【一】
忘れる事、鈍くなる事。次第にそれが、得意になっていく。それは、退化だと、雲中子は自覚してもいた。だが、どこかで信じ続けてもいる。『恋人』が、今もどこかで歩み続けているのではないかという事を。あるいはそれは、ただの願いでもあった。
◆◇◆
終南山によく似た茂みの中を歩いてく。渦を巻くシダ植物、腐葉土の匂い。蓬莱島で与えられた一角に、嘗ての終南山を模した自然体系を構築するには、六十年ほどがかかった。洞府自体はすぐに再現出来たが、動植物は、そうはいかない。
新たなる仙人界の歴史は、穏やかに流れている。既に、歴史の道標はおらず、自然な流れ……なのだろう、か。
「これが自然であるか否かは兎も角として、私の願いは叶ったと言えるのかもねぇ」
燃燈の事は、雲中子は思い出していた。
既に、燃燈が崑崙山2において、新教主を支える立場になってからも、長い刻が経過している。仙道にしてみれば一瞬とも言える時間だが、燃燈が戻ってきたから、雲中子は穏やかな気分で過ごす事が出来ている。
雲中子が燃燈と恋人関係になったのは、昇仙して比較的すぐの事だった。終南山にて洞府を構え、元始天尊を抱く崑崙山脈の一員となった頃、燃燈もまたその独自の出自から崑崙にて過ごし始めたからだ。
性格は真逆だった。燃燈は真っ直ぐであり、雲中子はどちらかと言えば、世界に対して穿った見方をしていたものである。けれど根底に有る情熱は、親和性があった。分野が異なるだけで、己の興味の対象に打ち込む姿勢は、二人に共通している。根本的に二人は似ていたのかもしれない。
だから当時は、同じ明日を見ているのでは無いかと、漠然と感じていた。
けれど――燃燈は、世界の為に姿を消したし、雲中子には特に密命が下る事も無かった。それに幾ばくかの寂寞を覚えている。己には、もう少し、何か出来る事があったのではないのか、と。そんな風に感傷的になると、雲中子は山の中へと足を運ぶ。ゼンマイが生えていた。
「思い通りには、行かないねぇ」
見晴らしの良い場所に立った時、雲中子は真っ青な空を仰いだ。燃燈の瞳の色によく似た空は、嘘くさいほどの快晴だ。
確かに同じ場所に立ち、並んでいた過去もあるはずなのに。
燃燈が遠い。立場も、もう随分と異なる。高仙と名指しされる事はあれど、雲中子は一介の仙人にほかならない。得意分野が、幸い多くの役にたつだけだ。
しかし、雲中子の時間は停止したままだ。それは、燃燈が地に落ちたと聞いた、あの日から。あれ以後、己は何を成したのか。洞府にこもり、研究三昧。その他は? 時に、色物と呼ばれるくくりの友人二人とお茶を飲み、長閑に安寧に浸り、そうして弟子を育成し――? それらが無駄な時間だったとは、決して思わない。全て大切な時間と出会いだった。
それでも確かに願う事を止めた日は無かったし、ずっと想っていた。
手が届かなくなった存在を好きで居続ける事は、馬鹿げているのかもしれない。