2:魔術師が外出!


 レンダルシアの街は、ざわついていた。

 事情を知らない観光客や無邪気な子供、他にも通りがかりの女性達は、羨望や憧憬を滲ませる、うっとりとした眼差しで、サフを見ている。ルイヴァルダの正騎士の装束に、皆が見惚れているのだ。

 ――騎士の装束は、男性の姿を三割増格好良く見せる。

 その上、サフは元々が男前である。
 実力も確かで、若くして名誉ある第二騎士団の団長を務めている彼の姿は、多くの者が知っていた。顔までは知らなくとも、名前はほぼ全員が知っている。陽に透け、海のように見える髪と、全てを見通すような金色の瞳。均整の取れた体つきが、ピシッと騎士の正装を着ているその姿は、多くの者の視線を捕らえて放さない。仕草もまた洗練されている。

「ファレル騎士団長、何をなさっているのかしら……」
「きっと大切なお役目よ――! 今、目があったわ!」
「私に微笑んで下さったのよ、嗚呼僥倖」
「ありえない、ありえない」

 クスクスとそんな少女の声が響いてくる。
 しかし、街に長らく住む人々は、高名な騎士の隣に立っている、灰色の外套を纏った青年から目が離せないでいた。いつもは深々と被っているローブが取れている。

「急に曇りだしたからまさかとは思ったが、来たなぁ……」

 パン屋の店主が呟くと、隣で書店の店主が腕を組んだ。

「でも雨が降ってない」
「奇跡だねぇ」

 果実店の奥さんが言うと、八百屋の店主が頷いた。

「ルイヴァルダ正騎士団への神のご加護には、流石の雨も太刀打ちできなかったって事か」

 彼らのそんなやりとりは、幸いソーマの耳には入っていない。



 雨が降らないこの街の姿を見るのは、魔王討伐への旅の際に、一泊して以来だ。
 つまり何百年も前だ。
 俺は何もかもが新鮮に見えて、周囲をきょろきょろと眺める。

 何せ観光名所となってからは、三ヶ月に一度雨の日に、ちょっと買い物をするぐらいの範囲でしか、街の姿を目にしていないからだ。噂にだけは聞いていた巨大な噴水が、凄く綺麗だ。嗚呼、晴れていたらもっと良かった。

 それでも、それでもだ!

 曇りと言うだけで、俺の心は躍っている。
 ひゃっほーぃ、と叫びだしたい!

「ソーマ様、いかがなさいました?」
「いやさぁ、雨が降ってないって、やっぱり良いよなっ、くぅッ」

 やばいまずい、テンションが上がりすぎて、俺はじたばたとしてしまった。
 すると穏やかな笑顔を浮かべたサフが、俺の耳元に口を近づけた。

「静かにしていろ、大人しくしていろ、騒ぐな、わめくな、良いな?」

 ボソリと大変迫力のある声で、俺は囁かれた。
 体に力を込め、小刻みに何度も頷くしかない。

 それから俺たちは、半月ほどかけて、馬車で移動した。
 来るときは、サフが一人で馬に乗ってきたそうで、一週間もかからないで着いたそうだが、俺にはそんなのは無理だった。密談をする人用に、と言う謎の効果がある、騎士団の馬車の中では、ブツブツとイヤミを呟かれたものである。魔術師だったら転移の魔術くらい使えるだろう、とキレられたが、無茶振りである。

 それとも最近は宮廷魔術師が熱心に研究しているとの話だし、比較的安易な魔術になったのだろうか。俺一人なら兎も角、俺がその魔術を使って二人で移動するとしたら、転移した後一日は寝込む自信がある。新たに俺が知らない魔法陣でも開発されているなら別だが。

 俺だけ魔術で移動して、サフが馬で追いかけてくる、と言うのも考えたが、転移の魔術は基本的に『行ったことがある場所』にしか行けないし、とても疲れるので、現在の王都には一度も行ったことがない俺には、ちょっと難易度が高かった。

 俺は、王宮の隣にある、第二騎士団王都詰所に暫く滞在するらしかった。
 宮廷魔術師の宿舎や、マジェスティの持ち家にいても良いとのことだったが、雨のことを考えると、なるべくサフに近い場所にいた方が良いと判断したのだ。あちらも俺のことが見張れるから都合が良いと乗り気だった。

 王都に着くと、まず俺は、休む間もなく、現ルイヴァルダ国王であるヒース=ルイヴァルダ国王に謁見することになった。キースの子孫だ。間違いなく子孫だ。名前で確信した。ここの王室は、○ース、と言う名前の人が多いと、魔王討伐当時からネタになっていたからである。

「よくぞ戻ったサフィレイス。そしてよくぞ参った、ソーマ殿」

 片膝を立て、深々とサフがお辞儀している。

 騎士団式の礼など俺は知らないので、仕方がないから大昔に俺が自分で決めて宮廷魔術師に叩き込んだ、それっぽいお辞儀を披露した。

 膝をつくところまでは騎士と一緒で、違いは、片手に杖を持ち、もう一方の左手を胸の前に置いて、会釈するのである。一口に言えばそう言うことなのだが、当時は、間の取り方やら腰の角度やら、色々決めた。特に意味はない。あくまでもそれっぽく見えるように、俺は努力したのだ。左利きの人でも、この時ばかりは右に杖を持つように、と教えた。省略する場合は、立ったまま、同じ事をする。

 早く面を上げよっていってくれないかなぁと考えていると、やや遅れて陛下が言った。

「面を上げよ」

 安堵しながら顔を上げる。
 するとサフと国王陛下が、驚いたような顔をしてこちらを見ていた。
 俺のお辞儀はおかしかったのだろうか?
 まぁ、今では廃れているか、簡略化されているか、変わっているかも知れない。
 だとしてもあんまり興味はない。

「ソーマ殿は隣国二つのどちらかの宮廷へ仕えたことがおありなのか?」

 陛下の言葉に首を傾げた。
 どの宮廷魔術師を育成したときも、全部同じお辞儀を教えたから、似たようなのが残っているのかも知れない。しかし困った。仕えたことは、そりゃあある。しかし、今の俺は子孫という事になっているし、現在の他国の王宮事情など全く知らないので、はい、とも言いづらい。

「いいえ。陛下、宜しければ、ソーマとお呼び下さい」

 応えてから、俺は改めて国王陛下を見た。
 キースにそっくりである。思ったよりも若い。三十代半ばくらいだろうか? もっといっていても、精々四十前後だろう。かなり若い。繰り返すが、何か、若々しい。

 金髪碧眼で、声まで似ている。口調はキースより王様っぽく、仰々しいが。

「承知した。此度は、腐竜退治に尽力してくれるとのこと。誠に有難い」

 拒否って良いなら俺は帰りたいけどな!
 だなんて口が裂けても言える気配ではないので、へらへらと笑って見せた。

 何せ近衛騎士団の面々が、ずらっと俺とサフの周囲にいるのだ。そしてサフもそちら側の人間であり、俺だけがこの場で異分子なのだ。

 その時、ギギギと音がして、玉座の左側にある扉が開いた。
 正式な入り口とは異なり、陛下に何か急用などがあったときに、家臣が入ってくる扉だ。少なくとも昔はそうだった。

「師匠!」

 入ってきたのは、マジェスティだった。
 その声に俺は思わず吹き出しそうになった。

「いやいやいやいや、マジェスティ魔術顧問。師匠は、貴方ですよね? ね? ね!?」

 思わず俺が声を上げると、久方ぶりにあった一番弟子は笑顔のまま小首を傾げた。

「昔のように、是非、ルガートと呼ん――」
「いやいやいやいやいや、そんな、弟子である俺には、畏れ多くてそんなことは!」

 昔から彼は聡い子だった。
 きっと空気を読んでくれるはずだ!
 俺は昔と一切変わらず老化していない、十三歳程度に見える少年をじっと見た。頑張って笑顔は取りつくろったが、俺の目は多分、魔王城に足を踏み入れた直後のように、いつになく真剣だったと思う。

「――いやだなぁ、冗談だよ、冗談。久しぶりだね、馬鹿弟子!」

 キラキラした瞳で、マジェスティが言った。
 反射的に、歩み寄ってひっぱたきたくなったが、止めておく。
 俺は暴力反対だ。
 しかし心の中でボコボコにするのは許されるだろう。なんだよ、馬鹿弟子って!

「し、師匠もお元気そうで……」

 別の意味で俺の笑みは引きつった。

「そうだねぇ、うんうん。中々君が会いに来てくれないものだから……ええと、二百五十年ぶりくらい?」
「やだなぁ師匠、認知症ですか? 二年五ヶ月の間違いですよ」
「そうだったそうだった。長生きすると、なんだかねぇ。それで結界の魔術師――」
「の子孫は俺だって伝えました!」
「……そう。私から話そうと思っていたんだけれどねぇ。それなら話が早いね!」

 マジェスティの言葉を遮ることに俺は必死だったが、彼はノリノリで話を合わせてくれた。白金色の髪と目の色が、全然変わっていなくて、肌は磁器のように白い。

 黙っていれば美少年、口を開かなければモテる、とさんざん言われてきたのが彼だ。

 まぁ魔術顧問になったというのだし(それがどういう職か俺は知らないが)、老獪なマジェスティならば、見事勤め上げるだろう。しかしやっぱり仮病だったか。それとも治ったのだろうか。

 本人が直接俺の所にやってこなかったのは、多分俺が断るのを見越してのことだろう。

「だけどまさか、本当にタクトくんが来てくれるとは思ってなかったよ。来たって言うのも冗談だと思って、遅れちゃった。だって、雨降ってないんだもん」

 なにが、『だもん』だ。全く。

「ファレル騎士団長に説得をお願いして良かったよ。人望あるファレル団長なら、きっと説得してくれると信じてた。タクトくんも、気に入ったんだね?」

 タクトくん呼びが、なんだかこそばゆい。

 ちなみに、どちらかと言えば、俺はサフとは、今回をのぞいたら、もう一生二度と関わりたくない。俺は一緒にいて心休まる相手を気に入ることはあっても、生死の手綱を握ろうとするような恐ろしい人を気に入ることはないのだ! 断言してない! あり得ない!

 俺はそんな気持ちを、視線でマジェスティに訴えた。

「ええ、私を絶対逃さないとお口になさるほど、気に入って下さったようです」

 すると、隣でサフが淡々と言った。
 俺はその言葉に思わず吹いた。
 確かに言った、言ったさ、晴男を見たら逃さないと!

「へぇ、そんなに! それは珍しいね。雨も止むね! 明日は、雪? 雹?」

 ちょっと黙っていろ、マジェスティ。
 頭痛を覚えて、目眩を感じた。

「その……ソーマ様は、本当に雨男なのですか?」

 サフが、静かにマジェスティに問いかけた。少々困惑しているような顔をしている。
 ちなみに俺は、笑顔を浮かべているのが精一杯で、冷や汗がダラダラと浮かんでは流れていっている状態です。

「本当も何も、かなり酷いよ。どうせなら、帰りにでも確かめたらいいよ。一人で先に外に出したら、多分5分以内に王宮の前が集中豪雨に見舞われるね。今日は、私も初めて見る例外だよ。外を歩いてきたんだよね? それなのに、王都に大雨が降らなかったなんて奇跡だ!」

 懐かしんで思い出すような顔で、マジェスティが言う。
 確かに彼にしてみたら、過去の思いでの一つでありネタかも知れないが、俺にとっては切実な問題だというのに。

「もしかして愛する人が見つかって、呪いが解けたのかな?」

 俺はもう、この馬鹿弟子に何もかける言葉が浮かんでこない。

「呪い?」

 サフが首を傾げると、マジェスティが肩を竦めた。
 まさか此処で不老のことを公にするつもりなのだろうか?

「ほら、お伽噺で言うじゃん? 結界の魔術師は、魔王の呪いを受けて死にましたって。きっとその呪いが子孫に受け継がれていて、雨が降ったりするんじゃないかなぁってさ。きっと雨が降らなかったのは、国王陛下とルイヴァルダ正騎士団への神の寵愛の証明何じゃないかなぁと思って」

 なんだか上手くまとめてきた。
 雨男は生まれつきだと叫びたかったし、サフには晴男の話しなどをしてしまっているから、きっと彼は疑っているだろうが、ここで俺が何か言えば、墓場まで持っていく秘密をぽろっと喋ってしまいかねない。

 それにマジェスティが雨男を呪いだと考えていると知れば、マジェスティに対してのサフの疑念の目は、そらせるはずだ。迂闊なことをして、弟子まで巻き込むのは忍びない。いや、この弟子のせいで、俺は今此処にいるわけで、俺が巻き込まれたのだろうか。

「まぁ悪い人じゃないから、よろしくしてあげて下さい、ファレル騎士団長」
「畏まりました」

 マジェスティに向かって、サフが会釈する。
 結局、国王陛下とはそれ程言葉を交わすわけではなく(そりゃ国家元首と不審者だし)、俺は用意された滞在場所へと向かうこととなった。

「まさか貴様が、宮廷魔術師の正式な礼の取り方を弁えているとは思わなかった」

 部屋に入るとすぐに、サフに声をかけられた。

「ん、まぁ、ちょっとな」

 あの礼の取り方は、今でも続いているようだ。
 と言うことは、基本的なマナーはバッチりであると、願いたい。
 カチャリと音がしたので振り向くと、サフが後ろ手に部屋の扉の鍵を閉めていた。

「サフ?」
「どちらの国の宮廷魔術師だった?」
「は?」
「ルイヴァルダの正騎士団所属でも宮廷魔術師でもないのだから、皇国か教国の宮廷魔術師だったのだろう?」
「いや、だから、違うって」

 俺が笑って手を振る――と、その間に、首に剣を突きつけられていた。
 思わず息を飲む。
 視線だけを落として刀身を見ると、身がすくんだ。

「幸い、雨男云々に関して、マジェスティ魔術顧問はご存じないようだったからな。俺の命を狙っているのは、貴様だという事になる」
「いらねぇよそんなもの!」
「俺には一つしかない大切なものであり、そんなものではなく手放せない命だ」
「俺だって俺の命は大切だ! けどな、他の人の命とかいらないから!」
「では何故、あんなに優雅に礼が出来た?」

 俺は優雅だったのだろうか……?
 分からないが、なんだか褒められた気がして、そんな場合ではないのに思わず笑ってしまった。

「そりゃ、あの礼儀作法を作ったのが、結界の魔術師だからに決まってるだろ」

 つまり俺自身だ。作り手として、作り出したものが褒められるのは嬉しい。

「……」
「そ、そのあれだよ、あれだ。うん、俺の一族では代々、あのお辞儀を習得して、やっと一人前と認められるんだよ」

 そう言うことにしておいた。
 一度嘘をつくと塗り固めなければならないから大変だ。

「だけどサフ……命、狙われてるのか?」
「今は貴様の命を狙っているがな」

 告げてから、サフは溜息を漏らした。

「――陛下に紹介してしまった以上、腐竜退治までは生かしておいてやる」
「その後も、一生見逃し続けてやって下さい」
「貴様の今後の態度次第だな」

 サフはそれだけ言うと、剣をしまい、扉に向かった。

「夕食は六時だ。騎士団の者達にも紹介する」

 そして彼は、部屋を後にした。


 それにしてもサフは、詐欺だと思う。
 俺と二人きり以外の時、サフは吃驚するぐらい良い人だった(そう言う場では、俺にはかなり低姿勢になる)。なお俺がいない時、俺以外の誰かと二人きりの時も、かなり良い人らしかった(周りの評判から察した)。

 マジェスティが、人望あると言っていたのも頷ける。
 この宿舎に来てからというもの、あちらで「団長!」こちらで「団長!」と、サフは引っ張りだこだ。その上誰かをないがしろにするわけでもなく、頼りがいのある気さくな団長として接している風である。何で俺に対してだけ、鬼なんだよ!

 俺の護衛(?)という名目で、サフはずっと側にいるので(監視の間違いだろ)、俺は嫌でも団長として働いているサフを見ざるを得なかった。俺は初日こそ見せ物状態で、質問攻めにあったが、三日もすればみんな飽きたらしく、俺の存在には構わなくなった。

 今日で五日目、腐竜討伐は、二日後だと聞いている。
 夜になって、食堂へと向かおうとすると、廊下で呼び止められた。

「ファレル騎士団長、ちょっとお話が」

 マジェスティだった。彼の言葉に、サフが俺を一瞥する。

「ああ、タクトくんも一緒に是非。私の執務室に、夕食を用意させましたので、食事をしながら少しだけ」

 そう言われて連れて行かれたマジェスティの執務室は、王宮の中にあるせいかもしれないが、吃驚するほど広かった。5つくらい部屋が、執務室の扉の向こうに広がっていた。執務室、応接室、資料室、寝室、あともう一つは想像が付かない。他の部屋と違って扉が閉まっていたからだ。

 応接室へと通されると、そこには白いテーブルクロスの掛けられた長方形のテーブルがあり、懐かしの宮廷料理が並んでいた。三カ国の中で一番料理が美味しいのが、この騎国ルイヴァルダなのである。

 理屈の上では、食事の質は騎士の士気に関わるため、料理に力を入れていると言っていたが、俺は歴史の長さと肥沃な領土を持っているからだと思う。同じくらいか、あるいは更に歴史があるだろう教国は、宗教上の理由で、精進料理のようなものが広まっていた。今は知らない。皇国に至っては、開墾から開始したので、そもそも目立つ料理はなかった。強いて言うなら、郷土料理といった感じだ。

「タクトくんは、ラムが好きだったよね」

 頷きながら、涎をこらえた。
 ステーキだ!
 肉料理なんて、最近じゃ全く食べていない。数十年は食べていない。
 何せ肉は日持ちしない。最後に食べた肉料理は、野生のイノシシが突撃してきたので、捌いて乾燥させ、乾し肉を作って以来だ。冒険者時代と現在までの生活で、俺はそれなりにサバイバルスキルが高くなったと思う。食事を開始し、頬が落ちそうだなぁという気分を俺は味わった。

「すっごくおいしそうに食べるのに、テーブルマナーは完璧だね、相変わらず」

 マジェスティに苦笑された。
 そりゃ、テーブルマナーを決めたのも俺なんだから、当然だ。
 当時は三カ国とも、特にマナーがなかったのだが、あんまりにもアーガイルの食べ方が酷いので、国家を樹立した際に、キースと相談しながら無理矢理作ったのである。

 勿論、食事は、マナー何て気にせず美味しく食べるべきだ。
 しかし、しかしだ。人の食欲を奪うような食べ方は、旅の最中は兎も角、慎むべきだと思うのだ。ズルズルグチャグチャベチャベチャ食べるな! と、俺は人生で二度ほどキレたことがある。

「それで、お話とは?」

 子孫だというのに、その点サフの食べ方は上品だった。
 子孫だからだとか、そう言うのは関係ないのかも知れない。食事方法というのは文化や本人の癖、教育などで変わるのだろう。

「第三騎士団に要請していた、所属魔術師の帰還、駄目になった」

 マジェスティが言うと、サフの顔が、真剣になった。

「何故です?」
「教国と皇国が、いよいよ開戦しそうなんだ」

 何ともまぁ意外だなぁと思いながら、俺は白ワインに手を伸ばす。

「――……未成年でしょう、ソーマ様」
「あ、タクトくんは、こう見えて成人してるから、大丈夫だよ、団長」
「え?」

 笑顔のマジェスティの言葉に、サフが虚を突かれたような顔をした。
 外見年齢は兎も角、俺は確かに成人している。
 この国では、二十歳で成人するのだが、その点俺は三百ちょっとの歳だし。
 肉体年齢も止まっているのかも知れないが、成長なんて人それぞれだから、体格で成人判定をするわけではない。

「それでね、国境警備に穴を空けるわけにはいかなくなったんだ」

 マジェスティが話を戻した。

「とうとう教国の教主様が、病床に伏されたそうで、サージェントは焦ってる。次の教主後継者が枢機卿の中にいないわけだからね」
「なんでいないんだ?」

 純粋に疑問に思って、俺は首を傾げた。

「ご高齢の教主様には、ご息女がいなかったんだ。ご子息は二人いて、一人は暫く枢機卿をしていたんだけれど、一昨年魔獣に襲われて、身罷られたんです。弟君の方は、皇国の姫君の一人に婿入りされたんですが、その後すぐ崖から転落して事故死――なさったと、公的には言われていますが、真実は不明です。暗殺された可能性も高い。皇国イスルガンドは、皇位継承権争いと、正妃・寵妃の争いが熾烈ですから。イスルガンドの姫君は、王位継承権第二位というご立場だったと伺っています。彼女もまた、お腹に新しい命を宿し
ていたというのに崖から……姫君を庇って、教国からの婿殿は共に落下したという悲恋です――聞いたこと、ありません?」

 マジェスティが呆れたように笑って俺を見た。

「や、初めて聞いた。へぇ」

 共に戦った勇者と聖女の子孫が戦争をして、それを別の仲間の国が静観するという現在の構図。世の中分からないものだなぁと、俺は意外にすら思った。大変仲が良いパーティだったと俺は少なくとも思っている。

「イスルガンドでは、亡くなられた姫君の弟君が即位されて、既に十年。第一後継者だった長兄と、姉姫を暗殺したとすれば、現在の皇帝陛下が主犯だと考えるのは――短絡的かも知れませんが、仕方がないことだよねぇ。つまり皇国は、それを認めたくない。しかし教国としては、認めて欲しい――本音を言うなら、その姫のお腹にいた子供を、次の教主として擁立したい。まぁ、そういうことです」

 つまりそれが、探されている戦争の火種が、サフなのだろう。

 だが公の場に姿を現せば、皇国からは口封じのため命を狙われるだろうし、教国の中にだって次の教主になりたい人々は多いだろうから、必ずしも歓迎されるわけではない。そりゃあ命も狙われるだろうな。俺が今でもどちらかの国で働いていたら、多分暗殺を企てたと思う。

 ――サフに勝てる気は、しないんだけどな! そこは努力の問題だ。企画だけなら俺にも出来る。

「でも、姫君も婿もお腹の子も亡くなったんだろ?」

 俺が言うと、隣でサフが、グイッとワインを煽った。
 こりゃやっぱり図星だろう。間違いない、その悲恋の証とやらは、今俺の横に座っている。そして聴きたくなさそうにワインを飲んでいるのだ。

「実は暗殺計画が漏れていて、姫君の侍女や侍従の手で、二人は逃されたという話しが囁かれてるんですよ! いい話ですよね!」
「そうですね」

 曖昧に頷きながら、俺は肉を食べた。

 コース料理とはいうものの、此処は正式な場所ではないので、食べ物が全部一緒くたにテーブルの上に並んでいる。

 ぶっちゃけ俺には、後継者争いだとかそう言うのは、さして興味がない。俺の意識は今、全力で食べ物に向いている。

「皇国の後宮は凄いって話だし」

 しかしマジェスティは、楽しそうに話し続ける。

「五千人くらい美女がたむろってるそうですよ! 私も一回で良いから、行ってみたいです」
「あれ奥さんになかったっけ?」

 俺が聞くと、マジェスティが苦笑した。

「人間でしたから……もう亡くなりました。玄人孫までいますよ」

 なんだか悪いことを聞いてしまった。

「玄人孫は魔術師じゃないの?」
「魔術師です。今度の腐竜退治では、ご一緒させていただきますので、くれぐれもよろしくお願いします。非常に運の良い子で、くじ引きでは大抵一位を引き当てます」
「お前譲りだな」

 納得しながら、ライスを食べた。久方ぶりに、米を摂取した。やっぱり美味い。
 まぁ、皇国の後宮が凄いのは、納得できる。
 何せアーガイルは、とんでもない女好きだったのだ。
 一夫多妻制なのは、あの国の王侯貴族だけだろう。

 女好きと言えば、レンダルシアも凄かった。彼女は女性だが、同性愛者だったのだ。教国の国教であるワーズワンド教は、同性愛を認めている。今では大陸名になるほどの規模を誇る宗教だ。ちなみにキースは、男性ながらに男好きだった。しかし彼はバイだったので、旅に出る前に、国に子孫は残してきていた。それが現在のこの国の王室の祖先だ。

 レンダルシアの方は、基本的に女性が聖女として教主になっている国だったのだが、姪に譲ったのだったと聞く。同性愛を認める宗教だったから、キースもこの国の国教としてワーズワンド教を率先して取り入れていたのだったか。その為現在のこの国は、王室存続のために性別問わず三人子供が出来たら、後は自由恋愛、と定められていた気がする。王族に限り、男女問わず、五人まで王妃・寵姫(男性でも寵姫)が持てたはずだ。

 俺がアーガイルの国を選んだ理由の一端もそれである。当時は血なまぐさい世界だったから、性別問わず性欲に屈服して様々な関係が発生していた。あれだ、生存本能で、男は起ってしまうという奴らしい。ちなみに教国は、一番血縁の近い女子もしくは、それがいない場合は男子、と定めているが、何とかレンダルシアの血統は守っているようだ。ただ近いうちに養子も許可されるだろうと、新聞で見た覚えがある。

 なお俺は、女の子が大好きだ。アーガイルもそうだった。俺とアーガイルの違いは、俺が奥手な草食系であり、アーガイルが肉食系ここに極まると言った感じだったことだろう。あいつに何人子供が出来たのか、俺は途中から数えるのを止めてしまったほどだ。まぁ、いい。

「所で、戦争が始まりそうで、警戒が必要だってのは分かったけど、何で、他の魔術師呼び戻せないんだ?」

 俺は思考を引き戻した。最初は俺をのぞくと魔術師が、三人しかいないと聞いていたが、戻ってきてくれる人がいるんなら有難い。

「そりゃあ、皇国がうちの国と違って、ガチガチの魔術大国だからですよ。あそこの宮廷魔術師だったっていったら、もう何処の国でも引っ張りだこじゃないですか」
「え? 剣が盛んなんじゃないのか?」

 意外すぎて、思わず顔を上げた。

「剣ならうちの騎士団の方が、強いんじゃないかな。ファレル団長もいることですし。それに――あそこの宮廷魔術師は、ガチガチの、結界の魔術師信者ですから」
「は?」
「結界の魔術師が残した教えを守り通す、を信念に、規律正しく日々精進しているという評判です。剣技に関しての我が国の騎士なみですね。それに初代皇帝陛下の遺言で、魔術師は剣士の一番の友であるから、決して廃れさせてはならない、って厳命されてるんだとか」

 俺は言葉を失った。
 アーガイルが、そう言ったと、理解して良いのだろうか?

「光の勇者アーガイルと、結界の魔術師――……は、親友だった。まごう事なき事実でしょう?」

 仲違いして関係は切れたけどな、とは言えなかった。
 最後まで謝ることが出来なかった、折れることが出来なかった、死に目にも会えなかった、そんな事実を、俺は多分悔やんでいる。頭を振って、俺はワインを飲んだ。

「まぁ、タクト=ソーマがいる以上、腐竜に破れることはないでしょうしね」

 マジェスティが何かを察知したのか、俺をおだてた。

「――ソーマ様には、期待しています」

 サフが言葉を挟んだ。これまで黙々と食事をしていた彼が、俺を見ている。

「が、頑張ります」

 しかし期待されても困るのだ。俺が知っている腐竜は、そんなに強くなかったのだから。

「大丈夫、何せ結界の魔術師……の末裔なんですから。結界の魔術師は、そりゃぁもう、鬼畜でした。それこそファレル騎士団長の鬼の指導なんて、真っ青なくらい、厳しかったんですよ」
「そうなのですか? 結界の魔術師をご存じなのですか?」
「ええ、まぁ」

 マジェスティが楽しそうに笑う。サフは、今度はそちらに視線を向けた。

「言っていませんでしたか、私は彼の弟子なんです」
「そうだったのですか……それが縁で、ソーマ様と?」
「まぁ……そうなるのかな」
「魔王討伐の際に、命を落とされたという伝承を知っていますが……マジェスティ魔術顧問は、それ以前から既知だったのですか?」
「昔のこと過ぎて忘れてしまいましたが、私が結界の魔術師の弟子だというのは、本当です。恐らく生き残っている最後の弟子が、私です。いやもう、本気で鬼だった」

 俺はそんなに鬼なんかじゃなかったと思うので、心外だ。
 別に普通のことしかしていない。
 それよりも、サフの鬼の指導の方が気になった。サフに指導されるとか怖すぎる。

「だって、まず弟子入り試験が、腐竜の卵の討伐なんですよ? 何せ結界の魔術師は――別名、大陸一の魔術師。実際、大陸一の腕前を誇っていました。この国や、近隣2カ国以外からも、わんさか弟子入り希望があったので、試験があったんですよ。私のような混血
や、純粋なエルフ族、魔族、竜族、獣人族、どんな種族であっても分け隔て無く接してくれましたが、完全なる実力主義でした」
「腐竜の卵?」
「ええ。卵の内に亡くなった、竜族の卵です。それが孵ると、腐竜になります。竜族との、現在までに続く友好関係を樹立したのも、結界の魔術師です。彼がいたから、人間は、人間外の種族とも仲良くなれた。混血差別も大分減った。少なくとも私は感謝していますし、今でも尊敬して止まない」

 悪戯っぽくそう言って、マジェスティが俺を見た。
 綺麗に言えばそうなるが、実際はもっと適当だった。

 魔王のせいで各地の魔獣が凶暴化していて、魔族ですら困っていたのだ。だから、魔王討伐後に、復興についての話し合いの場を、全種族で持ったのだ。他の勇者ご一行の三人が忙しかったから、俺がその場にいただけである。ぼけっと座っていたら、全部話はまとまっていた。

 その当時、魔王討伐後に、魔獣の大半が沈静化したが、竜の卵の内、魔獣となった死んでしまった卵――即ち腐竜の卵と、ダンジョンにドラゴンが所狭しといた腐竜は、同族の竜族ですら対処に困っていた。竜族からしてみれば、ゾンビである。意志もなく感情もなく、制御も出来ない。

 そこで人間の冒険者にも、討伐の協力要請が、正式に竜族からも打診されたのだ。中堅レベルで倒せる相手だったし、弟子の力を見極めるには丁度良かったので、弟子志願者と腐竜の卵の両方の数が減らせて一石二鳥という事で、俺は試験に躊躇無く使っていた。

「腐竜の卵すら倒せないのでは、腐竜を一人で倒せない! それが口癖だったなぁ」

 思い出すようにマジェスティが言う。
 実際その通りだろう。
 地下迷宮に潜っているときは、大抵俺とアーガイルで、交互に一匹ずつ倒したものだ。
 俺に出来るんだから、訓練すれば誰だって出来る。

 最低限、その下準備となる、腐竜の卵討伐くらい一人でこなせなければ、魔術師になるなんて諦めた方が良いと俺は思う。剣士と組まなければ、一人で防御だってしなければならないのだ。だから結界の構築と、攻撃魔法の強化の訓練としては、腐竜の卵は最適な相手である。何せ、三分に一回、火か雷か氷の攻撃を仕掛けてくるだけの相手で、避けるタイミングも計りやすいのだから。

「そもそも腐竜なんて、並みの魔術師なら何百人という単位の人数で討伐する相手だというのに、鬼ですよね」

 マジェスティが苦笑した。この弟子は、いつからそんな軟弱者になってしまったのだろう。

 それともやはり、当時の腐竜と、現在の討伐目標である腐竜には、格段の力量の差があるのだろうか?

「結界の魔術師は、一人で腐竜を退治できたのですか?」
「当然。彼が一人で倒せないのなんて、どうしようもないくらい圧倒的多数の魔獣が襲ってきた場合か、魔王くらいのものだよ」

 そんなことはない。俺は、普通の獣である狼や熊に向かってこられたら、死にかける。
 心底話しを盛らないで欲しいと、マジェスティに対して思った。

「お亡くなりになったのは、心底惜しいですね。生きておられたならば、更に一つ、国が出来ていたでしょう」

 サフが呟いた。

「んー、どうだろうねぇ、それは。国王謁見の度に土砂降りになるなんて堪えられない、って、旅の途中から愚痴って建国拒否してた、なんて噂を聞いたことがあるよ」

 マジェスティの言葉を聞きながら、懐かしいなと思って、俺はワインを飲み干した。


 ほろ酔い気分で、部屋へと戻った。
 サフが送ってくれた。

「有難うな、いやぁ、美味かった。騎士団の食堂のご飯も嫌いじゃないけど」
「……そうか」

 笑顔を向ける俺。なんだかワインのせいか、気分が良い。

「貴様でもあんな顔をするんだな」
「ん、何?」

 よく分からず、寝台に腰掛けたまま首を傾げると、サフが正面に立った。

「光の勇者アーガイルと、結界の魔術師は親友だった」

 ポツリとそう言われ、俺は息を飲んだ。
 何とも言えない、しょっぱいような、悲しいような、そんな気持ちが浮かんできた。
 胸が痛い。

「――その顔だ」
「え?」
「俺は貴様の、へらへら笑っている顔と、怯えている顔しか知らなかった。そんな風に、悲しそうな顔も出来るんだな」
「俺、悲しそうなのか?」

 自分では分からないから、首を傾げた。

「自覚がないのか?」
「ないなぁ」
「……末期だな」

 何の話だろうと思っていると、急に温かい腕、温もりに包まれた。

 ――抱きしめられている、ッぽい。

 半ば酔いながらも、辛うじて意識すると、力強い腕が俺をぐっと引き寄せた。
 サフの顎が、俺の肩に乗って、吐息が耳に触れる。

「なにすんだよ」

 くすぐったいなぁと思った。

「――どうしてマジェスティに、俺のことを言わなかった?」
「言ったら、アイツの命も危なくなるんだろ?」
「……」
「それより離せよ。急になんだ?」
「放っておけない顔をしていた」
「なんだよそれ」

 俺は思わず笑おうとして、そして、息苦しくなった。
 何故なのか、涙が出てきた。
 泣き上戸のつもりはないが、酔っぱらってしまったようだ。

「……」
「……俺は、アーガイルに似ているか?」
「全然似てない――……多分」

 即答しそうになったが、子孫設定の俺に判別できるわけがないと思い直して、多分と付け足した。アーガイルは、言うなれば俺の悪友だった。だけどサフは、そうじゃない。

「確かに俺とお前は、親友にはなれそうにもないな」

 サフの言葉に、俺は目を伏せた。
 友好を深める前に、俺は殺されそうだし。そうはならなくとも俺のことを殺そうとした相手と、今後仲良くなる自信もない。

「ソーマ」
「……」

 名を呼ばれたので顔を上げると、真摯な瞳でのぞき込まれた。
 金色の瞳に、俺の顔が映り混んでいる。

「っ」

 唐突に唇へと柔らかい感触が降ってきた。
 事態が分からず目を見開くと、酸素を求めた唇の合間から、サフの舌が口腔へと入ってくる。

「ん」

 歯列をなぞられ、舌を吸われ、俺は体を震わせた。
 サフも、酔っているのだろうか?

 俺にはなじみが薄いが、サフはこの国に暮らしているのだし、同性愛OKのワーズワンド教の信者なのだろう。こういう行為に対して、男女別の嫌悪感など無いのかも知れない。無論、俺には、男同士での接吻など、嫌悪感しかない。だが――……

「っ、は……ッ……!」

 あんまりにもサフの舌使いは、巧みだった。
 酸欠状態に陥ったのか、クラクラしてくる。腰の力が抜け、全身を脱力感が襲ったから、怖くなって、サフの首に両腕でしがみついた。

「……」
「……」

 唇が離れてから、俺はぼんやりとサフを見上げた。
 サフは、険しい顔で俺を見ていた。
 そんな顔をするのであれば、キスなどしなければいいのに。アレか、
 若さ故の過ちか。
 だとしても童て……奥手な俺には、刺激が強すぎた。こんな口づけなど、したことがない。お互い言葉はない。

 そのまま暫く、見つめ(? 睨み?)あい、そうしてしびれをきらした俺は、体を寝台に預けた。なんだか酔いが極限まで回ってきたようで、どうでも良くなってきた。

「おやすみ」
「……ああ。随分と無防備で誘っているのかと勘違いしそうになるが、寝るんだな、本気で」
「ん、え?」

 最早俺の聴覚には、何の言葉も入ってこなかった。
 そのまま俺は、爆睡した。