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「あううう、お気に入りが減った……」

翌日。ひたすら更新しながらポイント数をチェックしていた僕は、切ない声を上げた。やることがない時僕は、大抵ずっとポイントの増減を見ている。やることがない――……な、なんとだ。スランプが訪れてしまったのだ。いっこうに筆が進まない。そこでポイントを眺めているわけだ。更新すると、大抵増減はある。一歩進んで二歩下がったりその逆だったり色々だけど。それにしても書けない。ぴたっと筆が止まってしまったのだ。何故だ。そこに理由は特にないのだ。この(僕にとっては)死に至る病は、ある日突然発病し、ある日突然治るのだ。こういう時は、書かないのが一番の治療だと思う。しかし強迫観念のように更新しなければと何かに突き動かされもする。僕が書かなくても困る人はいないというのに……! それは嫌と言うほど分かっているのだ。ううう。

「師匠、お茶だぞー」

現在午後三時。レグルスの声で、僕は立ち上がった。ちょっと気分を変えよう。

「どうしたんだよ? なんだか顔色が悪いぞ。今になって疲れが出たのか?」

座った僕を見据えレグルスが言った。それからお盆をテーブルに置き、ピタリと僕の額に手を当てた。ひんやりとしていて気持ちいい。

「おい……熱っ」
「え?」
「お前これ何度あるんだよ!? それで今日は更新もしていないのか!」

その言葉に瞬きをした。更新していないのはスランプからだが――……考えてみるとスランプと風邪の症状は(僕の場合)似ているのだ。どちらも肩が重くなり、いい知れない倦怠感に襲われ、やる気がなくなる感じだ。違いはと言えばそれこそ熱の有無くらいだ。僕は風邪を引いてもあまり咳はでないし、喉も痛くならないし、鼻水も出ないのだ。だから風邪だと気づかないことも良くある。そのためいまいち風邪ネタには萌えないのだ。

「すぐに横になった方が良い。今夜はおかゆとうどんどっちが良い?」
「え……別に普通で良いよ。僕、風邪を引いても特に食欲は変わらないから」
「自覚が無くても体に負担がかかるから駄目だ。二択」
「じゃ、じゃあ……うどんかな」

僕は軟らかいご飯があんまり好きではないのだ。だけど。そんなに騒ぐほどのことでもないだろうと思ったが、無理に立たせられて、自室へ連行された。座っているとレグルスが分厚い本を開き、体温計をポイントで購入した。ぼけっとそれを眺めていたら手渡される。素直に測ってみると――……39℃。僕は、いつも熱は高いのだ。平熱は高くないのだが、風邪を引くと一気にあがる。なので別段驚くことはなかったのだが、レグルスに寝台へと押しつけられた。

「やめ、離して」
「そんなことを言ってる場合か! 寝ろ!」
「う、うん」

いそいそと横になると、毛布と布団を掛けられた。暑い。エアコンを見上げる。しかしレグルスは、なんとそのスイッチを切ってしまった。

「熱は一気に上げて下げる方が良いらしい。とりあえず脱水には気をつけなきゃならないけどな」

これまで風邪を引いても一人だった僕には存在しない知識である。なんだか看病されるというのは照れくさい。しかしいきなり脈絡もなく風邪を引くとは思わなかった。風邪を引くようなことは何もしていないと思うのだが。

その時レグルスが、ギシリと僕の枕の横に手をついた。
真正面からのぞき込まれる。何事だ?

「レグルス……?」
「それで汗をかくのが一番良いんだよ。軽く運動でもするか?」
「は?」

呆気にとられていると、首元のジッパーを下ろされた。え。ポカンとしていると、首筋に口づけられ、強く吸われた。チリリと鈍い痛みがした。

「この前ここにつけてたキスマーク、あれ誰の?」
「いや、あれは――って、ちょ、ちょっと待って、離れて!」
「嫌だね。運動するんなら付き合うぞ」

必死でレグルスの体を押し返そうとして僕は気がついた。体に全然力が入らない。ちょっとふわふわしている。だがBL風邪テンプレの軽い運動はお断りだ!

「俺さ、純愛のお題本気で考えたんだぞ」
「え」
「師匠のこと、好きだ」

レグルスが真剣な顔で言う。僕は何も言葉が見つからない。どうしよう。どうしたらいいんだろう。答えは決まっているのだ。NOだ。僕は、ノーマルなのだ。しかし体には力が入らないし、昨日からジャックの姿は見ていない。助けは望めない。

「――なんてな。本心だけど。俺は病人に手を出したりはしねぇよ」

そう言ってレグルスが吹き出すように笑った。片側の口角を持ち上げてニッと笑っている。僕の心臓はドクンドクンドクンと非常に煩い。

「顔真っ赤だぞ、師匠。勘違いするぞ、俺」
「熱のせいだよ」
「即答かよ」

くつくつと笑ったレグルスは、体を離すとベッドサイドに座り直した。全く。心臓に悪い弟子である。しかし僕にイケ限は通用しないので、赤くなったとすれば、本当に単純に熱のせいだと思う。若干自分でも体が火照っていて頬が熱いのが分かるのだから間違いない。それに昔から良く、周囲に指摘されてきた。

その時、ビービービービーと警告音がし、視界に線が走った。
――BOSS出現!!
そう表示されている。これは、前回牛魔王(仮)が出た時に、見守りながら僕がひっそりと、類似したBOSSが出た時に通知が出るように設定していたものだ。また、恐らく帰還カードというらしいBOSSが出たのだ。早く三月達に知らせなければ。そう思いながら、≪探索魔術サーチ≫を使用すると、斜塔に思いの外近い場所に、見慣れぬ階段を発見した。ダンジョンへの入り口だ。ハートマークが入り口の周囲に描かれている。そしてその入り口には、デジタル時計のようなものがついていた。現在、2:56:04。これは……時間制限ダンジョンだ。この時間の内に攻略しないと、攻略失敗となる。S級クエストの種類の一つだ。まずいこれは、報告している場合ではない。早急に対応しなければ、帰還できなくなるかもしれない。

「レグルス、ちょっと出かけてくるよ」
「は? その熱でどこに行くんだよ。駄目だ」

起きあがった僕の手首をレグルスが強い力で掴んだ。必死に振り払おうとするが上手くいかない。しょうがない。

「ごめんレグルス」

そう呟いてから、僕は脳裏に魔法陣を描いた。レグルスに習って僕も少しだけ治癒系の魔術を覚えたのだが、その応用で、相手を眠らせる魔術があったのだ。

「っ、さ・せ・る・か!」

レグルスはそう言うと、自分の手を噛んだ。血が滲みそうなほど強く噛んでいるのが分かる。痛みで眠気を誤魔化しているのだ。こんなにも心配してもらって申し訳ないが、本当に時間がない。

「本当にごめん――【BLスイッチ】眠り猫」

明確に口に出して呪文を紡ぐと、レグルスがベッドに倒れ込んだ。寝息が聞こえてくる。深呼吸しながら、僕は入れ違うように寝台から降りた。そして毛布を掛けてから、空調を入れる。この部屋は暑いからね。

それから最寄りの酒場へと転移し、早速ボードに貼り付けられていた羊皮紙を手に取った。まっすぐにカウンターにそれを差し出す。そして依頼を受けてから、僕は再び転移してダンジョンへと向かった。扉はなかったので、地下へと続く階段を足早に下りる。するとふらふらした。やっぱり熱がある。目を細めた僕は、杖を一度強く地に着いた。面倒なのでBOSS前に直通で移動することにしたのだ。転移封じがされていない限り、この魔術は有効なのだ。僕がそうして最下層へ行くと、そこは地下のはずなのに野原で、小さな教会が建っていた。天使(?)が一人空を飛んでいる。その羽が舞い落ちる下、一人の青年が、二人の女性に引っ張られていた。これは? 多分BOSSなのだろう。そう考えていると青年と目があった。

「僕達は、”恋人達”――おや、一人かい? すぐに殺してあげ――」

僕は杖でその青年を殴り飛ばした。この前三月だって最後まで聞いていなかったし別に良いと思うのだ。

「【BLスイッチ】粉雪! 仏手!」

僕が叫ぶようにそう言うと、重力が強くなったかのようになり、天使が地上に叩き付けられた。女の人二人も、地面にはいつくばっている。そこへ、白い雪が降り始めた。辺りも僕の体も熱いのに。それにしてもいつもより威力が強い気がする。あ、熱の性で僕、上手く魔術を制御できていないんだ。気がついてみれば、かなりのポイントを一度の呪文に乗せてはなっていた。そのまま青年も含めてBOSS達は陥没していき、その姿が見えなくなった。それを見守っていると、少しして音がした。

『クリア――二つ目の帰還カードが公開されました』

そのアナウンスを聞いた瞬間、僕はがくりと崩れそうになり――抱き留められた。
虚ろな視線を向けると、そこにはヤマネが立っていた。

「よく気がついたな、ダンジョンの存在に」
「ちょっとね」
「それにしても、この前の”塔”のBOSSはウイルステロを謀ったようで、三月も昴も環も風邪に似た症状でダウンしていたから助かった。お前は平気なのか? 馬鹿だから風邪を引かなかったのか?」

その言葉を聞いた直後、僕の意識は曖昧になった。

「チェシャ猫!」

焦ったようなヤマネの声が聞こえた気がしたが、そのまま僕は意識を落とした。
次ぎに目を開けると、僕は環の家にいた。
手の甲に点滴針が突き刺さっていた。

「気がついたか?」

気づけば隣に座っていた環が、咳き込みながら言った。マスクをしている。

「環も風邪なの? 大丈夫?」
「俺は処置が早かったからな。お前が一番酷い。無理をしただろう。魔術ウィンドウで見ていてヒヤヒヤした。無事で良かった」
「ヒヤヒヤ? 結構余裕だったけど」
「だとしてもだ。二度と一人で行くな。お前が危ない目に遭うところを見たくないんだ」

環は溜息混じりにそう言うと、隣のベッドに横になった。きっと自分も具合が悪い中、僕に処置をしてくれたのだろう。本当にいい人だ。

「”塔”は風邪だった。”恋人達”は何をしたんだろうな」
「え?」
「何もしなかったとは考えられない。俺達は、やっぱり最後まで話を聞くべきだったんだ」
「……今度は僕一人が、何らかの症状に襲われるの?」
「症状かは分からないが、何かあるとは思う」

なんだか頭痛がしてきた。僕はもっと平和に暮らしたいなと思ったのを最後に、再び眠ってしまったのだった。