火龍の碑文
”逆巻の塔”に本格的に戻った俺は、やかんをコンロにかけてから、卓上灯をつけた。
緑茶を淹れる用意をしながら考える。
そもそもこの世界のどこまでが、旧文明から受け継がれたもので、どこからが”オリジナル”なのか。それは俺達に残された命題だ。悪い部分が全て雪に覆い隠されたとは考えられない。例えば魔王だって生まれ出でるのだから。
――そもそも何故、旧世界は滅んだのか。
俺はそれが知りたい。
鳴き始めたヤカンから急須にお湯を注いで、茶を入れる。
椅子をひいて座りながら、俺は机の上を片手で撫でるようにして、広げた状態の資料集を出現させた。これは旅をしながら、あるいは文献研究をしながら、俺がまとめた代物だ。
魔術映像を所々にはめ込んであり、触れればそれらは宙に展開して遺跡の懐石状況を表示する。青い四角。湯飲みを置いてもう一方の手で、小さな魔法陣に触れると、音声ファイルが表示される。魔術師の祖のものとされる音声ファイルも持っている。
今この世界には、旧世界から通じるとされる遺跡が5つある。
1つ目は、魔術師の祖の遺跡。
始祖、アユキが”雪楼閣”という拠点を出て、次ぎに定住した場所とされている。
彼はここで複数の”仲間”と”弟子”を得たとされている。
記述によれば、”雪楼閣”から南に遠く離れた場所にあるとされている。けれどこの遺跡から南に位置する国々に、”雪楼閣”は確認できない。この遺跡は今では開かれ、神殿として祀られているから、誰でも入ることが出来る。その姿は、ジンジャと呼ばれる遺跡群に少しだけ似ている。最も地下に立ち入るのは、所持しているブルーフォレスト帝国の許可がいる。
2つ目は、剣士のその遺跡。
アユキと最も親しく、アユキのこの世界での道しるべになったという剣士の祖の遺跡だ。
こちらは俺が発掘した。イチジクの意匠が施された神殿だ。
秘匿されているのだろうと皆が地下を掘っていたのだが、その実は山の上にあった。
小さな入り口を持つピラミッドに近い。
ピラミッドは魔術媒体だ。一説には彼は、剣士の祖であるほかに、アユキの師であったという説話もある。伝説が多すぎて、剣士の祖については逆に分からない部分も多いのだ。
3つ目は、火龍の魔術師の遺跡。
そう、そうだ。火龍の魔術師はリオ・サカザキというのだ。これはフィールディナ連邦にある。連邦各国に跨るようにして、星座の形に展開された遺跡だ。星座は今では杖を彩る魔石の配列に使われることが多い。彼が現れたことで、魔術師の地位は大きく変わったとされている。彼と親交が深かったとされる”冒険者”――”花龍の剣士”が、大陸ギルドの中興の祖とされている。この世界において冒険者という概念が再定義された時代――ああ、始祖と火龍の魔術師には面識はあったのか。
4つ目は、魔王の遺跡。
これは、”最初”に出現したとされる魔王の遺跡だ。俺は、二回目に現れた魔王に会ったことがあるわけだが、格が違うと魔王本人が言っていた。魔王のことは、次世代の魔王にも、魔族達にもよく分からないらしい。特にこの最初の魔王のことに関しては。ここは非情に旧文明の残り香が強い文明だ。俺の師匠曰く、科学的なのだという。今でも迂闊に足を踏み入れれば神隠しに会うという。
――そしてそれは、ただの噂ではない。俺は嘗て確認した。普通の人間が足を踏み入れた場合、魔術師や剣士としての大きな力を得るか、魔族になる。一定の場所にそう言う効果をもたらす”何か”が確かに存在するのだ。当時はその話しが漏れて、何人も魔族に成り代わった。それをとどめるために、弟子と結界をはりにいき、俺達は”魔術の深淵”に触れることとなった。
5つ目は、創世神遺跡だ。
女神ユーリと男神マオの遺跡だ。
ここは今でも立ち入り禁止だ。俺の師匠達の一つ上の世代が、立ち入り禁止の結界を張ったらしい。破ろうと思えば不可能ではないだろうが、師匠が唯一俺に命じた事柄が、決して立ち入るな、だ。――師匠か。師匠は今頃、どこで何をしているのだろう。本当に不老不死になろうとしたのだろうか? もう少し出て行くのが遅ければ、俺が”魔術の深淵”について話すことが出来たというのに。
そして見つかっていない”雪楼閣”と、俺とラーザが見つけた”魔術の深淵”が存在する。
”雪楼閣”は当然懐疑派もいる。
俺が存在すると信じているだけだ。
けれど、”魔術の深淵”は確実にある。なぜならばあれが存在しなければ、俺は不老不死には成らなかったからだ。発見したのは、偶発的な事件においてだ。
”魔術の深淵”は、不定期に、このハポネス大陸のどこかに出現する。
57あるこの大陸各国のいずれかに、時を超え現れるのだ。何の変哲もない宙に、それは現れる。今でも思い出す。唐突にそこにはめ込まれるようにして現れる、巨大な眼球を。視神経なのか触手なのか。俺とラーザが遭遇した時は、魔王の遺跡の最下層で、不意に現れた。俺が他の魔導師を逃がしながら結界を構築していた時、あの時ラーザは前に出て、なんて馬鹿なんだと俺は焦って、それで、二人そろって尋常ではない威圧感の前に立ちすくみそうになり、結果として不老不死となった。あまり良い思い出ではない。
――自動魔術が、俺の思考に同意して、目的情報を検索する。
勝手に頁が捲れ、火龍の碑文に関する資料を表示する。
火龍の碑文は、火龍の魔術師の遺跡の深部で発見された代物だ。一連のお伽噺が記されている。目を覚ました所、火龍の魔術師は、この世界にいたという物語だ。神々の子がこの世界に現れた奇跡の証拠。けれど俺は、神の存在には懐疑的だ。火龍の魔術師は紛れもない人間だったと考えている。
「入っても良いか?」
「ラーザか」
ノックの音が響く。
言われた言葉を気にして、俺は結界を張らずに篭もっていた。
そこへやってきた弟子は、慎重に扉を開けた。確かにこの部屋の扉は壊れそうだが、そこまで丁寧に開けなくても良いと思うのだが……。
「……ここに三百年もの間いたのか?」
「悪いか?」
「心配にはなるな」
心配。まさか弟子に心配される日が来ようとは。感無量とはこういう事を言うのかと、胸が温かくなった気がした。
「――もう丸四日もたつけど、まだ終わんねぇのか?」
「は?」
「は、って……飲まず食わず寝ず……」
「そんなに経ったのか?」
「ネル……」
俺の言葉に、ラーザが半眼になった。
まずい、四日も経ったと言うことは、そろそろ教材研究にも戻らなければならない。
結局めぼしい成果はないまま、俺は”逆巻の塔”を出ることとなった。