【一】
終南山の自然は美しく、玉柱洞の庭の若葉も美しい。
新緑の季節、池の水を眺めながら、雲中子は緑の葉に手を伸ばしていた。薬草の一種で、傷薬の元となる。特に道士は、修行の最中に切り傷を負う事も多いから、ストックがあるに越した事は無い。
「雲中子」
そんな昼下がり、仙気を抑え、気配をあまり感じさせずに、燃燈が姿を現した。声音ですぐに恋人の来訪に気づいた雲中子は、首ごと顔を向け、燃燈を見る。歩み寄ってきた燃燈は、唇の両端を持ち上げていて、穏やかな笑顔だ。
「やぁ、燃燈」
雲中子もまた、優しい色を瞳に浮かべた。
二人が恋人同士になってから、もう長い刻が経過している。最初に気持ちを告げたのは燃燈だったが、雲中子は己の方が先に燃燈を好きになったと考えている。自然と距離が近づいた二人は、付き合い始めてもう数百年――目立つ喧嘩をするでもなく、穏やかな関係を築いている。
……いいや。
……正確には、穏やかすぎて、変化も乏しい。
「十二仙会議の準備、忙しそうだねぇ」
「ああ。やっと今日は時間が取れた。ただ、この後、玉虚宮に顔を出す」
燃燈はそう答えると、綺麗についた筋肉が目立つ両腕を組み、僅かに苦笑して見せた。ここ数年の燃燈は多忙な様子で、終南山へと足を運ぶ頻度も減っている。だが月に一度は必ず顔を出す。忙しい事を承知している雲中子は、それに関して何を言うでもない。
一歩前へと出た燃燈が、雲中子の瞳を覗き込む。
視線を合わせた雲中子がそのまま動かずにいると、燃燈が雲中子の顎を持ち上げた。
そして瞼を伏せると、掠め取るように雲中子の唇を奪う。
「寝室に行きたい」
率直な燃燈の言葉に、雲中子は静かに何度か頷いた。そもそも燃燈がキスをするのは、情事をしたいという暗黙の合図だという認識すらある。
洞府の入口へと視線を向け、雲中子が歩き出すと、その隣に燃燈が並んだ。
そのまま二人で洞府に入り、雲中子の寝室へと向かう。特に道中では会話も無かったが、寝台の前に雲中子が立ってすぐ、燃燈が後ろから雲中子を抱きしめた。燃燈の右手が、雲中子の白い道服を乱していく。床に衣が落ちた時、雲中子はゆっくりと振り返った。すると燃燈が軽く雲中子の体を押したので、雲中子は寝台に座る形となる。
「ん」
そうして燃燈が、雲中子を押し倒してから、改めてその唇を奪った。
今度の口づけは深く、雲中子の舌を絡めとり、追い詰める。情熱的な燃燈のキスが、雲中子は嫌いではない。寧ろ好きだが、内心では、即物的だなと感じる事もある。
寝台に上がってきた燃燈は、この寝室に置きっぱなしになっている香油の瓶に手を伸ばしながら、どこか獰猛な光が輝く両目で、雲中子をじっと見た。
「ぁァ……」
香油を指につけた燃燈が、雲中子の後孔を解し始める。長い間、恋人同士として体を重ねているはずなのに、いつだって最初に指を受け入れる時、雲中子は体を硬くしてしまう。慣れない雲中子の姿は、いつまで経っても初々しく、どこか潔癖に映る。
「んン――っ、ぁ……ンぁ、ぅ……」
小さな声で喘ぐ雲中子を、じっくりと見据えながら、燃燈はその内部を開いていく。既に雲中子の感じる場所を熟知している燃燈は、指先で雲中子の前立腺を刺激した。
「あ!」
雲中子の睫毛が震えている。その反応に気を良くしたように、燃燈は雲中子の感じる場所を、重点的に嬲り始める。そうされると次第に雲中子の体は熱を帯び、肌が汗ばんでいく。燃燈はその後、香油を再度垂らしてから、二本、三本と指を増やした。そして指先をバラバラに動かし、雲中子の内部を丹念に解した。
「燃燈、も、もう良いよ……ぁっ、ッ……」
「挿れるぞ」
頷いて、張りつめている陰茎の先端を、燃燈が雲中子の菊門へとあてがった。そのまま一気に体を進められて、雲中子は背を撓らせる。
「あ、ぁ……ンあ!」
快楽を齎す衝撃に必死で耐えつつ、雲中子は燃燈を受け入れる。根元まで挿入した燃燈は、一度動きを止めると、荒々しく吐息した。まだ余裕が見て取れる。
雲中子の内壁が、燃燈の陰茎を絡めとるようにきつく蠢く。
その感覚に浸った後、燃燈が抽挿を始めた。
「あ、あ、あ」
次第に燃燈の動きが早くなり、激しく打ち付けられる内、雲中子の腰が引けそうになる。しかし燃燈はそれを許さず、片手で雲中子の腰骨を掴むと、最奥を貫いた。
「ひぁ……ァ、あ! ああ――っ、ダメだ、燃燈……ぁ、深い……!」
涙ぐんで雲中子が必死に声を出すと、燃燈が小さく笑った。相変わらずその瞳は獰猛だ。動きもさらに激しくする。
「あああああ!」
そのまま雲中子は奥深くの感じる場所を激しく穿たれて、内部だけで果てさせられた。燃燈の白濁とした液を内側に感じたのとほぼ同時に、雲中子もまた射精した。
ぐったりと寝台に雲中子が沈むと、体を引き抜いた燃燈が、深く吐息してから、すぐに寝台から降りた。そして行為の最中に脱ぎ捨てた道服を拾うと、浴室へと消えた。勝手知ったる調子で、汗を流しに行ったらしい。力の抜けた体で、雲中子はそれを見送った。
――熟年夫婦のごとき関係の二人に、現在甘い事後の睦言などは存在しない。
元々は、燃燈の甘い言葉に照れるため、鬱陶しいといった素振りを雲中子がした事も、契機の一つだったのだろう。実際、半ば本心でもあり、雲中子はあまりベタベタするような恋愛関係を、当初望まなかった。だが、今では一切そういった空気にならないため、それが少しだけ寂しくもある。ドライな関係は、確かに気楽ではあるが。
そんな事を考えている内に、雲中子は微睡んだ。
そして目を覚ましてから、寝台脇の卓に残された、燃燈の書置きを見た。
『玉虚宮に行く。また来る』
簡潔な一文を見て、そのような話をしていたなと思いだす。
ここ最近、こういったケースは決して珍しくもない。
体を重ねた後、すぐに燃燈は帰っていく。会いに来た場合も、会話を楽しむよりも先に、雲中子を抱く事が多い。体を繋ぐだけの逢瀬、そんな日々が続いている。
「……」
溜息をついてから、雲中子は寝台から降りて、浴室へと向かった。
黒い髪を温水で濡らし、体を洗ってから、何度かゆっくりと瞬きをした。
その後、新しい道服に着替えてから、台所へと向かい冷蔵用の宝貝を見る。
「……また、無駄になってしまったねぇ」
中には、燃燈が来るかもしれないと考えて、作り置きしてある酒の肴が並んでいる。いずれも燃燈の好物だが、最近では振る舞う機会すら無い。取り出して、結局は雲中子が一人で食して片づける。燃燈が好きな酒も同様なので、雲中子はまだ日が高かったが、瓶の封を開けた。それを陶器に注いで、一口舐めてから俯く。一人きりの食事が、妙に虚しい。
「なんだか、私ばかりが好きでいるみたいだ」
呟いた雲中子は、深々と溜息をついた。燃燈の愛情を疑うわけでは無かったが、比重が偏っているように感じる。圧倒的に、己の方が燃燈を好きだという自信がある。そんな自信は持ちたくなかった。
「でも――今更……」
構ってほしい、愛を感じたい、言葉が欲しい、というような気持ちを、素直に伝える事など、雲中子には出来そうにも無かった。だから寂しさだけが、心の中に巣食っていく。
「……こんな感情、消し去りたいものだね。寂しさ、か。寂しさを忘れる事が出来たり、それこそ封印出来たら理想的だねぇ」
つらつらと酒を飲みながら無意識に呟いて、そこで雲中子は目を大きく開いた。
「悪くないかもしれない」
――寂しさを忘却する薬。
雲中子の脳裏に、生成方法のいくつかの案が浮かんだ。
「作ってみるとしようかねぇ……忘却剤を応用して、燃燈関連の……特定の対象関連の感情だけを抽出して、その感情のみを消失させる。記憶の操作にも近いけれど、感情だけをピックアップすれば、理論的には記憶に影響は出ないはずだ」
立ち上がり、雲中子は料理と酒はそのままに、研究室へと向かう。そして実験台の上に巨大な紙を広げ、思いついた式を数字や文字、図として描いた。走り書きであるから、雲中子以外には読み取る事は困難だ。慣れている太乙でも、完全に解読するのは難しいかもしれない。
「――よし、出来た。この通りに薬を作れば、目的の効果が得られるはずだ。後は生成するだけだ。うん、良い感じだねぇ」
笑顔を浮かべた雲中子は、使用する既存の薬剤やアンプルの用意に取り掛かる。実験器具を研究台に並べていき、目を輝かせた。薄手の手袋をはめ、薬品の調合を開始する。思い付きで生成する事は、別段珍しい事では無かった。
そうして、二時間ほどが経過した。
「あとはこの二種類を混ぜれば完成だ!」
雲中子が両頬を持ち上げる。燃燈関連の記憶を抽出している青色の薬液と、感情制御関連の紫色の薬液が、それぞれ入るアンプルを、雲中子は両手に持っている。迷わず、雲中子は青色の薬液を、もう一方に垂らした。
――その瞬間、爆発した。