<15>
僕の特技(?)は寝ると機嫌が直ることだ。
だが昨日の件はちょっと恨みが残っている。だから顔を洗ってから溜息をついて、僕はダイニングへと向かった。金輪際あの二人を寝室へと近づけるのはやめにする。自主的に向かったのは初めてだが、お腹が減るのは仕方がない。腹八分目にして、今日も創作活動に現実逃避して、昨日のストレスを発散しよう。
「「師匠」」
すると二人は既にテーブルに座っていた。そろって声をかけられたので視線を向ける。とても笑顔を浮かべる気分にはならなかった。
「純愛について真剣に考えたぞ」
「俺も俺も」
二人の声にじっとした視線を向けながら、僕は椅子をひいた。聞こうじゃないか。小さく一度頷く。そうしながら卓上のカットレモン入りの水を見る。するとレグルスが大丈夫だと言って笑った。それから僕に向き直る。ジャックも僕をじっと見ていた。そして二人は声をそろえた。
「「純愛とは、俺達が師匠に抱いている感情だ」」
「やりなおしだ馬鹿者共――!!」
朝から叫んでしまった。ああ、頭痛がする。胃も痛い。とてもご飯を食べられる気分じゃなかったが、目の前には美味しそうなパンケーキがある。しばし考えたが、少しはお腹に入れておくかと思い、僕はナイフとフォークを手に取った。ああ、もう! 今日はいちゃいちゃの甘い甘い展開を書いて気分を変えよう。本当にやっていられない。いやこういう時は、ばっさばっさと魔物をなぎ払うのも気分が良くなりそうだ。うん。そうしようかな。A級くらいで。
そこで食後、僕は出かけることにした。以前二人には一人で行かないようにと言われたが、そんなモノは意図的に忘れることにした。一見これは死亡フラグだが、生憎一応僕だって自分の力量くらいはわきまえている。
早速酒場に寄ってから、僕は一枚の羊皮紙にスタンプを押して貰った。
そして≪空間転移魔術≫で、最寄りのダンジョンへと向かう。
「【BLスイッチ】――嗚呼もう呪文思い出すの面倒だ、ズドンズドンズドン!」
僕はブンブン杖を振り回しながら、ズドンと言う度に範囲魔術を起動し、大量にひしめいていた魔物を殲滅した。勿論正式な呪文はあるのだが、脳裏の魔法陣を描いておけば、無詠唱でこのような使い方も可能なのである。
元々この魔術は、ピーチティ王国の魔術師団の”戦略魔術師”の使用方法らしい。現地の人々だ。戦略魔術師は、戦争時に活躍したり、黒い仕事――暗殺などをしているらしい。ダンジョン攻略は現地の人々もしているそうで、時折入り口などで遭遇することがある。
そう、異世界だけあって、現地の人も普通に暮らしているのだ。
たまには観光でもしてみようか。あの分厚い本を使えば、ポイントを現地通貨に換金できたはずだ。恐らく豪遊できると思う。誰か誘ってみようかな。環とか。環なら昨日の件(帽子屋の方)も知っているから、愚痴(?)も言いやすいかも知れない。しかし生粋のひきこもりだった僕には、人を誘うなんて言う高難易度なスキルはない。チャットだって、これまでに三月にさえ一度も自分から送ったことはないのだ。そもそも一人でお店に入る度胸も僕は持ち合わせていないではないか……。うん、観光は諦めよう……。またの機会と言うことで。大人しく帰って、イチャラブなお話を書こう……。
こうして僕は帰宅した。
シャワーを浴びてから、パソコンの前に座る。三月からチャットが飛んできたのはその時のことだった。
「はい」
反射的に出る。昨日は助けてもらったし、お礼も言いたかった。
『体は大丈夫ですか?』
「う、うん」
少々ドキリとしたが精一杯大きく頷いた(見えないんだけど)。
『実は大切なお話しがあるのです』
「大切な話し?」
『二人だけでお会いできませんか?』
「いいけど」
『ではいつもの場所で』
チャットはそこで途切れた。いつもの場所とは茶会の場所だろう。だけどなんだろうか、大切な話しとは。昨日話していたS級クエストの件だろうか? 恐らくそうだろうと思いながら、僕はローブを羽織り直した。それから一応弟子二人には出かけてくると告げて、外へと出る。特に時間は取り決めていなかったが≪空間転移魔術≫で僕はすぐに向かった。
するとそこには、既に三月の姿があった。
テーブルセットの椅子をひきながら、僕は微笑した。
「どうかしたの? それと、昨日は有難う」
考えてみればお礼を言っていなかったので、そう口にした。それよりも三月がせっぱ詰まったような切なそうな顔をしているのが気になって、すぐに本題に入る事が出来るようにした。
「いいえ、貴方が無事で本当に良かった。私は心配でなりませんでした」
「もう平気だよ」
「無理に笑う必要はないのですよ」
「ううん。本当だよ。三月がいてくれたから」
本心から言う。実際には完全に平気だとは思わないが、先ほど気晴らしもしたし、こうして三月と話せるだけで心が軽くなる。そんな風に考えていたら、三月が立ち上がった。そして僕の真横に立って屈み、こちらをのぞき込んできた。? なんだろう。
「私は昨日正確に理解しました。自分の気持ちを」
「え?」
「昴に貴方を取られるのがどうしても嫌でした」
「み、三月……?」
「貴方はやはり私にとって特別なのです。貴方が大切です」
「……あ……有難う……?」
近い。距離が近い。顔を近づけられて、僕は困惑した。しかも気持ちって何だろう。ドクンと胸が騒いだ。こ、これは……これこそが、フラグなのではないか? へし折らなければ! そう思った時には、顎に手を添えて上を向かせられて、深々と唇を貪られていた。驚いて目を見開く。小さく口も開くと、そこからしたが入り込んできた。巧い……意識がすぐにクラクラしはじめるほどに、濃厚で巧みな口づけだった。歯列をなぞられてから、舌の裏を舐められて、絡め取られる。僕は押し返すことすら忘れて硬直していた。ようやく唇が離れた時には、僕の息は上がっていて、目には涙が浮かんでいた。
「そんな風に扇情的な顔をしないで下さい」
すると三月が苦笑するような顔で、変なことを言った。なんだと? というか、ちょっと待て。なにをするんだ、いきなり。このやり場のない感情をどう僕は表現すればいいのか分からない。だが体が反射的に動いていた。思わず三月の頬を張り手で殴ろうとして――手首を掴まれ引き寄せられた。それからもう一方の手でギュッと抱きしめられる。
「私は生まれた時から、実家の企業を継ぐべくして、ずっと家の中で暮らしてきました。私には自由はなかった。家庭教師や使用人とさえ、住む世界が違うと言われて、必要最低限しか話すことは許されなかった。だから、貴方が私にとって、初めての友達なのです。友達だったのです。けれどもう今の私のこの思いは、ただの友情を超えている。ただその名前を知るのが怖かった。ですが、昨日の昴の行為を見て、もう自覚するしかなかったのです。私は、貴方のことを愛しています。貴方が好きです」
一気に言われて、僕は瞠目した。特殊な生い立ちなのだと言うことをまず理解した。しかし問題はその後だった。僕にとっても三月は大切な友人だ。いっそ、もう、親友というのはこういうものなのではないかとすら思う。僕は人生で三日に一度なんて言う頻度で他者と連絡を取った経験は皆無だ。だ、だけど、僕はノーマルだ。ノーマルなんだよ……だからいきなり好きだなんて言われても困るのだ……。
「一方的に私の感情を押しつけていることは分かっています。ですので返事は急ぎません。ただし今この場でも返事はしないで下さい。真剣にじっくりと考えて欲しいのです」
すると苦笑混じりの三月の声が頭上から降ってきた。彼は僕の髪の上に顎をのせると、自嘲気味に続けた。
「私は、家族にすら愛されたことがありません。なので愛という感情を知ったのは初めてで、自分でも戸惑っているのです。よかったらで良いのです、私を愛して下さい」
そう言ってから、今度は両手で僕をギュッと三月が抱きしめた。僕は何も言えないでいたから、暫くその場には無言の沈黙が降りた。それを打ち破ったのも三月だった。
「これが大切なお話しです。聞いてくれて有難うございました」
そして三月は僕を残して、転移して帰っていった。残された僕はと言えば、事態がまだ上手く飲み込めなくて、大きく二度瞬きをしてから空を仰いだ。この異世界にも天気はある。今日は清々しいほどの快晴だった。