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いつもいた生徒会室から、その後、会議室に入り浸り一ノ宮遥にべったりになった副会長。
その姿を見るのは、恐らく親衛隊長である千尋くんには辛いはずだと思う。
千尋くんは一ノ宮遥と会話をしに来ているはずなのに、ずっと唇を噛んで俯いている。
涙を堪えているのも分かる。
それでも副会長の姿を見られるから、決して欠席することはない。
やっぱり好きな相手の顔を見られるだけでも、嬉しいのだろう。
編入生の一ノ宮と言えば、本気で千尋くんの事が好きらしく、あからさまに副会長の言葉が耳に入ってこないい様子で、ひたすら千尋くんに話しかけている。
こんな三人である、無言のバトル。
見守る俺。
会計親衛隊に入ったのは、良かったと思うが、何故親衛隊総括まで俺が務めているのか不思議だ。
「遥、紅茶を飲みませんか?」
「有難うな、広野! 俺と千尋の分を入れてくれ!」
「なっ、副会長様を馴れ馴れしく呼ばない! 第一、紅茶を淹れさせるだなんて!」
「遥は珈琲の方が好きですか?」
「そんな事はない! 広野が淹れてくれる紅茶も好きだし」
「広野様にそんな事をさせるわけにはいかないんですっ! 僕が入れます!」
それを見守りながら、俺は珈琲カップを四つ、サイドテーブルからとって、静かに珈琲をサーバーからとって淹れた。
「どうぞ」
すると俺の存在をやっと思いだしたかのように、彼等はこちらを見た。
俺は毎日此処にいたし、しっかり彼等の話は聞いていた。
胸の中にしまってある録音機(ペン型)でも、常に声を拾っている。
このフロアも静かで良い。周囲には人気もないから、最適の場所だ。
「――どうして、親衛隊総括である土方君が此処にいるのかな?」
副会長に聞かれたので、俺は珈琲を一口飲んでから、小さく頷いた。
「仲裁役です」
「親衛隊側が仲裁なんて、遥に不利にしか働かないと思うんだけど。第一、親衛隊隊長として、千尋くんが遥話し合うなら、まずは会長親衛隊の時任隊長が来るべきじゃない?」
会長親衛隊隊長の時任雛。
俺が仲裁するのも、会長の親衛隊長が来ていないことも、ごく普通の真っ当な指摘だ。
雛先輩は、現在、生徒会の手伝いをしている。
ここで風紀副委員長の香坂様を生徒会室に入れたら、今度は会計様が恋人を連れ込んで生徒会室で遊んでばかり居る、という噂が流れるだろう。
雛先輩も俺が親衛隊に入る経緯となった会計の莉央様姿がない。
こればかりは、後者は恋人居るが、仕事はしっかりやる、と莉央様の評価は上がるだろう。
雛先輩が此処にいないのが一番困る。
もしも副会長が、雛先輩が仕事を手伝っていると知ったら、いくら風紀委員長と付き合っていると言われていても、毎日呼びつけているのだから、再び事実ではない噂が流れるだろう。俺はじっくりと考え込んだ。
「ま、まあいいですか。千尋の方が、僕もほっとしますし」
副会長が言った。多分、俺の顔が怖かったのだろう。しばしば俺は、黙っていると怒っていると勘違いされるのだ。しかし鉄壁の笑顔を崩さない副会長まで黙らせてしまうとは、俺の顔はそんなに怖いのか……副会長の笑みが引きつっている。
「なにしてるのぉ〜?」
その時間延びした声と同時に、扉を開く音がした。
入ってきたのは、我らが会計、莉央様だった。
俺が頭を下げてから、新しい珈琲を反射的に用意すると、ひらひらと手をふりなが莉央様がこちらを見た。角砂糖を三つほど(莉央様は大抵この数だ)のせて、珈琲を渡す。
「莉央……制裁をしている千尋と、遥の話し合いだなんて、心配で心配で、とても離れるわけにはいきません」
「そうなのぉ?」
莉央様が首を傾げてから俺を見た。小さくこちらを見て頷いたように思う。
「――土方君はどうして此処に? 俺の所の親衛隊も、制裁しちゃった?」
「いえ、親衛隊総括として、この場の仲裁をしています」
「そうなんだ、土方君なら安心だね」
へにゃりとした笑顔で莉央様が、そう言ってくれた時のことだった。計画通りではあるが、嬉しくもある。
「……て、してない」
ポツリと千尋君が呟いた。
「……馨様のことを思ってしか、制裁なんて、してない」
「でも、制裁するって言った僕らを止めなかったのは、馨様です」
「それとこれとは話が別だよ。第一僕は、制裁しろ何て一言も言っていない」
口元には笑顔を張り付けたままで、副会長がスッと眼を細めた。
「僕らは貴方のためを思って……ッ」
「そうだぞ! 千尋達は悪くない!」
「黙っててよ、僕は一ノ宮君なんか大嫌いだよっ!」
千尋君の声に、一ノ宮が息を飲んだ。
「遥に何て酷いことを言うんですか」
一ノ宮の頭を撫でながら、副会長が軽蔑したような顔をした。
涙をボロボロと零しながら、千尋くんもまた笑っている。
なんだか嫌な予感がする。
その時、カチリという音がした。
辺りに焦げ臭い匂いが立ちこめてきて、一ノ宮遥と千尋くん、副会長が座っている白いテーブルクロスが次第に焦げていき、ついには火の粉を舞い散らすようになった。
「なッ、何を……!」
慌てたように、副会長が立ち上がる。それから慌てたように、扉へと向かった。そこには一ノ宮を気遣う姿もなければ、火を消そうという努力もなかったが、きっと誰かを呼びに言ってくれたのだろうと俺はプラスに考えた。
「二人とも、早く立て」
短くそう言い、俺が声をかけると、一ノ宮が頷いて立ち上がり、後退った。
俺はライターを手にしながら、まだ泣きながら笑っている千尋くんを無理矢理立たせる。
そうして引きずる様にして、莉央様が先ほどまで立っていた場所の方まで連れて行った。
莉央様はといえば、消化器を手にして、俺を見た。
「消さないと。この程度の火じゃ、まだスプリンクラーが発動しないだろうから」
天井を一瞥した莉央様に、俺は頷いた。
そうしながら、上着を脱ぎ、一番火が強い場所へと急いで、それをかぶせた。
莉央様が消化器を放つのを確認して、後退する。
幸い火事は、ぼや程度で済んだのだったが、いつまで待っても、やはり誰も来なかった。
「俺、千尋のことを保健室まで連れて行ってくる」
一ノ宮はそう言うと、まだ呆然としたように泣いている千尋くんの事を背負って、部屋を出て行った。一番被害が酷いのは、火を付け、直ぐ側にいた千尋くんだろう。頷きながら、俺は火の粉で至るところが小さく焦げている莉央様を見て、唇を噛んだ。消火している最中に、避けることもなく、その作業に注力したのだろう。
「大丈夫ですか?」
俺が血相を変えて言うと、曖昧に莉央様が笑った。
「土方君こそ……制服、ダメになっちゃったじゃない」
「予備があるので平気です。早く此処を出ましょう」
煙も吸い込んでいるし、一酸化炭素の中毒も怖い。
俺がそう言うと、ぐらりと莉央様の体が倒れ込んできた。
「――ごめんね。案外俺、怖かったみたいだ」
空笑いが滲み出ている表情と声、それとは裏腹に、莉央様は静かに震えていた。
抱き留めてから、俺は静かに吐息した。
「俺もです」
「土方君でも? そっかぁ」
「ええ。莉央様を火災で失ってしまったらと思うと、今でも怖い」
「……何それ」
俺の声に、今度は苦笑するように、莉央様が笑った。
「何があったんだ!?」
そこへ血相を変えた様子で、生徒会長が走り込んできた。
どうやら今日は、莉央様と、仕事が終わり次第会長が、此処に顔を出す予定だったらしい。
恐らく途中で一ノ宮とすれ違い、何かがあったのだろうと察して、走ってきた様子だ。
「熱ッ」
中へ入り、何とはなしに会長が、近くにあった銀色の椅子のふちに手を当てた瞬間、声を上げた。
「兎に角一度外へ出ましょう」
俺がそう言ってよろめいている莉央様を支えながら歩き出すと、会長もまた頷いた。
直ぐ側にあった水道で、会長が手を冷やしながら俺を見る。
「誰かが火を付けたのか?」
「ええ、まぁ……」
丁度その時、階段を書記と双子の庶務が上ってきた。
なんでも会長と会計が仲裁に入りつつ、今日は”族潰しの金狼”と呼ばれた一ノ宮に宣戦布告するためにやってきたらしい。海はどうやら知らない様子で、ただ彼等の後を着いてきたようだ。
一ノ宮や会長が上がってきたのとは、違う側の階段から上がってきたらしい彼等は、ただこちらを見て首を傾げていた。