王立学院と序幕
「はじめまして。ナノ・バース=ワイトレッドだ。よろしく」
眠い頭で、俺は差し出された手を見た。
握り替えしながら、もう世界は冬なのだなと思う。もうじき雪が降るだろう。
「どんな節約家が来るのかと期待したが、大したことなさそうだな」
鼻で笑うように、ナノに言われた。
銀髪を揺らしている青年は、二十代半ばくらいだ。
彼自身が人形じみていて、作り物めいた美を放っている。
客観的に見て美しい――それは事実だろうが、心には何も響いてこない。
俺はやはり容姿を気にする方ではないのだろう。
ただ。
思わず泣きたくなった。
声が、そう声が、嘗て俺が愛した人物とよく似ていたのだ。
彼はこんな口調じゃなかったし、優しかったから、与える印象は全く異なるというのに、声音だけはそっくりなのだ。
「帰る」
殿下も宰相も日常の政務があるため、一人きりで此処までやってきた俺は、ポツリと宣言した。心臓が痛い。
「ちょ、ちょっと待て。嫌味の応酬すら出来ないのか?」
すると焦るように、ナノに引き留められた。
深々と目を伏せ、焦燥感が滲む声に、さらに辛くなった。
想い人と離れてから止まっていた時間が迫り来る気がした。
「貴方は、東の奇術師と呼ばれたユニ導師の縁者か?」
「……っ、何故だ?」
「……別に」
「確かにユニは、俺の家の始祖だ。ただ俺の祖母が、本家の妾だったから、直接的に血縁関係を暴かれたことは、ただの一度もない傍系だ」
小首を傾げ、怪訝そうにナノがいう。
長めの髪が揺れていた。
「待て……ネルと言ったな? まさか、コーネリウス卿じゃないだろうな? 世界最強の大賢者なんて馬鹿げた異名を持つ……」
「いいや」
「ああ、そうだな……生きておられるとは耳にするが、そのこと自体が魔術の生み出した奇跡だとされているのだから」
咄嗟に否定した俺は、気づかれぬように溜息を吐いた。
「ユニと、コーネリウス卿――ネル様は、恐れ多くも好敵手だったらしいな」
「ああ……馬鹿なことばかりしているユニと真面目一直線のネルという説話があるな」
現実は違ったけれど。
今でもお伽噺になっていることを思えば、少しばかり頬がゆるむ。
ユニはいつだって汚い俺を包み込んでくれた。
彼が失踪したと聞いた時には既に側にはいなかったけれど、何かを喪失した気持ちになったことを良く覚えている。
「ネルという名前は、嫌いじゃない。それで? これから何を教えるつもりだ?」
「いや……俺は、ただ有名なナノ先生を見に来ただけだ」
「ふざけるな。俺が過労死する。話が違う。最低五つは代わってもらうからな」
不機嫌そうな表情になったナノに怒鳴られた。
思ったよりも感情的な人間なのかも知れない。
無機質だったユニとは対極に位置するなと感じた。しかし奇妙な縁だ。
――アイツの子孫のことならば、もう少し見ているのも悪くない。
「……何を代われば良いんだ?」
「教務と歴史と医術と薬学と魔術を代わってくれるのが理想だな。どこまで出来る? というか、お前は何者なんだ? 節約の神としか聞いていないんだ」
「ごくごく平均的な魔術師だ」
「どこの国の出身だ?」
「忘れた」
「孤児か?」
「どうだろうな」
「言いたくなければ構わない。それで、どこでもしくは誰に魔術を習った?」
「あー、師弟関係を結んだ魔術師がいた」
「専門は?」
「節約らしいな」
「馬鹿にしているのか? 節約と言っても、魔導節約術が専門というわけじゃないだろうな? ”取り出す”事が出来るような」
「……少しくらいは節約魔術も使えるさ」
「理論派か? 実践派か?」
「最近は理論ばかりだな」
「イチオシの理論は?」
「――比較幾何学人形構築検索術のコールラルリア理論とシュトリウム」
「っ」
「なかなか面白い論文だったと思うぞ」
「せ、世辞はいらない……にしても、良くそんなマイナーどころの俺の論文をチェックしていたな」
「お前を見に来たっていっただろう」
そんなやりとりをしていると、ナノが歩き始めた。
ぼんやりとそれを見ていると、振り返って立ち止まった彼に顎で促された。
「着いてこい、此処は寒い」
「ああ」
それから職員室へと案内された。
それなりの広さだが、俺とナノしかいない。
ナノは俺にお茶を用意しながら、嘆息した。
「そもそも何故俺がユニの血縁者だと分かったんだ?」
「別に」
「じゃあネル様の理論の中でのイチオシは?」
「特に」
「適当だなお前は」
「……そう言えば、何故、ネル”様”なんだ?」
「っ、憧れているんだよ」
そう言ったナノが、俺の前に、乱暴にお茶を置いた。ミレルア茶だ。
すっきりとした香りが広がる。
「所で、教務とはどんな仕事をすれば良いんだ?」
「――何?」
「他は察しがつく。教科書があるならば寄こせ」
「……本当に代わってくれるのか?」
「過労死するのを見ているほど鬼じゃない」
湯飲みを手に取り傾けると、体温まり、ああ冷えていたのだなと分かる。
こうしてその日から、俺は教師の仕事もすることになった。
――ここまでが、俺の前提で、序幕だ。
灰色の秋が終わりを告げ、真新しい冬が来る。
来る冬の物語、俺はそれを綴っていこうと思うんだ。