2




 こうして少し観察してみることにしていたので、予定調和の会話を切った。父がすぐに気づいた。僕が興味を持ったことも悟っただろう。ソラネは、ロボットを見た瞬間、一瞬だけ瞳に恐怖の色を浮かべた。女性というには幼い外見のロボットだというのに、完全に異性として認識し、その上で恐怖していた。そこで息子だと暴露してもらった(父の耳のピアスに直接通信したのだ)。するとその恐怖はより濃くなった。この反応はおかしい。そこで振り返って空港からの画像を見ると、見た目はともかく同年代の少女から二十代前半程度までの女性に過度の恐怖を示していたし、あからさまな視線を向けてくる男性にも恐怖していた。なるほど、性犯罪の被害にあったのか。男女両方に襲われたか、同時か、女性が後ろも犯したのだろう。ソラネは、押し倒されたいだのいじめられたいだのと騒がれているが、おそらく本当にそちらの趣味の人間は、屈服させるのが楽しいと感じてしまうような性格に思えるから、ありえる。

 なぜなら、僕も同類だからだ。

 ただし僕の場合は、そこまで他人に興味がないので、屈服させたいほどの興味を抱いたことが、ない。しかし相応に性欲はあるし、大人の玩具専門の企業を趣味で立ち上げる程度にはそちらの方面へ興味を持ったこともあるので、自分がいわゆるSである自覚はある。なお、このことは、誰も知らない。全てネットで対処したから、僕が経営者だとも開発者だとも資金提供者だとも、誰も知らない。同時に購入した顧客の身元を辿り、いざという時の脅迫手段にもしている。

 さて僕は、実際に目で見てみたくなったので、父達には見に来たなどとバレたくなかったので、さも連れ出すふりをして、ソラネとロボットを呼び戻した。そして絶句した。気づくとこめかみを汗が伝っていった。画面越しとは全く違う。直接的に匂い立つ色気にあてられたのだ。それは、僕だけではない。周囲の視線も釘付けだ。空港からここまでの映像は、単に芸能人だと気づいたからか、イケメンだからだろうと思っていたのだが、そういうことではなかったようだ。仕草の一つ一つ、薄い唇の動き、息遣い、まつげの動き、瞳、黒い髪の一つ一つまでが、壮絶な色気を放っていたのだ。

 これは、連れ歩くのは危険すぎる。

 父は叔母にしか興味がないし、叔母も同様だ。執事は性的に不能で目があまり見えない。障害者だ。ロボットは、性欲がない。見慣れている従兄と父親は別として、迂闊に目を離せば、自殺の心配というよりも、さらなる性的被害に遭う可能性が非常に高い。それも治安の悪い地域ならば、なおさらだ。ここまでくれば、男であることなど関係ないだろうし、むしろだからこそ、犯したくなる人間の方が多いだろう。全く女性的ではない。男性的だからこそ、おかしなぐらいの色気を感じさせられてしまうのだろう。

 人間の外見に、ここまで目を奪われたのは、性別を問わず、人生で初めてだった。
 同時に、生き物に興味がないこの僕が、初めて自分の性欲を感じさせられた瞬間だった。いつもは誘われた相手を選んでいる。自分から性交渉したいと思った人間は、一人もいない。さらに言うなら、僕は同性愛者でもない。男を抱いたこともそれなりにあるが、それはただの興味だし、無論肉体関係を持つなら女のほうが良い。

 父側の話をイヤホンで聞きつつ、ロボットの操作をした。
 感染症と薬の話に誘導して、現地へ行く提案をした。
 ――その時だ。

 初めてソラネが笑った顔を見た。なぜなのか、自殺する直前の顔に見えた。
 泣きそうなのではない。近いのは、絶望だ。
 しかしすぐに表情を戻したソラネは、普段通りの自信家な表情になり、そのままロボットとともに席へと戻った。こうして父にも頼んでおいたためうまくことは運び、僕はソラネとしばらくの間、一緒に行動できることになった。

 先にホテルに戻り、ずっといたふりをしながら、僕は父達を迎えた。
 ソラネ達はとんぼ返りだ。資料を取りに行ったのだ。
 僕達は、直接取りに行くような資料はない。最寄りの国の支社から現地に必要機材を先に搬送してもらうだけだから、このままいつでも行ける。服はネットで買って、やはり支社宛てに送っておいたので、もういつ行っても平気だ。

「アルトが他人に興味を持つのは珍しいね。どこに興味を持ったの?」
「当てて」
「――現時点では、外見以外、思い当たらない。だけどアルトは東洋人があまり好きではなかったように思う。ただし、それを加味しても、鏡花院空音の外見は、ある種異常なほど、整ってる。しかも、今回は性的な事件の直後だったからなんだろうけど、多分初めて性経験をしたんだろうね、色気がおかしなほどダダ漏れで、自覚がないから自分で制御も出来ていないみたいだった。慣れきってる従兄と、息子に欲情する趣味がない父親以外は全員当てられてた。うちの人間は除いて。アルトも直接見ないほうがいいかも知れない――いいや、もしも外見に興味を抱いたのであれば、既に見たのか、そうなんだ?」
「大正解だよ。あれは、非常に危険だ。一人で歩かせない方がいい」
「僕は友人に虫除けになる約束はしたけど、アルトを虫だとは思わないし、アルトが性的虐待被害者を強姦しても口出しする気はないから安心して。興味がない。ただし自殺は阻止する。その面では、口出ししない代わりに、協力を求めたい。君の場合であっても、鏡花院空音を死なせることは許容できない。感染症研究に彼は必要だ」
「わかってる。既に資料も見た。完璧だ、あの研究」
「現地ではどうする?」
「一般研究員のふりをする。そのロボットは、そのままで行こう。バレていたら、本物だと言って違うロボットを出す」
「うん。良いよ」

 こうして隣国で合流し、ロボットと父と三人が現地入りするのを見ていた。
 その一瞬、今度は嬉し泣きするような笑顔をソラネが浮かべた。
 ロボットに理由を聞かせたら、一人で外国に来るのが初めてなんだと言っていて、その後、慌てたようにいつも通りを装っていたが、本当に来たかったんだろうなと僕は思った。完全に父さんのおかげだと信じきっていて、少し態度が父には柔らかい。ロボットにでもあるが。それは顔見知りがこのふたりだからだけではないだろう。本当にソラネは、ここに来たかったのだ。

 さて、僕は一研究員として、挨拶することになった。

「はじめまして、アルトです」
「?」
「私と同じ名前なのよ、偶然にも」
「そうですか。ソラネと言います」

 本当にロボットだとは気づいていないらしい。同時に名前のインパクトで、僕への男性的恐怖を消去することに成功した。十五歳と二十歳だからではなく、人種の問題も含めて、僕のほうがソラネよりも背が頭一つ分は大きいし、肩幅も広い。僕は別にムキムキじゃないが、ソラネを華奢だと表現してしまえるレベルには、筋肉込みでスタイルが良い自信がある。平均的な東洋人としてみれば、空音は背も高く男らしい方かもしれないが、僕と並んでいたら誰だって細くて華奢だとソラネを判断するだろう。

 ここへこられたことと、研究がよほど楽しみなのか、本日は特に色気はない。やはり先日のあれは、特別だ。こうして考えると、その部分は子供らしいのかもしれない。僕は親しみやすくて明るくて男性には興味ゼロで東洋人は顔の判別がつかず、女ならだいたいいけるけど東洋系はちょっと、という感じの情報をそれとなく織り交ぜながら、性格を取り繕った。父は無表情で聞いているが、内心大爆笑していたと思う。そんな情報どうでもいいと言いながらも、目に見えてソラネが安堵していたのを、僕は見逃さなかった。そして――研究時には、真剣に議論した。実際に空音の頭が良すぎて僕も白熱してしまったのだが(これもかなり珍しい。僕の周囲はバカばかりだから、議論にすらならないのだ)、真剣な顔のソラネの、その新しく知った表情は、僕の胸を揺さぶった。