国を知る
その日、俺は教科書類を受け取ってから、研究すると行って資料を手に、早めに学院を後にした。空間魔術で、”逆巻の塔”の研究用の書斎の机に、それを放り投げてから、俺は街へと向かうことにした。
これから暫くの間、俺はこの王国で暮らす。
いつか旅をしていて実感したことだが、比較的長期にわたり滞在する場合は、まずは土地を知ることが大切だ。どんな人々が生きているのか、どのように暮らしているのか。
無論俺の生命にかかれば、どれだけ長くいようとも”長期”とは、ならないのかもしれないが。
さて、俺には、ちょっとした技術がある。
まぁ長い人生、大抵のことは出来るようになったが、中でも特別得意な事柄というのは存在する。そして需要があるもの。それを兼ね備えているのは、杖の製作売買と魔力回復薬の類の売買だ。俺は露店街を見つけ、空き地に机を”置いた”。取り出せば目立つから、露店用に準備されていた机を一つ借りて、路に置いたのだ。そこに深緑色の布を、鞄からさも出したように手に取り、かける。
相場は、相場雑誌を愛読しているから、平均的なものは分かる。
そこからどの程度かけ離れているのかは、これから知ればいい。
薬品の入ったポットを机に並べ、後ろにある壁には杖を立てていく。
それから簡素な丸い巣に座り、道行く人々を眺めた。街の者も多いが、旅人もそれなりにいる。聖ヴァルディギスは、雪国だと聞くのに、この時期にわざわざやってくる理由は何なのだろうか。
――雪は、破壊と再生の象徴だ。
それから年齢層や性別をながめ、なるほど孤児が多いなと思う。
服装から一目で分かる。
ただし奴隷はいない。珍しい国だ。女性よりも男性が多いのは、食品系列の露店街ではないからかも知れない。いつかユニと二人、真昼に食材を見て歩いていたら、ひそひそと噂話をされたことがある。俺は意識したが、ユニは笑い飛ばしていた。同様のことが、弟子ともあった。弟子は若くて免疫がなかったからなのか、真っ赤になっていた。そのどちらも、俺が男と付き合っているという噂を煽ったわけだが、恐らく同性愛者の俺には洒落にならない噂である。
三時間ほど眺めた後、立ち上がり、杖を配置し直した。
売れない……もっとも、さして売る気はないのだが、立ち止まる人々もいないのだから溜息が出る。見る者が見れば、気づく程度の品もあるのだ。誰も気づかないとなると、この国の魔術浸透度は大変低い。あるいは旅人すら気づかないのだから、現在の世間とはこんなものなのかも知れない。
そんなことを考えていた時だった。
「――その杖を見せてくれないか?」
クリーム色の外套を着た旅人らしき男が、不意に声をかけてきた。帽子を深々と被っている。視線を向けて一瞥し、魔力の程度を窺った。
俺は今まさに手にしていた不死鳥木から削りだした杖を、素直に手渡す。
一見すれば、ただの楓製の杖にしか見えないはずである。ちりばめた本真珠も、模造品にしか見えないはずだ。
「貴方は杖職人か?」
「いいや」
「では魔術師の副業か?」
「……買うのか?」
「この杖は貴方が作ったのか? それ次第だ」
「……」
「不死鳥木は、”緑石の塔”にしか現存しないとされている。杖にしろ材料にしろ、どういう経緯で手に入れたのか聞かせて欲しい」
「現存しない……? ビジナ高原やヒサナ湿原、レルリナ密林地には流石にあるだろう?」
「詳しいな……だが、それらの地は、大陸一級指定危険区域で魔族の坩堝だ。全ての場所に、ラーザ様が結界を張っている。人間が手に入れられ、あまつさえ露店で売る杖に使用できるなど……本来であれば考えられないことなんだ。だが、可能性としては、”緑石の塔”から入手したとしか考えられない」
響いてきた名前に、俺は瞠目した。
久方ぶりに弟子の名前を聞いた。弟子は結界術が決して得意ではなかった。
なのに……成長したものだ。会わないこの期間、弟子は、あるいは俺を超えただろうか?
あの子には、才能があると、今でも俺は思っている。
「ラーザは元気にしているのか?」
つい、俺は聞いていた。すると、男が目を瞠った。三十代前半くらいの外見で、少し日に焼けていた。金色の髪が、冬風に揺れる。
「ラーザ様をご存じなのか?」
「……まぁ、ちょっとな」
「もしや貴方は、ゼルディ様じゃ――」
「誰だそれは?」
なにやら俺は勘違いされた。ゼルディ……必死で思案する。だが、聞いたことがない。
「人違いか」
「で、誰なんだ?」
分からないことは聞くに限る。師匠がよく言っていた。聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥。
魔術師の祖の碑文にもこの言葉は出てくる。
「ラーザ様が今も秘匿している唯一の弟子殿だと聞く」
「お前が聞いてるんなら、秘匿されていないだろう」
「っ」
「ラーザの弟子、か。唯一……その話しは嘘だな」
「な」
「ラーザには、俺が知る限り十二人の弟子がいる」
「それは伝説の魔導師様達だろう? 皆、没している」
「どうだろうな」
「近年おとりになった弟子の話をしているんだ――まさか貴方は、亡くなったとされる大魔導師様の一人ではないだろうな?」
「勿論違う。じゃあ……十三番目の弟子か」
「ああ」
「弟子を取る位なんだから、元気なんだろうな」
「いいや……噂では、師である大陸一の大賢者ネル様が、行方不明になったと言って、伏せっておられるそうだ」
「……なんだって? 何故そんな事がラーザに分かるんだ?」
「ネル様に危害が及ばないように、ランバルド王国と取引をしているというのは有名な話しだろう? あの国は、そのおかげで、結界もラーザ様に張ってもらっている」
知らなかった。あの弟子は、俺の知らない所で、俺のために動いていてくれたのか。
そうしてラーザの事を思えば胸が痛んだ。
ならば、一度くらい顔を見せてくれれば良かったものを。
そもそも何故出て行ったのだろう。嗚呼、きっと、俺が至らなかったからだ。
「所でお前こそ誰なんだ? 随分とラーザに詳しいみたいだな」
「部下のイワルと言う」
「部下?」
「大陸統一魔術教会で理事をしている」
「なるほど、聞いたことがある。イワル・ハートネスか。洗脳魔術を復古したという」
「お見知りおき頂いて光栄だ」
「若くして理事になるのも納得だな。ラーザも理事をしているのか?」
「理事長兼議長だ」
「へぇ」
昔は熱いお子様だったが、今はそんな堅い職に就いているのか。
これでは引きこもりの俺が見限られたのも仕方がないのかも知れない。
「それで貴方は結局誰なんだ? さぞ名のある魔術師なのだろう? ……なのにお顔を知らず、申し訳ない」
「いや、名も無き魔術師だ。ラーザとは昔、たまたま偶然隣の部屋に住んでいただけだ」
決して嘘ではない。確かに俺達は隣の部屋を使っていた。
「そうか……では、ラーザ様の生活音を聞いて過ごした過去があるのか……」
「は?」
「許せない……くそ、羨ましいな!」
「ど、どういう意味だ?」
「俺の大切なラーザ様に男の影……くッ、つ、辛い!」
突如興奮し始めた男を、俺は呆然と見守るしかなかった。
イワルというこの青年は……まさかラーザの事が好きなのか?
「ラーザ様は渡さないからな!」
「あ、ああ……そ、それで、杖は買うのか?」
「買う」
……俺は困惑したので話しを元に戻し、淡々と精算した。
杖を手にイワルは帰っていく。
それを見送りながら、なんだかよく分からないなと思った。