【6】僕は、クイズの答えが分からない。



 無表情のまま、僕はヒルトを見据える。
 すると、喉で笑った彼は、楽しそうに続けた。

「ラーゼ様、魔術樹の街が陥落したそうですが、ご存知ですか?」
「どうして街から来た僕が、街の情報を知らないと思うの?」
「――では、大司教様を帝国にて捕らえている事は?」

 その言葉に、僕は目を見開きそうになったが、必死でこらえた。飲みかけた息もそのままだ。だからゆっくりと瞬きをして誤魔化し、それから溜息をついているかのように、あからさまに大きく息を吐いた。

「それは、皇帝陛下にごく近しい部隊の者しか知らない、勅命に纏わる情報じゃないの? 君さ、雑談でそんな機密漏洩をしたとなれば、当然処分が下ると理解している?」
「ラーゼ様が密告するとは思えません」
「――、――それは、まぁ……確かに、僕は帝国の誰かに話に行くわけにはいかないけど……帝国に所属していない、穢痴族の人間も少なくはないよ。特に、他国の所属で、君の首を喜々として狙っているような知人が、僕には大勢いる」
「だとしても、処刑人ごとき、全滅させる事が余裕です。それは、ラーゼ様と共に働いていた時ですら可能だった事の一つだ」

 事実である。だが、だとしても、腑に落ちない。

「どうしてペラペラと、僕にそんな情報を教えてくれるの?」
「理由が必要ならば、いくらでも。一つは、僕が貴方に恩を感じているから。次の一つは、ラーゼ様が大司教様を慕っておいでだったから。さぁ他の一つは、大司教様もまた穢痴族の出自であり、貴方の実の祖父だから。ではさらなる一つ、そうだな、ラーゼ様が俺の義父だから。養父の方が適切でしょうか。さて、最後の一つ――これが真実です。当てて下さい。そうすれば、ニコ殿下の事も、この街で、俺は見なかった事にしますよ」

 僕の全身から血の気が失せた。今はまだ、ニコのいる宿は安全だが、僕を殺した後、ゆっくりとヒルトは、向かう予定なのかもしれない。だとすれば、隙を見出すためにも、何とかして阻止するためにも、この下らないクイズに答えるしかない。

「……」

 しかし答えが思いつかない。僕を動揺させるためか? 大司教様が捕らえられたと聞いて、確かに僕は、動揺している。けれど、僕を動揺させたいならば、ニコの名前を出すのが自然だろう。

「あれ? なんで黙るんですか?」

 そんなものは、分からないからに決まっている。
 そう言いたかったが、僕は沈黙を守った。

「……」
「え。ラーゼ様?」
「……」
「俺、前に言いませんでしたっけ?」

 ヒルトは、僕の反応に、笑みをこわばらせた。心なしか、冷や汗をかいているように思える。どこか焦るように、そして――驚いたように、僕を見ている。怪訝そうですらある。

 しかし……大ヒントだ。前に、聞いた事があるらしい。
 だが、いくら回想してみても、僕にはその記憶が見当たらない。

「――他には、オルガとユリアという魔導師も、帝国では捕らえています」

 続いたヒルトの声に、僕は再び息を呑みそうになったが、今度は目を細めて、唇に力を込めて誤魔化す。二人の生存を喜びつつも、やはり奇妙だとしか思えない。

「どうして?」

 教えてくれる理由が思いつかない。クイズの解答が分からない以上、雑談で時間稼ぎをするしかない。そう判断して、僕は改めてヒルトを見た。

「え、っと……」
「それも重要な情報だよね? 何せ、僕が傍受した一般的な戦略魔導師達の通信の中には、そういった機密は無かったから」
「だ、だから! 前にお話しましたよね?」
「回りくどいね。はっきり教えて? 悪いけど、僕は記憶にない。そもそも、君ごときに割くような記憶の容量が無いんだ」

 僕がそう告げると、ヒルトが肩を落とすようにしながら吐息した。
 そして不機嫌そうな表情になると、じっと僕を見た。

「頭の中は、ニコ殿下でいっぱいという事ですか?」
「うん、そうだね」

 素直に頷くと、ヒルトがさらに不機嫌そうな眼差しになった。

「だとしても、俺、お会いする度に、言ってません?」
「え?」

 だとすれば、最後に会った時も聞いたはずだ。僕は必死に、最後に顔を会わせた時の事を思い出す。最後の前は、いつ会ったかすら、思い出せない。

「あ」
「思い出してくれました?」
「確か、『ラーゼ様なんて大嫌いだ』と、君が言って、僕は『あ、そう』って答えたと思う」
「……っ、その前!」
「悪いけど、記憶にない」

 僕が断言すると、ヒルトが目を伏せて、俯いた。

「――俺は、『ラーゼ様が好きです』と言って、そうしたらラーゼ様が、『へぇ』と言うので、あんまりにも俺に興味がなさそうだから、そういう部分は、『ラーゼ様が大嫌いだ』とお伝えし、結果、ラーゼ様は、『あ、そう』と、確かに仰言いましたね。俺、さすがの記憶力だ。まぁラーゼ様の事で、俺の頭はいっぱいですから」

 その言葉に、僕は更に目を細めた。

「? 僕は君の弟子じゃないよ?」
「誰も師弟愛の話なんかしていません。ご安心ください」
「じゃあ何が言いたいの?」
「俺を見てくれ」
「今見てるけど。ずっと刀を突きつけられているしね。目を離したら死ぬから」
「物理じゃなくて!」
「ん? クイズの解答は、僕の事が嫌い、って事?」
「違う! 俺が言いたいのは、『ラーゼ様が好きです』という事です」
「あ、そう」

 そういえば、僕に懐いているらしく、何度か言われた記憶がある。

 それに、定期的に大司教様に促されて出す、養子への手紙の返事にも、大体ヒルトは、好きだと書いてきていた気がする。流し読みしていたし、半分は大司教様に代筆してもらっていたから、あんまり記憶に無いが。

「好きだから――大好きなラーゼ様のお役に立ちたくて、特に皇帝陛下から俺は今何も頼まれていないんで、それ幸いにと情報提供をしただけです」
「え?」

 僕は思わず目を見開いた。今度はこらえられなかった。

 何せ――高い情報量を取るくせに、これ以下の情報しかもたらしてくれない、バジルさんより、よっぽどヒルトの行為は、僕にとって有能だったからだ。なんて役に立つんだろう。さすがは、過去の僕の手足だ。

「有難う、ヒルト。君の好意が嬉しいよ」
「――何よりです」
「じゃあ僕は帰るね」

 思わず僕は笑顔を浮かべた。ニコも無事だろうし、本当にヒルトは何となく僕に会いに来ただけらしいから、刀も虚仮威しなのだろう。そう考えて踵を返そうとした時――ヒルトが再び一歩前へと出た。

「……」

 刀の鋒が、僕の首筋に触れる。

「……情報提供に来ただけじゃないの?」
「当然、俺としては下心があります」
「今じゃ貴族の関係者風なんじゃなかったの? 金に困ってるようには思えないけど。それに僕、最近君の役に立ちそうな魔導書を執筆した記憶もないね。下心って具体的には?」

 僕がそう聞くと、目を細めたまま、ヒルトが薄い唇を動かした。

「俺は、ラーゼ様が好きで、その上で、下心があると言ってるんですが?」

 少し冷えた彼の声に、僕は何度か瞬きをし、首を傾げそうになった。だが、傾げたら首が切れるので、動きは止めた。

「――つまり、僕を肉欲的な意味で好いているから、ヤらせろって話?」

 違うと帰ってくるのを予想しつつ、僕は再び隙を探すため、煽ろうと試みた。

「正解です」

 だがヒルトの答えは、まさかのものであり、僕は呆気にとられるしかない。
 虚を突かれた僕の表情を見ると、満足そうにヒルトが笑った。

「宿はとってあります。さ、行きますか」

 やっと刀を鞘に収めると、ヒルトが僕の手首を掴んだ。
 こうして夜更けの道を、僕は彼に連行されるように、歩く事となった。