24


昨日できなかった仕事などもあるからと、俺は早めに出勤した。
すると、職員室には、チワワ先生こと柚木先生がいた。
「おはようございます」
笑顔で挨拶し、自分のデスクへと向かう。
「おはよぉ」
間延びした声で挨拶を返してくれた柚木先生は、それから何故なのか立ち上がり、俺の方へと歩み寄ってきた。
「大丈夫なのぉ?」
何の話しだろうかと俺は思案した。
また園生に制裁騒動でもあったのだろうか。
それとも風紀委員絡みだろうか。
腕を組んで考え込んでから、俺は直接聞いてみることにした。
「何かあったんですか?」
「何かって……」
結果、柚木先生の目がスッと細くなり、不機嫌そうなモノへと変わった。
「風邪、大丈夫なの?」
いつもの、間延びした声ではなくなっていた。
どことなく上目線であり、言うなれば女王様っぽかった。チワワにはほど遠い。井原先生がまだ来ていないからだろうか?
しかし心配してくれたというのは有難い。
俺は思わずふにゃりと笑ってしまった。なんだか照れくさい。
「大丈夫です。有難うございます」
「風邪なんかひくなんてバカじゃないの?」
「す、すいません」
「心配させないでよね」
「え、あ」
「これ。あげる。感謝してよね!」
柚木先生は、そう言うと、俺の机に栄養ドリンクを置いた。
「あ、有難うございます」
すると何故なのか柚木先生は、若干頬を朱く染めてから、顔をぷいっと背けて、自分の机へと帰って行った。
「ぶ」
そこへ、入ってきた井原先生が、鼻血を吹いたのだった。
この人は一体どこから見ていたのだろうか……。


その日の放課後、俺は必要な資料があったから、図書室の地下二階へと向かった。
此処はほとんど人気がない。
収納されているのも論文や、洋書がほとんどだから、生徒が来ないのだ。
目指すものを俺が渉猟していると、不意に、奥で音がした。
一体誰だろうかと、好奇心から、覗いてみる。
するとそこでは、必死にノートと教科書に向かっている、双子の片方、生徒会庶務の高阪緑の姿があった。悩ましげな顔で、ペンを回している。
「高阪緑じゃないか」
思わず俺が声をかけると、びくりと肩が震えた。
「あ……狭山先生。青が言ってたけど、本当に見分けつくんだ……」
「まぁな」
井原先生には区別がつかないらしいと言うことは、黙っておくことにした。
「自習か、偉いな」
「……僕、青に比べて頭悪いから」
「そんなこと無いだろ。いつも同じ成績じゃないか」
この双子、学業の出来具合も、スポーツの出来具合も、驚くほど同じなのである。
「だから。同じになるように、僕頑張ってるんだよ。青には内緒にしてね」
その言葉に、俺は思わず眉を顰めた。
「――同じである必要ないだろう?」
高阪緑は俺の言葉に溜息をついた。
「菜摘ちゃんもそう言ってた。だけどさ、これが僕のアイデンティティなの。同じが良いの」
「うーん。同じなのは、兎も角、勉強に関しては、俺は違うと思う。同じが良いんならそれが悪いとは言わない。それはお前が選ぶことだからな」
「……」
「俺が言いたいのは、『勉強』っていうのはだな、『自分が』興味あることを学ぶものだから、違って当然だって事だ。成績が同じでも、得意な教科とか、勉強していて楽しい教科って言うのは、有るんじゃないか?」
俺の言葉に、高阪(弟)が目を丸くした。
「まぁ、理由はどうあれ、頑張ってるお前は偉いよ」
そう言って笑ったら、何故なのか高阪緑が真っ赤になった。
ただ俺は、勉強している生徒を見ると、心が温かくなったのだった。


その日の夜八時ごろだった。
俺は唐突に、理事長室へと呼び出された。
何事だろうかと、俺のチキンハートは、縮こまっていた。
井原先生には、瞳をキラキラさせながら送り出されたが、俺は戦々恐々としていた。
宝之宮時雨理事長は、丁度今朝まで海外に仕事で出かけていたそうで、つい先ほど学校に戻ってきたらしい。理事長室の扉をノックすると、秘書の真鍋北斗さんが扉を開けてくれた。
「何か御用ですか?」
俺が震える声を叱咤して尋ねると、理事長が朗らかに笑った。
「ちょっとなっちゃんの事が聴きたくてね」
なるほど園生のことかと俺は納得した。
しかし、まさか器物損壊や生徒を籠絡していることや制裁を受けているらしいことを、直球で言うわけには行かない。その為俺は、かなりかなりオブラートに包んで、言葉を慎重に選びながら、理事長に現状を報告した。本当に風紀委員会がやばくなったりしたら、勿論直球で言って退職届を出すのはやぶさかではないが。
「――なんてことだ!」
だが俺の言葉に、理事長の顔が真顔になった。
まずい、俺は言葉選びに失敗したのだろうか。
ソファに座りながら、膝の上に置いた両手の拳に力を込めた。
「なっちゃんは確かに突っ走るところがあるんだ……嘆かわしいことだけど、叔父として責任を感じるよ。狭山先生にも迷惑をかけたね」
俺はその言葉に思わず顔を上げた。
やはりいくら親戚だと言っても、理事長はまともだった!
嬉しくて涙が出そうだった。
「俺の狭山先生に迫るだなんて、いくらなっちゃんでも許せないよ!」
「――は?」
だが、続いた言葉の意味が分からなくて、俺は思わず目を見開いた。
すると隣で溜息をついた北斗さんが、バシンと理事長の頭を叩いた。
「狭山先生、理事長の奇行はこちらで対処しますので、帰っていただいて大丈夫です。本当にご迷惑をおかけいたしました」
北斗さんに深々と頭を下げられたため、俺はよく分からなかったが理事長室を後にしたのだった。