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「なんだかいつもにまして、お疲れですね、恭一郎様」
資料室へと戻ると、雛が首を傾げた。
「たった今、神宮寺と会ったんだ」
「良かったですね、きっと神様が頑張ってるご褒美をくれたんですよ」
「回し蹴りをされた上、葵との仲を惚気られた」
「惚気? え、あのお二人、やっぱり付き合ってるんですか!?」
「分からん。確証はない。ただ、マリモじゃないだけまだマシか……」
「付き合ってないよ、僕と神宮寺は」
その時音もなく扉が開いた。
俺と雛が揃って視線を向けると、そこには、香坂葵が立っていた。
「……風紀の副委員長様が何のようだ? 神宮寺に聞いて笑いに来たのか?」
葵はそう言う性格ではないだろうと思いながらも、ニヤリと笑って見せてやる。
「どうなんだろう。神宮寺委員長の考えは僕にも分からないけど、此処に行けって言われたんだ」
「神宮寺に?」
「うん――仕事、大変そうだね」
葵のいつもと代わらない淡々とした声に、俺は思わずポカンとしてしまった。
「もしかして神宮寺は、お前を手伝いに寄越したのか?」
葵は生徒会の仕事の仕方を知っている。
神宮寺の方は、生徒会の仕事が出来ることを、葵から直接聞いたのかも知れない。
やはり先ほどのは照れで、俺を気遣ってくれた……?
やっぱり脈ありか!?
俺は嬉しくなって、思わず口角をつり上げた。
「手伝いやがれ、葵」
「別に良いけど……」
無理矢理葵を席に座らせて、俺は書類を五束ほど渡した。
「あのぅ、香坂様? 神宮寺様とおつきあいされていないというのは本当なのでしょうか?」
そこへ、親衛隊長の猫を被った雛が、きゅるるんとした瞳で尋ねる。
「うん。付き合ってない。更に言えば、僕は神宮寺に惚れてない。だから森永の敵でもない」
「敵だったとしても蹴散らせてやる――だが、神宮寺の方はどうなんだろうな」
俺は腕を組むと、神宮寺の先ほどの表情を思い出した。
「お前のことを笑顔で話していたぞ」
「あの神宮寺が笑顔……? しかも僕の話で? 一体どんな話をしていたの?」
「俺とキスしたことをお前に話して、葵の嫉妬心を煽ってやるんだとさ」
「キスしたんだ」
牽制の意味も込めて俺がそう言っても、葵は表情を変えなかった。
「いやぁ、森永様ッ!! 風紀委員長とキスだなんて……ッ!!」
雛が迫真の演技で、両手を顔で覆った。
しかし笑い出しそうになるのをこらえている唇が俺の座る角度からはよく見えた。
「もしかして森永は、神宮寺の前で僕のことを”葵”って呼んだ?」
葵が首を傾げたので、俺は頷いて見せた。
「――……神宮寺は、もしかして、森永と僕がデキてると思ったんじゃないのかな」
「まさか。そんなわけが……――付き合っていたのか、って聞かれたな、そう言えば」
「変な誤解を生まないでよ」
「嫌々嫌、いくら神宮寺だってそこまで馬鹿じゃねぇだろ」
「神宮寺は、時々おかしくなるんだ。ぼぅっとしてるっていうか。だから、僕にもよく分からない。だけど、今風紀委員室で、一ノ宮君と一緒にいるのは知ってる」
「なんだと?」
「被害報告を聴取してるんだ。僕の仕事を代わってくれた」
「まさかやっぱり神宮寺まで、あのマリモを……」
「マリモ? どちらかといえば、アフロじゃないかな?」
雛がこらえきれずに吹き出してから、慌てたように手で口元を押さえた。
「申し訳ありません、香坂様のお言葉に笑ってしまうなんて……」
「僕何か、面白いことを言ったかな?」
「いえ、その……っ……アフロ……ッ」
ツボに入ったらしい雛は、俯いたまま肩を震わせて、笑いをこらえている。
「それにしても、葵は何で俺が神宮寺に惚れてると分かったんだ?」
副会長の馨同様察したのかと思っていると、葵が考えるように虚空を見る。
「だって、ずっと神宮寺のことを肉食獣みたいな顔で見てるから。隣にいるからよく分かるよ」
それから数日間、葵は時間を見つけては仕事を手伝いに来てくれた。
会計の莉央も、時折顔を出しては書類の束を持っていく。
また生徒会室にたまっていく書類を持ってきてくれたり、持って帰ってくれたりもした。
ある種の平穏な数日間ではあったが、俺の心はささくれ立っていた。
あの一ノ宮遥が、風紀委員に見習いとして入ったのである。
その上、神宮寺がつきっきりで見回りに同伴しているというのだ。
かといって、生徒会の連中が仕事を再開したという話は聞かない。
逆に休み時間や昼休みに、これ見よがしに校内中で、一ノ宮に構っているらしい。
生徒会室でのみ行われていた猫可愛がりが、堂々と至るところで行われるようになったため、親衛隊達の殺気の立ち方も尋常じゃないとのことだった(雛情報)。
俺が苛々しながら書類を片付けていると、資料室の扉が開いた。
入ってきた葵が、俺の隣の椅子を引く。
「森永、良い報せが二つあるよ」
「なんだ? あの馬鹿副会長共が仕事を再開始でもしたのか?」
「神宮寺のことだよ」
思わずピクリと反応してしまった。
「単純に神宮寺は、一ノ宮君に仕事を教えて回っていただけみたいだよ。今日から正式に委員会に入って貰ったみたい。今日の放課後からは、規定通り、同学年の1Sの生徒と見回りに行ったよ」
「本当か?」
「うん。少なくとも、一ノ宮君に恋はしてないみたいだよ」
「遥を連れて至るところで笑顔を振りまいていたって聞いたけどな」
雛経由で、俺には神宮寺の同行が耳に入っていた。
中には感謝している生徒までいたらしい。
遥のおかげで、神宮寺の笑顔が見られたことを。
「間違いないよ。だってさっき、『好きだと、森永に伝えてやってくれ』って言ってたから。どうやら両思いみたいだよ、良かったね。これが良い報せ二つ目」
「なッ」
俺は思いも寄らなかった言葉に、息を飲んで目を見開いた。
しかしよくよく考えてみれば、やっぱり神宮寺は俺を意識していて、照れ隠しをしていて、逆に葵のことでは俺を嫉妬させ――そうだ、きっと遥を連れ回したのも、俺に意識させるためだったのだろう!
この俺様に惚れない奴がいるわけがない(雛と葵と御神楽前会長と前風紀委員長は除く)!
「これ以上すれ違う前に、行動した方が良いんじゃないかな」
淡々と葵が言った。
確かにそれもそうだ。
「今からちょっと神宮寺に会いに行ってくる」
「うん。仕事は僕が引き受けたよ」
葵にひらひらと手を振られ、俺は勢いよく風紀委員室へと向かった。
しかし施錠されていた。
それもそのはず、もう八時だ。
だから寮の神宮寺の部屋の前へと行ってみる。
二度呼び鈴を押してから、ノックをしてみた。
だが応答はない。
何処で何をしてやがるんだと思いながら、俺は思わず唇を噛んだ。
その時のことだった。
エレベーターの音がしてから、足音が聞こえた。
誰かに神宮寺の部屋の前にいるところを見られるのは何となく屈辱だなと思いながら顔を上げる――すると、目指す人物神宮寺がそこには立っていた。
「何の用だ、森永」
通常と同じの氷のような無表情で、神宮寺が歩み寄ってきた。
「話しがある」
簡潔に俺が言うと、心なしか口元に笑みを浮かべて神宮寺が頷いた。
「聞こう」
しかし声には何の感情の色もなかったため、珍しく俺は緊張した。
「部屋に入れてくれないか?」
「勿論、構わない」
カードキーで部屋の扉を開けながら、神宮寺がそう言った。
俺は通されたリビングダイニングのソファに促される。
綺麗に整頓された部屋は、風紀委員長によく似合っていた。
黒と白で統一された家具類も洗練されている。
「それで話しとは何だ?」
俺の前に珈琲を置いてから、正面に神宮寺が座る。
「やっぱり、直接言っておきたいと思って、出向いてやったんだぞ、わざわざこの俺が。香坂から聞いた。お前も伝言するぐらいなら、直接言え。鬼の風紀委員長が聞いて呆れる」
意識しすぎて、いつもよりも饒舌になってしまった。
「言いたいことがあるのなら、早く言え」
頬杖をついた神宮寺が、俺を挑発するように、フッと笑った。
「好きなんだ」
「分かっている」
大きく緩慢に神宮寺が頷く。
「お前も好きなんだろう?」
俺のことが!
俺様の魅力にくらくら来てるんだろう?
「ああ」
短い声だったが、確かに俺は返事を聞いた。
「愛してる」
その上、凛とした澄んだ声で、一番聞きたかったことを言わせることに成功した。
「……それが聞きたかったんだ。やっと素直になったな」
「お前こそ」
俺は立ち上がり、神宮寺の隣へと移動する。
すると神宮寺が、元の無表情に戻って、小首を傾げた。
「っ」
俺は、顎をきつく掴み、神宮寺の唇を奪った。
神宮寺が吐息しようとしてうっすらと口を開けた瞬間、舌で口腔を犯す。
「一度しか言わないから良く聞け。俺は去年からずっと、お前のことが好きだった」
最後に神宮寺の唇を一舐めしてから、俺は少し掠れた声で囁いた。
「――……は?」
「一度しか言わないって言っただろうが」
そのまま俺は、強引に神宮寺をソファに押し倒した。
「ちょ、待て待て待て、森永!? お前、お前――ま、まさか、俺のことが好きなのか!?」
「なんだ今更」
神宮寺はまだ照れているのか、それとも動揺しているのか、普段では決してみることが出来ないだろう焦り具合を俺の前で露呈した。
「よく考えろ、お前の周りには、可憐なチワワや親衛隊長、編入生や、香坂がいるだろう!! 何でよりにもよって俺なんだ!?」
「好きだからだ」
「嫌々嫌々、よく考えろ」
「考えるも何も、お前だって俺のことが好きなんだろう?」
しかしあんまりにもまどろっこしいのは、俺は好きじゃない。
「いやぁ……ちょ、ちょっとお互いの認識に齟齬が招じていたようだな」
「じゃあ何か? 他に好きな奴がいると言うことか?」
その上妙なことを言いやがるものだから、苛立った。
思わず睨め付ける。
「そ、そういうわけじゃ……」
良かった、嫌いだと、好きではないと、否定されなかった。
まぁ俺様を拒否する奴などいないだろうが(ごく一部の例外を除く)。
「じゃあ何も問題ないだろ」
「大ありだ!!」
「この俺様に愛されてるんだ、幸福だと思え」
「思えるか!!」
「……つまりお前は、俺のことが好きじゃないのか?」
「率直に言って嫌いだ」
「まぁいい。じっくり追い詰めてやる」
今度の『嫌い』は、きっと照れから来る言葉だろうと俺は察した。
だから俺はニヤリと笑って、神宮寺のシャツのボタンを片手で外しながら、もう一方の手で奴の胸に触れる。
そして――……
「美味いな、コーヒー」
俺と神宮寺は、早朝四時である現在、共に夜明けの珈琲を飲んでいる。
ヤってしまった。
事は急げと葵も言っていたのでよしとしよう。
「可愛かったぞ、神宮寺――……雅」
そしてさらりと、名前呼びに挑戦した。
神宮寺――改めて、雅が赤くなる。
今までに抱いた誰よりも、雅は可愛くて綺麗だった。
「何で俺なんだよ?」
「俺と対等だから屈服させてやりてぇとずっと思ってた」
「それだけの理由か」
「違う。見ている内に惚れた。悪ぃか?」
まるで小さい子供のようにきょとんとしている雅が愛らしくて、その黒い髪を撫でる。
今日から俺たちは、恋人同士だ。
俺は幸せな気分で、コーヒーに角砂糖を追加した。
「最悪だ」
「でも気持ちよかっただろう?」
「それとコレとは別だ」
「今日からお前は俺のものだ」
これが、俺と神宮寺の新たなる始まりだった。