<19>
いよいよS級クエスト――”塔”を攻略する日がやってきた。僕はレグルスからお弁当を受け取り、「頑張れよ」と声をかけてもらい出発した。
≪空間転移魔術≫で待ち合わせ時間三十分前に向かうと、今日は全員僕よりも先にそろっていた。武器を持っているのは僕だけだった。帽子屋は、先の丸い杖を持っているが、あれが武器なのかは不明だ。環は銀色の十字架のネックレスをしているのだが、一応あれが武器なのだとは思う。三月はいつも素手で戦っているから、勿論何も持っていない。
塔の扉は丸くて、木製だった。周囲に鉄の縁取りがついている。
「開けますよ」
三月がそう口にして手をかけた。ギギギと音とがして扉が開く。
この光景も既に各地で、魔術ウィンドウにより放送されているのだろうな。
中にはいると、独りでに扉が閉まった。振り返ると、扉自体が消失していた。こういうダンジョンは存在する。だから焦る必要はないと自分自身に言い聞かせる。
それから正面に視線を戻した。レッドカーペットがまっすぐに敷かれた細長い石畳の室内で、巨大な斧(?)……ギロチン(?)が、振り子のように揺れていた。幾重にも並んでいる。その大分向こうに、次の部屋もしくは階層に繋がるのだろう扉が見える。
「行きましょう」
「そうだね」
三月の声に、帽子屋が頷いた。
直後、三月は≪加速≫し、拘束反復横跳びで、ギロチンを全て避けながら走っていった。一方の帽子屋は、サクッと≪瞬間移動≫した。僕も≪加速≫しよう。そう思った時、環に袖を掴まれた。
「待ってくれ。俺にはこんなのは無理だ。首が無くなる未来しか見えない」
「……」
僕は環の服の袖を掴んだ。接触していれば、僕の魔術ならば、複数人で転移できるからだ。
心の中で【BLスイッチ】と唱えて、脳裏に魔法陣を描く。≪空間転移≫することに決めたのだ。
「行こう」
そう口にした時には、僕らは既に扉の前にいた。
「すごいな」
環にそう言われて、僕は悪い気はしなかった。役に立てたというのも嬉しい。
こうして幸い怪我もなく、四人そろって扉の前に立つことが出来た。視線を皆で交わし、それから今度の扉も三月が開けた。次は灰色の正方形の部屋だった。何もない。全員で部屋の中央まで進む。やはり扉は消失した。
「なにもないな」
環がそう口にした――その時だった。ガコンと音がして、床が段ボールのふたのように折れて無くなった。え。風で髪が揺れた。
「落ちてる……?」
「落ちてるね」
「ええ、落ちていますね」
「ってお前ら何でそんなに冷静に会話してるんだよ――!! 下を見ろ、剣山だ――!!」
環が叫んだ。確かにこのままだと僕達は串刺しだ。ようやく動揺した僕は、杖を握りしめる。どうしよう。そう考えていたら、隣で、やれやれと言った風に帽子屋が溜息をついた。そして、杖を、コンクリートの壁に突き刺した。罅が入っている。コンクリートなのに……すごい。何なのだろうか、あの杖。魔術師のものとは違うのに。そして帽子屋は、片手で環の手首を握った。
「うわああ、脱臼する!!」
「串刺しと好きな方を選んで良いよ」
帽子屋は笑顔だった。三月はと言えば、やはり手でコンクリートを砕いて、そこに出来た溝に捕まって下を眺めていた。すごい。あの手刀の威力はちょっとぎょっとしてしまう。怪力と言うことではなくて、拳に力を付与しているのだ。
ちなみに冷静に観察してみた僕はと言えば、そのまま落下することを選択し、ジェットコースター気分で上を眺めながら乗り切って、慎重に剣山の上に降り立った。≪反重力魔術≫で衝撃を緩和したのだ。右手を見れば、扉があった。
「次の道がある」
僕の声に、三月が飛び降りてきた。今度は足に力を込めたらしく、剣山を破壊して床を自作している。帽子屋はためらいなくその三月の上に環を落として飛び降りた。三月は華麗に避けるが、環は三月が作った床に激突している。その環を絨毯のようにして、帽子屋は床に立った。僕は思う。帽子屋はドSだ。やはり暗黒微笑だ。逆らわない方がいい気がする(貞操の危機以外では)。
「進みましょう」
三月はそう口にするとためらいなく扉を開けた。僕と帽子屋も続く。環は辟易したように目を細めて着いてきた。
たどり着いたその部屋は、ギンガムチェックの床をしていて、壁は真っ赤だった。
中央にはシャンデリアがある。今度は扉は消失しなかったが、部屋の壁全てに同じ扉が着いていた。方向をしっかりと確認していないと迷子になりそうだ。そう考えていた時、不意に声が響いてきた。
「”トリックタワー”にようこそ! ここはピーチティ王国が誇るアミューズメント施設です! さぁ、ひきこもり解消のために、レッツトライ! 無事にクリアするか、死んで下さいねっ」
その声は、この世界にトリップしてきて最初に広場で聞いた声によく似ていた。
しかし『ひきこもり解消』というキーワードが出てきた。僕のこれまでのクエスト経験では、そのようなアナウンスが入ったことは一度もない。やはりここは、帰還のための鍵になる場所なのだろう。
「死んでも良いって……ひきこもりに人権はないのか?」
環が呟くと、帽子屋がにこやかに言った。
「ないんじゃない? 帰還したら、政府が大量虐殺で転覆してるかもね」
「全く冗談ではありません。ですがこの程度で我々が負けることはありえませんが」
三月は余裕が伺える冷めた表情をしていた。スッと目を細めて、前方の扉を見ている。
「問題はどの方向へ行くかですね。昴、”予知”して下さい」
「もうしたよ。右が洪水、左がマグマ、正面が何もない正解の道だ。全ての扉を一人ずつ開けて、戻る方向に行った環と正面に行ったチェシャは兎も角、僕と君は結構苦労する未来だったよ」
「では正面に行って、その予知を外しましょう」
そう言うことになった。なるほど、帽子屋はこういうところでも頼りになるのか。
正面に進むと、突き当たりには階段があった。螺旋階段で、遠すぎて先が見えない天井の方へと続いているようだった。それから僕達は――半日かけて階段を上った。
着いたのはいかにも玉座の間と言った感じの最上階だった。途中でレグルスに持たされたサンドイッチを振る舞うと、感動された。
さてそこには、牛魔王のように、頭に角を突けた一人のおじさんがいた。赤いマントをつけていて、カボチャパンツをはいている。少し太めだ。
「我が名は”塔”。お前達を殲め――」
言いかけた”塔”を、言い終わる前に三月が手刀でなぎ払った。
派手に吹っ飛んだおじさんに帽子屋が回し蹴りを叩き込み、彼は床の上に沈没した。床がひび割れている……。
「よくも半日も階段を上らせてくれましたね」
「良い運動になったよ――とか言うと思った?」
笑顔の二人が、足でぼこぼこにしていく。すると環が焦ったように声を上げた。
「は、話しくらい聞いてやれよ」
「うるさいですね。私は歩くのは嫌いなのです。頭に来ました」
その内に、おじさんの体は光となって宙へと消えていった……。BOSSだったのだろうな。同時にアナウンスが響いてきた。
『クリア。帰還カードが一つ公開されました』
帰還カード? 一体なんだろう。そういえばジャックはタロットカードと言っていたっけ。
まぁいいか。一人僕は頷いた。するとアナウンスなどに満足したのか、帽子屋と三月が、突っ立っていた僕と環に振り返った。
「それにしても楽勝でしたね」
「本当だね。四人で来るまでもなかったかな。一人五つずつ攻略すれば、すぐに終わるよね。ダンジョンの位置さえ分かればの話しだけれど」
二人の言葉に、環が勢いよく首を振った。
「無理! 俺には無理だ! せ、せめて二人一組にしよう。俺はチェシャ猫と行くから」
「なんですって? 許せません。組み分けするならば、私だってチェシャとが良いです」「間を取って僕とチェシャにする?」
「それはあり得ない」
「貴方だけは駄目です」
「え、酷いな、何もしないよ?」
「まぁいいでしょう。四人で行きましょう」
「そうだな。もっと酷いダンジョンがあるかも知れないからな……いやでも俺はそんなにいなくても良いか?」
「私の治癒には限界があるのでそう言うわけにも行かないでしょう」
「確かにしばらくは四人で様子を見ながら進むことに僕も賛成するよ」
にぎやかな三人を僕は眺めた。こういう時、自分がコミュ障だと言うことを思い出す。僕は本当に生粋のひきこもりだったのだ。上手い言葉など出ては来ない。しかし事情をちらっと聞いた三月は兎も角、現役医師の環や、こんなに会話力抜群の帽子屋が、僕と同じひきこもりだというのが本当に信じられない。
と、まぁこのようにして、僕達の最初となる帰還のためのS級クエストは終了したのだった。結局さしてポイントは使わなかったので、帰還も普通に≪空間転移≫した。この調子ならすぐに帰ることが出来る気がして、ちょっとだけ僕は嬉しくなったのだった。
帰還先は、最初に決めてあったとおり、マッドティパーティの場所だ。
「流石だな」
ヤマネがそう言って、杖を振る。テーブルの上には、スコーンを始め、様々な洋菓子が出現した。それから時計兎が手を広げると、紅茶のポットが宙に浮き、カップにお茶を注ぎ始めた。ジャックは魔術ウィンドウとキーボードを用意して、何事か操作している。レグルスはと言えば、頬杖を着いて、僕らの帰還風景が映っている、宙に浮いている巨大な方の魔術ウィンドウを眺めていた。
「圧勝だったな、師匠」
「うん」
ほぼ三月と帽子屋のお手柄だと僕は思う。レグルスに対して、それでも頷いた。
僕達四人はそれぞれ椅子をひく。そして座ると、ヤマネが言った。
「今後もこのメンバーで様々な対策をすることになるだろう。だから、残っている者で相談したんだが、ギルドを作らないか?」
「ギルドを作ると、ギルド特典が付くからね」
頷きながら央が続けた。なるほど、そう言うこともあるのか。僕はギルドに入っていないので、詳しいことは全く知らない。帰ったら本を読んでみよう。
「別に異論はありませんよ」
「僕も特にないかな。チェシャとハンプティ・ダンプティは?」
「俺も構わない」
「……」
ちょっと悩んでしまい、僕は無言になった。何故かというと、酒場にたまにギルドメンバー募集という紙が貼ってあるのだ。それを見た限りだと、何時集合何時解散という風に皆がたむろしている印象があるのだ。しかし僕は、最近規則正しくなってきたとはいえ、元々が不規則な生活を送っているし……あまり時間を拘束されるのが好きではないのだ。
「……少し考えさせてもらっても良い?」
するとそれまで熱中した様子だったジャックが振り返った。
「俺とレグルスも入らない方が良いか?」
「いや、二人は自由で良いよ」
ただ僕自身は、一度本をしっかり読んで条件を知りたかったし、マッドティパーティのギルドがどんなものになるのか全く分からないので不安だったのだ。
「俺とジャックは入る。勿論掃除はきちんとする」
「分かったよ」
「ちなみにギルド名は、そのまま、≪マッドティパーティ≫になったから」
既に決まっていた様子のレグルスの言葉に、何度か頷いた。
そんなこんなで、少しお茶会をしてみんながギルドについて雑談するのを、僕は眺めていた。甘い香りのする紅茶がすごく美味しい。三月が用意するものとはちょっと雰囲気が違ったし、環がいつも淹れてくれるものとも全然違う。別に二人のが不味いわけじゃないんだけどね。それから暫くして、僕達は帰ることになった。話しによれば、【ギルドホーム】の購入を検討しているらしく、ジャックとレグルスはそちらに引っ越すようにとヤマネに促されていた。サーバーの管理者が一カ所にいるのは危ないような気もするが、固まっていた方が守りやすい気もする。それに考えてみれば、二人が僕の斜塔にいるのは、次の家が決まるまでの間なんだから、ギルドにはいるのならば引っ越しは自然な流れだ。そうなれば僕はまた一人暮らしに戻る事になる。それがちょっとだけ寂しい気もした。
そのようにしてお茶会終了後、僕達は帰宅した。やっと肩の力が抜けた気がしたのだった。