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翌日の俺は、SHRを終えた後、午後まで授業がなかったため、少し遠い場所にある資料室へと向かい歩いていた。
途中にある茂みを突っ切るのが一番の近道だ。
それくらいは、此処で勤務を始めてから覚えた。
しばらくの間、俺は穏やかな日差しの中、気分良く歩いていた。
――が。
「……!?」
茂みから、制服の下が脱げかけた生徒の足が伸びていた。
思わず固まる。
一体何事だ!?
まさか、貧血か何かを起こして倒れているのだろう? だけどならばどうして、下半身が脱げているのだ? こ、これが、ぞ、俗に言う強姦被害か!?
ポカンと口を挙げながら、俺は茂みをうかがった。
「ぁ……んっ……並木さ……まぁ……んぅ」
しかし嬌声が続いて聞こえた。
こ・れ・は!
不純同性交遊だ!
なんて見たくないものに遭遇してしまったのだろうか俺は!
同性だぞ、同性!
しかし、いくら見たくないとは言え、そして、何というか教員ですら公認らしいが、一応校則的に、学園内での淫らな行為は禁止だ!
風紀委員顧問として、絶対に止めなければならないだろう……うわぁ想像しただけで胃が反り返りそうになる。
だが、俺は教師だ。見過ごすわけには行かない……よな?
俺は意を決した。
「何をしているんだ?」
唾液を嚥下してから、俺はそう声をかけた。
「きゃっ」
するとチワワ系男子が、真っ赤になって、シャツで体を覆った。
断言するが、男の裸なんて見たくも何ともない。
「し、失礼します!」
流石に教師に見つかったのはマズイと思ったのか、チワワ系男子は逃げていった。どこかで見た覚えがある気がしたから、多分、授業を受け持っている1Sの生徒だったと思う。次に出席を取る時に、チェックして、風紀委員長に報告しておこう……か、直接的な場は見ていないから、見逃すべきか。俺がそんなことを思案していると、正面から溜息が聞こえた。
「あーあ。見つかっちゃったぁ」
「……並木」
そこで悪びれた様子もなく、金色の髪に片手を添えて、こちらを見ているのは、生徒会会計の並木朝陽だった。片手は、ベルトにあてがったままである。左目の下の泣きぼくろが色っぽいと評判だ(と井原先生が言っていた)。
「俺溜まってるンだよねぇ。ねぇ、サヤちゃん先生、代わりしてよ」
「は?」
俺が顔を上げた時には、既に並木に詰め寄られていた。
そのまま足払いをかけられて、体勢を崩した俺の腰を、並木が抱える。
芝の上に座った俺のシャツのボタンを、並木が器用に外し始めた。
あまりにもの唐突な出来事に、俺は呆気にとられるしかない。
「ちょっと待て、並木」
「何ぃ?」
「校則違反だ」
「なんで?」
「え……いや、生徒手帳にも書いてあるだろう?」
「だから、なんで? 誰が、そんなこと決めたのぉ? 生徒会役員は、校則だって変えられるんだよぉ?」
そう言えばそう言う権限があるらしいと聞いた覚えがあった。
だからといって、此処で退くわけには行かないし、ひいたら俺の貞操の危機だ。
「――愛がなきゃ、駄目だ」
「愛があれば良いんだ? 俺、今この瞬間、サヤちゃん先生のこと愛する自信あるよぉ」
「いや、やっぱり基本的に駄目だ!」
俺は詰め寄ってくる並木の体を押し返しながら、語調を強めた。
「だから、なんで?」
並木は、本当に分からないというような顔で、ヘラリと笑っている。
そこで俺は、何故駄目なのか考えてみた(校則は抜きにして)。
まず――男女間であれば、18歳と16歳で結婚できる。交際自体は、条例などで禁止されている場所もあるだろうが、少なくともこの界隈にそう言う条例はない。しかしあくまでそれは男女の場合である。男同士の場合はどうなのだろうか? やはり成人と未成年というのは、触法行為である気がする。しかして、未成年の側から、このようにしてのしかかられている場合は、どうなるのだ? 俺は珍しく、頭を最高速で回転させた後、ずるい逃げをすることにした(自慢じゃないが、結論が出なかったのだ)。
「基本的に、教師と生徒は駄目なんだ! あくまでも基本的にはだぞ? ただ少なくとも俺は、その基本に従う!」
生徒と付き合っているという水城先生に、心の中で謝りつつ俺はそう宣言した。
すると並木が、目を丸くした。
多分、何言ってんだこいつ、的な眼差しだったが、俺はその隙を見逃さなかった。
無理矢理シャツを胸元に引き寄せ、並木の体を押しのけて立ち上がる。
そしてシャツのボタンをしめながら、俺は改めて並木を見た。
「並木、それにな、愛って言うのは、一過性のものも含むのかも知れないけどな……俺はやっぱり、長くつきあえるような、信頼できる仲が理想なんだ」
「……先生も俺に、セフレとか駄目だって言うのぉ?」
「別にそれで、心の溝が埋まるんなら良いぞ。学園外でならな。更に言うなら、授業中以外でならな。ただ恐らく、並木と俺では、愛に対する価値観が違いすぎる」
「心の溝ってなぁに?」
「体の関係が無くても、一緒にいて安らげる相手が、お前にはいるか?」
「いたよぉ。少し前まで、生徒会室は俺の安らぎの場だったかなぁ」
「今は?」
「んー、菜摘ちゃんの側とか?」
「だったら、別に他の生徒と関係を結ぶ必要はないだろう」
「だって菜摘ちゃん、こういう事したら、俺のこと嫌いになっちゃうと思うしぃ。だけど俺、我慢できないし。独り寝の夜って寂しくない? 勿論、昼間もだけど」
「その時満たされるだけの関係の方が、寂しいと俺は思うな」
「……なんで? その時だけでも、肌と肌との温度が繋がって、交わりあうんだよ。一緒にいられるって気がしない?」
「俺には、そう言う経験はないから、何とも言えないけどな……後になって、逆に一人になって、寂しくなったりしないのか? 俺には、だから次を求めてるように見える」
「――それって悪いことぉ?」
「それがお前の選択なら、悪いと俺は言い切れない。ただな、もし誰かを求めてるんなら、それは体だけじゃ埋められないかも知れない。本当に大切な相手を、しっかりと探してみたらどうだ? 嫌われるなんて考えずに」
「……じゃあ、先生が俺の大切な人になってくれる? 側にいてくれる? これまでさんざん汚いことしてきた俺のことも受け入れてくれるのぉ?」
「俺に何かが出来るかは分からない。けどな、側にいて話を聞くくらいは、多分出来る。それに自分のことをそう卑下するものじゃない。もっと、自信もて」
俺はそう言ってから、並木の頭を二度ほど撫でた。
それからシャツのボタンを締め直す俺のことを、並木はぼんやりと見ていた。
「……うん、俺、セフレとか、止めようかな」
「良いと思うぞ。じゃないと、いつか風紀委員の世話になるだろうからな」
俺は苦笑してから、その場を後にした。