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 その後ソラネと食事をした。あまり食欲がなさそうだったが、まぁまぁ食べていた。会話内容は、普通。不機嫌でもなく笑うでもなく、研究の話混じりの雑談だ。自信家で俺様で、かすれた声と首筋のキスマーク以外、ベッドの上とは違いすぎる。だから食事が終わったあと、思わずつぶやいてしまった。

「昼は淑女で夜は娼婦だっけ? 日本の言葉」
「っ」

 するとソラネが目を見開き、小さく息を飲んだ。
 あ。失言だった。
 泣くかも知れないと思いながら、僕は対応策をいくつか脳裏で瞬時に計算した。

 だが、ソラネは、いつかトルコで見たような、泣きそうではないのに、どうしようもなく悲しげに見える絶望に近い色を瞳に浮かべて微笑した。

「――ああ、あったな。まぁ俺の場合は、昼は口だけの無能で、夜は声がうるさい淫乱ってところか」
「――ソラネ?」
「アルト、俺はお前に感謝してる。本当に、ありがとう」
「……」
「お前があのロボットを操作して、お前の父親を説得してくれたから、俺はここに来られた。薬もひとつは出来た。俺は、もう満足だ。十分に幸せだ。きっと、これ以上の幸せは、もうない。本当に幸せすぎて、満足してる。ありがとう」

 報告書や資料、ソラネに関する事柄や、自殺願望自体について、もちろん俺は調べ尽くしていたわけだが――それが理由でなく、見ればすぐにわかった。本人はおそらく、本気で言っている。本気で幸せで満足していて――だから今、死ぬ気なのだ。

 止めなければならない。まず実行方法を把握する必要もあるし、対策もねらなくてはならない。想定外のものだと困る。少し時間を稼ぐべきだ。僕が問いかけるとソラネが苦笑しながら喋り始めた。

「ロボットだって知ってたの?」
「ああ。お前がアルト本人だって最初から気づいていた。トルコの時点で、父親とピアスとタブレットでやり取りしているのもわかってた。あの時、いただろ? そばに」
「――ここに来た日、僕を見て驚いてたけど、どうして? 名前が同じだからじゃないの?」
「まさか。理由は一つだ。ヴァージニア製薬の跡取りが、危険な現地にいたからだ」
「……ああ、なるほどね。どうして僕が息子だと?」
「息子と名乗るロボットを操作してるんだ。しかも、ヴァージニア氏本人と直接やり取りしながら。ほかの縁者では無理だと思うが、そうでもないのか?」
「ソラネの推測通りだよ。悪かったね、侮ってたみたいだ」
「別にもう演技して優しい素振りをする必要はない。これもずっと言おうと思ってた」
「……」
「俺が日系の年上の姉のような従姉に後ろまで犯されたことを知っていて気遣いしてくれていたのはわかってる。初日の会話でその配慮に感謝したから黙っていたけど、別にお前が無理してそこまでしてくれる必要はない」
「……」
「そもそも、犯されたのかすら自分でもわからない。俺は、確実に気持ちいいと思ってたような気がする。だから従姉のせいじゃないんだよ。俺が悪いんだ。それに、男同士でここまで気持ちよくなってるのが異常だともよく理解してる。お前が言ったのは全部嘘だってわかってる」
「……」
「一番最初は、お前が溜まってるから俺に嘘を吹き込んでるんだろうと思ってた。単純に同性もいけるんだろうって。お前には感謝してるから応じて――……けど、実感した。俺の体は、おかしいらしい」
「……」
「何度も調べたことがある。意識的な恋愛対象は女性であっても、肉体的快楽は男性相手でなければ引き起こされない人間がいることを。けど俺は、女性にも男性にも恋をした記憶がないんだ。なのに体が……」
「……」
「頭のできも顔のできも誰よりも劣ってるのに、性欲だけ秀でているって馬鹿げてるよな。だからといって会話能力があるわけでもないから、そういう仕事をするのも無理だろうしな。するとして、男を相手にするのか女を相手にするのか、それも問題だけど、そもそも俺みたいなのを買う人間がいるのかっていう話だ。そもそもお前に会うまでは、勝手に体が高ぶったことなんてなかったから、ヤりたいと自分から思ったこともなくてな」
「……」
「じゃあお前のことが好きだからかと考えても、わからない。だから多分、お前の外見がかっこいいから生理的嫌悪がないだけで、俺、男なら誰でもいいんだと思う」
「……」
「お前と一緒にいると、理由はわからないけど、すごく安心する。本当にこれがよくわからない。顔を見て一緒にいると、すごく安心するんだ。落ち着く。だから――自分勝手なことに俺は、そういうのも研究環境も、なにもかもが壊れるのが嫌で、それでずっと黙ってた。でもな、体がこれじゃ、もうダメだ。俺は、お前と一緒にいてはいけない。特に俺の年齢的な問題で、従姉と同じように、お前のほうが処罰される。アルトは俺のおかしい体の相手をしてくれただけなのに。嫌だっただろ? 本当に、悪いことをしたと思ってる」
「……」
「すぐに帰国手続きをする。世話になったな」

 最後に苦笑と、あの絶望の笑みと、あとは本当の優しい笑み、全てを混ぜたような顔でソラネが笑った。僕はもう作り笑いを消していた。真剣に聴くふりではない。素だ。

「――六つ言わせて」
「多いな。なんだ?」
「ひとつ目、帰国は許さない。これは、あとで話す研究上や仕事上の理由ではなく、僕の――俺の個人的な感情だよ。それでもどうしても帰るって言うんなら、君は自殺したことにして、感染源になりうるからこちらで遺体を処分したとして、一生俺が監禁する」
「……アルト?」
「二つ目。俺が君を抱いたのは、君のことが好きで、愛してるからだ」
「……おい?」
「最初は直接見たときの一目惚れだった。その時からずっと肉体的に手に入れたいと思ってた。そうしたら、一緒にいるうちに、人生で初めて恋をしてしまった。男にという意味じゃない。人間に対してだ。一目惚れも初めてだけどね。俺は基本、誘われなきゃやらない。初めての例外が、ソラネだ」
「……」
「三つ目。君はいつもどこかで緊張しながら生きてる。なのに俺の前では安心できる。それはつまり、それだけ俺を特別視しているからで、そういう感情は恋と名づけて問題ない。君は俺が好きだ」
「――え?」
「俺をかっこいいという。外見的に生理的嫌悪がない。さらに、上辺も見抜いていた下にも気づきつつ、俺を優しいと評価する。性格にも好感を持っているわけだよね」
「ああ、それは、本心だ」
「性別を抜いて考えれば、この状態で肉体関係を持って気持ちがいいというのは、すなわち好きで愛しているということだと思うけど。ようするに俺たちは両思いだということだ」
「……え……え? そ、そうか? ちょっと、なにか、違わないか?」
「違わないよ。そうなんだよ。君は難しく考えすぎる癖がある」
「……」
「四つ目。君以外にこの感染症の対策はできない。ワクチンと特効薬の開発をすべきだ。さらに有効な対処療法も考えるべきだ。人類のために。まぁ俺の会社のためにも。それらを放り出して帰国したり自殺するのは、許されることではないよ。君の命に、いったい何万人の命がかかってるか理解してる?」
「別に俺じゃなくても――」
「一緒にやってきたからよくわかるし、父さんの評価でも、君の大学の人々の評価でも、ほかのここにいる研究者の評価でも、さらに別のここにいない研究者の評価でも、君以外には無理だと既に結論は出てる」
「そんなことは――」
「あるんだよ。慰めとかじゃなく、いなくなられると非常に困る。恋さえしてなければ、監禁理由は研究続行のためだ」
「……」
「五つ目、ここには万全の自殺対策がしてあるし、君とこの話をしながら、全部閉鎖して、ここからは決して出られないようにした。君の返答次第で、このまま監禁するし、場合によっては拘束するけど、ちなみにどうやって自殺する予定だったの? 教えて」
「な」
「この室内では俺が止めるし、俺が寝ている場合は、ロボットが止める。外にも出られない。よって、感染症にかかった事故死のそぶりも、ありとあらゆる事故の素振りも無理だ。更に言っておくと、君がそれとなく持ってた自殺できそうなものは、休暇初日にシャワー浴びてたときに、全部処分しておいたから。ソラネが確認する前に、俺、君を抱いたし、君には確認するチャンスが無かったのも分かってる。監視カメラ付いてるし、この部屋。俺しか見てないから安心していいけど」
「……」
「最後の六つ目。君は激怒すると思うけど、素の俺でいいって言うんだから言うね。君の体は別に変じゃない。それは生理現象という意味でもない。俺が君に一週間持続する媚薬を盛ったから、君は異常な程感じるんだよ」
「――……え?」
「最初に使ったローションに混ぜてた。体が熱くなるのは、それのせい。そして他の男じゃ無理。俺じゃなきゃ、その熱は取れない。自慰でも無理だ。俺が出さない限り、一度熱くなったら止まらない。それと男同士のSEXなのに何の準備もなく生でできるのも、前々から君にそう言う薬を盛ってたからだよ。俺はそれだけ君が欲しかった」
「どうして……?」
「だから二つ目で言ったよね。君が好きだからだ」

 僕、とか言って猫かぶっていた俺は、罵声を覚悟した。
 少しの間、ソラネはうつむきがちに沈黙していた。
 そして。

 ――真っ赤になった。