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 しかし読んだ限り、母親は父親の現社長に対してかなりの影響力があるし、母方の祖父は、前社長のソラネの父からの祖父にも口出しできそうだ。詳細は知らないが、認められているらしいと僅かな記述があった。おそらくだが、紺という長兄にも。紺は母方の祖父と、兄弟姉妹の中で、もっとも頻繁に連絡を取っている。しかし雛辻の二人は日本人だ。同性愛に免疫はあるのだろうか。アメリカ人の俺でさえ、ソラネに出会うまで、ヤれはしたが、特に考えたことはなかった。ただまぁ、会ってみる価値はあるだろう。

「ソラネ、そういえば、休暇があと二週間延長になったんだった」
「そうなのか? どうして?」
「今思い出したんだけど、ひとつはヴァージニアの会議。今回出来た薬の件だから、休暇というか、ちょっとこちらの会社の仕様で整理するんだった。俺が」
「手伝うことはあるか?」
「それは平気なんだけど、俺、パソコンはロボット動かす時とネット見るときに使うだけで、書類作ってるとストレス溜まるんだ。そこは父さんに似た。俺も父さんも書類仕事が入ると、旅したくなるんだ。だから少し旅行に行かない?」
「別にいいぞ。けど、俺は残って研究でも……」
「目を離さないという約束になってるし、そもそも恋人を一人にする気はない。もう約束とか関係なしに」

 俺の言葉にソラネが照れた。本当にいちいち可愛くて困る。

「まずは日本に行かない?」
「別にどこでもいい」

 こうして俺は、ダメもとで、ソラネの祖父のもとへ向かった。
 到着時刻は、平日朝七時。ちょうど出かけるところだった、ソラネの叔父に遭遇した。
 一発で分かった。なにせ、ソラネにソックリなのだ。
 微笑した美青年は年齢不詳に見えるが、空音を大人っぽくするとこうなるのかという感じだった。目元が少し違うだけで、多分そのほんのわずかな部分だけがソラネは父親似なのだ。完全に雛辻家の血筋でこの顔だったのだ。そういえば現社長夫人も非常なる美人だ。男にした姿を想像したことがなかったが、考えてみると、そうなる。あとはソラネの身長も父親譲りのようだが。にこやかに挨拶してくれた麗しい日本人を見送ったあと、俺たちは、祖父が一人で待つ、ソラネの母の実家に到着した。

 出迎えて緑茶を入れてもらった。
 その後、ものすごく久しぶりに会っただのなんだのと雑談をし、「愛してるぞ空音ー!」といって抱きしめているソラネの祖父を、思わず俺は呆然としながら見てしまった。若い。かなり若い。七十歳は過ぎているはずなのに、どう上に見積もっても四十代にしか見えない。その上、たぐいまれなる美形というのは、こういうのをいうのだろうという容姿だ。こちらを見て再度考えると、オーウェン社長夫人はあんまり似ていないかもしれない。遺影にある若くして亡くなったらしい、彼女の母親に、夫人はよりそっくりなのだ。まあ、両親の顔が似ているというのもあるのだろうが、なんともいえない。ちょっと美的感覚が狂ってきた。雛辻家、おかしいだろう、この遺伝子。お茶の間兼仏壇の間で俺がそう考えていた時、ぽつりとソラネの祖父が言った。

「しかしまぁ、空音が男の恋人を作るとは意外だった。一番孫の中で、偏見ありそうだったから」
「え」

 空音が思いっきりうろたえた声を上げた。空音、俺も発音を覚えた。
 なおここまで全部英語だ。お祖父様、英語ペラペラである。

「な、え、あ、な、な、な、なんでだ?」

 もうこの動揺のしっぷりと、空音の真っ赤な顔で、答えてしまっているも同然だ。
 しかし見抜かれるとはな。あの馬鹿げた雑談の最中に、こちらに気づかせずに発揮された洞察力と観察眼は、尊敬に値する。美貌よりも、中身がすごい。

「幸せそうな顔してるから。空音が幸せそうでお祖父ちゃんもすごく嬉しいの!」
「……俺、態度に出てるか?」
「今は真っ赤だけど、さっきまでは出てなかったから安心して大丈夫だ。実の祖父の俺だからわかっただけ」
「そ、そうか」
「俺に会いに来たってことはぁ、オーウェン先生と紫先生に言ってないってことだろ? 言ってくれってお願いに来たんだな! 伊澄じゃ頼りないし! お前ら冴えてるな!」
「そうなのか!?」

 冴えてるお祖父様と、驚愕している空音。
 俺は笑顔でお祖父様に対して頷いた。

「お願いできませんでしょうか。それと、ほかにも一つご相談がございまして」
「先にほかの相談を聞いてから答えさせてもらってもいいですか?」
「ええ。実は空音は、従姉に逆レイプされたそうなんですが」
「なんでそういうこと言うんだよ! 関係ないだろうが!」
「あるんだよ。ちょっと静かに――それで、数日前に、空音の息子が生まれました」
「――え? おい、アルト、聞いてないぞ、え」
「空音は実子を欲しいと望んでいたそうで、ただ僕と付き合う以上はいらないと言っていました。ただし、もしも従姉に子供が生まれたら、責任を取ると。彼には非はないのですが。そこで、僕としては、その――お祖父様にとってひ孫にあたる子供を、養子にとりたいと考えています。こちらについてのご意見をお聞かせ願いたいのと、協力していただける場合は、ご助力いただけましたらと」

 空音が呆然とした顔で俺を見ている。俺は気づいていたけどあえて目を合わせずに、お祖父様を見ていた。頼りの綱はこれだけだともう確信していた。そしてお祖父様は、はじめて笑顔ではなく、普通の表情になった。真剣な色が一瞬瞳に宿ったのは見逃さなかったが、あとは平静を装っている。匠の技としかいえない。

「少し聞いてもいいですか? 嫌なら答えなくていいんで」
「ええ、なんでもお尋ねください」
「俺、横文字弱いんだけど、アルト君は薬の会社の偉い人のご家族?」
「製薬会社であるヴァージニアという米国企業の現会長の長子ですが、弟が継ぐと決まっています。役員報酬のみでも、生計はたてられますが、現在は薬の研究開発を空音とともに行っています。感染症の研究で、現地にいます」
「自殺対策も兼ねて?」
「ええ。当初、オーウェン現社長に、僕の父がそれを頼まれていました。今は僕が僕自身のために、空音のそばにいます。実際の阻止経験はありませんが前兆段階で二度止めていますし、資料は全てあります。住居の対策も完璧です。精神面の補佐は専門外ですが、物理的阻止は、おそらくオーウェンの人間より優れていると思っています」
「んー、一年だけ研究をお休みすることって可能?」
「やろうと思えば、空音が同意するなら可能です」
「アルトくん二十歳くらいだけど、お父様おいくつ?」
「おっしゃるとおり、俺は二十歳で、父は三十代半ばです」
「不躾だけど、実子?」
「――ええ」
「ふぅん。まぁさして興味ないけど、なんか大変そうだ。ファイト!」

 直感的に、何かを悟られたのがわかった。冷や汗をかいてしまった。空音とは別の意味で心臓に悪い。

「最後に空音に聞くけど、今後一生アルト君と添い遂げつつ、逆レイプされて生まれた赤ちゃんを、育てたいの? 自分の本当の子供だけど、愛せる自信ある?」
「別にレイプは関係ないんだって! それ以外は全部あるに決まってるだろうが! そもそも俺にできないわけがないだろうが!」
「空音はなんていい子なんだ! お祖父ちゃん、空音が大好きだ! 一番兄弟姉妹の中で優しい子だ! なんでこんないい子に育ったのか不思議なレベル!」
「おい。馬鹿にしてるのか?」

 その後、お祖父様は俺を見た。