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「きいてくれよ莉央!」
どうしてこうなった――!
俺は今、編入生に腕を強引に引っ張られながら、食堂の二階へと上がっている。
隣を歩く葵ちゃんは、相も変わらず無表情だ。
「ごめん、俺、今日はちょっとチワワちゃんと約束が……」
「葵がいるのに、セフレなんてよくないぞ! ……です」
「そういうことじゃなくてぇ……」
嗚呼、日本語が通じない!
俺はどうにもならないこの心境に、唇を噛みしめた。
「ちょっと、ま――」
強引に左腕を引っ張られ、その強さに俺は、生理的な涙が出そうになった。
「一ノ宮君――」
葵ちゃんが止めてくれようとするが、遥ちゃんの握力はかわらない。
――このままでは、腕が折れそうだ。
――そうすれば、バイオリンが弾けなくなる。
――嫌だ。
……嫌だ?
そう気づいた瞬間、俺は階段でバランスを崩して、階下へ落下を始めていた。
「っ」
このままじゃぶつかる。
腕を痛める程度じゃすまなくなる。
どうしたら良いんだろうか、俺にはそれが分からなかった。
「!」
てっきり頭を打つと思った俺は、土方隊長に庇われた。
ガンと鈍い音がし、俺は目を見開く。
「大丈夫か莉央!?」
遥ちゃんが二階から声をかける。
葵ちゃんも驚いた様子でこちらを見ていた。
「……土方君」
「大丈夫ですか、伊崎様。どうぞ、二階席へ」
そういった土方君だったけど、べっとりと血糊の付いた壁を見て、俺は思わず眉をひそめた。唇をきつく噛む。
「行き先は保健室に決まってるじゃん」
「……俺は、平気です」
「何処が平気なの?」
「……伊崎様、香坂様や、編入生がお待ちです」
「だけど」
「俺は伊崎様の親衛隊長です」
「だからって」
「だからこそです、行って下さい」
いけるはずなんて無いのに。
何を言ってるんだろうと思った。
だけど土方君の瞳は真剣で、俺はどうしたらいいのか分からなくなる。
結局。
昼食を取ってから、俺は保健室へと向かった。
「なんで?」
俺が聞くと、土方君が無表情で俺を見た。
「ご迷惑をおかけしましたか?」
「……」
「ただ、伊崎様にお怪我がなければそれで……」
「……」
「……」
俺には、そんな風に思って貰う価値はない。
なのに、なんで。
そんな思いで、机を拳で叩いた。
ビーカーが割れて、硝子で手が傷つく。
「何をしているんですか」
「わかんないよ、俺だって」
「やめて下さい」
「じゃあ二度とこんな事しないって誓って」
「無理です」
「どうして?」
「俺が、伊崎様を守りたいからです」
額に包帯を巻いた土方君にそう言われ、俺は短く息を飲んだ。
「……どうして?」
「貴方のことを敬愛しているからです」
「”敬愛”ね……」
「――それすらも許されませんか?」
俺は、多分、土方君のことが好きなんだと思う。
だけど、これまでの生涯で恋をしたことなんて一度もないから、これが恋という名前をしているのかは分からない。
ただ土方君を見る度に胸が苦しくなって、過呼吸でも起こしそうになる。
「じゃあこれは、命令だから」
「命令?」
「二度と俺の前で、怪我をしないで」
「それは……」
「命令だから」
「……承れません」
「なんで?」
「俺は、俺自身よりも、伊崎様が大切だからです」
きっぱりと言い切られて、俺は息苦しくなった。
どうして俺なんかを、そこまで妄信的に崇拝してくれるんだろう。
そんな価値、俺にはない、無いのに。
「やめてよ、そういうの」
「……」
「重い」
「……」
「頼むからさ、もっと、気楽に」
「……努力します」
「それから、もっと自分のこと考えて」
「有難うございます」
俺は、お礼を言われる事なんて、何一つしていないと思う。
だから土方君の言葉が、胸にきつく突き刺さった。