――翌日から、嫌な噂が流れ始めた。
一ノ宮遥を取り合って、会長・副会長・書記・会計・双子の庶務がいた時、ついに副隊長親衛隊隊長の千尋が、こんな事では良くないと注意をした。すると生徒会の面々は逆上し、千尋は言葉の暴力を振るわれた。そして一ノ宮本人も涙ぐみながら千尋を糾弾し、何故なのか持っていたライターで火を付けた。千尋を火傷させようとしたはずが、テーブルクロスに引火。仲裁のためにそこにいた親衛隊総括(つまり俺)が、消化器で火を消した。
という噂だった。
まぁ噂は噂であり、必ずしも真実を告げる訳じゃない。
ただ火のない所に煙は立たない、とも言う。
そんなある日、臨時の親衛隊総会が開かれることになった。
「親衛隊総括、一体どうなって居るんですかぁ?」
雛先輩の声に、俺は押し黙る。
千尋くんが居れば良かったのだが、彼は処遇が決まるまで、謹慎処分という事になっていて、この場には居ない。
「千尋隊長はどうしたの!?」
「まさかお怪我を!?」
「大丈夫なんですか!?」
副隊長親衛隊の面々からは、心配そうな声が上がってくる。
――事実としては、火傷もそれ程酷い様子はなく、保健室でもただ泣いていただけだと、直ぐ後に会長と莉央様を連れて保健室へと向かった俺は知っている。熱いものに触ってしまい火傷をした会長と、突然の出来事に顔には出さずとも動揺している様子だった莉央様を保健室へと連れて行ったのだ。火傷をしていたからなのか、火事が収まってからやってきた生徒会長は、確実に、一ノ宮遥を庇いに言ったと噂されている。風紀委員長が可哀想だという声まで響いてくる。莉央様と付き合っている風紀の副委員長も同情されている。
これは何も親衛隊に限ったことではない。校内中で噂になっているのだ。
「……千尋くんは、今のところは大丈夫だ」
とりあえず俺はそれだけ答えた。千尋くんの事を考えると、あまり話しは広めない方が良いだろうし、副会長親衛隊にも動揺を与えるはずだ。
放火となれば、これは警察の管轄下だ。だがこの学園は不祥事を嫌うし、もみ消す可能性もある。
「もう、きっぱりとリコールした方が良いのかな……」
書記の親衛隊隊長である相模くんの言葉に、双子庶務のそれぞれの親衛隊の隊長が、賛同するように溜息をついた。
こちらの親衛隊長達だって、双子の見分けくらい簡単に付く。
何も編入生が特別だった訳じゃない。
「会長様は、しっかりとお仕事をなさっていてぇ、あの日もちょっとだけ、副会長の様子を見に行っただけですけどぉ」
会長親衛隊隊長の雛先輩が、間延びした声はそのままに、何処か険しい瞳で言った。
俺のことを一瞥する。
「会長様と会計の莉央様が、きちんと仕事をしていたのは、俺も確認している。親衛隊長だからではなくて、莉央様は適宜最初から手伝っておられた」
俺がそう言うと、会計親衛隊の副隊長である沙樹先輩が大きく溜息をついた。
「だとしても――怪我をしたり、どんどん悪化してっているのは、生徒会に一因があるのは間違いないよね」
沙樹先輩はそう言うと俺を見た。強い眼差しだった。
「雛、会長はリコールを望んでるの?」
それから雛先輩へと振り返り、腕を組んだ。
「いつかはその話が出るだろうとはぁ、聞いてましたぁ。それでより良い学園になるのであればぁ、構わないって」
「なるほどね」
「もとよりぃ、会長という立場に誇りは持っているけど、固執しているわけじゃないってぇ言ってましたぁ」
頷きながら、雛先輩が再び俺を見た。
俺は……莉央様が、リコールを望んでいないと思っている。莉央様だって、別に会計という立場に固執しているわけではないだろう。ただ、ただ勝手にだが、あの”生徒会”という場の空気が好きなのではないかと思うのだ。
その場所が無くなってしまった時、一体莉央様はどうするのだろう。
「雄輔、崇拝とかそう言うの、此処にいるみんなが、誰かを好きだって言うのは分かってるよ。だけどだからこそ、相手の意に沿わないことでも、それが相手のためになるのであれば……好きだからこそ割り切った方が良いんじゃないのかな。例え嫌われることになろうとしても」
沙樹先輩の言葉は最もだと俺も思う。
その時扉が音を立てて開いた。
皆が息を飲みながら視線を向けると、そこに立っていたのは全ての運動部の総括である、横山通よこやまとおると文化部の総括である、悠木晶ゆうきあきらだった。
「話が合ってきた」
横山先輩はそう言って切り出すと、各部の署名の束を、中央の机の上に投げた。
手に取ってみれば、そこには、運動部全ての部長の同意書がある。
「運動部は、生徒会のリコールを望んでいるんだ」
「文化部も同じです」
悠木先輩がゆっくりと机の上に置いたのも、文化部の各部長の署名だった。
両方の書類には、横山先輩と悠木先輩の押印がある。
「後は最大勢力の親衛隊が、決意してくれれば、三部会を開くことが出来る。運動部と文化部の署名――そして親衛隊の署名が在れば、風紀委員会の決定無しでも、開けるだろう?」
その言葉を聞くと、室内にいた、各親衛隊長と副隊長が顔を見合わせ始める。
風紀委員会の決定がなくとも、生徒の自主性を重んじるこの学園では、自発的に生徒が動けば認められることが多い。
「僕は署名します」
そこで、生徒会副会長親衛隊副隊長の、中野有里ゆうりが言った。
するとその背後にいた親衛隊の面々が、瞳を揺らし、囁くように何かを話し始めた。
「有里様が隊長代理をするなら、書記の僕が代わりに副隊長の推薦署名をします。一時的なものなので問題ないはずです」
確かに代理権は存在する。その際には、代理人の推薦人が必要なのだ。
「リコールがあった方が、もしかしたら副会長様のためになるかもしれない。先ほどの会計親衛隊の沙樹隊長の言う通りだと思ったんです」
何人もがそれに頷いていた。
あっという間に、親衛隊達の各隊長が署名をしていく。
残っているのは、会計親衛隊の俺の署名だけだった。
「雄輔」
沙樹先輩に強くいわれ、俺は瞼を伏せて考える。
別に嫌われても良い、それは構わない。こちらが一方的に、ヴァイオリンの音色を好きになっただけなのだから。思わず溜息が漏れる。
だが――今の俺は、ただ莉央様の親衛隊長だけじゃない。
親衛隊総括なのだ。
親衛隊の皆の意見を尊重し、纏めるのが俺の立場だ。
「――分かった」
頷き俺は、会計リコールの署名欄に署名し、一番上にある紙に押印した。
「三部会を召集しよう。選挙管理委員会と風紀委員会には、俺が通達を出してくる。当日は、生徒会には壇上に上がってもらい、風紀委員会は左右に分かれて貰う。選挙管理委員会は一番後列に。後は日取りだな」
風紀委員会が決定した即日召集ではないため、通常授業は基本的に休めない。
「――その必要はありませんよ」
その時、声を上げたのは、運動部に所属している、嘉川だった。
「もしリコールの話が出たら、風紀委員会は賛同することに決まってたんで」
「……風紀委員とかねてやってるのか?」
「スキー部なんで、この時期は、風紀の方に顔出している方が多いんですが――兎に角その件では、委員長とも副委員長とも、それ以外の全員で決定してます。あ、別にフラれたとかそう言うんじゃなくて。三部会から自主的に話が出て、それがそれぞれの三分の二以上の賛同だったらそうするって決まってたんです。ま、多分委員長も副委員長も、関係ないと思いますし、関係あるにしても、委員長権限とかじゃなくて、あくまで風紀委員会全体の決まりッすから、今更変えられません」
心強いなと思いながら頷くと、今度は別の生徒が手を挙げた。
「俺、今回からの選管の副委員長やってます。選挙管理委員会側にも問題ないです。こっちは公平に票計算するだけなので」
確か華道部の親衛隊隊長の赤月だったと思う。
「開催するのはなるべく早い日がいいね。外に漏れる前に」
沙樹先輩の言葉に、雛先先輩が追従する。
「明日にしよう、まだ職員室の先生方に伝えに行ける時間だし」
「明日ね。一限目の開始と同時に、始めよう」
二人が頷き合っている。それから、雛先輩が続けた。
「運動部はそれぞれの部活着。文化部は着物なんかの決まったものが在ればそれ、もしくは、きっちり制服を着てきて。職員室へはこちらが行くから、先に戻って部員にそう伝えて。くれぐれも、生徒会役員や一宮遥にはバレないようにね」
皆が頷いている。雛先輩がいつもの間延びした声ではなく、着実に指示を出していた。
それを聞きながら、沙樹先輩が俺を見る。
「親衛隊への衣装の配布はこちらでやっておくから、雄輔はリコール宣言の内容を考えて置いて」
俺は頷くしかできなかった。
親衛隊の衣装など、総括になって直ぐに見ただけであるし、リコール宣言の文面も何十年も前の者が一つ二つ、総括の部屋に残っていただけだ。
しかし、黙れだの静かに、などで済んだ入学式を思えば、こちらも簡略して短くしても良いだろう。俺はそんな事を考えていた。


翌日の一限目。
壇上には、生徒会役員達が立っている。
俺はその真正面にいた。
右手が運動部、左手が運動部だ。
壇上にいる生徒会は、莉央様も含めて、困惑したように、主に正面を見ている。
彼等に三部会の召集やリコール宣言をすることはまだ伝えていないのだ。
莉央様と目があった時、報道部が、開始を告げるチャイムを鳴らした。
その瞬間、それまで制服姿でいた親衛隊の面々が、身を振りかざし一気に黄色い羽織を、振り返るようにして肩にかけた。俺も勢いよくかけると、バサリという音がしたが、それ以上に皆が重ねてたてる音は大きい。
その数は、運動部よりも文化部よりも多く、その場所には黄色が花のように染まっていった。背中の中心には『親』の文字。他は新撰組の羽織みたいなデザインだった。黄色ではあるが。
壇上の前、そう俺の正面には、小さな鉄製の階段があり、登り切れば、壇上と目線が会う形になる。隣にいた副隊長の沙樹先輩に頷いてから、俺は壇上へと上がった。
ちらりと莉央様を一瞥すると、目を見開き息を飲んでいるのが分かる。
心苦しくなったものの、俺は親衛隊の総括なのだからと、気を引き締めて、真っ直ぐに生徒会長を見た。俺は、会長が必死に一人で仕事をこなしてきたことだって知っている。
だが、それでも、だ。
どんなに噂に踊らされているのだとしても――これが、各部活や親衛隊の意志なのだ。
俺が壇上に上がると、周囲が静まりかえった。
マイクが正面にある。
俺は会長を真っ直ぐと見た。するとその瞳には、苦笑するような笑みが浮かんでいる気がした。

「三部会は、ここに生徒会のリコールを宣言する」

ただ、一声、俺はそれだけを伝えた。
壇上から降りると、声援が跳んできて、面々が歓喜するように様々な声を上げた。
しかし俺の耳には全く入ってこなくなっていて、だから静かに莉央様へと視線を向ける。
そこには、呆然としたような、莉央様の顔があった。
だが、俺は多分この時にはもう、決意していたのだと思う。

――もしも莉央様に新しい場所が見つからなかったら、ずっと隣にいたいと。