<16>
翌日は週に一度の環の家に行く日だった。
環にもお礼を言わなければならないなと思い、僕は午後になってから診療所へと向かった。
呼び鈴を押してしばし待つ。すると環が出てきた。
「今日は来ないかと思った」
「? どうして?」
「男と二人きりになるのが怖くなったかと思ってな。まぁ入れ」
言われてみれば――……それが普通の反応なのだろうが、その後の弟子達の馬鹿な行動や三月からの告白なんて言う大事件があったせいで、僕は何も考えていなかった。まぁこんな事を言うくらいなのだから、環は大丈夫だろう。これまでもずっと二人きりだったけど何もなかったわけだし。いやちょっと待て、これはフラグか……? び、微妙だ……。
「入らないのか?」
「あ、いや」
反射的に返事をして、僕は中へと入った。
それから奥へと通してもらい、いつもの通り黒く長いソファに座る。環が紅茶を入れてくれた。良い香りに、それだけで体の緊張が解れるようだった。
「実はな、お前に謝らなければならないことがあるんだ」
「なに?」
「酒場でお前に声をかけた時――一目惚れしたんだ」
「へ?」
「そして話せば話すほど好きになっていく俺がいた。今では中身の方が好きだ」
「え、ま、待って……なにそれ」
「俺は同性愛者なんだ。それを伝えて、二度と来てもらえなくなることが怖かった」
環は僕の方を見ないままで、淡々と口にした。視線はポットに向いている。
「正直BL書きだと知った時はホッとした。偏見が少ないだろうと思ったから」
「確かに僕は、同性愛に偏見はないけど……え?」
「お前のことが好きだ。一昨日、昴を見た時に、気が狂いそうになった。昨日は、お前はまだ落ち着いていないかも知れないかと思って連絡しなかったけどな、ずっとずっと考えてた。ただし俺は昴を必ずしも糾弾できないと思った。何度お前とそう言う行為をしたいと思ったか分からないからな」
唖然として声が出てこなかった。脱力して、ソファに全体重を預ける。
環が……僕のことを好き……?
いっさい考えてみたこともなかった。まぁひと目惚れの方は、僕だって自分で惚れ惚れする顔をポイントの力で作ったわけだから納得できない訳じゃない。それに性格を好きになってもらえたことも嬉しい。だが……同性愛者で、その上、僕と……性的な行為に臨みたいと思っていたと暗に言っているのだよね? ポカンとするなと言う方が無理だった。
「勿論お前の気持ちが一番大切だから、無理にどうこうしたいとは思わない。それにいくらBLを書いているからと言って、同性愛者ではないと分かっているつもりだ。お前からはその気配がしないからな」
「気配……」
「俺は自慢じゃないが、男にモテる」
「本当に自慢にならないと思うよ」
反射的に言うと環が喉で笑った。それから僕をようやく見た。緑色の瞳が綺麗だった。
「恋人になって欲しいとまでは言わない。ただ、もう隠しておけないと思った。だから、友達で良いから、これからも側にいてくれないか?」
その言葉に、僕は背筋は冷や汗がダラダラだったけれど、大きく頷いた。環は悪い人ではないのだ。それに環のお薬は僕にとって大切だし。例えそうでなくとも、やはり大切な友人だと今では思っている。だから、ずるいかもしれないけれど、環が提示してくれた逃げ道のような言葉は、僕にとってはすごく有難かった。
「これからも、友達で良ければ……また、いつもみたいにこれからも、ここに来るよ」
「有難う。それだけで十分だ」
そう言って笑った環は本当に清々しいほどの笑顔で、僕はどこか安堵して、何度も頷いていた。環はそれから、いつもの通り、僕にお薬の袋を渡してくれた。
「また来週な」
「うん、またね」
こうして僕らは、いつもの通りに別れたのだった。こ、これで良かったんだよね? 僕には正確な判断が出来ている自信がなかった。
何となく歩きたい気分になったから、僕は魔術を使わず、しばらく歩くことにした。
――それにしても。
二人もの人に告白された。そもそも僕はこれまでに告白された経験は一度もなかった。これは俗に言うあれだろうか。モテ期?
「いや、同性にモテてもね」
呟いてから、空笑いしてしまった。弟子二人も純愛だなんて馬鹿なことを言っていたからだ。あの二人は絶対僕をからかっているだけだと思うが。全くビッチ腐男子もたまに見るが、僕はあんまり好きじゃないんだからな!
それにしてもと考える。元凶は全部帽子屋だ。昴と言ったな。思い出してみれば終始笑顔だった。腹黒い笑顔だ。
「俺様生徒会長系攻めにドロドロに犯されてしまえ!」
僕は呪いを込めて呟いた。いいや、俺様生徒会長に失礼だな。無機物にしよう。いや、有機物が良いか。そうだ。触手かスライムに攻めさせよう。兎に角ドロドロになってしまえばいいのだ! 帰ったら書いてやろう。怒りの発散にも創作活動は適していると僕は思う。
そんなこんなで僕は家に帰った。
ピン――と、空気が張りつめたのは、夕食の時のことだった。
これは僕が斜塔の周囲に張り巡らせている結界が、侵入者を察知したのだ。
「ジャック、レグルス」
「なんだよ。俺の血液型カプに関する考察はまだ終わってないぞ」
「レグルスは途中まで言ったにしろ、俺なんてまだ一言も――」
いっさい気づいた様子のない二人の前で、コップを置き僕は立ち上がった。
「侵入者だ」
「「え?」」
「この数は……隠れていて」
僕は杖を出現させて、ネックウォーマーを引き上げた。
そんな僕の様子に二人が息を飲んで顔を見合わせる。≪結界魔術≫では察知できたが、警報音はなっていないから、斜塔のセキュリティシステムはダウンさせられている可能性が高い。その上、感覚的二百人以上の存在を僕は捉えていた。こんな事が出来るのは一体誰だ?
「師匠、俺達も」
「そうだチェシャ猫。少しくらいは俺やジャックでも役に立つだろ」
「――良いから下がっていて」
嫌な感覚がする。この張りつめた気配、静かすぎる気配に、僕は覚えがあった。
一度だけ見かけたことがある、”戦略魔術師”が同様の気配を放っていたのだ。けれど、どうして彼らが?
僕の言葉に、二人が立ち上がる。そして言った。
「監視室にいる」
「気をつけろよ。何かあったら俺が手当をするから」
それから足早に遠ざかった二人を後目に、僕は逆方向に走った。
するとすぐに、天井から、白い仮面を付けた黒ずくめの人間が二人飛び降りてきた。やはり侵入されていたのだ。そもそもどうしてここが分かったのだろう。僕は完璧に不可視化する魔術を普段は使っているというのに。しかも相手は異世界人だ。どこまで僕の魔術が通用するかも分からない。そう考えていた時、エントランスの扉が大破して、大勢の仮面を付けた人々がなだれ込んできた。
「【BLスイッチ】――全オープン」
僕は全ての作品ポイントを杖に宿し、それを振った。人間だけど、と、躊躇っている余裕はなかった。相手は僕を殺す気らしく、短剣で首元を狙われた。加速魔術を使い、僕は避ける。そして、鉄板入りの靴底を相手の鳩尾に叩き込んだ。ふっとび壁に打ち付けられたその人物の周囲には、罅が入っている。
「仏手、破壊、粉雪」
一気に呪文を唱え、僕は全力で杖を地に強く着いた。衝撃波が生まれ、仮面の侵入者達がなぎ払われる。それから、【FTスイッチ】に切り替えて、僕は加速したまま跳んだ。稲妻を召喚し、全体的になぎ払う。しかし倒しても倒しても沸いてくる。もっと一気に殲滅するしかない。
「【総合スイッチ】――黙示録」
僕は呟くように呪文を唱えた。瞬間、大爆発が起こり、全ての侵入者が吹き飛ばされた。
我に返り、ホッと息をつく。全身が汗ばんでいて、髪の毛がこめかみに張り付いていた。
何故こんな事態に?
そう思っていたら、魔術ウィンドウが開いた。これは、ネームスが強敵と戦うと出現するのだ。恐らく僕の今の戦闘風景も、各地でウィンドウが開き、見られていたはずだと思う。
今回開いたウィンドウは三つだった。
一つ目は三月だった。僕が見た時には、銀色の線が上部に走り、三月兎WINと表示されて、すぐに消えた。
二つ目には、環が映っていた。苦戦している様子に、目が釘付けになる。下ろしたまま拳を握ると、手が汗ばんでいた。嫌な感覚がして、動悸がひどい。環、負けないで。必死にそう祈っていると、環が倒し終えた。ハンプティ・ダンプティWINと表示された。
そして三つ目。
そこでは既に、一人以外を倒し終えた様子の帽子屋が立っていた。意識があるらしい一人を足で踏んでいる。それからその人物の仮面を取り、杖で顎を持ち上げた。音声が響いてくる。
『目的は何? まぁ他の三つのウィンドウを見る限り、おおかた次のS級クエスト絡みだとは思うけどね』
言われてみれば、確かに狙われた僕達四人は、皆、次のクエスト攻略の参加者だ。四人で行くことになっているのだ。
『答えないと、首が跳ぶよ。僕はハートの女王じゃないんだけどな』
『あ、ああ……命だけは……そ、そうだ、クエストだ。攻略されては困るから……』
『どうして異世界の人間である君たちが困るの?』
『わ、我々は、≪BLACK BABEL≫に頼まれて――』
『どうして王国の精鋭部隊が、異世界から来た僕らの中でも非協力的な”ギルド”の肩を持つの?』
『帰られては困るからだ。お前達の技術があれば、この国はもっと発展する……っ、うあ、あ、助けてくれ』
直後画面がブラックアウトし、線が走って、帽子屋WINと表示された。
どうしたのだろうか。僕も恐らく大量の人々を倒してしまったから人のことは言えないが、殺したのだろうか……?
しかし帽子屋はすごい。僕には目的を聞き出す余裕なんて無かった。
そのウィンドウも消滅した時、僕は声をかけられて振り返った。
「師匠、大丈夫か? 怪我はないみたいだけど」
「じゃあ俺の治癒の出番は無しか。それにしても師匠は強いな」
ジャックとレグルスがやってきたのだ。二人とも魔術ウィンドウを見ていた様子だ。
――さっき、ギルドの名前を聞いた。この二人が元々いたギルドだ。
「ねぇ二人とも……今がどういう状況か分かる?」
「はじめは俺とレグルスの口封じに来たのかと思ったけどな、昴の所を見る限り、クエスト絡みなんだろう」
「王国の戦略魔術師とは協力関係にあったの?」
「今更尋問かよ。もっと早くされると思ってたわ。師匠ってそう言うところ抜けてるよなー。まぁ俺とジャックがいた時には、既にピーチティ王国の側からの接触はあったぞ。戦略魔術師ほどの高位の実力者共が出てくるとは思わなかったけどな」
「……王国の出すクエストを攻略すれば僕達は帰ることが出来るんじゃ……」
「これはレグルスも知らない話しだけどな。俺が聞いていた限りだと、本来の帰還のためのクエストは20程度なんだ。22だったか。だが今いくつクエストがある? ゆうに5000はくだらないだろう? こちらの世界は端から俺達を帰す気なんて無いんだ」
「ってことは、次ぎに攻略するってところが、本来の帰還のために必要なものの内の一つって事か。それで師匠が狙われたんだな」
二人の声に、僕は言葉を見失った。呆然としてしまい、ただただ立ちつくすしかできなかったのだった。