SIDE:破壊神@最強(前)
ああ――……僕って、どうしてこんなにダメなんだろ。
何のために生きているのか、それすら分からない僕は、きっと呼吸している事すらおこがましくて、心臓なんて早く潰れてグチャグチャになってしまえば良いんだ。でも死ぬのは怖いんだ。これでも一応神らしいから、死ぬと言うよりは消滅するのだろうが、少なくともこの、パルディア大陸世界では、人間と同じように血を流して、痛みを伴って消滅する。消滅する前には、一時期死体にもなる。そうじゃないと、大陸を旅して現れる勇者が、本当に僕のことを倒したか分からないからだ。倒されるのも、僕は怖い。
端的に言うのならば、僕は多分全てをリセットしたいんだ。
僕の存在ごとリセットして、何も無かった事にして、”無”になりたい。
どうして僕なんて、何の価値もない存在を、世界は生み出したのだろう。
この世界は、≪光の神:ライト≫と≪闇の神:ダーク≫、そして二人の子供である≪人の神:ヒューズ≫が生み出した事になっている。何故人の神なのに、≪ヒューマン≫じゃなかったんだろう。この世界の言語は、他世界の”English”という物に近い。他の世界の言語は自動翻訳されるのが常だが、元々近いらしい。恐らく、悠久の昔から、パルディアは、他の世界と交流を持っていたからだろうと推測されている(誰が推測しているのかは知らない)。
ただ僕は、≪光の神≫も≪闇の神≫も≪人の神≫も、”今回”作られた”人間の妄想”だと知っている。昔は、≪鬼神≫と≪式神≫とやらが、世界を統べていると考えられていた時代もある。他には、≪天使≫と≪悪魔≫とか。変わらず存在するのは、この大陸と、そこに住む(人間を含めた)動物だけだ。
だが、大抵人間の想像通りに、この世界には新しい神が産まれる。
つまり、この世界には、創造神は居ないのだ。強いて言うなら、それは人間だ。
そして一度生まれた神々は、名を変え姿を変え、とりあえず与えられた土地や神世界(天空)で暮らしている。僕は、いつから自分が此処にいるのかは忘れてしまったが、人間は何故なのかいつも強い敵の存在を望むため、ずっと岩山の手前にある空中に浮かんでいる。
今回の衣装は、何か変なコート(表面は黒、後ろ側は赤)だ。下に着る服は自由なので(コートは、靴先しか見えないくらい長いのだ)、俺はTシャツとスキニーの黒デニムを穿いている。靴は、人目が無い時はスニーカーで、勇者達が来た時は長ブーツに履き替えている。まぁ服なんて、ぼっちで、ある意味引きこもりの僕にはどうでも良いんだけどね。基本的に同じ場所にいるし、この大陸がある世界自体が、開密室状態のような物なんだ。
勇者――……今回の人間の討伐役は、勇者と呼ばれている。
三十年に一度くらい、僕を殺しに来る。
一人、あるいは二人、もしくはご一行様だ。
≪聖なる剣を引き抜いた勇者≫や≪生まれた時に祝福があった勇者≫や≪異世界から召喚された勇者≫等々、様々だが、全部”勇者”と呼ばれている。
そして僕を倒しに来る名目は、
・村々を破壊し荒廃させている破壊神を倒すため
・魔王の腹心であり、人々を恐怖のどん底に落としている破壊神を倒すため
・虐殺を楽しみ、人間を血祭りにしている破壊神を倒すため
etc.etc...
勿論言いがかりである。
引きこもりの僕は、仮に人間のフリをしたとしても、コミュ障だから、人々が多数居る村に何て行けない。第一、破壊した事も無ければ荒廃させた事も無い。そもそも”魔王”が生まれた様子がないので、腹心の部下になるとか、無理だし。恐らく、僕の所でみんな倒されるから、生まれてこないんだと思うけど……だってさ、痛いのは嫌じゃん……ねぇ?
そもそも恐怖のどん底とか言うけどさ、僕の着ているコート(多分マント)とか、普通笑い所な気がする。変だよ絶対コレ……衣服に無頓着の僕すらそう思うんだから。第一虐殺は、どちらかと言えば僕がされたい(痛みが伴わなければ)。そして僕を血祭りにしようとしているのは、確実に勇者達、人間だ……うう。何コレ、僕の存在価値って……何?
とりあえずここ5000年くらい、僕は≪破壊神:ジャックロフト≫と呼ばれている。
その頃からかな、僕が全部リセットしたいって思うようになったのは。
最初の頃は、これでも、神話が変われば、僕ももう恐れられる事は無くなるんじゃないか
何て期待もしていた。しかしいつだって僕は悪役なんだ。みんなに嫌われてる。
そして今もただ、僕を殺しに来る勇者を、宙に浮かんで待っているだけ。
最後に他の神々と会ったのは、新しい神話が出来た時だ。
≪ライト≫と≪ダーク≫が、赤ちゃんの≪ヒューズ≫を連れてやってきたのだ。菓子折を持参して。二人とも引きつった笑顔をしていて、僕を見るなり腰を折り、「これから宜しくお願いいたします」と言っていた。僕の顔ってそんなに気持ち悪いのか……。曖昧に笑って、応えたんだったかなぁ。
なんだか懐かしいなぁと思っていたら、ある日、別世界であるアースザニアの≪ヴァレン≫から連絡が来た。連絡手段は、テレパシーとでも呼べばいいのか、頭の中に直接響く声でだった。ちなみにコレは、僕の世界では”連絡紋”と呼ばれる物の応用だ。パルディア世界では、≪紋様≫を発動源にして、”力”を使うんだ。僕の場合は、ほとんどの場合、これ無しでも”力”が使えるし、別の神話の時代に覚えた両手を合わせたり組んだりして”力”を使ったり、拳や足に”力”をまとわりつかせることも出来るんだけどね。
それにしても、≪ヴァレン≫か。
正確には、アースザニア世界のヴァレンタインという名前だ。
僕と同じく恐怖の対象で、堕聖人とか言われてるんだっけ?
「≪ひっさしぶり――!! 元気?≫」
「≪おう! あたりまえだろ!!≫」
ちなみに僕は、他の世界では、ぼっちだと思われないように、リア充っぽく話しをしている。本当は、泣きたいくらい独りぼっちなのにな。我ながら、そんなちっぽけなプライドを持つ自分が大嫌いだ。本当は、涙が筋を作って頬を流れていくが、無理に口元で笑顔を作り、元気な声で僕は続けた。どうせ見えないんだから、良いだろう。
「≪あのさぁ、やっぱり大本の世界樹の管理もあるし、いろんな世界間のバトル防いだり、緊急時には救命隊送ったりしなきゃだからね、全部の世界での統一機関を作ろうって話しになったんだよ≫」
誰と? 僕はそんな話聞いた事も無い。嗚呼、別世界ですら、僕は、ぼっちなのか。鼻水を啜りたい気分になったが、鼻をティッシュで押さえて我慢した。
「≪何それ、楽しそうじゃん!!≫」
「≪でしょ、でしょ? それでね、いくつかの世界に声かけててさぁ≫」
ああ、なるほど、それで僕なんかに連絡よこしたんだろうな。久しぶりに。多分一億年ぶりくらいだ。それにこの世界で、今僕より古い神なんていないから、必然的に交渉相手は僕になるはずだ。だけど僕と交渉したってさぁ、僕はこの世界の神々のみんなにそれを伝えるなんて出来ないのに……ううッ、ああ、辛い、苦しい。みんな、そう同じ神々であるみんなすら、僕を見かけると逃げていくんだ。誰も話しかけてすらくれない。僕側のコミュ障もあるんだろうけど、軽くイジメにあっている気もするんだ……。兎に角嫌われているのは分かる。
「≪だけど、誰がTOPになるかとか、誰が入るかとかが決まらなくてね、それなら何か指標になるものを、って事で、『総合世界神称号』っていうのを世界樹本体から、『世界敵』のS〜SSSランクを討伐する度に、排出されるようにしたんだよねぇ。ほら、ヒゲとハゲいるらしいじゃん、あの中に。世界作った神々しか会えないって人達。で、他の世界の創造神に連絡取ってもらったんだよ。すぐにOK出たって≫」
「≪そうなんだ≫」
――ヒゲとハゲ?
僕は初めて聞いたよ。誰も僕に、そんな人々の事、教えてくれなかったよ。僕は長く生きてるから、それなりに他の世界とも交流している自信があるけど、やっぱりあちらでも、友達はいない。強いて言うなら、渾名で呼べるし≪ヴァレン≫だけど、≪ヴァレン≫は用事が無かったら僕に連絡なんてくれないし……そもそも直接顔を見たのなんて5億年は前だ。一緒にご飯を食べた事も無いし、遊びに行った事も無い。
「≪そうそう。で、まぁ各世界で時間の流れバラバラだけど、最低十個以上称号集めたら、統一機関……今はまだ仮称なんだけど『総合統一神世界連合』ってのに、入ってもらおうって話しになってるんだぁ。基本的には、人間とか、他の創造神とかが、いない世界に蔓延ってる『世界敵』討伐が対象ね」
ふぅんと頷きながら僕は瞬きをして、涙を零した。
ちなみに『世界敵』というのは、僕も知ってる。勿論それぞれの神々がいる世界にも沸くのだが、基本的には、何故なのか誰も治める神がいない世界で繁殖していき、最終的には、総合世界と呼ばれる、多くの世界と繋がる≪世界樹≫のある”上位世界”への浸食を始める、≪敵≫の事だ。各世界にいる僕らのような、悪者と呼ばれる神々なんかとは違い、全ての世界を滅ぼそうとでも言うかのように、存在している不思議な≪敵≫なのだ。僕としては、あれに世界を滅ぼしてもらって、楽に消えたいんだけどね……。
「≪まぁ、そう言うわけだからさぁ、ジャック。十個集めておいてね≫」
笑み混じりの声が響いた直後、通話(?)は途切れた。
――……なんだって?
そ、それって……ナントカ連合に、僕のことも誘ってくれてるって事なのかな?
嫌、そんなまさか……僕にそんな価値なんて無い……唯一僕の知る中で、渾名で呼んでくれて、こちらも渾名で呼んで良いと言う事になっているのが、≪ヴァレン≫だけど……その優しさを勘違いしちゃダメだ。きっと迷惑だよ。絶対陰でヒキオタニート乙とか思われてるよ。だってさ前に「宙に漂ってて三十年に一回くらいしか仕事無いなんてニートだよね。楽で羨ましいよ!」って言われたことがあるし……全くその通りなんだけどね。
そう思えば、さらに涙が出てきた。
「おい」
その時不意に声がかかったから、僕はハッとした。
まずい、勇者にこんな姿を見られていたとしたら、ヤバイ。
何せコレでも僕は、一応、世界を恐怖のどん底に陥れている魔王の腹心の部下で、泣いたりせず、嘲笑をいつも浮かべているような、戦闘狂のはずなんだ。それで、適当に戦った後、勇者の剣に突き刺されて見せて、消滅するフリをして岩の陰に隠れるんだ。だってね、だってね、勇者……弱いんだもん。勇者の一撃じゃあ、僕死ねないんだよ、基本的にさぁ……。勇者の一撃で、大体僕のHP(上位世界で使われる体力数値。交流してないしって事で、ヴァミューダ世界から、誰かがパクって来たと聞いている)が、0.000001しか減らないんだ。
だけど、だけど、いつ強い勇者が来るか、分からないし、僕は怖いんだ。
――それよりも、涙を見られたのが問題だ。
狼狽えながら、恐る恐る声の方向を見据える。
するとそこには、僕と同じように宙に浮いている青年が居た。
人間の魔術師かもしれなかったが(多分似たようなこと出来る人もいるだろうし)、気配的には、神様っぽい。だが、誰だか分からなかった。
一応コミュ障の僕だが、何故なのか皆気を遣ってくれているようで、新しく生まれると、挨拶に来てくれるのだ。本当、申し訳ないない限りなんだけどさ。何でみんな、僕に挨拶に来てくれるのかな? その優しさが逆に、僕は怖い。『あー、アレが噂のボッチか』とか思われてたらどうしよう……。
「何で泣いてるんだ?」
「え、あ」
慌てて、袖で涙を拭う。ヤバイ、不味い、涙を拭き忘れていたよ。
しかも完璧に見られちゃった……鼻水は啜ってみたけど、けど、声が震えちゃったし。
どうしよう……勇者相手なら、案外怯えたフリで乗り切れたかも知れないけど、確実にそこにいるのは神様だよ……。
「全然! 全然泣いてない!」
素知らぬふりでそう告げると、呆れたように、現れた青年(神?)が溜息をついた。
金色の髪に、闇のような黒い瞳をしている。真っ黒だ。夜よりも黒いんじゃないかと言うほどに、真っ黒だった。だが髪の色は、驚くほどに光り輝いている。
太陽と月と闇がまぜこぜになったような、不思議な外見だなぁ。
「破壊神ジャックロフト……だよな? 今の名前は」
「あ、ああ」
慌てて頷くと、青年が腕を組んだ。何か怖い……端正な顔をしていて、スッと鼻筋が通ってる。今の名前、そうなんだよね、僕神話が変わる度に名前もジョブもチェンジしてるのに、やってること一緒なんだよね、うう、ぐすん、って感じだ。
まぁそんなこんなで、いつも悪役業だし――僕はかなり体格が良い自信がある。背も高い方だ。だってさ、なんか、その方が悪役っぽいじゃん? 昔≪悪魔≫が世界を支配しようとしている設定の神話だった時は、悪の諸悪の根源の人(神)の外見は少年(神)だったけど。
だがこの青年、僕よりも更に背が高かった。筋肉の付き方は、僕と同じくらいだ。
だが”力”の量的には、僕の方が上だろう。
しかし、顔面の造りでは、完全に負けている。格好良い奴だなぁと、僕は見上げた。
爆発すればいいのに……っうう。
「破壊神様と呼んだ方が良いか? それともジャックロフト様?」
「え、いや、何でも良いけどな……?」
それにしても、本当に誰だろう、この人(神)。
首を傾げずには居られない。
新たに生まれた神ならば、人間の創造した神話の始祖神でない限りは、大抵子供の姿だ。しかし、見た事が無い。まさか……挨拶に来る事さえも、とうとうハブかれたのかな、僕。元々、何でみんなが挨拶してくれるのかも不明だったし。だけどそれでも辛い。例え後で悪口を言われているんだとしても、この世界の他の神様との唯一の接点だったんだから。
「じゃあ長いから、ジャックで」
――いきなり略称で呼ばれた! 渾名で呼ばれた! 畏れ多すぎて、僕は思わず息を飲んだ。気兼ねなく話しかけてくれるだなんて……なんて良い人(神)なんだろう。唐突なことに僕は彼を見上げて、目を見開いた。
「これからよろしくな」
淡々とそう言われ、僕は訳が分からず、思わず目を瞠った。
これから、よろしく……? ま、まさか、新たな破壊神? 僕、お役御免なのかな……ついに完全にニート?
「え?」
ただ、もう僕がいらなくなったのだとしても、だ。宜しくって何だろう?
後進指導とか? 無理だよ、そんなの僕には難易度が高すぎるよ!!
「なんだ、聞いてないのか?」
「何を?」
「人間が、≪人の神:ヒューズ≫を≪破壊神:ジャックロフト≫が、無理矢理娶ったって神話」
き、聞いてない……聞いてないよ!
え? どういう事? 娶るって……僕、誰かと無理矢理結婚した設定の神話に放り込まれたって事? そんなの相手が可哀想すぎるよ……うわあああん。
「ヒューズとミューズを混同してるのか、よく分からんが、今俺は女神様扱いだ。まぁ最初に生まれた段階で性別は決まるから、女神には、なれないけどな、流石に」
この世界では、確かに神々の性別が、はっきりしている。その為、後に新たな神話が創作されても、大本は変わらないので、精々女装するので精一杯となる。いくら綺麗でも、この人に女装は無理だろうなぁ……身長的にも骨格的にも。
なのだから……娶れるわけがない。僕もこの人も、男だ。≪ヒューズ≫って、しかも、前回会いに来た≪ライト≫と≪ダーク≫が連れていた赤ちゃんじゃないんだろうか? 年齢差もありすぎる気がする。え、なんだろう、僕、どうすれば良いのかな? 思わず僕は黙り込んでしまった。眉を顰めてしまった。
「俺じゃ不満か?」
「別に」
別に不満とかそう言う話しじゃなくて、僕、僕、無理だよこんなの。僕みたいに愚かで何の力もない人間(神)に、誰かを娶れる価値なんて無い。幸せに出来る気もしないし、大体相手男の子(子? まぁ見た目は僕とあんまり変わらないか、寧ろ年上だけどさ)……だし。きっと僕と一緒にいるなんて、そんなの、可哀想すぎる。本当に無理矢理すぎるよ、相手にとっても、って言うか僕にとっても……だから僕は決意した。
「帰って良いからな! 好きに過ごしてろ!」
僕は精一杯の笑顔を浮かべてそう告げた。どうしよう、ニヤァとかニタァみたいになってたら。絶対キモがられてる。うあぁあああああ、辛い、辛い、誰か一緒にいてくれたらなぁって思った事もあるけどさ、素で、コミュ障なんだよ、だから人と一緒にいること自体苦痛だし、会話なんて思い浮かんでこないのに……どうすれば良いのかな……ッ。
「――分かった。邪魔をしていると確信したら帰る。それまでは、神話的にも一緒にいないとな。後はまぁ、好きにはさせてもらう。で、家は?」
「家?」
ずっと昼夜を問わず空中に浮かんでいる僕には、家なんか無い。神世界にも、帰る余裕というか、理由も無いし、勇者が来たら困るし……此処にいたんだよ、僕、ずっと。ずっと一人で……っ、うぁあああ、哀しい、また涙が出そうだ。
「お、おい? そんな潤んだ目で見るなよ……」
「べ、別に? 目にゴミが入っただけだからな!」
「押し倒すぞ?」
なんだそれ……僕を殺す気なのかな? えええ、こんな消滅は想定していなかった。
だけど神様同士なら、あるいは一瞬で消えられるかも知れない!
よし、もっと怒らせよう! そして、楽に死のう……死のう……ううッ。
「家なんて無い!」
「……へぇ」
断言した僕を睨むように、ヒューズさんは半眼になった。怒ってる、怒ってる! 計画通りだけど、凄く怖い……。背筋が冷えた。僕の方が絶対強いけど、この顔、怖い!!
「俺を上げる家はないわけか」
「?」
話がよく分からなくて、思わず首を傾げた。
上げるも何も、家がないのに……。大体あったとしてもさ、誰も来ないしさぁ……。
だけど、ヒューズさんが悪い訳じゃないって、言わないと、傷つけちゃうかも知れないし……ここは、説明しておいた方が良いかな?
「いや、あの、ヒューズさん……? ほら、ずっと宙に浮かんでいたから、何にも無くて……」
必死で、もうそりゃぁ必死で、僕は声帯を叱咤した。
この世界では、死体になったりするから、神々と人間の体のつくりは、ほとんど変わらないんだ。
「……なんだって?」
するとまた、恐ろしく低い声が返ってきた。僕には、難易度が高すぎる相手だよ!
「え」
怖くて思わずビクリとしてしまったまま、何か言おうと唇を開いてみる。
「とりあえず、まず一つ目だ。ヒューズで良い。何でお前が、俺に敬称を付けるんだよ、逆なら分かるが――……お前はこの世界で最も強いんだからな」
「そんなの勘違いだ!!」
僕の口からは、リア充風の言葉を何度も練習したため、そう言う口調しか出てこないのだ、今では。大体、僕が最も強い? そんなわけないよ! きっと僕より強い神様が神世界にはいっぱい居るはずだよ……嗚呼、本当、何で僕は生きてるんだろう。消えたい。
「謙遜はいらない。それで――家だけどな、本当に無いのか? 何処で寝ているんだ?」
「起きていて、寝ない。いつも勇者を待ってる。まぁ三十年に一回くらいしか来ないんだ
けどな、それは昼夜を問わないから、一応さ……それに、食事? まぁ食べようと思えば食べられるけど、基本的に神様はイラナイだろ」
「イラナイ神など、お前くらいの存在だろ。現存している他の神々は、少なくとも取るし、仮にイラナイ神であれば娯楽などで、食事はする」
「娯楽……」
僕には娯楽なんて無い。いつも、いつも、いつもだ。どうして僕は生きて居るんだろうと考えながら過ごしているんだ。だってさぁ、神界の本屋さんとか、人見知りの僕は行けないし、欲しい本があっても、レジに持って行ける気がしない。この辺神界の電気も通ってないから、ネットでも買えないし……ッ!
気づけば俯いていた僕に、ヒューズ(で良いのかな)が、近づいてきた。
「てっきり、≪敵≫を倒すのが趣味だと思っていたんだけどな」
その言葉に、僕はハッとした。
そういえば、ヴァレンが、≪世界敵≫を退治しろと言っていたではないか!
世界敵に限らず、その辺に数多居るだろう強い神々と戦ったら、きっと僕はすぐに死ねる!
「その通りだ。いつも暇だからな、他の世界で、戦って――遊んでいる。今からもまた行く予定だ。じゃあな!」
頑張って僕は、笑顔を取り繕ってそう告げた。
そしてそのまま、異世界へと出かける事にしたのだった。
あー怖かった! 心臓が、別の意味で潰れちゃうかと思ったよ!
だが、それから99人(神)くらい倒したが、誰も僕を殺してくれなかった……。
殺される前に、僕が勝ってしまうのだ。みんなさぁ、手加減とかしてくれなくて良いのに……! それとも、僕と戦うのも嫌悪感があるとか?
もう嫌だ。何度泣いても、泣き足りない。
そんな時僕はいつも、端っこに見つけた何らかの結界を、八つ当たりで殴っている。
多分一年くらい殴り続けていた。
ある日それが――……割れてしまった!!
どうしよう、謝らないと!
慌てて俺は≪転移紋≫で移動した。別の世界なので、自分の威力を正確に出すために、久方ぶりに紋章を使ったんだ。だが、久しぶりすぎて、上手く使えなかった……ううっ。
一応、結界を張っていたらしい”時夜見鶏”という、神様一覧表に載っている(引っかかった)、上位世界とは交流していないため”S(推定)”となっている神様の側に転移したはずだったのに……ちなみに何故なのか僕は、”S(確定)”となっている。なんで……!?
「っ、貴方は何者です?」
すると僕は、正面にいた凄い美人に話しかけられた。
何者……って、聞くって事は、一緒にいて凄い”力”を感じるし、別の世界から来たって分かっている感じだ。僕の感覚的に、相手が凄いと分かっていたから、よしここは煽って、この人に僕を倒して貰おうと決意した。
「んー、お前に用はないよ。俺は、時夜見鶏とか言う強そうな奴が引っかかったから、会いに来ただけ。倒しにな」
きっとここまで言えば、『フッ、貴方など私で十分です』とか、返ってくるだろうと思ったのだ。だが……そうはならなかった。
「何か用か?」
その時、まるで夜のような静寂さと、闇のような冷淡さを持つ、聞くだけで背筋が凍るような声が響いてきた。体が硬直しそうになったが、ゆっくりと顔を向けてみる。
そこには怖い声だったとはいえ、流麗な調べだったのと同様、本当に端正な顔をした青年神が立っていた。これ、ヒューズ(だっけ?)レベルで格好いいなぁ……でも、表情が無い分、人形みたいに綺麗だった。
そして漂ってくる”力”と威圧感に、僕は嬉しくなっちゃった。
「お」
そう声を上げると、思わず笑っていた。今までの99人(神)とは異なり、彼ならば、彼ならば、本当に僕のことを殺してくれるかも知れない……!
「俺は破壊神。他の世界の、な」
僕はそう告げた。ほら、何て言うの? ”僕”より”俺”の方が、リア充っぽいじゃん? 男らしいじゃん? 何て考えていたら、ちょっと笑ってしまった。
「相手してくれよ。なぁ?」
嗚呼、コレでやっと、僕は死ねる!
その嬉しさと、相手を煽りに煽ってやろうという気持ちが募って、僕はそう告げた。
「……ああ」
緩慢に冷たい表情で、時夜見鶏が頷いた。闘気とでも言えば良いのか、その場の威圧感が増した。ただし、それは酷く冷たい。なんだかちょっと珍しい。コレまで戦いを挑んだ相手は、どちらかと言えば、自分から威圧感を撒き散らしていたのに、この人(神)、そう言う事はしない。それだけ余裕だって事なのかな?
早く殺してくれないかなぁと思いながら、僕は今までのように、相手を倒してしまわないように威力を調整して、”力”をまとわりつかせた拳や蹴りを放った。だが、余裕でそれらは交わされたので、僕は心底安堵した。これならば、もう少し強めの力で攻撃しても、避けてくれるだろう。そしてその攻撃を、僕の最上級の攻撃力だと思って、きっときっと殺してくれるはずだ。そう思うと、吐息に笑みを乗せてしまった。
「ふ」
笑いながら、一気に僕は、威力を増した攻撃を放った。
そして更に相手を煽ろうと言葉を探した。
「防戦一方かよ。手も足も出ないって?」
本当は、まだ向こうが、力をセーブしているのだと分かっている。それに先ほどから張り始めた結界も、この世界に傷を付けないようにしているのだと理解している。傷が付いてしまったら、世界の修復には時間がかかるから。ただ同時に、僕の先ほどまでの威力の攻撃で、この世界は傷つくのだと分かった。ならば恐らく、同程度の攻撃を続ければ、時夜見鶏は僕を排除してくれるだろう。何せ結界を張るのだから、世界が大切なんだと思う。ボッチの僕であっても、自分のいた世界は大切だしね。
「くっ」
その時鳩尾に蹴りをまともに喰らって、僕は必死に地へ足をついて堪えた後、後退した。
――ああ、いつ以来だろう。体に攻撃を喰らったのは。
本来それを望んでいたはずなのだが、そこに生まれた痛みに、嗚呼僕は生きているんだなと思えてきて、自然と笑みが浮かんだ。生きていなければ、痛みなんて無いはずだから。これまで、痛みさえない世界で、きっと僕は生活していたから、だからこそ、生きている実感も無かったのかも知れない。時夜見鶏と拳を交えていると、何故なのか、自分がきちんと生きている存在に思えて、呼吸していて良い気がしてきた。僕が生きている事が、許される気がしたんだ。
そんな風に思えたから、思えたのが最後なら、良いかなと思って僕は、今僕に出来る全力を出そうと思った。きっと、全力で戦っても時夜見鶏の方が絶対的に強い。
僕はもう何年も、何千年も、何億年も、本気で戦っては来なかった。
だから死ぬ間際にそんな機会が訪れたのは、多分幸福なのだ。
それから暫くして、ほとんど交わしたものの僕の肩が切り裂かれた。ダラダラと流れる紅い血に、また僕は、生きているんだなと実感した。血を見るなんてこれまでにも、暫く無かった。それでもその色は、僕に生を教えてくれた。
「危ねぇなぁ」
わざとせせら笑うように僕は言った。この威力を本気でないのに放てているのだから、やはり時夜見鶏になら、僕を殺す事が、消滅させる事が出来る。そう思えば、零れる笑みが止められない。やっと僕は、死ねるのだ。嬉しくて仕方がなかった。
「流石だな」
それからも僕は何度も高威力の攻撃を放ち、時夜見鶏が僕を殺してくれるのを待った。
――その時の事だった。
「≪何をやっているんだ馬鹿者!! さっさと帰ってこい!!≫」
不意に響いたその声に、思わず僕は息を飲んだ。発信者がヒューズである事が分かった。
だが、どうして? あちらにした所で、無理に結婚させられたのだろうから、僕なんか死んだ方が良いと思っているだろうに。それとも新たな勇者でも出てきたのだろうか?
それならば、僕の方だって気配で分かるはずだ(倒されたフリしなきゃいけないしね)。だが、そんな気配はない。
「≪何か用か?≫」
率直にそう返すと、溜息が聞こえた。
「≪俺が嫌いならそれでも良い。だけどな、死ぬような真似をするな。今戦っている相手は、それくらい強いだろう? お前が怪我をしてる気配なんて、初めて感じた≫」
何が言いたいのか、いまいち分からない。
そうして一時考え事をした時、僕は時夜見鶏から、強い攻撃を喰らった。
HPが四分の一くらい一気に削られた。
「――俺もまだまだみたいだ。調子のってた。もっと強くなってから、出直すわ。またやろうぜ」
気がつくと僕はそう口にしていた。何となく、ヒューズの所に、早く顔を出さなければいけないような気がしたんだ。殺される前に。尤も、この言葉になど構わずに、時夜見鶏に殺されるのだとしたら、それはそれで良かった。しかし時夜見鶏が動く様子は無かったので、僕は無理に笑った。
「じゃあな」
そう告げ、次こそは僕を殺してくれと願いながら、死にたい時にはいつでも来られるように、近場の壁に≪転移紋≫を刻んだ。壁を汚してごめんなさい……。
それから、元々いた場所に帰ると、そこにはヒューズがいた。
まだ帰っていなかったのか、と言うか、先ほどの通信は何だったのだろうかだとか、色々聞きたかったが、コミュ障の僕には、そんな高度な会話は出来ない。出来るはずがないよ! その内に手首を捕まれ(痛い、なにするんだろうこの人……あ、神様だった)、岩の裏手から少し遠い場所に広がる森の中へと連れて行かれた。この森、仔猫が良く生まれるから、僕好きなんだよね。たまに見に行くんだ。あ、これがもしかして、娯楽って奴なのかな? が、娯楽の存在に気づいたこと以上に、見知らぬ物体の存在に、僕は目を見開いた。
そこには二階建ての家が建っていたんだ。何コレ?
「?」
何だろうと思っていると、無言で手を引かれたまま、中へと連れて行かれた。僕まだ一応、介護されるような体力低下はないと思うんだけどなぁ。
中へ入るとヒューズは険しい顔のまま、僕をじっと見た。
黒い瞳が細められ、僕を凝視している。僕、何か怒らせるような事しちゃったのかな? なんか、凄く怖いよ。思わず体がすくんだ。その時――急に抱きしめられて、額にキスをされた。
「!?」
事態が把握できずに、ヒューズの腕の中で僕は目を見開いた。
キス? キス!? キスだよね、コレ。それとも偶然唇が僕の額に当たっただけかな?
あ、なんかその可能性が高い気がする。
「本当に家が無かったんだな」
呆れた調子でヒューズが言った。溜息混じりだ。ごめんなさい。
「あ、ああ……」
だけど本当に無かったんだもん……僕にはどうしようもなかったんだよ。
「建てておいたんだ。見せる前に死ぬなよ」
その言葉に驚いて、僕は何度も瞬きした。
「わ、悪い」
建てた? そうなの? そうだったの?
そりゃあ確かに、誰も来ないこんな辺境じゃ、僕以外に見せる相手いないよね。ごめんなさい。きっとそれで通信してきたんだ。僕はやっと理解した。
「いや、悪いとかじゃなくて、死ぬような事をするなと言ってるんだよ!!」
「え」
そんな事を言われたのは初めてだったから、目を見開いたままで、僕は息を飲んだ。
これまでに殺されそうになった事は何度もあったけれど、誰かに死ぬなと言われた事など一度も無い。誰も僕が死んだって、消滅したって悲しまないはずだしさ……。
「いつもお前が戦っているのを察知するたびに、無事を祈ってた」
「なんで……」
「なんで!? そんなの決まって――……その、だから、あのな」
「?」
「……一応俺は、お前に無理矢理嫁がされたことになってるんだよ!!」
ああ、なるほど、この世界の神話が崩れるからかと、僕は納得した。そっか、義務だもんね、この人(神)に取ったら。家まで建ててくれたのに、何か悪い事しちゃったなぁ。
「悪かった。これからは、きちんと神話が保たれるようにする」
僕がそう言うと、ヒューズが眉間に皺を刻んだ。それから溜息をつきながら俯いた。
その顎が、僕の頭に当たった。なんだか、ちょっとくすぐったいよ。しかも人の体温を、攻撃以外で感じるのなんて、久しぶりすぎて、なんだか、恥ずかしいよ。
「そうだな、それでも良い……だから、死なないでくれ」
よく分からなかったが、それじゃあ暫く僕は消滅できないんだなと、ただ思った。
少なくとも、ヒューズが僕に無理矢理嫁がされたという神話が消えるまでは。
その日から、奇妙な僕らの同居生活は始まった。
僕は全く家事が出来ない。何せこれまで家事何てした事が無かったからだ(家が無かったんだもん)。
一方のヒューズ……こちらもまた、全然家事が出来ないんだ。
一体コレまでどうやって生活してきたのかは知らないが、明らかにやった事が無い僕の目からしても、コレは、ちょっと厳しい。何せ洗濯物はたまり放題だし、部屋も汚い。
そして料理こそ三食作ってくれるのだが(僕は、日に三度ご飯を食べる事を教えられた)、すごく、すっごく不味い!! 人間や神々は、こんなものを食べているのだろうか……? ちょっと気を疑ってしまう。三食料理を食べるなんて拷問だよ……苦痛だ、うう。僕をゆっくりと殺すつもりなのかな……? 痛く殺されるのも嫌だけど、ジワジワ殺されるのは、もっと嫌だ。殺るなら、一気にやって欲しい。
仕方がないので、気がつけば、僕が洗濯をして、紋章で乾かして、アイロンをかける生活になっていた。その上、毎日掃除もしている。何このシンデレラ!! 食器を洗うのも僕だ。だけど料理だけは、ヒューズが譲ってくれない。やっぱり、僕の事を、料理で殺す気なのかな。そんなに僕の事が嫌いなら、さっさと神世界に帰れば良いのに。これまでは親元で暮らしてきたはずなのだし、きっと≪ライト≫か≪ダーク≫が世話してくれていたはずだ。どちらが生んだのかは知らないけどさぁ(だって両方男だし)。
「美味しいか?」
だが今日も笑顔で、料理を前にヒューズが聞いてくる。
「あ、ああ……ま、まぁな」
必死で頷く僕。だってさ、いくら不味くてもコミュ障の僕に、不味いなんて言えるわけがないじゃん!
今日は、煮魚らしいが、生煮えだ。明らかに中が、不審な色をしている。
味噌汁には、溶けきっていない味噌が浮かんでいる。
ご飯は、お粥かよ状態だ。
付け合わせのほうれん草のお浸し(?)は、明らかに茹ですぎで、ドロドロだし……。
しかも醤油や鰹節、フリカケなどをかけると、ヒューズは哀しそうな顔で、「不味かったか?」とか、言うんだ。――不味いんだよ! だが、僕はそんな事を言えない……言えないんだ。僕の馬鹿!
ただ……一つだけ嬉しい事もあるんだ。仮に僕を毒殺しようとしているのだとしても(毒入っていないが、この料理はある種の凶器だ)、僕と一緒にいてくれるのだ、ヒューズは。それが、人間の作った神話のせいだとしても。本当は僕なんかと一緒いたくはないのかも知れないけど。それでも、十分だった。僕の側にいてくれる人(神)なんて、コレまで一人(神)も、いなかったのだから。こうして一緒に食事をしているだけで、時折会話するだけで、十分だった。時折どころか、会話はいつも、ヒューズが振ってくれる。コミュ障の僕は、元気いっぱいに応えてはみるものの、やっぱり直ぐに素が出てしまい、直ぐに何も話せなくなるんだけどさ。それでもヒューズは毎日話しかけてくれるんだ。多分暇なのだろうと言う事は分かっているし、早く僕が勇者に倒されればいいと願っているのだとは思う。だけど、それでもね、僕にはこの生活が、充分すぎるほど嬉しいんだ。
「有難うな」
せめてその気持ちを伝えようと、僕は生煮え部分の魚を回避しながら告げた。
「美味しいのか?」
すると、ヒューズが満面の笑みを浮かべた。僕が意図した言葉による笑みとは異なるが、彼が嬉しそうに笑うと、ほのかに胸が温かくなる。
「ん、そうだな」
否定するのも躊躇われて頷くと、不意にヒューズが席を立った。
「?」
何事だろうかと顔を上げると、急に後ろから抱きしめられた。何コレ、僕もしかして絞殺されるのだろうか? 今までのは、もしや、暗殺の前振りだったとか?
「ジャック……」
「……」
急に怖くなって、僕は顔を俯かせた。絶対、絞殺は痛い! 痛いのは、嫌だ!
「……お前に喜んでもらえるのが、俺は、一番嬉しいんだ」
それが本音なら、だったら手を離して……! 今の僕は、恐怖で心臓が止まりそうだ。多分僕より体格が良いんだから、この状態で首の骨を折られたら、僕は苦しみながら死んでしまう。そんな苦痛は嫌だ。楽に死にたいんだよ!
「好きだ」
え、何? 殺戮が好きなの? 痛ぶるのが趣味なの? 僕には、そんな事しないで欲しいのに……ヤだよ、もう。気づけば泣きそうになっていた。
「泣くほど嬉しいと思ってもらえているのか」
逆逆! 泣くほど、嫌なんです、苦しいのは! お願い、楽に殺して!
「っ!?」
だが、その時急に顎を捕まれ、無理矢理顔を右上に向かされた。なんだコレ、このままねじ切る気!? 絶対痛いだろう!!
思わず恐怖で目を伏せた――その時だった。
「≪あージャック? ちょっとヤバめの『世界敵』出てきたから、助けてくれない?≫」
不意にヴァレンの声が脳裏に響いたので、僕はヒューズの手を振り切り自ずと正面を向いて、片耳に手を当てていた。≪連絡紋≫を正面に開く。僕の目の前に、複雑な紋章が現れた。
「≪おぅ、分かった! 場所は?≫」
「≪ヒンディア世界。直ぐ来て、お願いね! 指揮は、ドウメンダ世界の創世神と闘神がしてるから!≫」
その声に頷いている僕の前で、通信が終わったから、≪連絡紋≫は、かき消えた。
アレ、僕何をしていたんだっけ?
すっかり忘れつつ振り返ると、何故かヒューズが、両目を自分の片手で覆っていた。上を向いている。
「食事の途中で悪いんだけど、別世界に≪世界敵≫が出たらしいから、ちょっと討伐の手助けに行ってくるわ」
僕が言うと、何故なのか複雑そうな表情で、ヒューズが頷いた。
やっぱり、食事中なのに、悪かったかな?
「このつけは今度払う」
「待ってるからな」
僕の声に息を飲んだ後、真剣な表情でヒューズがそう言った。
嫌、出来ればこの食事は待たずに片付けて欲しいんだけどなぁ……。
そんな本心は隠したまま、俺は≪転移紋≫で指定された世界へと移動した。
そこにいたのは、確か≪SSランク宇宙敵:シルバァオクトパス≫と言う名前の≪宇宙敵≫だった。恐らくコレは、俺一人では倒せない。巨大なタコによく似ているのだが、外郭が、かなり固いのだ。外郭を壊すだけで、Sランクが1000人(神)、SSランク(現在の僕)で20人、SSSランクならばあるいは一人で倒せるレベルだ。外郭さえ破壊してしまえば、SSランクならば最低二撃、SSSランクなら一撃で倒せるだろう。
そして僕が駆けつけた時は、B〜SSランクの神々が、倒すための≪ホワイトバレット≫という名の、棒の先に巨大な白い球体がついたような物で、ひたすら攻撃していた。
SS(確定)ランクは、僕を含めて三人いた。うち一人は、ランキングの標準化を図るために確定されている、現在の威力が不明の≪レイヴァルダ元帥≫だ。他の二人は、一人は大金持ちのため勧誘された人であり、もう一人は他の神々を纏めている指揮官――というか、他の神々に戦わせて自分は何もしないタイプだから、力の程が分からない神だった。僕に連絡を取ってきた、僕同様SSランクのヴァレンの姿はない。というか、アイツがこの組織の立案者のような物なのだから、先頭に出てくる気もないのかも知れない。だって、居なくなったら、瓦解するじゃん?
だが、数百人が、ボコボコ巨大なタコを叩いているのを見て、僕は思わず眉を顰めた。
何せ一撃一撃が、そうだな……分かりやすく表現するならば、時夜見鶏の世界の3打くらいの攻撃しか与えていない上、HPならば、1程度しか削ることが出来ていないのだ。
無言でその様子を見ていると、≪レイヴァルダ元帥≫に声をかけられた。
この人(神)には、以前に殺してもらおうと思って戦いを挑み、勝ってしまった過去がある。
「この現状では――破壊神、お前に一人で相手をして貰うことになるかも知れないが、許して下さい」
普段は威厳がありそうなのに、僕に向かって精一杯腰を折った彼を見て、息を飲んだ。
「頭を上げてくれ」
まずはそう告げた。つい、いつも練習しているリア充語が出てしまい、偉そうになってしまったが、慌てて首を振った。
「あの外郭は、俺でも破れるか分からない。まずは、それを試してみてから考える」
嗚呼、無理だった。練習していないのに、敬語なんて僕には難易度が高すぎる!!
だから振り返らないで、僕は全力疾走した。
側に立てかけてあった傘入れのような所から、木の棒(?)を抜き取り走ったのだ。
そして高く跳び、とりあえず一撃を与えてみる。
――うん、コレ無理!
三度ほど叩いた時に僕は確信した。絶対に破れないよ、この外郭。
だけど……僕だけが死ぬんなら良いけど、必死で頑張っているみんなを見ていたら、彼等を死なせたくないと思ったんだ。
十撃目を与えた時、蛸の触手に似たナニカに、僕は吹き飛ばされた。
ダラダラと額から流れる血が、頬を濡らしていくのが分かる。
「≪ジャック!!≫」
その時、脳裏で、ヒューズの声がした。
帰ってこいとまた言われるのかな、そんな風に思ったら、笑みが浮かんだ。
だが、きっと、そう言われたら僕はこの場を放棄して帰ると思う。
そうすればいつかこの≪世界敵≫は、僕達の住む世界も壊滅させるだろう。
僕は、気づくと、ヒューズからの通信を遮断していた。
――あるいは、帰ってくるな、と言われるかも知れない。
その恐怖を打ち消すためでもあった。
僕は掌を傷に当て、≪レイヴァルダ元帥≫の前へと跳んだ。
「元帥」
「なんだ? やはり……厳しいか?」
「いえ、その……助っ人を呼んできても良いですか?」
そんな僕の言葉に、彼は目を見開いた。
何だろう、まさか、此処にまで僕がぼっちだって伝わっているのかな?
まあ実際、僕なんかが頼んでも来てくれないかも知れない相手だけどさ……。
「分かった。もしそれで、お前が戻らず逃避しても、だ。今の働きだけでも充分だ。来てくれたことに感謝するし、ジャックロフト、お前には礼を言っておきたい。本当に、有難う」
まさかの言葉に、僕は目を瞠った。
お礼を言われて泣きそうになるなんて、本当に初めてに近い経験だった。
「――仮に断られたとしても、俺一人でも、絶対に戻るから」
僕が断言すると、元帥が苦笑した。
「有難う。私は最後に良い部下を――いや、良い友を持った」
今度は僕が苦笑を返し、そのまま意識を集中させて、転移紋を出現させた。
向かう先は決まっていた。
異世界ヴァミューダだ。
今のところ僕が知っている、僕より唯一強い相手がいる場所だ。
幸い、以前に転移紋を刻んだ直ぐ側に、時夜見鶏はいた。
「おい、久しぶりだな」
僕は意を決して声をかける。僕のような矮小な存在を覚えてくれているのか不安でもあったんだ。それでも、だ。今、彼を連れて行かなければ、みんな、みんなが死んでしまう。嗚呼、それが僕だけだったら良かったのに。
「死んでるかと思ったぜ」
余裕そうな口調で僕は言ってみた。本当は余裕なんて全然無かったのだけれど、せめて戦意を煽って、それで更に強い敵の所へ連れて行ってやると言って、誤魔化したかったのだ。
しかし時夜見鶏は無言だった。
相も変わらず夜のような瞳でこちらを見ている。僕は不意にヒューズのことを思い出した。時夜見鶏の瞳には茶が入っているが、ヒューズは本当に真っ黒だ。ああ、あの黒い瞳を、もう一度見てみたいな。それに気づいた時、僕は押さえている掌から溢れ、血が頬を滴っていくのを理解した。もう、もう、煽るだとかそう言う事じゃなくて、時夜見鶏に頼もうと、お願いしようと僕は思っていた。僕達だけじゃ、きっと勝てないから。
「ちょっと来てくれ。頼みがあるんだ」
僕がそう言うと凍てつくような夜に似た瞳で、緩慢に時夜見鶏が僕を見据えた。
そんな目を、僕はこれまでには見た事が無かった。
凍てつくように冷たく見えるのに、なのに――まるで雪で作られた洞窟に灯る明かりのような、どこか温かさに満ちた瞳に見えたのだ。多分わかりやすく名付けるならば、優しさ。それが時夜見鶏の黒と茶を混ぜ合わせたような瞳に宿っていた気がしたのだ。
「……おい」
その時、時夜見鶏が呟いた。そこで我に返った僕は、唇を噛む。
「説明している時間が惜しいんだ」
しかし焦燥感にかられている僕を諭すように、淡々と時夜見鶏が続ける。
「飲め」
そう言って渡されたのは、水色の瓶に入った液体だった。
なんだろう? 普通に考えれば、以前襲ったのが僕だ。絶命させる毒かも知れない。
だが、それでも良かった。それはそれで、楽に死ねるのだし。仮にそうではなく、あの慈愛に満ちた様な時夜見の瞳を僕が正確に理解していて、確かに受け止めることが出来ていたのであれば、それもまた自分にとっては素敵な事だった。仮に僕に優しくしてくれるのなら、そう思ったら、笑顔が浮かんだ。もう毒でも薬でもどちらでも良い。
――飲み干してみると、額の傷が消えた。
やはり、僕に優しくしてくれたのだろう。それだけで嬉しかったが――……ならば、せめて時夜見鶏が来てくれないとしても、僕は再び全力で戦えるまで、体力を戻さなければならない。
「なんだこれ、すごくいいな。体が楽になった。もう一本くれ」
我ながら、我が儘だと思う。だが、出来る限り時夜見鶏の優しさにつけいる事しか、今の僕に出来る事は無かったんだ。傷が癒えて血が止まっても、僕の体は既に限界だと訴えている。今度は、十撃目どころか、一撃で僕は死ぬ。僕は死ぬ事を切望していたはずなのに、なのに今は、一緒に戦っていた皆を助けたくて、そして――……後々は、僕が元々居た世界を滅ぼし、ヒューズを消滅させてしまうだろう、≪世界敵≫を倒したかったのだ。
そんな僕の体力が全回復するまで、時夜見鶏は薬をくれた。五本くらい飲んじゃった。もしかしたら――……時夜見鶏は加勢してくれるかも知れない。そんな思いで僕は告げた。
「よし、行くぞ」
「……ああ」
すると、時夜見鶏は着いてきてくれた。
隣に降り立ったのを確認して嘆息しながら、僕は告げる。
「助っ人を連れてきた」
すると元帥が、息を飲んでから頬を持ち上げた。
「おお若いの、心強い」
他の二人は、どちらがどちらか分からないが、とりあえず僕を見た。
「流石は俺の指揮下」
「頑張ってくれよ」
調子が良いなと思っていると、その内の一人が、攻撃をするための棒を時夜見鶏に渡した。先端に白い球体がついているソレだ。
それを見守りながら、元帥が言う。
「全ての世界の上位にある総合世界でも名だたる≪世界敵≫だ」
そんな事はどうでも良さそうな、至極気怠そうな瞳で、時夜見鶏が僕を見る。
――余裕だという事かな?
思案しつつも、時夜見鶏とならば、この≪世界敵≫を倒せるのではないかと、どこかで僕は考えていた。なにせ時夜見鶏は、初めて僕が倒せなかった相手だし、恐らく僕を殺してくれさえする相手だ。実力は分かっている。僕は表情を引き締めた。
「倒すぞ、行こう」
宣言して、僕は走り、そして跳んだ。
時夜見鶏も、無言で着いてくる。
周囲の神々もそれに従った。だがこの≪世界敵≫の強さは、半端ではなくて、皆が一撃や二撃で倒れ、後ろに後退していく。僕ですら、十撃ほど喰らえば、待避せざるを終えない。
それでも僕は、時夜見鶏に回復薬の瓶をもらい続けて、飲みながら戦い続けていた。
終わりが全く見えない。
なにせ、外郭を破らなければどうしようもない敵なのだ。
額から流れた血が、口の中に入ってきて、鉄の味がした。・
――ああ、僕が怪我をしたら、ヒューズは心配してくれるかな?
そんな事を考えるのは、初めてだった。これまでは、誰も心配してくれる相手なんて居なかったから、最悪の場合は犠牲になろうと、いつだって考えていたから。
外郭さえ割れたならば――そう考える内に、この世界では三十時間ほどが経過していたと思う。その時の事だった。
「おい」
「ん?」
初めて時夜見鶏から自発的に声をかけられたので、僕は額から流れる血を拭いながら視線を向けた。やっぱり夜みたいな声音だった。
「埒があかない、倒すぞ」
「おぅ。俺も同じ心境だ」
倒せる物なら倒したい。僕は心底そう思っている。そして――自信があるのか冷静な瞳で僕を見ている時夜見鶏の姿に、大きく頷いていた。何か算段でもあるのか? そう考え、その場合に備えて攻撃準備を整えた、まさにその時のことだった。
時夜見鶏が、巨大なタコ――≪SSランク宇宙敵:シルバァオクトパス≫の固い外郭を切り裂き、真っ二つにしたのだ。球体ではなくて、棒の方で。これならば、内部に向かい、集中攻撃すれば、一撃で僕にも倒せるかもしれない。出来ればもう一人SSランクの人がいれば確実なんだけど、此処には多分、名目以外でSSランクの称号を持つ人は一人もいなかったから。
「≪ドドンパ≫」
僕が放てる一番強力な”攻撃用の力”を放った。元々は≪異世界から来た≫何代か前の勇者が使っていた物だが、それを昇華させ自分の物としていたんだ。名前の意味はよく知らない。ただ両手を合わせてその合間に込めた力を、一筋に放つ。
目の前では、巨大な体躯が崩れていくため、砂埃が舞っていた。
慌てて目を逸らそうと、僕は後ろを向いた。
同時に、僕と同じ方向を向いて、時夜見鶏が着地した。
僕らの後ろでは、砂埃が上がっていく。
正面で指揮や回復をしていた神々達と目が合った。丁度、その時の事だった。
ピロリロリーンと音がした。
「≪総合世界神称号――最強神:時を入手しました≫」
「≪総合世界神称号――最強神:破を入手しました≫」
その声と同時に、僕の右手には、謎の金メダルのような物が現れた。
――!?
え、これ、僕が貰って良いの!?
そう言えばそんな称号を≪ヴァレン≫が口にしていた気もするが、今回倒せたのは、明らかに時夜見鶏のおかげだ。僕が貰う資格なんて無い。早く捨てろと言われると思いながら、時夜見鶏を見た。すると微笑が浮かんでいた。だからとりあえず僕は純粋に賞賛を送ることにした。
「流石だな」
だが僕のその言葉にも、時夜見鶏は穏やかに微笑んでいる。え、これって、どういう意味? 僕でも少しは役に立てたから、貰っても良いって事なのかな? 僕が暫しの間黙り込んでいると、時夜見鶏が目を伏せた。
「もう帰って良いか?」
「うん、またな。今度、飲みにでも行くか」
僕は焦りながら、そう声をかけた。次に会う機会を作って、きちんとお礼を言いたかったからだ。だけど、僕なんかと飲みに行ってくれるのだろうか……未だかつて、僕は誰かと飲みに何て行った事が無いのだ。
「ああ」
しかし時夜見鶏は、頷いてくれた。それだけで、僕は安堵から体の力が抜けそうになったのだった。
まぁ、そんなこんなで、僕は帰宅した。家に帰ってほっとするなんて、初めての経験だったんだ。なんだか良いな。もっと早くに、家を建てていたら良かったなぁ。
「ジャック!!」
するといきなり抱きつかれて、困惑しながら首を傾げた。腕にこもる力が強い……見れば、なんだか不安そうな顔をしているヒューズが居た。
「どうかしたのか? ゴキブリでも出たのか?」
「お前は馬鹿か!! ゴキブリがダメなのは、お前だろうがッ!!」
そう言われてしまうと、返す言葉がないので、視線を逸らした。
僕は、虫が苦手なのだ。
「とりあえず手当をするからこっちに来い!!」
強引に右掌を掴まれたから、僕は息を飲んだ。
「いッ」
そこは丁度タコ(仮)の触手が当たって半分ほど切り裂かれていた箇所だった。
まだ色々なところに、僕は怪我をしたまんまだ。するとヒューズが焦ったような顔になる。
「あ、わ、悪い……」
「いやその、ヒューズは何も悪くない。こっちこそ悪いな、心配してもらったのに」
言いながら、僕は眉を顰めた。心配? 僕を心配? 僕を心配する人(神)なんているのか? これって多大なる自過剰の上、凄く恥ずかしい事を、僕は言ってしまったのかも知れない。そう思えば羞恥が浮かんできた。
「悪いのは……ぼ、僕――じゃなくて、俺だ!」
宣言してから僕は、ヒューズの手を振り払い、自分のために用意してもらった部屋へと走った。階段を駆け上る足が、少し震えてしまったが気にしない。顔まで布団を被り、僕は自分の勘違いに恥ずかしくなっていた。
すると暫くしてから、ノックの音がした。
声をかけようかと思ったが、まだ僕は自分の勘違いが恥ずかしすぎて、布団を被ったままだった。だが、ヒューズは入ってきた。
「ジャック」
「……」
「俺には心配する事も許してくれないのか?」
その声に、本当に心配してくれているのだろうかと思うと、僕の頬には涙が伝ってきた。
「確かにこの世界で、一番最強なのは、ジャックだな」
そんな事はない。そんな事はないのだ。僕は、誰にも愛されたり恋されたりしない。そういうのをされる人が多分一番最強なのだと思う。それは例えば、ヒューズだ。ヒューズくらい格好良くて綺麗ならば、誰だってよりどりみどり(?)だと思う。
「だとしても、だ。他の世界では分からないし、いつか強い勇者が来るかも知れない」
「……でも、そうなれば、ヒューズも俺から解放されて好きに生きられるだろ」
僕は涙を堪えながらそう告げた。
「お前こそ、俺の事が嫌いならさっさと追い出せばいい。外になんて行かずにな」
「は?」
何を言われているのか分からなくて、布団を少しだけ捲った。
そしてこちらをじっと見ているヒューズを見つけた。戦ってる時に、あれほど見たいと感じていた、真っ黒な瞳だ。何で見たいと思っていたのかはよく分からないんだけど。
それにしても本当に、ヒューズが何を言いたいのかが分からない。
「……? 俺が外に行くのは、この世界を含めて、全部を守るのに役立つからだって知ったからだけど……?」
だってさっき、確かにみんなや、この世界が消えちゃうのは嫌だなって思ったし。
「っ、本当に?」
「ああ。だから前々から言ってる。嫌だからとか、そんなんじゃない。俺がいたら嫌なのは、お前の方だろう?」
困惑しながら僕は聞いた。
まぁ外に行くのだって、滅多に誘われないんだけどさ。
≪ヴァレン≫が声をかけてくれるのは、基本的に僕は暇だって知ってるからだと思うし。
「俺と過ごすのが嫌だから他の世界の神々に戦いを挑んだり、≪世界敵≫という奴と戦っていたんじゃないのか?」
「なんで? そんなはずないだろ」
僕がそう言うと、息を飲んでから、ヒューズがその唇を掌で覆った。
それから僕達の間には再び沈黙が横たわり――……疲れきっていた僕は、そのまま眠ってしまったのだった。
翌朝。
目を覚ますと、良い匂いがした。
僕の手には包帯が巻いてあった、凄く不器用に。
おずおずとダイニングキッチンがある下へと降りていくと、相変わらず味噌が浮かんでいる味噌汁が出てきた。だが、なんだかそれでさえ嬉しくて、懐かしくて、心が温かくなった。やっぱり家って良いなぁ。
「おはよう」
「おはよ」
かけられた言葉に、緊張しながら返す。まだ、僕は、こんな風に僕に挨拶をしてくれるヒューズに慣れないでいる。これまで誰一人、僕に朝の挨拶をしてくれる人なんて居なかったのだから。だから、だからこそ、疑問に思った。そうであったから、僕は勇気を出して聞いてみることにした。このまま勘違いで終わるのならば、ソレはソレで良かった。
「所でさ」
「なんだ?」
「ヒューズは、どうして家を建てて、此処に居るんだ?」
「は?」
「人間の創作した神話が、俺がお前を娶ったって言う物だからか?」
「なッ」
「どうせいなくたって、俺が隠してるフリをすれば人間には分からない。いるのが嫌なら、その、帰っても良いんだぞ」
本当は一緒にいて貰いたいと思いながら、僕は薄いような、しょっぱいような味噌が浮かんだ味噌汁を飲んだ。こんなに優しくしてくれるヒューズに、これ以上迷惑をかけちゃダメだと思うんだ。いつか僕は、その優しさに縋り付いてしまう気がして怖い。
「――お前さ、ジャック」
「ん?」
僕が首を傾げていると、立ち上がったヒューズが、この前みたいに、後ろから僕を抱きしめた。なんだかそうされると、胸がざわざわする。どうしてなのかな?
「今、どんな顔してるのか、自覚してるのか?」
「は?」
「何で泣きそうな顔で笑ってるんだよ」
「べ、別に俺は――」
否定しようとした僕の顎を掴み――今度は誰からの連絡も無かったからそのままで居た僕の唇を、唐突にヒューズが貪った。口腔を探られるように歯の後ろを舐められ、それから舌を刺激される。苦しくなって息をすると、今度は歯列の上を舐められ、そうしてから、舌を絡め取られた。身動きして回避しようとしたが、僕の後頭部を押さえたヒューズの手がそれを許してはくれない。そのまま引きずり出された舌を噛まれ、僕は背を撓らせた。
「っあ」
漸くヒューズの唇が離れた時、唾液がまだ線を引いているのを自覚しながらも、僕はクラクラして肩で息をした。何コレ、なんだコレ?
「馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけどな、最高に馬鹿だよ、お前は」
「な」
「この世界では強すぎるお前には、いくら惚れても、綺麗だと思っても手を出せる奴なんていないだろうけどな、別世界なら違う」
「……?」
「俺はずっと、お前が好きだった。お前のことを自分の物にしたかった。だから人間をそそのかして今の神話を作らせたんだよ。他のこの世界の神々を蹴落とすために」
「え……?」
「そうしたら、別世界があるだと? お前はどれだけ俺を嫉妬させれば気が済むんだよ!!」
何事か分からないというよりかは、ヒューズがどうしてそんな事を言うのかが分からなくて、僕は首を捻った。――僕を自分のものにしたいって、どういう意味なのかな? それに、他の神々を蹴落とす? よく意味が分からない。
「みんな牽制し合って、お前の所に行かないように気を配ってるんだぞ?」
「まさか」
「そうなんだよッ」
「だけど――」
「お前が知らないだけだから!!」
僕の言葉を遮って、ヒューズが続けた。目を瞠った僕は言葉を失う。
「俺は。顔だけが好きなんじゃない。全部好きなんだよ。だからお前が俺以外の誰かの所に行く事も許せない」
「それって……」
「好きなんだよ、どうしようもなく。だから、だからもう、怪我して帰ってきたりするなよ」
再び強く抱きしめられた時、僕は赤面せずには居られなかった。
これまでに、ただの一度も好きだなんて言われた事は無かったのだから。
「お前の心が欲しい。だけど、それ以上に、お前が傷ついている姿を見るのが嫌だ」
「ヒューズ……」
「好きなんだ、好きなんだよ」
泣くようにそう言ってから、再びヒューズが僕にキスをした。
「っう、ァ」
僕の声が漏れるにも関わらず、深く深く、だ。
「初めは一緒に暮らせればいいと、それだけで良いと思っていた。だけどそれじゃ足りないんだよ。俺の――恋人になってくれよ。愛してるんだよ、本当に」
ヒューズの切なさがありありと浮かんでいる声に、僕は苦しくなった。
それまで好きの意味がよく分からなかったけど、キスして、それで恋人って……それって……? え? え? れ、恋愛!? そ、そう言う意味なのかな、そ、そうだよね?
だけど相手が僕なんかで、良いのだろうか?
「ヒューズは、俺と違って――」
「なんだ?」
「モテるだろ、だから俺なんかじゃなくても」
「なんか、じゃない。お前が良い。それにモテるのはお前だろ」
未だかつて、そんな記憶は一度もない。
もしそうだと思って居るんなら……第一、そもそも僕の『顔』だけじゃないとか言っていたんだから、明らかに、明らかに、視力に問題があるのでは……? いや、味噌汁も美味しくなかったし、味覚にも問題あるよね? もしかしてヒューズって、五感が上手く機能していないのかな? とりあえず、兎に角、目!
「が、眼病?」
「視力は良いぞ、かなりな。10.0レベルで近視も遠視もない」
「別の病院に行った方が……」
「誤魔化すな」
そう言って再び、ヒューズが僕の顔を掴み、唇を貪った。
その指先の感触にも、舌の感触にも、まだ慣れないヒューズの温度にも、なんだか胸が疼いた。
「ふァ」
体がゾクゾクとする。寒気ともまた違うのに、体を這い上がるように、ナニカが背筋に走った。体が震えるのに、酷く熱い。
「んぁ、や、止め」
僕が必死に体を押すと、ヒューズが体を離した。
瞳に涙が浮かんできたのが自分でも分かる。
「俺とキスするのは嫌か?」
「そ、そうじゃない、だけど」
「だけど?」
「こういうのは、恋人同士じゃなきゃやっちゃダメだろ」
僕が睨め付けるように言うと、ヒューズが息を飲んだ。僕だって、一応古い神様なのだ。快楽主義者でもないし。だから、弄ばれるなんて嫌だ。するとヒューズが言う。
「俺達は、俺がお前に娶られた以上結婚して居るんじゃないのか?」
「――そんなの、人間の”神話”だろ?」
「それだけじゃ……お前の恋人には、なれないのか?」
「あたりまえだろ。ヒューズが俺の事を好きじゃなかったら何の意味も無いんだからな!!」
そう宣言すると、呆気にとられたようにヒューズが目を見開いた。もしかしたら、やっぱり僕の勘違いで、ヒューズには、恋愛だとかそう言う意識はないのかも知れない。だってまだ、若い神様だし。
「俺はお前のことが好きだぞ」
「は?」
「逆だ。お前が、俺の事を好きなのか、嫌いなのか、それが、それだけが問題なんだよ!!」
僕は、今まで、誰にも好きだなんて言われた事がない。
悠久の時を過ごす中、ただいつも”敵”として、それだけで、”存在証明”を得ていた存在だ。だから、なのだから。僕が、誰かを好きになる? そんな資格、無いのに……。
「嘘だろ?」
気がつけば、嘲笑しながらそう告げていた。涙が何故なのか浮かんできたが、気にしない。
「別に俺を籠絡したって、優しくも何も出来ないし、豪華な生活が出来ないのも、もう分かっただろ? さっさと帰れよ」
それから僕は頭を振った。辛くて言葉が出てこないから、唇を噛みしめる。きっとヒューズは、何か勘違いをして、それで僕のことを好きだなんて言っているんだと思う。ならば、僕はきっぱりと、神界にヒューズを帰してあげるべきだよね。何故なのか……寂しいけど。
瞼を伏せて、早くヒューズが居なくなれば良いと願った。
だってここには今、僕を殺してくれる人(あるいは神)は、誰もいないのだから。
だが。
気づくとまた抱きしめられていて、虚を突かれた僕は目を見開いていた。
「無理だ、好きなんだから。初めから豪華な生活なんて無かっただろ、帰る気はそれでも無かった。でもな、お前は優しかった。優しかっただろ、いつも。俺の下手くそな料理を美味しいって言ってくれただろ。本当は分かってた。何度練習しても、俺には上手な料理なんて作れないんだ。それでもお前に食べて欲しくて、それで、戦いから帰ってきたお前を少しでも労いたかったんだよ。本音を言えば俺が戦いに出て、お前には家で待っていて欲しいくらいだった。何せな、神世界では家事をやった事なんて、俺は一度も無かったのに、お前は全部出来るんだからな。ずっと家事だけやって欲しいと、それでも言えなかったのは、お前が戦うのが好きだと思ったからなんだ。好きな相手を苦しめるような束縛を、俺はしたくない」
つらつらと耳元で囁かれて、僕は目を瞠ったまま、何も言えないでいた。
そして全てを聞き終わった後、思った言葉は、多分最低な発言だ。
「お前もやっぱりあの味噌汁、不味いと思ってたのか?」
「っ」
「味噌浮いてるし」
僕の言葉に、ヒューズが頬を引きつらせた。
「あ、ごめんな、その……や、あの……だから、その」
上手い言い訳が出てこない。
「だったらお前が作れよ!!」
ヒューズが言った。僕は大きく頷いた。
「ああ! 頑張るよ! できれば、他の料理も、僕……俺が作る!!」
「コレで俺より不味い物を出したら袋だたきにするからな」
「分かった」
絶対袋だたきにされる自信がない。ヒューズが味覚音痴でない限りは。
とりあえずは味の比較のために、しばらくの間は、三日に一回はヒューズが料理を作ることになった。しかしこれって――……ヒューズはまだ、僕の側にいてくれるって事だ。
だがこれで、なんだかんだで、炊事洗濯皿洗い、全部僕がやることになってしまった気がする。ただ、それでも良かった。多分僕は、初めて僕の事を好きだと言ってくれたヒューズの事が、今ではもう大切だったから。