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本日は、休日だ。
リビングでは、永宮が井原先生に教わっている。なんだか丸投げになってしまったようで、ちょっとだけ申し訳ない。
そこで、お詫びにお菓子でも作ることにした。姉によく頼み込まれて作ったため、俺は少しはお菓子作りができる。
とりあえずガトーショコラを作ろう。
キッチンにたって、分量を量りながら、静かに瞬きをした。
これから夏休みの間に目立った行事といえば、校外学習だろう。
校外学習の行き先は、福島県の会津だ。
引率するのは当然俺と眉川先生である。現地では班ごとに、好きな名所をまわることになっている。武家屋敷や、御薬園、飯盛山にさざえ堂等がある。
職員旅行である程度のあたりはつけてある。一応、その為の職員旅行でもあったのだ。
――結局、酒を飲んだ記憶しかないけど。
三時になったので、俺は紅茶を淹れてリビングへと向かった。
「進んでるか?」
永宮に声をかけると、教科書からちらりと顔を上げた。
しかしすぐにまた視線は教科書へと向かう。
現在は数学と格闘しているらしい。
「もう三年生が習うところまで進んでいるよ」
代わりに井原先生が答えてくれた。
俺はテーブルの上に、三つのティカップを置きながら、純粋にすごいなと思った。
正直言って数学なんて苦手中の苦手である。同時に、数学教諭でない井原先生もまたすごいなと感じた。俺には他の教科を教えるなんて無理だ。
「少しは息抜きもした方が良いんじゃないか?」
「ああ」
俺の言葉に永宮が頷いた。
こうしてその日は三人でお茶をした。
「美味いな……これは誰が作ったんだ?」
「狭山先生は、料理が美味いんだよ。作ってもらうのは久しぶりなんだけどね」
井原先生がガトーショコラを食べながらそんなことを言った。
美味しいと思ってもらえたのならば嬉しい。
しかし井原先生、生徒の前だからなのか、今日は『萌え――!!』と叫んで鼻血を出したりしない。井原先生の授業風景を見たことはないが、部屋で見ている限りは、とても丁寧でわかりやすい。ちょっと井原先生のことを俺は見直した。
「……この後は、現代社会を教わりたい」
あ、俺の教科だ。永宮の言葉にしっかりと頷く。井原先生が「嫉妬ktkr」と呟いていたが、俺は聞かなかったことにした。幸い永宮には聞こえていない様子である。
そうしておやつを食べた後、俺は集中的に永宮に社会を教えたのだった。
その日の夜。
「で、で、で。狭山先生、風紀委員長×教師の進展度は?」
煮魚を食べていると、井原先生に問われた。
「現社の進展度なら、受験レベルです」
「そうじゃなくて……ああ、でも、確かに永宮君は優秀だね。生徒会長と仲が悪いところも含めて王道だし――一教師としても将来有望だと思うよ」
井原先生がそう言ってから箸を延ばした。
「そういえば、井原先生もこの学園の出身なんですよね?」
「うん、そうだよ」
「その頃も『萌え――!!』って言ってたんですか?」
「ぶ」
おみそ汁を飲んでいた井原先生が吹き出しかけた。
「ち、違うよ。別に僕には男の恋人なんていなかったし、当時も――一応今も、ノーマルだから」
「一応って何ですか、一応って」
お。珍しく井原先生が動揺している。
「……言葉のあやだよ」
しかしあまりつっこんで聞いても悪いなと思い、俺は頷いた。
「大体僕が腐男子になったのは、大学生の時だから」
「腐男子?」
「その、僕と志を同じくする人々」
「何かきっかけとかあったんですか?」
「妹が読んでいた本を偶然見ちゃってね……妹も腐っていたんだ。今じゃ華麗なる貴腐人だよ」
溜息をついた井原先生を見て、貴婦人なら良いではないかと思った。俺の姉には、貴婦人なんて言葉は似つかわしくないし。
「妹さんがいるんですか」
「まぁね。弁護士をしてるんだ」
「頭良いんですね」
俺は才女が好きだ。自分が持っていない物を持っているからなのかもしれない。
「確かに頭は良いと思うよ。”時計”と”腕”のカップリングを聞いた時は、何かに開眼した気がした。腕×時計だよ。難易度が高い」
何の話だろう……。時計と腕? カップリング?
「僕はありがちだけど、黒板と黒板消しの関係に萌えていたんだよ、当時。今は断言して生BLだけど」
だんだん話しについて行けなくなったが、これは比較的いつものことだ。
「この浅漬け美味しいですね」
いつしか俺の特技は話を変えることになりつつあるが、気にしない。
そんな夜だった。