2
そしてタイミングを見て紫さんが言った。
「ところで空音。気分転換に旅行でもしない? 本当は紺を誘ったんだけど、断られてさぁ。いやね、俺の数少ない友人が近所に来てるから、子供を会わせたいんだけどさぁ」
「どこに?」
どこからどう見ても、空音もいつもどおりだ。自信家の俺様で、十五歳には全く見えない。あと、うつ病だったら気分転換の旅行が禁止だと俺でさえ知っているので、本当に違うのだろう。そして紺には一切話していないが、紺は「俺は恋に忙しいんだ」とかほざいていた。恋なんて単語まで、この状況で普通に出せるのだからすごい。
「トルコ!」
……近所? 俺は複雑な気分になった。
「俺も行きたい!」
「あ、そう? じゃ、都馬くんも行こう。明日出発ね」
「了解!」
「俺は行くなんて言ってないだろうが!」
「行かないの? 父さん寂しい」
「っ、わかったよ!」
こうして、俺たちは翌日トルコ行きの飛行機に乗った。
待ち合わせ場所は、空港から少し離れた場所にあるオープンカフェだった。
そこに、典型的な金髪碧眼の、二十代前半に見える青年と、ビスクドールのような二次性徴前の少女、気の良さそうな笑顔の壮年男性と、同年代の四十代に見える女性が立っていた。まぁうちの一族の四十代は若いので、世間で言うところの、だ。黒髪縮れ毛の壮年男性がヴァージニアさんだろうか? そう考えて見守っていると、二十代前半に見える青年に紫さんが声をかけた。
「やっぱり不老不死の薬、作ったんじゃないの?」
「……それなら今頃売りさばいてる」
無表情で淡々と、ヴァージニアさんが言った。なんと四十代に見える女性が、彼の妹だという。母と息子と言われても信じられるのに。壮年男性は妹の夫だという。ビスクドールのような少女は、ヴァージニアさんの息子であり、少女ではなかった! 俺、大混乱! 少女にしか見えない風貌、髪型や服装の理由を聞こうかとも思ったが、いきなり突っ込むのもどうかと思ってやめておいた。
挨拶後、雑談しながら飲み物を飲んだ。基本的に、紫さんとヴァージニアさんの妹とその旦那さんと俺(!)が喋っていて、時折空音が相変わらずの俺様口調でなにか言う感じだった。ヴァージニアさん本人とその息子はほとんど喋らない。なんかすごくどうでもいい雑談をした。気球の話とかだ。トルコはヨーロッパのアジアだよね、とか!
そんな話の中で、ひと段落した時だった。
「空音だっけ? ちょっと来て」
「あ?」
「私が来てと言ったらあなたは来ればいいの」
「死ね。絶対に行かん」
女装御子息の俺様言論に、完全にこちらも通常通りの俺様対応を空音が返した。
思わず俺と紫さんは顔を見合わせてしまった。
「……来て」
「嫌だ」
「どうして?」
「自分で自分の名前を名乗って挨拶もできないような不審者にはついていってはいけないという父の教えでな」
「ぶは」
紫さんが吹いた。それはそうだとは、俺も思ったけど、俺には笑うほどの度胸はなかった。
「会話中に名前も覚えられないバカみたいだから教えてあげるけど、アルト・ヴァージニア。よろしく。これでいい?」
「ああ、及第点のイヤミに免じて行ってやる」
「お、俺もいってもいい?」
「あなたはダメ」
こうして俺は、どこかに行っちゃったふたりを見送ったのだが、紫さんが仕方がないと目で慰めてくれた。その直後初めて、ヴァージニアさんが口を開いた。
「言いたくないなら不要だし、知らないなら伝えておくべきだと思うから言うけど、空音は、ごく最近強姦被害か性的虐待を受けたの?」
なんでわかったのか焦って俺は目を見開いた。
「――なんで?」
「若い女性に対して恐怖してる。アルトを見るとき、完全に怯えていた。それだけじゃない、横の都馬に対しては完全に警戒してる。男も女も怖いみたいだ。今の反応的に少なくとも主犯は都馬ではないけど、都馬は知っていたんだ。だけど男にだけ強姦されたんなら、女を怖がる理由がない。だとすると、逆レイプで若い女性にアナルを犯されたことになるけど――強姦にしては計画的すぎるし時間的余裕が少ない手法だ。つまり親しい相手の犯行だな。犯人に心当たりは?」
「都馬の姉だ。その件で君に相談したいことがあってきたんだ。理解が早くて助かるよ。俺、君と友達で良かった!」
「非常に空音は、取り繕うのがうまいな。都馬に全く警戒心を気づかせていない」
「――そうだね。それもあるし、あと、自覚がないのもある。抑圧傾向が強いんだ」
「僕とは逆で精神年齢や実年齢より外見年齢が上に見える空音は、精神医学の専門家である紫自身の手で早急にカウンセリングしてあげるべきだと思うけど」
「今出てる男女両方への性的恐怖、接触恐怖、対人恐怖の他に、もっと別の大問題があって、相談に来たんだよ」
「何、それ?」
「昔、政宗とかと、人生が面倒になって死にたくなっちゃう家系の研究したの覚えてる?」
「――君の祖母の家系の話だったね」
そんな話は知らなかった俺は、そこでまたびっくりしてしまった。