【3】僕は、いつだって心配だ。
過去――僕は、このアメジストロゼリア帝国で皇帝陛下の直轄部隊に所属し、多くの任務を行った。見慣れた風景、検問所、その先に広がる白い石畳。巻貝上の、この旅最初の帝国の街は、実は何度も訪れた事がある。
一見やる気が無さそうに見える門番が、僕とニコが通り過ぎる時、街に控えている多くの戦略魔導師に、それとなく一報を入れたのを、僕は確認した。検問所の前でこそニコは緊張していたが、門番の上辺の顔に、素直に安堵しているのが分かる。
ニコの人の良さが、僕は好きだ。だからこそ、純粋なままでいて欲しいと願う反面、心配でたまらない。いつか僕は、ニコに、僕の心配をする必要は無いと伝えた。あの時ニコは、『勝手に心配という気持ちは浮かんでくる』と、僕に言った。
僕の場合は、どうなのだろうか? 酷く、利己的な心配であるような気がする。
例えば、ニコの存在が、僕が呼吸し生きる事を許される証明だからだとか、あるいは、純粋でいて欲しいという勝手な師としての願いだとか。それらこそ、ニコは求めていないはずだ。だから、大司教様に告げられた『任務』という言葉は、僕の気分を楽にさせる。
自分だけで、勝手に遂行する任務ではないからだ。公的に、他者に、僕は今、ニコを守る事を――認められている。危険を伴う旅路だというのに、それを嬉しいと感じる自分に対して、嫌悪感が無いといえば、嘘になるが。
街へと足を踏み入れてすぐに、僕はニコを見た。
歩きながら、僕は既に、敵についての多くの事柄を探索済みだった。
それを踏まえて、僕はニコに告げる。
「多分、この街には既にアメジストロゼリアの戦略魔導師がいる。だから門番達は、どんどん不審者を、中に入れるようにと言われていたみたいだね。君は今後、どんなに僅かであっても、僕と君以外の魔力の気配がしたら、その時点でその場で回復術の治癒を全開にして、物陰に隠れて。物陰が無い場合は、地面に伏せていて」
言いながら、僕はそれとなく手袋をはめ直した。
僕は、始める時と完了した時、手袋をはめ直す癖がある。
――今回は、完了したから、はめ直した。ニコは何も気付かなかった。
これで、大通りは安全だからと、僕は表情を殺して進む。
ニコに、他者を殺めた事を、知られたくは無かった。
そういった部分も、僕は僕の事しか考えていないのだと、実感させれる。
そんな時、僕はいつだって息苦しくなるのだ。
愛弟子に、己の汚い部分を見られたくはない。真実の自分の醜悪な内心を、決して悟られたくはない。冗談めかして伝えてみせて、時折反応を伺い、そうして僕はいつも、優しいニコの反応に、どこかで安堵しながら生きてきた。ニコがいると、呼吸が楽になる。
街の出口が近づいてきた。僕は、このまま何事もなく、通過できる事を祈ったが、それが叶わないだろう事もどこかで理解していた。僕は足を止める。僕は同胞――穢痴族の青年の姿を、視界の隅に捉えていた。
穢痴族同士であれば、見た目を偽る魔術は効果が無い。やろうと思えば、僕ならば姿を隠せるが――相手の力量を知っていたから、そうするまでも無かった。チラリと正面に建つ穢痴族の青年を確認してから、僕はニコを一瞥した。
「やっぱり回復術は良いや。物陰」
「――え?」
「早く」
それから僕は、ユーラという青年の前に立ち、暫しの間――雑談じみた『提案』をした。
「――『強くて勝てなかったから、離脱して、情報を伝える事を優先しましたぁ』って全力で言い張るよ」
彼も僕の力量を知っている。だから僕は、退いて帰還するのであれば、見逃すと暗に告げた。穢痴族は、平均的な死亡年齢が非常に若い。多くは二十歳まで生きられない。その中で、僕は生に縋りつき、三十一歳になった現在も、ニコを理由に生きている。他者を殺して、生きている。例えばその中には、同じ穢痴族の子供だって含まれている。基本的に穢痴族の人間は、殺し合いの中で落命する。
僕の言葉に、ユーラくんは、僕にしか見て取れないような速度で、ごく小さく頷いてみせた。一瞬だけ、彼の瞳に緊張感が宿った気がする。口でこそヘラヘラと僕に向かって、戯言を放っているが――怯えているのがよく分かる。怯えられるほどの数、僕は人を屠ってきた。
「君今いくつだっけ?」
「二十二です」
「ああ、じゃもう人生に悔いもないだろう。殺らせてもらうね」
僕は、努めて明るい声を出し、そう告げた。袋をはめ直す。今回は、開始だ。
逃げる提案への同意をお互いに確認した上で、僕とユーラくんは向かい合う。僕達の戦闘は、帝国の人間に監視されている。だから、逃がすとしても、それなりの形で武器を構え合わなければならない。
ユーラくんは、僕に拳銃を向けた。容赦なく、僕の頭を狙っている――が、本来殺めるならば、先に胸をやる。ユーラくんの銃撃の腕前ならば、確かに脳を正確に破壊できるかもしれないが、それは自分より実力が上のものには、本来は得策ではない。それを知っているだろうに、彼はそうした。逃げるための余裕作りだ。
僕は、そんな事をつらつらと考えていたから、手袋をはめ直すのが遅れてしまった。終わった時、ギンと高い音がしたようにも思う。短剣で銃弾を撃ち落とした時、僕は愚かな事に音を立ててしまったらしい――故意だが。音がした理由は、そのまま投げるはずだった短剣を、弾き飛ばされてしまった……と、監視している人々には見えただろう。ただ、手袋をはめ直した理由は、その偽装劇の終了という意味ではない。
もう一方の手で、僕は迷わず串を投げた。魚を刺して焼いたものと同一だ。それは彼の首を抉ったし、もし後一歩、ユーラくんの動きが遅かったならば、絶命させる事が可能だっただろう。
これらは――一瞬の出来事だったはずだ。
僕はそれから、すぐにニコの元へと戻った。
「ニコ、行くよ」
「……!」
目を見開いたニコは、呆気にとられたように、目を丸くして息を呑んでいる。
「勝ったよ。あと、ここから本格的に喋って良いよ」
「あ、ああ……あの、一瞬で、音が一回だけして、どうなったんだ? 何が起きたんだ?」
「ん? 音? ああ、僕も足腰が弱ってるご老体だから、たまには失敗して音を出しちゃう事もあるんだよ」
僕はそう誤魔化して、ニコを連れて歩みを再開した。僕の隣で安堵しているニコの姿を見ながら、内心では、僕こそが安堵しているのだと分かっていた。
――問題は、次の街だった。