪役令嬢は主人公を応援してフラグをたててしまうんだ」
「あ。そうだ。公主様に頼み込めば良いんじゃないか?」
「それが、公主様も一緒に結婚の挨拶に来たらしいんだ」
「手が込んでるな、流石スピア様だ……」
「何か良い案はないか?」
「無いな。うん。諦めろ」
「え」
こうして何も建設的な話は出来ないままで一週間は終わってしまったのだった。