SIDE:超越聖龍(前)
>>聖龍暦1年(大分前)
「***(以下謎の言語が続いたが、怒っているのは分かった)」
「△△×××××――!(今度は別の言語が続いた。こちらも怒っているようだ)」
「……」
俺はそれを、二億年くらい見ていたのである。ヒゲとハゲが争っていたのだ。この時の俺には、名前は無かった。「やれやれ、俺の出番か」だとか、ほぼ毎日考えながら、机の上にある本を読んだりした。二冊存在した。この活字嫌いの俺が、読書をして、奇跡的にその内容が頭に入ってしまうほどの時間が過ぎたのだ。ふぅ。俺がダウナー系チートだったら「怠いなぁ」とか言いながら、実は凄い人だった的なオチを用意するが、そんなものは無い。
この本は、神であれば、読めるそうだ。
この頃はまだ、音声翻訳の機能は無かったのである。
俺が最初に手に取った一冊目は、『いかにして世界を構築するか』だった。
それを読み進める内に、俺は自分が神様なのだと知った。
もう一冊は、『易しい神々の作り方』という本だ。
そしてダウナー系チートや俺様といった、神々に与えなければならない必要性格を俺は学んだ。俺としては、やはり全員女神にして、所謂チートハーレムを作りたい――いいよなぁ、プライドが高そうな女王様タイプを屈服させて……けど、俺に従順なメイドさんも捨てがたい。
5億年後、ヒゲとハゲはまだ争っていたので、俺はもう帰ることにした。
しかし生まれてこの方ずっとこの部屋(?)にいたようなので、帰る場所がない。
そこで俺は、俺の世界を作ることにしたのだ。
止めておけば良かった。
最初、俺は光だった。
なんか巨大なでかい球体が、まだ何もない世界に浮いている感じだ。
『いかにして世界を構築するか』を読んだ限り、最初の神がまずいて(要するに俺だろう)、その後神話では、大陸の下に眠っているだとか、語られる存在になるそうだ。
眠っているのは、魚か両生類か蛇か龍。見た感じ、龍が一番字面的に格好良かったので、俺は龍になることにした。決めた瞬間、俺は光に飲まれ、龍になっていた。……いやでもなんかなぁ、チートハーレムの主人公は、男性の人間の形をしている。そう思い当たり、俺はとりあえず、人間界を作った。他にも魔界も作った。獣人を作るか否かは、大層悩んだ。猫耳――嫌いじゃない。だが、世界を沢山作るのは面倒なので、魔界に、猫耳の魔族を作ることにした。俺が元々いた場所は神界と名付けた。
海を作ったり火山を作ったり、それなりに充実した生活を送りながら、それでもやっぱり二億年位すると飽きた。俺の短所は、恐らく飽きっぽいところだ。
そんなこんなで久しぶりに神界に戻る頃には、俺は、世界を作った神だと人間にあがめられ、時間を超越して存在する聖なる龍と呼ばれるようになった。超越聖龍――ああ、中二病っぽい名前、俺は嫌いではない。
神界に戻り、俺は目を瞠った。
巨大な光がそこにいたのだ。
明らかにアレは、神だ。
他の世界から迷い込んだようには見えない。なぜなら、この神界の気を纏っている。
光に包まれた巨大な卵に見えた。三百年は、顕現してから経過していそうだった。
「鶏か……」
そういえば、俺が人間界に、平べったい工具を落としたら、それがフライパンという名前になって、鶏の卵を割って焼くと、目玉焼きという品が出来るようになっていたな。これだけ大きければ、食べ甲斐もある。そもそも、俺の他に神が産まれたら、ハーレムが形成できない。いや、女神かもしれない。あれ、あ……神様に性別作るの忘れてた。何とかして産まれる前に、男と女を分けよう。俺は必死で頑張った。
その内に、卵の外郭に罅が入り、とんでもない光が周囲に漏れた。
思わず目を伏せそうになったが、その罅の合間から、何か黒い物が舞い散ったので、堪える――鳥の羽根だ。一種荘厳な気配を保ちながら、光が収束するに従い、その雪のように舞う羽根も、地に落ちる前に消えていく。中から出てきたのは、俺が地上に作った、鴉と鶏を混ぜ合わせたような、巨大な神だった。恐らく男神だが――あまりにも強い力に気圧されていた俺は、自分を無理に納得させた。――フッ、一人きりの神界は、寂しいからな。
それから俺は、余裕たっぷりの表情を取り繕い、一歩前へと出た。
「人型も取れないのか」
今産まれたばかり何だから、逆に取れたら怖い。が。
今度は夜と呼ぶにはあまりにも冷たすぎる闇のような気配が、鶏から放たれた。
その威圧感に、俺は完全に言葉を失った。
俺は一応聖龍と呼ばれているわけだから、どちらかと言えば、昼や光の神なのだろう。
ならば、あれか。魔王? そう言う奴か……? 俺の運命の好敵手? 平和な俺の世界、グッバイ……。
「っ」
瞬間、闇で一瞬何も見えなくなった後――そこに黒髪の少年が現れた。冷ややかな眼差しで、気怠そうに俺を見ている。まじまじと見れば、僅かに黒髪にも黒い目にも、茶が入り込んでいる。まずいぞ、コイツ……俺より強いかも知れない。しかも一瞬で人型になった。
敵に回さない方がよさそうだなと、俺の本能が言う。
よし、話しかけよう。ここはやはり、威厳たっぷりの口調で、どちらが上の立場か分からせてやらないとな。
「貴様、名前は?」
「……」
すると少年神は、プイと顔を背けた。このガキ、人が折角話しかけてやった物を――という内心が半分と、まずいな……不良だ、怖い、と言う心境が、半分だった。
「――名前とは、何だ?」
その時、たどたどしく、少年神が言った。まだ声帯を上手く使えない様子で、どこか舌っ足らずにも聞こえる。改めてこちらを見た少年は、よく見ると、大変可愛かった。綺麗な顔だ。俺がショタコンじゃなくて良かったな、少年よ。
「名前か――そうだな、貴様の一番の能力は何だ?」
とりあえず外見は鶏だから、鶏入りの名前を付ければいいだろう。神様の名付け親も俺がやるのか。仕事が増えてしまった。俺の予想だと、ぐうたらして、たまにハーレムとチートを楽しむだけの予定だったはずなんだけどな。
「時、読み取り……予知する」
「じゃあ時夜見……鶏で」
取りと鶏をかけてみた。鳥よりは、本体が鶏に近いし、これで良いだろう。後、夜見にした。夜みたいな色をしていたからな。
「時夜見鶏……」
「気に入ったか?」
「……他の名前を知らないから比較が出来ない」
少年神――時夜見鶏は、難しい言葉を知っていた。比較だなんて言葉、俺は恐らく誕生して2000年くらいしないと、分からなかった気がする。
「私は超越聖龍という」
私、とか言ってみた。その方が威厳がありそうな気がしたんだ。
「何か分からないことはあるか?」
するとたっぷりと沈黙を挟み、俺をじっくり見た後、時夜見鶏が淡々と言った。
「何故名前は、四文字なんだ?」
「……さぁな。いつか貴様にも分かる日が来る」
俺はそう答えた。実際には俺も知らないのだし、そんな日は来ないだろう。だが、意味深に回答しておけば、きっと相手も深読みしてくれる。
「他には無いか?」
「此処は何処だ?」
「神世界」
「何という神世界だ?」
どういう意味だろう。俺にはちょっと分からなかった。なので、また意味深に笑ってみる。今度は無言で。
「世界、というのは、鳥、龍、人型、のような物だろう? ならば他の世界もあるはずだ。この神世界は、他と区別するために、なんと呼称されているんだ?」
初めて、時夜見鶏が長文で喋った。
しかも産まれたばかりにしては、頭が良い。俺よりも良かったりして……いや、俺はこの世界を作った神だし、まさか。はぁ、でもなんか、名前考えないと馬鹿にされそう。俺の威厳を崩すわけには行かない。
「――ヴァミューダだ」
特にこの言葉に意味はない。今咄嗟に適当に浮かんだ言葉を並べただけである。
「神世界ヴァミューダか」
「そうだ」
「主食は?」
「……」
無い。そんなもの、無い。無いぞ……主食だと? 鶏は、トウモロコシなどを食べているイメージだが、俺は龍が本体だ。龍って、何を食べるんだ? 今は人型を保っているから、一応人間の食事をしている。が……本体の、鶏と龍が共通して食べる物など存在するのか? 俺は困惑して歪みそうになる表情を、一生懸命無表情に保った。
「貴様が好む食べ物とやらを、私に献上しろ」
トウモロコシが出てきたら困るが、持って来て貰えば、何を食べるのか分かる。
俺の言葉に、面倒くさそうに時夜見鶏が二度ほど頷いた。
――なんだこの威圧感は。まさか俺を屠る気で、毒でも盛って来ないだろうな。
正直恐怖を覚えた俺は、あんまり関わらないことにしようと決意した。
「私は多忙だ。神界も人間界も、その他の全てを生み出した者として、見守らなければならない。他に何かあれば、呼ぶが良い。新しい神よ」
本当は俺は、ぐうたら生活を目指しているため、それ程忙しくはない。例えば人間は勝手に育ち、繁殖し、文明も進化させている。だが、威厳は保たなければ。馬鹿にされたら、何されるか分からないしな。
俺はそのまま立ち去ることにした。背後に時夜見鶏の視線を感じたが……そして産まれたばかりの少年を、いくら神様だからとはいえ置き去りにするのは心が痛んだが……俺だって、自分の命は可愛い。悪いな、少年神。俺は、振り返らなかった。
それから1000年くらい、俺は時夜見鶏のことを忘れていた。
そんなある日だった。
「≪超越聖龍≫」
ボソリと、低い声が聞こえた。瞬間的に、俺の背筋を怖気が這いあがり、体が冷え切った。
夜瞬く星の声、くらい小さい音量だったのに、そこにある月と同じくらい存在感がある声だった。しかも、声帯を震わせず、直接頭の中に話しかけてきた。何だろう、この技法――さも知っている感じで、名前を付けておこう。聞かれたら面倒だしな。念じると話が出来る……念話でいいか。
「≪どうした?≫」
「≪主食が出来た≫」
主食? 何の話しか俺には分からなかった。普通そんな、1000年も前の話題なんて、忘れるだろう? が、忘れているなんて発言は、俺の辞書にはない。
「≪そうか。フッ、今から出向こう≫」
だから笑いながら言ってみた。そのまま時夜見鶏は、念話を停止したようだった。
俺はといえば、必死で時夜見鶏の場所を探した。あれだけの力の持ち主なのだからすぐに見つかるだろうと高をくくっていたら、気配を消しているのか全然見つからない。嫌がらせか、それとも俺の力を見極めているのか。生意気だな。意地で、俺は、時夜見鶏の居場所を見つけ出した。
「……超越聖龍」
「聖龍で構わない」
大人の余裕を俺は見せつけた。まだ、時夜見鶏は、少年の姿だ。
しかし――時夜見鶏は、凄い家に住んでいた。城……いや、宮殿? 呆気にとられそうになりながらも、俺は後に続いた。床は規則正しく組まれた木目、壁は象牙、高い天井には、星が散りばめられたステンドグラス。所々に、油絵が飾られていて、豪奢なシャンデリアと美しい意匠の燭台が並んでいる。絶対に俺の家には招けない。
「……」
飴色の扉の前で、時夜見鶏が足を止めた。
振り返り、俺を一瞥する。
「なんだ?」
内心の動揺を押し殺し、俺は笑う。笑った。余裕の笑みを浮かべたのだ。
「不味かったら……食べなくて良い。残してくれ」
小さな声で、ポツリと言われた。
――なんか、可愛い。顔面の造りは兎も角、初めて俺はそんな事を思った。アレか、これが世に言うツンデレか? 駄目だ、俺にはツンデレの概念は高等すぎて、まだ理解できない。
ギギギと音を立てて、豪華な扉が開く。
白いテーブルクロスがあり、その上に並んでいる料理を見て、俺は目を見開いた。
「――これは、貴様が作ったのか……?」
ま、まさかなぁ。否定が返ってくるのを待ちながら、俺は料理を凝視した。見ているだけで美味しそうだった。匂いも、なんだかそれだけで食欲を誘う。
「……主食だけじゃ寂しいだろ」
そう言って時夜見鶏が、俺を案内してくれた。
座ってからじっくりと見ると、主食は、米だった。やっぱり鶏は、雑穀を食べるのだろう。しかしそれにしても……まだ人間界は、目玉焼きが高等料理だ。魔界は、肉をそのまま生で食べている。この料理は、本当にどうしたんだろう。作ったらしいが、レシピはどうしたんだ?
「何処で覚えた?」
「俺が考えた」
少しだけ、時夜見鶏の頬が朱くなった気がした。照れているようだ。可愛いなぁ、子供!
だが本当に作ったんだろうか。この肉なんて中は赤いが外は焼けている。一瞬生焼けかと思ったが、ソースに絡めて食べると、大変美味しい。ドロドロとした謎の液体は、嫌がらせかと思ったら、ジャガイモと恐らく牛乳の冷製スープだった。別の肉料理には、酢に似た何かがかかっているのだが、これも美味しい。中でも俺が気に入ったのは……茶色いスープだった。
「これは何という料理だ?」
思わず聞いてしまった。
「……味噌汁だ」
初めて聞いた。すごい、美味しい。薄味なのに、何らかの風味を感じる。
「……味噌汁に、見えないか……」
「え、いや――」
哀しげな声で言われて、反射的に俺は否定していた。
見えないかも何も、俺は初めて飲んだ。
「無理をしなくて良い。聖龍は超越神だから、全ての料理を知っているんだろう? 俺が予知で、見た目と材料だけ覚えて、真似て作った料理は……駄目だったか……これじゃあ献上品にはならないな」
なるほど、予知か。
要するに、今後広まるだろう料理を、先取りして作ったのだろう。
「十分だ。美味しいぞ、時夜見鶏」
俺が言うと、時夜見鶏が無表情に戻り、俺を見上げた。瞳だけがキラキラしていた。
「そうか」
「ああ。所で、この家(?)は、どうしたんだ?」
「建てた」
いやだから、どうやって建てたんだ? 俺の家でさえ木造の一軒家であるにも関わらず。
「木を伐ったり、象牙を削り出したり、魔法で灯りを作って、硝子の中や蝋燭に灯したり、後絵は描いてみた」
魔法――は、まぁ分かる。概念的に俺達の本体の力を用いる場合、何らかの名称があった方が良いだろうから、言いたいことは分かる。木を伐るなども、それの応用だろう。
だが……。
「描いた?」
え、嘘だろう……あの油絵を? 立った今俺はアレを油絵と命名したが、描いた? 描いたって、描いた!?
「絵を描くのは、楽しい」
「そうか」
「……まだ下手だけどな」
嫌もう十分すぎるとお兄さんは思います。写真レベルで、凄いだろうよ、アレ。
もしかしてこの子……芸術神か料理神か建築神を狙っているんだろうか? 創作神か?
「その服も作ったのか?」
産まれた時は、黒い外套姿だった少年は、今シャツと黒ネクタイに、黒いボトムス姿だ。ちょっとファンタジーっぽい格好の俺は、場違い感があって、恥ずかしい。
「ああ」
小さく二度、時夜見鶏が頷いた。
「いつか、貴様の作った服を、纏ってみたい物だな」
格好良く言ってみたが、結構俺は、切実だった。
俺は、山を作ったり川を作ったりするのは好きだ。だが、これまで衣食住には一切拘ってこなかったのだ。衣は人間が俺に対して献上してきた、チャイナ服(俺命名)を着ていたし、食べなくても別に困らないし、住むところは一応木で建てたが、数年でゴミが溜まったので、最近帰る気が起きない。寝には帰るが。洗濯物と廃棄物が床から天井までを埋め尽くしていて、ベッドの上だけが綺麗なのだ。
だから格好いい服なんて、作りようがない。
「――いいのか?」
「?」
「着いてこい」
時夜見鶏が立ち上がった。何が『良い』なのか判断に困ったのだが、毛足の長い絨毯がしかれた廊下を歩き、俺は白い階段を上り、二階の一室に通された。見るからにフカフカしていそうなベッドがある。そこのクローゼットを開け、時夜見鶏が振り返った。
「着ろ」
「なに?」
「作っておいた」
声を失い、中に並ぶ衣装を、俺は呆然と見据えた。
天才が此処にいる。
「これは?」
必死に俺は聞いた。
「……服だ」
見れば分かる。見れば分かる。見れば分かるんだよ! そうじゃない、何故俺のサイズの服が並んでいるのだ。それも今着ているファンタジーっぽい物から、時夜見鶏が着ているものに似ている奴、他にもよく分からないが、なんか格好いい服が沢山あった。
「……別に良いだろ」
時夜見鶏の声で、俺は我に返った。動揺して汗が出そうだった。
「作るのは俺の自由だ」
そして恥ずかしそうに顔を背けた時夜見鶏を見て、俺は柄でもなく、母性(?)本能を刺激された。まぁ……色々なものを生み出してきているし、俺はチートハーレムを求めて男神になった(時夜見鶏の時は結局間に合わなかったのだ)が、母性もあるのかも知れない。
「有難う、時夜見鶏」
自然と浮かんできた笑みをそのままに、改めて少年神を見る。
すると端正な顔の少年は、気怠そうに夜色の瞳を揺らしてから、小さく頷き部屋を出た。
――残された俺は、このフカフカのベッドで寝ても良いと言う事だろうかと思案した。
別に良いか、俺は最高に偉い神だ。
もてなされて当然、うん。
俺は自分に都合よく考えるのが、基本的に得意だったから、そのままベッドに横になった。羽毛布団……これ、まさか、時夜見鶏の羽根じゃないよな?
そのまま俺は――そこに住むことにした。
時夜見鶏は出て行けとは言わないし、自動的に食べ物は出てくるし、服も出てくるし、掃除洗濯ゴミ出しも、全部少年神はやってくれた。ゴミ出しというのは、要するに分解だ。
何よりも、居心地が良すぎて、もう俺は、他に行ける気がしない。
が。
俺はこれでも、最高神である。
神界には、常に神々の座をつけ狙う≪邪魔獣≫が出るのだ。それらを討伐し、世界を平常化するのは、大切な仕事だ。嘗て、放って置いたら、人間界を滅ぼされたことがある。世界、とは、≪世界樹≫を土台にして産まれる。ある程度世界が出来たら、土が存在する人間界に定着することが多い。≪世界樹≫は、巨大な本体があり、そこの内部に、俺は生じた(ようだ、ヒゲとハゲが争っていた部屋だ)。そして≪世界樹≫には沢山の枝があり、その枝一つ一つが、新しい世界の土台になる。枝が一本で出来た世界もあれば、複数で出来た世界もあるし、定着後に増える場合もある。俺が作ったこの世界は、定着した≪世界樹≫がどんどん繁殖し、地表の悪意を取り込んで、定期的に≪種子≫として吐き出されるようになった。それが育つとそのまま≪世界樹≫という新たな≪樹≫になり、大層強くなる。また人間界においては≪眷属≫として強い力を持つが、神界……ヴァミューダとかだったかな、俺が付けた名前……では、その悪意が分散して、≪邪魔獣≫となる。
今のところ、退治できるのは、俺しかいない。
敬ってくれて良い、俺のことを。
ただ……守るべき物は、この神世界と、強いて言うなら時夜見鶏だけだ。
俺はシングルファザーの気持ちが分かった気もするが、家事全般をやって貰っているのだから、何とも情けない。
――さて、退治に行くか。
昼食に弁当でも頼もうか、嫌、もう朝だし、夜型の時夜見は寝ているだろうから、寝かせておくか、何て俺が考えていた時の事だった。
「何処に行くんだ?」
時夜見が珍しく起きてきた。朝なのにな。
「気にするな、お前には関係がない――私の仕事だ」
最近俺は、貴様ではなくお前と呼んでいる。時折、私という一人称すら崩れかけて、俺と言いそうになる。
「俺も……行く」
その言葉に、思わず眉を顰めた。危ないから駄目に決まってる。
「邪魔はしない」
腕を組み、俺は思案した。確かに、産まれた時、かなりの力を感じた。潜在能力は、本当に俺をも凌ぐ可能性がある。それに、正直な話し、≪邪魔獣≫退治は、面倒くさい。もし時夜見が覚えてくれたら、俺のぐうたら計画は、多大な進展を見せるはずだ。でもな……俺は、仕事を理由に家事全てを、時夜見に押し付けている。仕事を覚えたら、もう時夜見がご飯を作ってくれないかも知れない。それに、現在までには、攻撃する姿を時夜見は見せてはいないが、もし攻撃好きになり、俺を消滅させる気にでもなられては困る。逆に運悪く、強力な≪邪魔獣≫に遭遇して、時夜見が消えてしまうのも、今となっては哀しい。どうしたものだろう。基本的に物事をあまりじっくり考えない俺にしては、珍しく深く悩んだ。最終的には、家事と≪邪魔獣≫討伐が楽になることを天秤にかけ、俺は決断した。
「時夜見、お前はまだ若い。どうしても来るというのであれば、今後もしっかりと家事をしろ。自分の土台をきちんと形成出来もしない弱者が相手にするには、厳しい敵だ」
要するに、両方やれ、と俺は思った。
それがいいではないか。
「……分かった」
素直に時夜見が頷いた。子供って素直で良いよな。疑うことも知らないし。
「そうか。ならば着いてこい」
俺はそう告げ転移した。そして、転移なんて俺も、この世界で2000年くらいしてやっと使えるようになったんだったことを思いだした。時夜見は、まだ1000歳にも満たない。まずい、転移は流石に出来ないだろうから、一度戻ろう――そう決意した瞬間、俺は荘厳な夜の気配に包まれた。
チラリと視線だけで横を見れば、俺の隣の宙に浮いている時夜見がいた。
追尾して転移された、その上、風魔法(俺も最近魔法と呼ぶことにした)で、一時的に空中で動きを止めている。
「……あれか」
時夜見が、前方を、退屈そうな顔で眺めていた。
そこにいたのは、俺が三撃くらいで倒すことの出来る≪邪魔獣≫だった。これでも俺は、最強神なので、本気でやると神界が瓦解してしまう。そのため、いつも力を制御しているのだ。
「ああ」
「倒すのか」
「そうだ」
五体もいる。困ったな、一体だけ、相手にさせてみるか。
そんな事を考えていると、時夜見の力が増した。呆気にとられて、それを凝視してしまう。
「≪夜壊線≫」
淡々と時夜見が呟いた。
瞬間、空が唐突に夜になり、いや夜ですらない、闇だ。
月も星も、何もかが闇のしとねに囚われ――そしてそこから、無数の光が降り注いできた。オーロラで出来た円柱に見える。それにしても、今の呪文……俺がこの世界に来る前に、多分この世界に暇つぶしにやってきて、飽きて帰ったのだろう、どこかの神が残していった魔術書に載っていた気がする。ひでぇ名前、って笑った覚えがある。が、いや、あんな威力があったのか……!
目の前では、≪邪魔獣≫が五体全て、消滅していた。
はっきり言って、冷や汗が出てきた。
もし時夜見と喧嘩したら、まずいな。でもなぁ……俺も父親(?)として、褒めるところはきちんと褒めないと。
「……他は?」
「もう終わりだ。よく頑張ったな、時夜見鶏」
「……」
不服そうな顔で、時夜見鶏が俯いた。やはりこれだけ力があるのだから、もっと戦いたいのだろう。だが、無理に戦わせて、俺より強くなられたら困るぞ。
「聖龍」
「なんだ?」
「俺が弱いから……弱い敵を宛がってくれたのか?」
その言葉に、うわぁなんだこの可愛い生き物は、と思った。
俺にはそんな力はない。だが、きっと俺が強いと思ってるんだ、時夜見。夢は壊さない方が良いよな。吹き出しそうになるのを堪え、俺は威厳を保つことにした。
「強くなれ、時夜見。私はいつでも、見守っている」
うーん、この言い回しじゃ、まるでその内死ぬみたいだ。
「攻撃力が弱い事と、心根が弱い事はまた別だ。安心しろ、そう言う意味では、お前は強い。なのだから、これから、精一杯努力しろ」
こんな感じか? なんか、それっぽいだろう。ちょっと良いことも言っているしな。
それに俺はこれから面倒な戦いは回避して、全部時夜見にやって貰うつもりなのだから、いかにもこう、師匠やら兄貴分やら、そう言う姿勢を貫いた方が良い。家事も出来るフリをしようか……でも俺できねぇしな。
「帰るぞ。早くお前の料理が食べたい。今日は……時夜見の討伐を祝して、祝いをしよう。良い酒をあけるか」
これだけ言えば、豪華な食事も出てくるだろう。俺は、気分が良くなった。
その頃までに俺は、ラ・フランスとイタリ・アとワコクとタイラン・ド等の人間の国を作り、時夜見の料理をフレンチ・イタリアン・和食等と勝手に名付けていた。年齢的にはとっくにクリアしているのだが、酒は中々貴重品なので、俺は、時夜見鶏の外見を理由に飲んでは駄目だと少年神に言い聞かせてきた。俺が飲む分が無くなると困るからな。
だが、良い酒をあけるか、と言った俺を、帰宅してすぐに、時夜見が地下へと連れて行った。そこには琥珀色の、何とも香しい匂いが漂っていた。
「これは?」
「酒だ」
「酒……どうしたんだ?」
「作った」
もう俺は、時夜見が何を作っても、驚かないことにした。
そして自作できるなら良いかと、その日以来、時夜見鶏に飲酒を解禁した。
それから五百年ほど経った。
いやぁもう、時夜見鶏さまさまである。
俺はもう何百年も、討伐に出ていない。
日がな一日ベッドの上で、時夜見が作ったお菓子を食べている。人間界も徐々に発展を見せ、様々な書籍が発行されるようになった。基本的に活字嫌いの俺だが、こうも暇だと、読みもする。特に俺の英雄譚とか。流石は俺だ。凄い、格好いい。
時夜見は忙しいらしく、最近では、あまり帰っては来ないので、机の上に勝手に食事やお菓子が用意されるようになった。最上級の時空魔法だ。最早、俺には使えないレベルだ。恐らく、本体になれば使えるが、平常時モードなら、絶対的に無理だ(その後一億年くらい経過したら使えるようになったけどな)。
そんなある日だった。
「聖龍――……!!」
入ってきた時夜見が息を飲んだ。
まさか、時夜見でも苦戦する≪邪魔獣≫が出た訳じゃないだろうなと、俺は嫌な気分になった。焦燥感が浮かんでくる。
「……」
呆気にとられたような顔をしたまま、時夜見が俺を見ていた。
何か俺に言いたいことでもあるのか?
あったとしても、俺はもう、≪邪魔獣≫退治の宛にされても困るんだけどな。はぁ。子離れの時期かなぁ……。
「……どういう事だ?」
「何が言いたい?」
威厳だけは込めて尋ね、俺は唇の片端だけを持ち上げた。
「掃除……しなかったのか?」
泣きそうな声で、時夜見が言った。
「……」
俺は、作り笑いを浮かべるしかない。それとなく、威厳がありそうな意地悪な笑みを消し、相手をうかがうように、引きつった笑みを浮かべた。
「……洗濯も……ッ」
涙目になった時夜見が、床に散乱している俺の服を拾い始めた。だってねぇ。怠惰を求めて世界を作った俺が、掃除なんて言う高等技法を持ち合わせているわけがないだろう。≪邪魔獣≫退治より、困難だ!
「風呂には入っている」
「……そうか」
「食事も取っている」
「……ああ」
「時夜見……どうして俺が、こんな事をしたか分かるか?」
最早、俺の一人称は、『俺』になった。
「?」
本気で切ない顔をして、まだ少年姿の時夜見が、こちらを見た。
「最近のお前は、戦ってばかりで、家のことをおろそかにしている。俺は、土台をきちんとしろと、教えなかったか?」
ちょっと苦しい言い訳かなぁと思いつつ俺は言った。
「……っ」
しかし俺はこの数百年で、時夜見が基本的に俺には反論しないことを知っていた。そして、純粋で、子供だって事も。騙されやすいのだ。後は――押しに凄く弱い。
「お前の顔が見られなくて、俺は寂しかったぞ」
「!」
「さっさと掃除をしてくれ、時夜見。久しぶりに、一緒に食事をしよう。食事は、一人で食べるよりも、二人で食べた方が美味しい。違うか?」
最後に俺は、ちょっと良いことを言った。大抵これで、時夜見は、頷く。
「……ああ。分かった」
やっぱり頷いた。俺、結構良い下僕を手に入れたな。あ、つい本音が。下僕――じゃない、大切な子供(?)……いや、俺が産んだ訳じゃないしな……兄弟(?)、うーん、友達?
何はともあれ、時夜見鶏に家事を押し付けた俺は、まだ俺が汚していないため綺麗な応接間へと行き、再びお菓子を食べることにした。
しかしまぁ、少しは手伝おうかと思って、俺は、宮殿脇の倉庫を開けた。
「なんだ、これは」
よく分からなかったが、大量の黄緑色の小箱があった。十個ほど開けてみたが、全部銀色の輪っかだった。まぁいらないだろうと思い、俺はぽいぽい捨てた。とりあえず人間界に。だって計一億個もあったのだ(神様能力でカウントした)。続いて、隣の倉庫へ行き、今度は大量の服を見つけた。うん、なんかこれは、可愛かったり格好良かったりするから、一応取っておこう。でもな、目的は掃除だしなぁ。と言うことで、そちらは神界の一角に木造の家みたいなモノを作って、全部放りこんだ。
「……聖龍」
「なんだ?」
一通り片付け終わった頃、時夜見鶏がやってきて、倉庫の中を見て哀しそうな顔をした。
「捨てちゃったのか?」
あ、なんか、やばかった? 焦った俺は、思案した。そこで、遠くを見ているような顔で、口元には穏やかな笑みを浮かべてみる。
「大人になるためには、時に必要なものであっても、捨てていかなければならないんだ……」
「……そうか」
時夜見鶏が俯いたまま頷いたのだった。
以来時夜見は、きちんと帰ってくるようになった。
≪邪魔獣≫退治も、どうやら俺は知らなかったが、出現する度に消滅させていたらしい。俺は、強いやつ以外は放っておいたし、強いのが複数群れるまでは知らんぷりをしていたのだが、几帳面な奴だ。しかし家事があるので、最近は週に一度ほど集中して時夜見鶏は討伐に出るようになった。
そんなある頃から、時夜見が、討伐以外でも、家を空けるようになった。
家というか、城というか、宮殿的なものだけどな。
何をしているのか、流石に俺も気になった。人間、あるいは寿命の長い魔族と恋に堕ちた、等の現実があると、非常に困る。いったい時夜見が家事をしてくれなかったら、誰が俺の食事を作るというのだ。絶対に反対だ。
と言うことで、俺は時夜見の後を付けた。気配を消すことぐらいは、俺の方が時夜見よりもまだ上だ。何せ、人間同士が乳繰り合っている様を鑑賞したりするには、気配があるとまずいしな。やばい、乳繰り合ってる、とか。俺も、人間界に毒されてきてるな。
時夜見はと言えば、微笑んでいた。
俺は少し、衝撃を受けた。
未だかつて、時夜見が俺を見て笑った事などあったか? 嫌、無い。
なんだかイラッとしつつ、俺は、何を見ているのか探った。
するとそこには、猫がいた。
傍らには、割れた卵がある。
……え? 俺、あの猫が弱すぎて(いや、時夜見の強い気配に慣れきっていて)気づかなかったようだが、新しい神が、産まれている。なんだと!?
まだ人型は取れない様子だが、羽の生えた猫がいた。白い羽だ。その羽が動く度に、きらきらと星が舞っている。
「何をしている?」
流石に新神を放置しておくのは、まずいよなぁと思って俺は声をかけた。
「……別に」
俯きながら、時夜見が言った。
「……別に、別に、何もしていない」
そして俺の視線から遮るように、羽つき猫の前に立った。
「……」
どうやら、まだ俺が、何も見ていないと思っているようだ。
「時夜見鶏、隠しても無駄だ」
「っ、コイツ……何も悪いことしてない」
悪いこと?
まさか、邪悪な神なのか?
思わず眉間に皺が寄った。邪神と時夜見鶏がタッグを組んだら、確実に俺の方が、ダメージを受ける。最近俺は、暇な時に、水鏡で眺めながら、時夜見鶏の攻撃威力を『打』という形式で判別している。他に体力と力を使うと消耗する『ナニカ』もカウントしている。『HP』と『MP』だ。確実に、今俺は、時夜見鶏の能力で不意打ちされれば消されるぞ。
「≪邪魔獣≫だって……生きてる」
しかし続いた言葉に俺は驚いた。そうか、俺しか他の神を見た事が無いから、時夜見は、産まれた新しい神を、≪邪魔獣≫だと思っているのか……!
あービックリした。なんだか一気に力が抜けた。
「時夜見の言うとおりだ」
「……そうか」
俺の言葉に、安堵するように吐息してから、時夜見が優しい目で猫神(仮)を見た。なんかムカツクな。新神の分際で、俺より愛されてないか、アレ。
「じゃあ、家においても良いか?」
「駄目だ」
「……何故だ?」
「生き物を育てるというのは、そのものの人生全てを背負うという事だ。まだ子供のお前には、その資格はない」
「なッ」
「世話が出来るのか? 世話の仕方が分かるのか? 動物を飼うことを簡単に考えるな。貴重な命なんだからな」
威厳たっぷりというか、内心の苛立ち紛れに俺は言った。まぁここまで言えば、時夜見ならば折れる。さっさと諦めろと俺は考えていた。
「世話、する! 俺……世話する!」
が、珍しく(いや寧ろ初めて)時夜見が、反論した。
反抗期、か、これが!
俺は、笑ってもらえないのも哀しかったが、普段怒りも俺に見せない時夜見の姿に、なんだか嬉しくなった。どうしよう、楽しい。
「いいだろう」
俺がいやみったらしく笑うと、時夜見が唾液を嚥下したのが分かった。
「名前は――そうだな」
そう言えば、俺、神様を名前付ける役目も持っているんだったな(ちなみにこれ以後俺はその仕事を忘れさったけどな)。しかし、困った。時夜見は喋れたが、先ほどからこの猫(仮)は、にゃーにゃー言っている。とりあえず、猫いりの名前だな。どんな能力があるんだろう。これでも俺には、最高に偉い神様なので、力の弱い相手であればそれが分かる(というより、生まれた直後の時夜見鶏の能力が強すぎて、時夜見の場合だけは分からなかったのだ)。
幾星霜に渡る歴史を記録できる――本人が、暦の生き字引って事か。
「暦猫星霜にしよう。暦猫だ」
「か……飼って良いのか?」
「時夜見がそうしたいのならな。俺は止めない。きちんと世話をするんだぞ」
なんだか照れくさかったが、俺は時夜見の髪を撫でてみた。思いの外、柔らかかった。
すると時夜見が、俺に向かって満面の笑みを浮かべた。何これ、可愛い。やっと笑ってくれた。
「有難う」
時夜見の言葉に、何度か頷き、俺は室内へと戻った。
そして――ここ数百年、本気で失敗したなぁと思っている。
「ニャァ」
相変わらず時夜見の前で、この猫は鳴く。
しかし時夜見が討伐に出ると、人型になり、俺をせせら笑うのだ。
「貴方も討伐に出かけたらどうですか? この無職がっ、フフ」
暦猫は、性根が悪かった。腹黒かった。最悪である。
「貴様こそ、いつまで人型が取れないフリをしている気だ?」
「時夜見が気づくまでです。そうしないと、一緒の布団で眠れませんので」
「バラしてやる」
「何回も貴方、バラしたでしょう? その時、時夜見が信じたのは、貴方と私のどちらです?」
「くっ」
息を飲み、俺は舌打ちを誤魔化した。
確かに、俺が暦猫の正体をバラそうとしたり、悪い方面の事を言うと、大変哀しそうな顔で時夜見が俺を見るのだ。やっぱり、暦猫を飼うのは駄目だったのか、等と言いながら、泣きそうになるのだ。すごい……ムカツク。むかつきすぎて、笑えてくるな流石に。
「時夜見がいない間に、捨てるぞ」
「そんな事をしたら、時夜見がどんな顔をするか」
「……んー、あー……」
そこで俺は思いついた。暦猫を捨てられないんなら、俺が家出してみるか。
時夜見鶏、探しに来てくれる、よな?
仮に来なかったとしてもだ、泣きくれた日々を送る(よなぁ、流石に)。そしてそんな時夜見を見たら、慰めたりするために、コイツも姿を人型にして、言葉を話すんじゃないか? 良い考えに思えてきた。
それに最近、俺は土地などを生み出していない。
他の神々もついでに生み出せば、相対的に、現在三人しかいないから価値が上がっている暦猫の評価も下がるかも知れない。そうだ、可愛い犬でも作ってやるか。
「おや、どちらへ?」
銀髪を揺らしながら、暦猫が言う。
神の外見年齢は様々だから、寧ろ暦猫は、俺に近い年齢に見える。
そうだな、時夜見が今、ギリギリ二次成長を迎え始めた十代半ばくらいの見た目だとすると、コイツは二十代前半だ。ちなみに俺は、二十代後半にさしかかったくらいの見た目だ。初めからこの姿だったし、不老不死のような物だから、俺はもう成長しないだろう。
どうやら二十代半ば前後で、神の外見年齢は止まるらしい。
「貴様には関係ない」
俺は暦猫にそう返し、移動魔法で姿を消した。
その内に、俺は、まぁ簡潔に言えば、ヤリ神と化した。
とりあえず犬が生まれる卵を作り、その後は神世界の一角に自然と生じた強い力から、もう一つ卵を作った。此処までは、比較的本気だったが、後はもう、適当だった。
人間を相手にしたり魔族を相手にしたりしつつ、山や川などに自然発生した精霊と交わったりもしながら、それはもう、ぎょうさん神々を作った。体を重ねて作るよりは、本体同士でぶつかり合いその時の衝撃で卵を作る方が圧倒的に多かった。何故なのかそれ以外の方法で、俺が本気で子供を愛そうと思って作ると、母親側の種族として産まれて、皆短命だったのだ。
辛い、辛かった。
だから俺はもう、子供は、神の力で生み出すに止めて、かつ飽きて、神界へと戻った。
戻ってから、住む場所が無いので、時夜見の所に行こうかと思ったが――ふと思い出した。
そう言えば、一度も探しに来なかったな。
さらには、神界には、時夜見がいるというのに、≪邪魔獣≫が溢れかえっていた。
俺がいない間に、一体何があったのだろう。
そんな事を考えていた時、時夜見鶏がやってきた。
「……聖龍」
「……なんだ?」
今更謝っても遅いからな、てめぇ。そんな心境だ。
「暦猫から聞いていた。聖龍が、新たな神々を生み出すための神聖な仕事をしていることは」
なんだと? そんな仕事、してないぞ(いや二回だけやったが、残りはただの、ええと、要するに、溜まってたから排出したんだ)。不可抗力だ、ただの。
「聖龍がいなくなってから少しして、魔力が満ちて、暦猫は人型をとれるようになったんだ」
魔力というのも、本体の力を説明するために、呼称しているのだろう。
しかしなんだその、いきなり人型を取れた感じ。
まぁ……時夜見鶏なら、人(神)を疑わないし、信じたんだろうな。
「俺を信用して……≪邪魔獣≫退治を任せてくれて、それで安心して子供神を産み出したんだとも聞いた」
何て都合が良い――俺は決めた、暦猫は信用してはならない。
「……でも俺は、期待には応えられなかった」
確かに周囲には、≪邪魔獣≫の気配が溢れている。時夜見なら数分で一掃できそうなのに、不思議だった。
「聖龍が前に――貴重な命だって言っていたのを思い出すと、俺は、殺せない」
思わず言葉に詰まった。
そう言えば、そんな事を言ったかも知れないが、俺ですら記憶が曖昧なのに……! なんて優しいんだ。時夜見――!!
「時夜見鶏――命には、始まりと終焉がある」
「……ああ」
表情こそ変えないが、時夜見は苦しんでいるのだろう。
「確かに命は平等だ。だが、他者の命を奪い、他者に害を与える物を放置することは出来ない。それは、分かるか?」
「……分かる」
「誰かが手を汚さなければならない。違うか?」
「……」
「お前が産まれる前は、私は一人で、そうしてきた」
「聖龍……」
「苦しむのは分かる。ただな、神界を統べる者として私は、皆を守らなければならない」
久方ぶりに俺は威厳を演出した。
「しかしお前にだけ、その責務を負わせたのは酷だったな」
言いながら、そういや、神様が増えすぎて今、神界も大混乱なんだろうなぁと思い出した。
「――これからは、皆で戦おう。私はその為に、軍を作る。力になってくれるか?」
「……分かった」
このようにして、<鎮魂歌>が生まれる事となった。
名称は、時夜見鶏が使っていた魔術書の、第四章のタイトルから拝借した。意味はよく知らないんだけどな、なんか格好良さそうだったからな。
しかし、それにしてもだ。
とりあえず、暦猫星霜とは話を付けなければ。
アイツ、純情な時夜見鶏に、何を吹き込んでるんだよ。イライラした。
「おや、お久しぶりですね。帰ってきたんですか」
暦猫は、さも自分の家だという顔で、応接間のソファに深々と背を預け、面倒くさそうに俺を見た。いや、此処は俺の家だぞ……いやいやいや時夜見鶏の家か。
「時夜見から聞きましたよ、軍を作るそうですね」
「ああ」
「ですが、本当に貴方も人(神)望が無いですね」
「どういう意味だ?」
「現在、貴方と時夜見以外のメンバーがいないんだとか」
嘲笑するような暦猫の姿に、俺の笑顔は引きつりそうになった。
無職ばかりの神界だから、すぐに人手は集まるだろうと思っていたのだが……流石は俺が生み出した神々。みんなやる気が欠如している。
「貴様を誘う気はないぞ」
ただどーせコイツは入りたいんだろうなぁと思いながら、俺は冷淡な声で告げた。
間違いなく暦猫は、一日の内の約半分であっても、時夜見鶏から離れるのが――そして俺と時夜見が一緒にいるのが気にくわないはずだ。絶対誘ってやらない。
「結構ですよ、別に。第一、私を誘いたいんであれば、それ相応の職場を用意していただかないと。そうですね、この宮殿よりは最低限立派なものを。尤も、貴方に用意できるとは思えませんがね、超越聖龍」
「なんだと?」
売り言葉に買い言葉、みたいな状況なのは分かる。が、確かに俺には用意など出来ない。
「まさか貴方が、こんな宮殿を建てられるとは思いませんでしたよ。誰にでも一つくらい特技はあるのですね」
ん、何の話しだ? いや、この家建てたの、時夜見だぞ。何か勘違いをしているのか。
「貴方が神界で初めて、建築を行ったそうですね。その後も、増改築に当たっては、貴方が指揮を執ったのだとか」
確かに俺は、掘っ立て小屋を建てて住んでいた。あれは自作だ。この神界初だろう家だと言えなくもない。それにこの宮殿(?)を増改築する時は、時夜見にあれこれ指示を出していた。よりぐうたら出来る快適な空間を目指した結果だ。しかしながら、俺は希望を出しただけである。
そのくらい――この性格がねじ曲がっている暦猫にも推測できそうだ。
あ。
まさかコイツ、実は俺に戻ってきて欲しかったんじゃねぇの?
可愛いところ、あるじゃん。
「なるほど。相応の職場――宮殿を用意すれば、働くんだな」
「ええ、良いでしょう」
「その言葉、忘れるなよ」
それに同じ職場だったら、イヤミとかイヤミとかイヤミとか、言えるしな。何せ上司は俺だからな。気晴らしにも丁度良い。思わず俺は喉で笑った。
そんなこんなで、≪邪魔獣≫討伐を再開した時夜見を、俺は探した。
一段落した様子で、次第に商店街なども、できはじめた神界の通路にいる時夜見の姿を発見した。本当――人形みたいに、端正な顔だ。
「何をしている?」
石段に座り込み、何かを手に、ぼんやりとしていた時夜見が顔を上げた。
「愛の三十人キス計画」
ポツリと時夜見がそんな事を言った。
「聖龍も、キスしたことあるか?」
首を傾げた時夜見に真顔で言われ、俺は硬直しそうになった。
そりゃあ、ある。俺は、下半身がユルユルだと、これでも自覚している。恐らく時夜見は、詳しく神産みのことなど知らないから、純粋に聞いているのだろう――が、なんだその、不穏な計画名は。
「……ま、まぁな」
答える声が震えてしまった。
「頬や額に唇を押し付けると、その……子供が出来るのか?」
「嫌、無い。出来ない」
反射的に反論していた。するとよく分からなそうな顔で、時夜見鶏が頷いた。
「じゃあ子供はどこから生まれてくるんだ?」
「あ、頭からの場合が多い」
嫌でもこれは、人間の場合か。だけど、股から出てくるとか、こんな純粋な時夜見鶏に、俺は説明できなかった。それに神様同士というのは、まだ俺にも経験がない。
「時には、頭が逆さに出てくることもある――どうしたんだ、いきなり。案ずるな、お前は鶏が本体だから、きっと卵だ。コウノトリが、運んでくるんだ」
「……さっき、声をかけられた。計画のために、キスしろって」
「なんだと?」
俺は顔を引きつらせた。確かに、確かにだ。見た目はもうこれ以上ないってくらい、時夜見は、綺麗だ。少年特有のアンバランスさを持ち合わせている。俺は男もイけるが、少年愛は、イけない。もしイけてたら、確実に、時夜見は何か孕んでる。違うんだ、俺の中で時夜見は、聖域なんだよ!
その聖域を、誰かが汚したというのか? 誰だ? 嬲って消滅させちゃおうかな。
「それで、写真ていうのを撮ったんだ。これだ」
「……っ」
見れば、そこには、時夜見に勝るとも劣らない実に愛らしい少年(?)か少女(?)が映っていた。こちらもまた、非常に非常に綺麗で、最早性別の判定すらつかない。時夜見が、金色の巻き毛のその子の白い頬に、目をつぶって、チューしようとしている。
「この後、キスしたのか?」
「いいや。子供が出来ても、俺も子供だからまだ育てられないと思って、しなかった。そうか、キスじゃ、子供は出来ないのか」
「ああ」
ああ……っ、やっぱり可愛いなぁ、時夜見。
「その後は、この子が、俺を道に立たせて、『キスしたくない?』って道いく神々に声をかけて、なんだか赤い顔になったように見える神々がやってきたんだ」
「――何?」
「絶対俺の方が年上なのに。みんな俺のこと、子供だって言うんだ。失礼だ」
「失礼というか……なんだと? そ、それで?」
「その後、この子が別の誰かを連れてきて、その人達同士でキスさせてた。俺と違って、ちゃんと」
「ほう」
「それで写真が三十枚になった時、この子が言ったんだ。俺がいると、写真の素材になる人がいっぱい釣れるって。魚類の神様だったのかな? 赤くなってたから、赤い魚の神かな?」
「……確認事項は二つだ。一つ、お前は誰ともキスしなかったんだな?」
「当たり前だ。暦猫が、キスしたら子供ができるって言っていたからな。だから誰ともキスしちゃ駄目だって」
たまには良いことをするんだな、暦猫も。
「もう一つは、その、最初にお前にキスを迫った相手の名前は?」
「ああ、愛犬天使って言ってた」
「犬………か」
俺は最高神なので、この世界にいる神々のことなら、ちょっと意識すれば誰でも分かる。嗚呼、自分の蒔いた種だったよ。俺が暦猫への仕返しに産まれろと願った、あの犬だ。
ということは、もう一匹もどこかに生まれてるな、これ。愛犬がこれなんだから、もう一人までそうだったら困る。サーチしてみると……空神だった。幸い、まだ幼児(神)みたいだから、放って置いても大丈夫だろう。
「時夜見」
「……なんだ?」
俺の引きつった顔を見て、怒っているのかという風に、時夜見が首を傾げた。
「知らない人(神)には絶対について行っちゃ駄目だ。いいな?」
「……ああ」
俺の気迫に気圧されたのか、おずおずと時夜見が頷いた。
それを確認し、安堵してから、俺は本題を思いだした。
「所で、本題だ」
「?」
「実はお前に、宮殿を造って欲しいんだ。<鎮魂歌>のな」
「俺が……?」
「ああ。お前の腕前を、信頼している」
俺の言葉に、時夜見が嬉しそうに頷いたのだった。
その後暫く経った。
「聖龍」
呼び止められた俺は、俺自身も≪邪魔獣≫退治に復帰していたので、少しだけ疲れながら、時夜見を見た。
「どちらが良い?」
何の話しだろうかと視線を向け、俺は絶句した。
そこには、さも古から聳え立っている風の宮殿と、何もかも最先端と言った形の外見からしてアヴァンギャルド(古いか、この表現)な宮殿(? なのか、こ、これ)が建っていた。
「新旧両方作ってみた。好きな方を使ってくれ」
俺の答えにドキドキするような目で、時夜見が頬を持ち上げた。
「ああ、じゃあ、両方で」
「両方?」
「ああ」
駄目だ、俺には、どちらか一つなんて選べない。時夜見のこの無駄すぎるとも言える才能が怖い。
「分かった。暦猫が言うには、引っ越しもした方が良いらしい」
――引っ越しだと。
まさか、アイツ、俺を追い出す算段だったのか?
「そ、うだな。時夜見も一緒に暮らそう」
「俺も?」
「ああ。勿論前の家は自宅として良い。ただ、軍が落ち着くまでは、側に待機し……私と一緒にいて欲しい」
「そうか」
何の疑問も持たずに頷いた時夜見を見て、俺は安堵した。
このようにして、正常化機関<鎮魂歌>は活動を開始した。
しかしながら、TOPにいる俺、文官的な雑務をする暦猫、武官的な雑務をする時夜見鶏の三人(神)しかいなかった。
「……まさか本当に宮殿を建てるとは」
普段仕事をしている、旧宮殿で時夜見鶏が仕事へ出かけたのを見送った後、残された俺と暦猫は執務室にいた。時夜見鶏が淹れるお茶には叶わないが、恐らく暦猫の淹れるお茶は神界第2位だ(ここには3人しかいない上、3位は俺だ)。ちなみに旧宮殿というのは、あくまで見た目の話しである。どちらの宮殿も同じ日に完成したらしい。
「流石は最高神ですね」
褒められて悪い気はしない。しかし当然だという顔をして、俺は余裕のフリをした。
「貴方が数多の神々を生み出し神界に戻ってから、街ができ、市街も活性化しています」
「そうか」
「そろそろ通貨を制定した方が良いでしょうね。現在の物々交換では、限度があります」
「そうだな」
面倒くさいが、暦猫はそういう仕事が好きらしいから、押し付ければいいだろう。
「通貨の単位はどうしましょうか」
神だし、GODとかで良いだろう。
「ゴーっル、ドで良いだろう」
適当に考えていたら、俺は舌を噛んだ。あんまり滑舌良くないんだよ。
「ゴールドですね。略字表記はGにしますか。貴方から、まともな案が出てくるとは……」
その様にして、通貨の単位は決まってしまった。
そこに、時夜見が戻ってきた。
「――はぁ、それにしても、人間界のように、金貨・銀貨・銅貨では、管理が面倒ですね」
丁度暦猫が呟いた時だった。
「まぁ神は、」
持ち運ぶ手段も数多あるだろう、と続けようとしたら、勢いよく暦猫が机を叩いた。行儀が悪い。時夜見が真似したらどうするつもりだ!
「紙ですか。紙幣! なるほど!」
え? 暦猫、どうしていきなり興奮し始めたんだ?
訳が分からず、とりあえずまぁいいかと思い、俺は時夜見を見た。
俺は時夜見が帰り次第、なんかこう格好いいTOPにいる俺の認め印のデザインをして貰うつもりだったのだ(勿論、作るのも時夜見だ)。
「時夜見、デザインして、作ってくれ」
「……ああ」
いつもの通り頷き、時夜見が踵を返した。あ、何をデザインして欲しいのか、言うのを忘れた。後で言おう。そんな時夜見鶏の後を、何故なのか全力疾走で暦猫が追いかけていった。
「いかがでしょうか」
数日後、俺は執務室で、ポンポンポンと判子を押しながら、顔を上げた。
流石に時夜見は、センスが良い。
「これが100万ゴールド、こちらが50万ゴールド、これが1万、5000、1000ゴールドの紙幣です。更に細かい500G、100G、50G、10G、5G、1Gは硬貨にしました。50万と1万には多大な額の差がありますが、標準的な使用率を考えると、これが適正です」
興奮したように、暦猫が俺の前に紙や何らかの鉱物(?)を並べた。ただ一つ分かるのは、どれにも意匠が施されていて、こんなに芸術的なのだから、時夜見の手が入っている事だ。
「好きにしろ」
俺はよく分からないからそう言いつつも、多分、貨幣なんだろうなと思った。
貨幣ができたと言うことは、今後給与も払わなければならない。
ただ、現状では、こちらで勝手にお金を作っているのだから、今ならばいくらでも作ることが可能だろう。その内に、早いうちに、軍に入ってくれる神を見つけないとな。
「暦猫」
俺が告げると、暦猫が顔を上げた。
よく見れば、中々綺麗な顔をしている。猫そっくりの瞳とか、綺麗だ。
ただ何とも言えない、プライドが高そうな気配がまとわりついている。
ただし時夜見鶏のように、畏怖するようなものではない。
多分俺はこの頃になると、懐かない猫を相手にする気持ちで、暦猫を見ていたのだろう。
懐かない猫って、何か良いよな。
たまに甘えてきたりすると、キュンとするだろ。
「そろそろ本腰を入れて、勧誘を強化しよう」
「ええ。特に医学知識がある者は必須ですね」
頷いた暦猫を見て、嫌なことを思い出してしまった。基本的に怪我をするのは、俺か時夜見だ。この世界で現在、一番治癒能力が高いのは俺だ。何しろ俺が死んだら世界は滅亡する。代わりに一番攻撃力が高いのは、最早紛れもなく時夜見だが、元々体の怪我に無頓着なのか、怪我をしても何も言わない事が多い。手当自体も、本人が自分でやるか、時夜見と一緒に暮らす内に覚えた暦猫がしている。俺はいつか時夜見が、とんでもない怪我を負って生死を彷徨うのではないかと不安だった。
この俺を、どんな神でも再出現させられる俺を、不安にさせるのだから大した物だ。
だが再出現させる事がいくら出来ても、もう今の時夜見とは違う存在になる。
俺は――多分、今の時夜見だから、側にいると安堵するのだろう。今の時夜見じゃなきゃ駄目なのだ。中身が違ったらもう、それは時夜見じゃない。
そんなこんなで、時夜見も交えて、俺達は勧誘活動をする事になった。
時夜見を交えたのは、怪我をしたのが気配で分かったため、念話で勧誘業に尽力するように通達したからだ。
結果――……三日後、時夜見が5000人(神)も連れてやってきた。
「はじめましてっ、聖龍様」
「……貴様が、愛犬天使か」
本体が犬であるのを察知し、そして本体には暦猫によく似た羽が生えているのを関知しながら、俺は笑顔が引きつりそうになった。
無表情の時夜見の腕に両手を絡め、そこでは綺麗な少年が微笑んでいた。
しかしながら少年を愛好する趣味がない上、少年同士の絡みにも興味がない俺には、ただソレが、不愉快だっただけだ。
コイツが、コイツが――愛の三十人キス計画などという訳の分からん計画の実行者か。
こめかみに血管が浮きそうになる心境とは、こういう事かと、俺は笑顔を引きつらせた。
「医者も兵士も揃った」
淡々と時夜見が言う。
「身元も確かですッ」
愛犬が、額の前でピースした。俺は中指をたてた。指と指の無言の戦争の開始だった。
「根拠はなんだ?」
俺の問いに愛犬天使が、僅かに頬を染め、両手を顔に当てた。
「いやだなぁ、体で確かめたに決まってるじゃありませんか」
確信したのだ、俺はその時。俺がヤリ神だとすると、コイツはヤリマンだ。ちなみにマンは、その、女性型の秘所ではなくてMANだ。ただし雰囲気で、どちらが下か上か分かる俺は、コイツはつっこまれる側だと確信した。ホモ。ホモだ! 別に俺もどちらでもイけるとはいえ――まさか、時夜見に手を出していないだろうな? 俺は気づけば険しい顔をしていた。
「まだ……足りないか?」
すると不安そうに、時夜見が言った。
「いや、十分だ……」
十分なんだけどな、おい! ふざけるなよ、時夜見は駄目だからな!
「良かった。少しは役に立てたか?」
すると、はにかむような顔で時夜見が言った。うわぁ……苦しい。俺は、時夜見を悲しませるようなことは言えない。だってな、最早、息子同然なんだ。最近は、前よりも少しだけ、時夜見の表情変化が俺には分かるようになってきたから、尚更だ。まぁ一見すればただの無表情なのだろうが。
「ただし、<鎮魂歌>で働く以上は規律正しくしろ。職場内恋愛は認めない。愛だの恋だのにうつつを抜かす暇があるなら、働け。良いな?」
手を出すなよ、時夜見に手を出したらぶっ殺すからな、本当消滅させるからな、と思いながら俺は愛犬天使を睨んだ。睨め付けた。睥睨した。
「聖龍、ソレは無理だ」
「なっ」
しかし思わぬ所から、なんと、時夜見から反論が返ってきた。
え、嘘……もう惚れてるのか!? お父さん(?)認めないからな!
「愛犬がいないと、みんな辞めるって言ってる。そして愛犬は、毎日誰かと体を重ねないと、死んじゃう病を患っているから、毎日違う人と恋をしないとならないそうだ」
なんだその理屈は! そんな病神界にあるわけ無いだろ! このヤリMANビッチ!
「そうそう。俺の恋人日替わり何で。あ、聖龍様。ご安心下さい、僕『も』少年趣味は無いんで」
なんだと、なんだよ、今の『も』って……!
「俺、オッサン趣味で、外見、人間で言うところの三十後半からしか基本受け付けないんです」
愛犬天使と言ったな、貴様の嗜好や性癖になどまるで興味が無いからな!
と、言いたかったが、俺は鼻で笑うに止めた。
このようにして、兵士も増え、貨幣の流通も始まり、一時神世界は平穏になった。
話してみれば、暦猫も愛犬も、第一印象よりは、悪い奴では無かった。
暦猫は、最初に優しくしてくれた、だとか理由があるのかは知らないが、なんだかんだで時夜見のことを思って行動している。
そして愛犬は、いつの間に仲良くなったのかは知らないが、時夜見の初めての『友達』の座におさまったらしい。
それに仕事の関係だろうが、暦猫は、少なくとも人前では俺をたててくれる。
愛犬は、働き出す前から、俺が最高神だとよく分かっていた様子で、低姿勢だ(愛や恋が関係無い場合に限るが)。時夜見にも、友達だから手を出す様子はない。
なお時夜見鶏は、会った時から、相変わらず変わらない態度だ。
強いて言うならば、≪世界樹≫が人間界で出現し、人間の器を得て以降、ぐんぐんと見た目が成長した。今では、二十代に見える。身長も俺と変わらなくなった。可愛かった見た目は、今では精悍で、格好いいと評するのが適しているだろう。
そして。
昔から、武力は言うまでもなく――多分俺以外なら、ちょっとでも時夜見が苛立ちでもしたら、消滅の危機だろう――謎の(何て表すれば良いんだ、料理に芸術に……)才能を持ち合わせていた時夜見鶏の、新たな才能も俺は知る事となった。
<鎮魂歌>の内部も外部もそれ相応に落ち着き、師団がいくつも形成され、≪邪魔獣≫退治は基本的に、師団が行うようになった頃だった。
そろそろ、討伐だけではなく、様々な意味合いで、神世界の正常化を行うことに決まった(というか暦猫に提案され、俺は頷いた)。通貨は既に決定されていたし、街の建築なども、最近では商売が趣味の神々が行っていた。しかしそれに伴い不正が起きたり、逆に誰も統一していないことで、値段の上下が激しかったり、あるいは≪邪魔獣≫に襲われ、大きな打撃を被った場所があったりしたため、なんとかしようという話しになったのだ。
本音を言えば、俺はダラダラしたい。
こういう雑務処理など、最も苦手とするところだ。
こういうのをやらなくて良いように、<鎮魂歌>とか作ったような気がすらする。
だが無情にも、会議の時は訪れた。
初めての会議の日――愛犬天使が遅れるとのことだった。最初にも関わらずな。
だから、俺と暦猫と時夜見の前には、先にレジュメが配られた。
本日の議題だ。
パラパラと捲っては見たものの、活字嫌いの俺の頭には何も入らない。
暦猫は、このレジュメを作った張本人だし、全て頭に入っている様子で、めくりすらしない。これまで、芸術作品(?)を作るか、戦っているだけだった時夜見鶏は何を考えているのだろうか。少しだけ興味がわいて、俺は思考を簡単に閲覧することにした。最高神だから、他者の頭の中を覗くことくらいは出来る。後は、その時進行中の場面を視たり出来る(人間の性行為とかを見るためにな)。
『
――会議:レジュメを事前に見ておく
――一つ目が:コルヴァルタ渓谷の≪邪魔獣≫の駆除
――討伐。俺が処理。
――次が、旧宮殿と新宮殿の調査……建築年代の調査? 聖龍の資料室の右から三段目のファイルに載っている。
――三個目は――……
』
時夜見鶏が考えたことの要点だけを何とか見て取り、眺めている内に、レジュメの最後まで回答が出された。流石は時夜見。感情までは、今の俺では読めなかった。
愛犬が来た後、俺はさもソレが自分の意見である風に言った。
暦猫と愛犬が、感動したように俺を見ている。
時夜見はどう思っているのかと再び視線を向けてみた。
『――俺が考えつく事は、聖龍は最初から思いついている』
全く考えていなかった俺であるが、無事に会議を乗り切ることには成功した。
やっぱり、頭も良かったんだな、時夜見……だけど、俺の怠惰さと、暦猫の腹黒さと、愛犬のビッチ度合いに気づいていない辺り、人(神)としては、馬鹿だな。
ちなみに俺は、大層酒癖が悪い。
後、基本根はネガティブなんだ。もう全てが嫌になって、何度世界を滅ぼそうと思ったか分からない。
「俺なんて、俺なんて……ッ」
泣き上戸の俺の本領発揮である。
既に時夜見も愛犬も、外見だけは育った。だが最初から何の違和感も無く連れて行ける、暦猫を俺は仕事終わりに伴って、飲みに出かけた。これでも最高神の俺は、仕事が忙しくて、中々飲みになんて来られない。だから事前約束とか無理なんだ。どうしても暦猫が捕まらない日は、時夜見に『今夜は暇な事』を予知させて無理矢理飲みに誘うんだけど、アイツも忙しいしな。何より、子供あるいは弟みたいな時夜見に、こんな情けない姿を見せたくない。
ぐずぐずと泣きながら、ワコク酒を徳利に注ぐ。
「本当貴方は駄目ですね。駄目人間を装っているのかと思ったら、中身まで駄目だったとは」
呆れたような、失笑するような顔で、暦猫がウォッカを飲んでいる。
ここは≪聖神宴≫――<鎮魂歌>最寄りの、酒場だ。
全室個室で、大抵四人がけの畳+掘りごたつ付きの場所に俺達は通される。確実に密談用という態だ。ワコク風の室内が、越後谷&お代官様を迎える感じで、並んでいるのだ。当然俺は一番偉いので、一番良い部屋に通される。
「だってなぁ……ううっ、酷くないか? 空神族!!」
俺の目下の悩みは、空族の神々だった。俺から、最高神の座を奪おうとしているのだ。っていうか、奪えるのか? 最高神って、一応、簒奪できる位とは違うはずだ。
だが、空神は、俺がバコバコ生み出した数多の空神の眷属を従え、まだ十代にしか見えないが、この世界に五番目に顕現した空神である空巻朝蝶を旗印に俺を狙っているのだ。対抗して時神族も作ってみたが、結局時夜見鶏が一番強いので、現状ではあまりよく存在意義が分からない。
<鎮魂歌>も出来て大分たつし、神世界を守るという、最低限の目標は、空神とも共通している。それも一つの師団を任せられるくらい、朝蝶は強い。悪く見積もっても、時夜見の頬に切り傷を付けられるくらいには強い。そんなのに、力を抑えている平常時の俺が仮に攻撃されてみろ……消滅だ!
「別に<鎮魂歌>の最高権力が欲しいのなら、私は固執しないからやる」
「聖龍……」
「だがな、この世界の他の神々は見捨てられない」
いや本音を言えば見捨てても良いんだけどな、見捨て方が分からない。
どうやって俺は、最高神から降りれば良いんだ?
「時夜見も愛犬も貴方の味方です――そして、私も」
慰めるような声で、暦猫に言われた。
宝石みたいな緑色の瞳が俺を見ている。
「あああ、もうッ、やっていられるか!! 飲むぞ!!」
何もかもが嫌になって、俺はボトルをれた。
本当、こんな世界消滅してしまえ!
「そう、やけにならないで下さい……私では、貴方の側にいる価値も、貴方を慰めることも出来ませんか?」
「はぁ? なんだ急に」
「やはり――時夜見鶏でなければ駄目ですか」
何言ってンだコイツ。
怪訝に思いながら、届いた酒の蓋を俺は開けた。
「初めて見た時から――……私は目を惹かれました」
「酒酒酒」
「嫌ちょっと自嘲して下さい。私の話を聞いて下さい」
「どうせ説教だろう。聞きたくない。今は、飲むんだ!」
「ああ、もう!」
俺がドクドクと酒瓶を傾けていると、何故なのか隣に暦猫が座った。
酒の酔いが回ってきて、俺は暑くなってきた。
プチプチと時夜見から貰ったシャツのボタンを外す。
「私は、貴方のことが好きなんです。私がどれだけ好きかなんて、ご存じないんでしょうけど」
何故なのか、暦猫は怒っていた。が、俺の方がやるせない気持ちでいっぱいだ。
「酒の話しか? お前ワコク酒飲まないだろう。ウォッカばっかり」
それでも精一杯の親切で聞いてやった。
「違います」
「じゃあ何だ?」
「貴方が好きなんです」
そう言うと暦猫が、かみつくように俺の唇を奪った。
いやぁ俺、そうした事はあるけど、そうされた事はあんまり無い。
暫く唇を貪られたので、反射的に舌を入れた。
「っ」
すると暦猫が目を見開いたが、誘ってきたのは向こうなんだからと思いながら、口腔を貪る。暫しの間をおき、唇が離れた。そこには、赤面しながら肩で息をしている暦猫がいた。うーん、こういう顔をしていれば、綺麗だな。けどこいつ、基本的に時夜見のことが好きなんだろうし――一体今度は何を企んでいるんだ?
俺はただれた性生活しか送ってこなかったので、いまいちよく分からない。
ただ。
「いくら酔って、素を見せている風に見えようがだ。私が、誰かにつけいられる隙など見せるはずがないだろう」
失笑混じりに告げた。だってな、弄ばれて捨てられるだとか、俺は許容できない。
それで久々に威厳たっぷりに言ってみた。
「っ」
暦猫が息を飲んだ。そんな顔まで一々綺麗だから頭にくる。
「私を好きに出来ると思うな」
っていうか、ああ本当、愛とか恋とかそう言う気持ちを利用されるのは、最悪に嫌だ。そうする奴も最低だと思う。俺は確かにヤリ神だったかもしれないが、嫌がる相手を無理に従わせた事は一度も無い。
「興が冷めた。帰る」
淡々とそう告げると、ハッと暦猫が我に返ったような顔をした。
「ま、待って下さい。私は――」
「今は何も聞きたくない」
結構それは、俺の本心だった。
多分俺はその時相応に、暦猫の事を好ましく思っていたのだろう。
勿論信頼感という意味だ。部下として、友人(?)として。
その気持ちを利用されるのなんて、堪えられなかったのだ。
>>聖龍暦:7251年(他色々と開始)
「そうか」
俺と暦猫は、飲みに行く機会も減った。
俺が悪いのかも知れないが、利用される気はサラサラない。
暦猫は、最近では俺に事務的な会話しかしなくなった。別に、それで構わなかった。
最高神である俺に元々話しかけてくるのなんて、時夜見ぐらいのものだったのだから。
強いて言うなら、一度だけ愛犬が率先して寄ってきた。
抱いてと言われて、抱いたが、それっきりだ。
愛犬天使は、日替わりで恋人がいる。ただ――快楽で理性を飛ばしてやった時、『時夜見』と呟いた気がする。本人にその記憶があるのか無いのかは知らないが、以降は寄ってこなくなった。恐らく、時夜見が好きなんだろうが、好きすぎて手が出せないのだろう。根は純情だ。一方の暦猫は、俺のそうした下関係の話を全部知っているはずだ。暦猫星霜の能力は、『事実を記録する鏡』を持っていることだから。感情まで反映されないが、例えば『SEX』したら、『○○と××が性交渉した』、と、暦猫が持つ分厚い本(鏡)に刻まれる。
で――俺と暦猫は何の話しをしていたのだったか。
「ええ。単刀直入に言えば、時夜見鶏と空巻朝蝶は、一対一で鬼ごっこをし、捕まった方が、条件を一つのみます」
ああそうだ。あの二人が、本気で戦ったらこの世界が滅ぶから、落としどころを見つけてくれと俺は言ったのだ。今ではもう、仕事の話し以外では、暦猫は俺と口をきいてくれない。それでも時に、俺はたまに聞きたくなる。どうしてあの時、俺にキスをしたのかと。
「会談の結果は?」
「朝蝶側は、殺戮をしない条件で、捕まえたら一つ要求をのんで貰うとのことです」
微妙だなと俺は思った。
空神族は、明らかに神々の肉体及び本体の研究をしている。
今のところ、俺以外が神を産み出した、要するに産ませた事例はない。そして、俺ですら未だに、神を相手に孕ませた記憶はない。例えば山の神々相手に交わったとしても、それは俺から見れば神ではない、精霊と呼ぶのが相応しい。
もし仮に俺が、空神族の長であり、子を熱望されているとしたら、確実に自分と同等あるいはそれ以上の力を持つ時夜見鶏を――そう言った意味で狙う。
ただその気配も光景も見られないのは、互いに仲が悪いからだろう。
時神としての時夜見鶏の実力が知れて以後、時神の軍団を作った時神の一族もまた、時夜見の子を熱望している程だ。空神も時神も最近は女神を探す事に躍起になっている。
まぁ、別に同性でも子供は生まれるかも知れないが(俺の感覚的に)。
それにしても本当に、時神と空神の仲は悪い。
恐らく対として並ぶ神々(というか対空族用に時神族は俺が作ったので、確かに並んでいて当然)なのにもかかわらず、俺の寵愛が、時神に傾いているからだ(あたりまえだろうが!)。
本当にこればっかりは、しかたがない。なにせ、時夜見鶏は、我が子のようなものなのだ。
そして空族……空神族は、最高神の座を狙ってるんだぞ?
「時夜見は――刺して張り付け、石壁などに朝蝶を拘束し、二時間ほど眺めるとの事です」
怯えるように続いた暦猫の声に、思わず眉を顰めた。
なんだそれ?
精一杯、酷い処遇を考えた結果か?
だろうな、時夜見が、あの≪邪魔獣≫を殺す事さえ渋っていた時夜見が、そんな残酷な事などするとは思えない。今ではもう、力が強すぎて、(会議の時だけ必死に)意識しないと、時夜見鶏の考えは読めなくなった。だから真意は分からないが……いやでも、まさかなぁ。
「そうか」
聞いた俺は、だから淡々と頷いた。
時夜見鶏はきっと他に、どうする事も思いつかなかったのだろう。
>>聖龍暦:7751年
最近、俺は胃がキリキリしている。
暦猫が、全てが記録してある本(鏡)を見ながら、俺の横で溜息をついた。
俺も溜息をつきたい。何せそこには――……
・時夜見鶏が朝巻朝蝶を追い、捕まえている。
・磔にして、拷問している。
・蝋燭を垂らす拷問である。
と、記されていたのだ。
蝋燭……蝋燭だと? これが世に言うSMか? 俺は生憎アブノーマルな行為には興味がない。しかも、空族の話しだと、無理矢理好みの服を着せ、いたぶっているという。人目に付かないところでは、攻撃までしているのだとか。勿論、相手は空族だから、何処までこの話が本気かは分からないが、執拗に時夜見が朝蝶を追いかけている姿は俺も見ている。
そもそも、この条件は、二人の間で攻撃が始まるとマズいために設定されたものなのだから、戦意がなければ、追いかける必要は無いのだ。だが朝蝶もかなり必死に逃げている様子で、端から見ていると、本当になんというか……時夜見鶏が愛のあまりストーカーと化して、捕まえてはSMプレイに走ったり、それがちょっと痛い系(攻撃)に見えないこともないのだ。いやまさか、時夜見に限ってそれは無いだろう。しかし、良い子は突然キレるとか言うしな……これまで寡黙だったが、実は内心あるいは肉体的にドSだったとか?
そんなある日だった。
<鎮魂歌>の内部を、仕事から逃げ(サボ)るように、俺は歩いていた。
そこで、目を疑った。
俯きがちに苦しそうな顔をしている朝蝶に、歩み寄った時夜見鶏が、右手を振り上げようとしていた。まさかとは思ったが、空神族の報告に寄れば――人目に付かないところでは、攻撃までしている、だとか。時夜見鶏がそんな事をするとは思えなかったが、仮に事実だとすれば、止めなければならない。俺は仮にも一番偉い神様なのだから、いくら相手が敵だとはいえ、だ。それに勘違いだったら、時夜見だって否定してくれるはずだ。
「<鎮魂歌>内での攻撃は禁止されている」
俺は緊張しながら、そう告げた。
俺をじっと夜のような威圧感を伴う目で見た後、たっぷりと沈黙を置いてから、時夜見鶏が言う。
「そうだな」
右手を下ろした時夜見鶏のその言葉に、俺は顔が強ばった。
何、何だって? そうだな、と言うことは、俺が止めなければ、攻撃していたと言うことか? いや、そんなまさか。だが、これが世に言う、『うちの子がまさか』という奴なのかも知れない。グルグルと回る思考下で、俺は我ながら険しい表情を浮かべたまま、つげる言葉が見つからなかったので、その場を歩き去る事にした。
それから暫くして――俺は呆気にとられた。
「時夜見が……ラピスラズリの媚薬を用いて、空巻朝蝶を手込めにしたそうです」
嘘だろうと俺は耳を疑った。しかし俯いて唇を噛んでいる暦猫の表情に、冷や汗が垂れた。
あの、時夜見が?
まさか、と思いながら、暦猫の持つ記録帳(鏡)を見る。
・朝巻朝蝶がラピスラズリの媚薬を飲んだ。
・時夜見鶏が、男根を差し入れた。
・二人は性交渉をした。
暦猫の持つ歴史書(鏡)に、嘘は記載されない。
ならばこれは、確実に時夜見が朝蝶の秘孔を暴いたという事だ。
そんな馬鹿な、と俺は思った。なにせ、愛犬がどんなに求愛しようとも気づかないほど鈍いのだ、時夜見鶏は。両手で口を覆い、眼を細める。攻撃に限っては、相手は敵だし、有り得ない訳じゃないかも知れないと、考えるこ事もあったが……よりにもよって、愛だの恋だのストーカーだのSMなんていうのは、俺は信じていなかった。いなかった!
絶対的に、時夜見鶏が、無理矢理そんな事をするとは思えない。
寧ろ――空神の策略にはまったと考える方が易い。
とはいえ、とはいえだ。確かに、時夜見鶏(と、暦猫だけ)は、俺が生み出した神ではないが、此処は俺が作った世界なので、よく考えてみれば、やはり子供のはずだ。父親(?)として、時夜見鶏がヤってしまった事は確実なのだから、叱らないと!
それからすぐに、俺は≪念話≫で時夜見を呼びだした。
「何故呼び出されたかは分かっているだろうな?」
策略にはまったにしろ……変態的な趣味があるにしろ、どちらにしてもコレは釘を刺さなければならない。そう思えば、自然と声が冷たいモノになってしまった。
我ながら険しい顔になったのが分かる。
そのままじっと時夜見鶏を見た。まずい、気を抜くと気圧されそうになる。
本当に、何でこんなに威圧感があるんだろうな……。
その上、時夜見は何も言わずに、『それがどうした』とばかりに、首を僅かに傾けて俺を見ている。俺はそんな子に育てた覚えはないぞ! まぁ、俺が育てたなんて事実は無いが。あちらにも育てられた記憶は無いだろう。寧ろ俺が世話されていたような……。
そのまま沈黙は続き、時夜見鶏からは、何も答えが返ってこなかった。
結果、俺達は無言のまま、応接間に辿り着いた。
まずは、悔しそうな――泣きそうになっている蝶々を俺は観察した。
それを見て、ひとまず俺は安堵した。
確実にアレは、嘘泣きだ。俺は、よく暦猫や愛犬に嘘泣きをされるので、慣れている。思わず安堵の息が漏れそうになったが、それを空族に悟られるわけにはいかない。何せ、ヤったのは事実で間違いない。だとすると、空族達は本気で怒っている様子でわめき立てているが、一体どのように伝えたのか朝蝶の意図が見えない。ただ俺は、こんな事をする朝蝶を半ば蔑んでいた。少し探ってみようか、そんな事を考えながら、表情は変えずに静かに時夜見を見る。
時夜見鶏は、相も変わらず、いつも通りの気怠そうな眼差しから、夜の気配を撒き散らして、淡々と空族を眺めていた。まぁ、後で弁解することにして、俺はとりあえず朝蝶の意図を探るために、威厳たっぷりに言ってみる。
「擁護しかねるぞ。今回の行いは、最低だ」
これは同時に、時夜見鶏からの反論が聞きたいという思いもあった。
具体的に、要約ではなく何があったのかを、感情の動きも交えて、俺は知りたかったのだ。
何せ時夜見の感情は、ただでさえ分からないのだから。
昔はそれでも大分わかるようになっていたのだが、<鎮魂歌>が大きくなり、時夜見が大人の姿になり、離れて師団を指揮する時間が増えてから、会う機会が減る内に、また俺には分からなくなっていったのだ。それに今では、最高神の俺に、なにかと美味しい食事を持ってきてくれたり、部屋を掃除してくれたり、服を用意してくれる師団員が増えたため、家事をして貰う事など無くなったから、笑ってくれたり悲しんでくれたりするような表情を、そもそも俺の前では見せなくなったのかも知れない。
……だからと言って、だ。ちょっと、時夜見鶏の沈黙が長すぎる。
何せキスで子供が生まれると思っていた時夜見だ。もしかして、『今回の行い』の意味が、分かっていないんじゃないのか? そもそも、これまで性交渉なんて、したこともないだろうし、意味が分かっていないとか……これは、まずいぞ。朝蝶が利用したのは、そこかも知れない。時夜見の無知につけいったのではないか? なんてこったい! 確認しようと、俺は眉間に皺を寄せた。
「性交渉は、同意の下、双方が愛し合って行うべきだ」
すると暫し沈黙してから、不意に時夜見鶏が、空巻朝蝶を見据えた。
僅かに切れ長の瞳が細くなる。
それから――嘲笑するように、時夜見鶏が笑った。
ちょっと待て、今の笑みはどういう意味だ? 朝蝶の策略を見抜いている……のか? だったら流石に何か言いそうだ。それとも……噂のSMプレイ? いや、まさか。
「何か言ったらどうだ?」
俺は反論が来ますようにと願いながら、かなり険しい顔で、時夜見鶏を見た。
しかし時夜見は何も言わずに笑みを消し、流し目で俺を見た。
――察しろ、何があったか何て自明の理だろ?
と、でも言うかのように、否定の言葉は出てこない。
最早祈る気持ちで、俺は険しい顔のまま、反論してくれと思いながら強めに言った。
「謝罪をしろ!」
しかし何も言わずに足を組み、聞き流すような、余裕そうな表情で時夜見は瞬きをするだけだった。もう、俺の言葉なんて聞く価値もない、そんな眼差しで時折こちらを見ては、すぐに瞼を伏せる。もう駄目だ、俺には時夜見の気持ちが分からないし――あるいは本気で時夜見は、朝蝶を無理矢理ヤったのかも知れない……いや、寧ろ先ほど俺が自分で言った通り(俺は愛が無くてもヤれちゃうんだから馬鹿げているが)、本気で時夜見鶏は朝蝶の事が好きなのかも知れない(双方が愛し合っていると思っているのか!)。だからあえて朝蝶の策略にのっているのか――……それすら掌の上の出来事だと、余裕さえ覚えているのか。
結局その日、それ以上時夜見鶏が何かを発言する事は無かった。
鬱々とした気分で<鎮魂歌>の回廊を歩いていると、兵士の噂話が耳に入ってきた。
「無理矢理朝蝶様を犯すとか、本当に最低だよな」
「まぁ、見るからに時夜見鶏様って、怖いし、鬼畜っぽいよな」
「だからって、最低だろ? 媚薬まで飲ませたって話しだぜ」
「しかも聖龍様に呼び出されて直接謝罪を命じられたのにしなかったとかさぁ」
「馬鹿にしてる感じだよな」
謝罪云々という応接間の話しまで既に漏れているのだから、空族が広めているのは間違いない。
その上、時夜見鶏の外見や、恐らく朝蝶の涙(絶対嘘泣きだろうけどな)から、確実に兵士達は信じている様子だ。まぁ、ただ一点――俺のことを時夜見鶏が馬鹿にしている可能性は否定できない。そろそろ俺の怠惰さと、駄目人間(神)っぷりに、時夜見鶏が気づいていてもおかしくはないし、何せ本当に先ほどは何も言わなかったのだから。