T:やりきれない成果は雑談から生じた<1>






 夏の空は、今日も青い。
 白い雲の輪郭が、陽の光で際立っている。

 平和で、長閑――それが、崑崙山である。
 寿命が無いに等しい仙道が多いから、数が著しく減る事は無いが、近年ある問題が存在している。仙人となった者は増えたが、道士の数が非常に少ない。

 と、言うのも、人間界の発展が著しい事が大きい。仙人骨を持たない人々の文明は、ゆるやかではあるが発展していき、現代社会では昔よりも厳密な戸籍管理や法律もある。その流れにおいて、仙道は昔よりも人間界には自然と干渉しなくなっていった。うっかり仙人骨を持つからと言ってスカウトしたとしても、『神隠し』『誘拐』『失踪』等と、騒ぎになる事が大きい。余計な混乱を人間界に齎さないようにという配慮をする風潮が、崑崙山に出来て久しい。

 終南山は玉柱洞。
 雲中子は、玄関を抜けてすぐの居室で、暗い焦げ茶色の横長のソファに座っていた。モノトーンよりで統一された洗練された室内。これらは人間界にふらりと出かけて購入してきた品だ。人間の文明の発展は、憂うものではない。

 雷震子が独立し、洞府を構えてから、既に二百年以上が経過している。その前から現在に至るまでの変化としては、例えば燃燈道人が十二仙の一人から退き、普賢真人が加わる等、崑崙山の内部でも変化が無い訳では無かったが、それらは雲中子にとってはあまり興味を抱く内容では無かった。雷震子の独立後は、ほとんどの時間を研究に費やして生活している。

「あー涼しい。玉柱洞は本当に落ち着く」

 テーブルを挟んで、雲中子と対面する席に座していた太乙が、首をソファの背に預けて天井を仰いだ。空調の冷たい吐息が、室内を過ごしやすく保っている。

「趣味良いよね、家具とか。白と黒と茶色しかなくて地味だけどさ」
「余計な刺激を排除した方が、考え事をしやすいだけだよ」

 二人の正面には、アイスコーヒーのグラスがある。

「最近は何の研究をしてるの?」
「解熱鎮痛剤の改良をしていたけど」
「宝貝を使った模擬戦とかで、なんだかんだで怪我人は出るしね」
「まぁねぇ」
「ただ長らく弟子を取る機会も無いし、稽古をつける機会も全然無いけど」

 太乙がぼやく。尤も太乙の場合は、今も??と暮らしているから、新弟子を取る予定は無い様子だ。

「今のご時世じゃ、仙人骨があるからと言って、迂闊に攫ってくるわけにもいかないしね」
「そうだねぇ」
「――そもそも、減ってない? 人間界で、仙人骨がある人」

 そんな太乙の指摘に、アイスコーヒーを飲み込んでから、雲中子は頷いた。現在では、天然道士すらほぼ見かけない。それもあって、崑崙山の顔ぶれには変化が無い。

「私達だって不死というわけではないし、このままだと緩やかに仙道は消滅しちゃう気がする」
「私も太乙の見解と同じだよ」
「それが世界の流れなのかなぁ?」

 現在人間界においては、仙人の存在など、お伽噺と化している。それは太乙も雲中子もよく知っていた。

「基本的に同根は同一だけれど、既に『人間』とはある種別の種となったと考えるべきなのかもしれないねぇ。間際もなく私達はヒトとして生じたとはいえ」

 つらつらと雲中子が述べると、太乙がストローを噛んだ。

「仮に仙人骨を持つ者が新しい種だとするならばさぁ、相応に繁殖も可能なはずじゃない?」
「霊珠といった手段を用いずにと言う趣旨かい?」
「うん、そう。私には母胎を用意して生み出すという発想が無かったけど……」

 確かに宝貝人間を創造する事は既に可能ではあるわけで、と、太乙が呟く。雲中子はグラスの中の氷を一瞥しながら、その啼く音に耳を澄ませ、静かに頷いた。

「ヒトという種で考えるから、どうしても女性や子宮の必要性を検討してしまうのだろうけどねぇ、あるいはその点が根本的に異なるのかもしれないね」
「女性が産むとは限らないという事?」
「そうだねぇ。女性が産ませる側であっても問題が無いだろうし、種の繁栄だけを切り取るのであれば、何らかの『産む事が可能な因子』や『産ませる事が可能な因子』があっても不思議は無いと私は思う。たまたまそれが、人間という種の場合は、女性や男性の身体構造に起因していて……仙人骨を持つ者もそれと同一だとは、考えてみれば言い切れないとは思うよ」

 これらはただの、何気ない雑談のはずだった。雲中子は熟考したわけではなく、机上の空論として語っていた。しかし太乙は興味を惹かれたらしい。身を乗り出している。

「仙道間での妊娠・出産の事例は少ないよね?」
「そうだねぇ。一般的には寿命が長い事やそもそも『欲望』を制御しているから生じないとされているけれど――ただまぁ、ゼロというわけではないか」
「ただそこで生まれた子供が仙人界の綺麗な空気の中でだけ暮らすと、病弱になる可能性はあるのかな?」
「竜吉公主はお血筋が違うし、異母弟の燃燈は丈夫そうだけどねぇ。事例が少なすぎて、それらが個体差なのか否かは現時点では明言出来ないと思う」

 雲中子がそう述べると、指を組んだ太乙が目を輝かせた。

「性欲を修行で抑える訓練をしているとも言えるから、それが抑制的な因子になっているのかもしれない。それを取り払う事が出来た上で、産む・産ませる因子を特定できたら――仙道間であれば、女性や男性といったくくりを声て、子を成せる可能性がある。そういう可能性があるって事で良いんだよね?」

 それを耳にした雲中子は、双眸を細めた。

「まぁねぇ。理論上は、ね。けれど私としては、別段仙道の数を増やす必要性も感じなければ、滅ぶならばそれが自然だとすら思うし、血縁関係が無くとも我が子のように弟子は可愛いよ。倫理の問題もある。思考実験としては興味深いとは思うけれど、率先して研究しようと思うモティーフでは無いねぇ」

 雲中子の見解に、太乙は唇の両端を綺麗に持ち上げた。

「私も、血縁関係は無いけど、??が大切だよ」
「見ていれば分かるよ」

 その後は、太乙による弟子バカとしかいえない近況報告に、雑談は変化した。