3
白いテーブルクロスを眺めながら座っていると、祖父母がやってきた。
二人は大変仲が良い。
執事のロータスと侍女長のエミーヌが従っている。周囲には、他にも大勢の使用人達がいる。視線が中央にあるこの食卓に集中している。慣れてはいるが、僕はこの視線すらも正直嫌だ。食べているところを人にじっと見られると落ち着かないと思うのだが、どうしてみんなは平気なのだろうか。「いただきます」という言葉が、震えそうになってしまった。
「ところでネル。今日は気に入った仕事はあったのか?」
それからすぐに祖父に聞かれた。この三日間、僕は毎日同じ事を質問されている。
顔を上げると、口元に笑みを湛えている祖父と目があった。
お祖父様は、ワイングラスに触れながら小さく首を傾げている。
「お祖父様、その事でお話があります」
「なんだ?」
「特務塔の求人票を見て、職場見学に行くことにしました。見学後は王都に残り、そのまま可能であれば特務塔勤務魔術師に就職しようと思います」
「え」
お祖父様が狼狽えた声を上げた。端正な切れ長の目が見開かれ、口を小さく開けている。息を飲んで硬直した祖父は、僕を凝視している。いつも威厳たっぷりのお祖父様が、ポカンとしていた。こんな表情は初めて見た。
「医療塔は選ばなかったの?」
隣で祖母が呟いた。とても悲しそうな声だった。しかし医療塔は、完全スカウト制なので自分で選ぶ事は出来ない。仮に選ぶことが出来たとしても、お祖母様や姉上の知り合いが沢山いるので、あまり行きたくない。なので、頷いて返した。すると祖父が咳払いした。
「その……ネルが魔術師の道を選んでくれて、我輩は非常に嬉しい」
「ありがとうございます、お祖父様」
「だが……宮廷魔術師や戦略魔術師では駄目なのか?」
駄目というか、倍率的に難しい。今から試験勉強をする気にもならない。
ちなみにサザーカインツ家は、コネはあんまりない。ずるをしてはならないと、幼い頃から叩き込まれて育ってきた。仮に家族がごり押ししてくれれば、どこにだって就職できるだろうが、そう言うことはあり得ないのだ。貴族社会だから根回し手回しは無いとは言えないが、こういう場面に置いては、基本的に自分でどうにかしろという家風だ。
「僕には向いていないと思います。特務塔は反対ですか?」
「反対はしないが……特務塔か……」
「オズワルド様、特務塔とはどんな所ですの? わたくし、名前しか存じません」
言いよどんだ祖父に向かって、祖母が言った。
実は僕も知らないので、その問いは有難い。僕から聞こうと思っていたのだから。
「特務塔には、規定の職務はない。一定の時間のみ待機し、他は自由。はっきり言ってしまえば、仕事は無い」
「それでは、何のために存在しているのです?」
「我輩にも分からん」
「王宮で働いたという箔付けのためかしら?」
「いいや。そういった経歴作りの場でもないのだ」
「守秘義務が徹底しているのかしら?」
「そうとも思えない。王家の直属部隊だという噂が出たこともあるが、そのような気配もない」
「これまでに何か功績はありませんの?」
「それは非常に沢山ある。しかしながら、一貫性がない。ある時は、和平交渉の話を持ち帰ったり、またある時は新しい魔導具を開発したり、場合によってはトンネルを掘ったり。逆に何故そのようなことをしているのか疑問を覚える仕事をしている事もある。迷子の猫を探したり、陛下に献上される菓子の試食をしたり、王立学院の一日講師をしたりもしていたな。何をしているのか、何がしたいのか、いまいち分からないのだ。しいて言うならば、何でもやっているのが特務塔だ。だが、どこの誰の依頼で何故それを行っているのかはさっぱり分からん」
「代表は誰ですの?」
「ハーレイ・バートンという魔術師だ。引退したという話は聞いておらん。我輩が王宮に身を置く以前から、特務塔の代表魔術師だった。あまり話した事がない。挨拶程度の面識しかない」
「誰か親しい方で、特務塔に詳しい者はいないの?」
「そもそも特務塔に勤務している魔術師を、ハーレイ・バートン以外知らん。めったに姿を見なかった。見かけても、深々とローブを着込んでいて、顔が分からん。特務塔勤務魔術師は、フードを目深に被っているのだ。上着に至っては、引き上げれば鼻の上まで覆えるつくりだ。式典などには出席免除をされているから、脱ぐ場もない」
「隠しているの?」
「そう言うわけでもないだろう。ハーレイ・バートンも普段は、顔を見せない。だが、何度か庭で昼食を食べているところを目撃して、その時はフードを取っていた。御手洗いでたまたま特務塔指定ローブを着ている魔術師と遭遇したこともあるが、やはりフードは取っていた。よく顔は見なかったが。隠すとすれば、ああいった場合でも徹底するはずだ」
「何をしているか曖昧な得体の知れない魔術師達とおっしゃりたいの?」
「……そこまでは言っておらん」
祖父が顔を背けた。祖母は、頬に手を添えて困ったように視線を揺らしている。
結局、特務塔の謎は深まるばかりだが、僕は別に構わないと考えた。そもそも分からないから見学に行くのであるし。それに顔を隠していて良いというのは、僕にとっては朗報だ。周囲の視線が気にならなくなるかもしれない。勿論、顔が見えないとなれば、不審者扱いの視線は受けるかも知れないが。そうだとしても、フードの奥で俯いていてもバレないだろう。
「ネル、本当に行くのか?」
「ええ。そのつもりです」
「そうか。いつ出発するのだ?」
「明日にでも」
「寂しくなるな」
お祖父様は、気を取り直したように微苦笑した。確かに寂しい。それは僕も同じ気持ちだ。
「ネル。いつでも戻ってきて良いのよ。無理をしては駄目よ。体を大切にするのですよ」
お祖母様が、優しい眼差しで僕を見る。胸が温かくなった。
そんなこんなで、僕は祖父母と最後の食事をとった。