26
翌朝、俺は爽快な気分で目を覚ました。
やはり晴れだと気分が良い。
そんな事を考えながら、さて朝食を用意するかと考えて、共用スペースへと向かった。
「――あれ?」
すると食卓の上には、焼き魚(ラップがしてある)と納豆、おひたし、伏せられたお茶碗などがあった。和食の朝食の準備がしてあったのである。
俺がしたのではないのだから、作ったのは井原先生のはずだ。味噌汁の準備もしてあるらしき様子だったので、鍋の方を一瞥してから、俺はテーブルの上を見た。
周囲に、肝心の井原先生の気配がなかった事もある(トイレやお風呂場の方にも人気がない)。
テーブルの上には、一枚の紙があった。
手に取ってみると、達筆な字で『先に出ます。夕食の準備も不用です』と書いてあった。
まだ朝の六時である。
随分と早いなぁと思いながらも、まぁ何か予定があるのだろうと俺は納得した。
寮の部屋が同じだからと言って、何から何まで互いの日程を把握しているわけではない。
特に気にせず、俺は一人、有難く朝食を頂いた。
なんでも今日は、一年生の風紀委員が決定したとの事で、俺は放課後に、風紀委員室へと呼び出された。任命証に判子を押すためである。
こちらからも、理事長が園生に念押ししてくれるらしい事を報告したかったので、丁度良かった。
二度ノックをしてから中へと入ると、委員長の永宮が執務机の上で、手を組んでいた。
傍らには、副委員長の月見里が立っている。
「月見里」
「分かっています、委員長」
俺が入ると、二人が視線を交わした後、隣の部屋へと月見里が向かった。
よく分からないが、二人きりになったので、俺は永宮の切れ長の目を見る。
「一年生の風紀委員の名簿だ」
本気で永宮はもう俺に敬語を使う気が無いのだなぁと何となく落胆しながら、俺は書類を受け取った。普通だったら注意するところなのだが、多忙さを実際に側で見てきたものだから(その上特に俺には何も出来なかったため)、なんだか注意しづらい。教師失格かも知れない。
ぱらぱらと紙を捲りながら、1Sの生徒と1Cの生徒、1Kの生徒が多い事を確認した。1Sの風紀委員は恐らく、中等部時代から風紀委員をしていたのだろう。1Cは、普通科の中で言うならば頭が良い生徒も多いし、後は俺が担任をしていたから勧誘しやすかったのかも知れない(うがった見方をするならば、園生に対する対策も兼ねているのかも知れない)。1Kは、運動推薦クラスの中の一つだが、必ずしも運動部に在籍しているわけではない生徒や、家系的に運動系の生徒が集まっているクラスだったような気がする(実家が古武術の道場だが、本人は帰宅部など)。まぁそんな事はあくまで推測で、きっと永宮や月見里なら、上手く選定してくれたのだろうと思う。
「園生の件は、ご苦労」
永宮にそう言われて、俺は顔を上げた。
「園生は、生徒会補佐に収まったそうだ」
それは良かった(?)と思いながら、俺は溜息をついた。
「こう言うときは、『お疲れ様』って言うんだ。社会人になったら困るぞ」
「狭山先生は、俺より目上だという自覚があるのか」
「あのなぁ……」
「申し訳ございませんでした、狭山先生。お疲れ様です」
楽しそうに笑ってそう言った永宮を見て、俺は肩を落とした。
丁度その時、月見里が、隣室から一年生の風紀委員達を連れて戻ってきた。
「狭山先生、よろしくお願いします!」
そして元気に、新人風紀委員達が、俺に挨拶してくれた。
その朗らかさに、俺は和んだ。
「ああ、頑張れよ」
「「「「「「「「「はい! 頑張ります!」」」」」」」」」
威勢が良いなぁと思いながら見守っていると、彼等は月見里に案内されて、部屋を出て行った。頑張ってくれそうである。
再び永宮と共に部屋に残された俺は、本来は事情聴取に使われるらしいソファの上に座った。正面に永宮が、ばさばさと任命証を置いていく。俺は、判子を取り出した。
片っ端から判子を押しながら、俺は永宮に言う。
「そうそう、園生の事なんだけどな」
「……また何かやらかしたのか?」
「いや、朗報だ。理事長先生と話す機会があったんだけどな、園生に釘を刺してくれるそうだ」
「何、本当か?」
「本当だ」
「良くやった!」
「褒めても何も出ないからな」
そう告げ、判子を押していると、永宮が溜息をついた。
「それにしても、もうすぐ新入生歓迎会だしな……頭痛がする」
その言葉に、丁度判子を押し終わった俺は、思わず顔を上げた。
頭痛?
まさか、俺の風邪が移ってしまったのだろうか?
風邪は治りかけや、治ったように見えた直後が一番感染しやすいと、聞いた事があるような、無いような気がする。
俺は正面に座っている永宮へと歩み寄った。
そして額を触ってみた。
「……なんだ?」
永宮が、怪訝そうに眉を顰めている。
「熱はないみたいだな。だけど、ん、顔もちょっと赤いぞ。大丈夫か? 風邪だと思ったら、すぐに保健室に行くんだぞ」
すると俺をじっと見た後、何故なのか永宮は唇を噛み、急に俺の腕を引いた。
体勢を崩した俺は、永宮に抱き留められる。
「……心配してくれるのか?」
「? 当然だろ」
「……」
「それよりも、離してくれ」
「いやだ……と言ったら、どうする?」
「風紀に通報――しても駄目か」
何せ相手は風紀委員長だ。
「こう言うときは、どうしたら良いんだ?」
俺が純粋に首を傾げると、永宮が暫く間をおいた後、深々と溜息をついた。
「――冗談だ」
腕を放して貰ったので、俺は立ち上がった。
永宮は変な奴だなと思いながら、俺は帰る事にしたのだった。
ちなみにその夜、井原先生は帰ってこなかった。