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翌日、僕は王都に向かって出発した。祖父母と使用人達が見送ってくれた。
馬車に乗り込んだのは、早朝だ。王都までは、丁度一週間かかる。運が悪ければもっとかかる。もう十一月も中旬になろうとしている。僕が急いで王都へ行くことにしたのも、雪が降って街道が険しくなることを懸念したからだ。王都とローランドの間には、標高が高い海ぞいの峠があって、そこは例年、十一月末には雪が積もっているのだ。そうなる前に、王都に出たかったのだ。それに、新しく働き出す王立学院の卒業生達は、来春まで、王都の各学院で過ごしているから、王都に詳しいはずなのだ。僕は、王都で過ごしたことがほとんど無いので、慣れておきたかった。入寮するまでは、両親兄妹と共に、王都の自宅で過ごすことになる。出来れば、早々に入寮してしまいたい。なぜならば、我が家は、よく夜会を開くからだ。ちなみに十八歳になったら僕も夜会デビューをしなければならない。だが基本的に夜会は、男子は就職もしくは爵位を得てからデビューするから、春までは出席しなくても許してもらえるはずだ。それに就職後は、仕事が忙しいと言って出席を拒否することも出来る。兄が拒否していたから、出来るはずだ。

僕は夜会が好きじゃない。茶会も好きじゃない。マナーもダンスも楽器も歌も習ったので最低限は出来ると思うが、すごく恥ずかしいのだ。誰も僕のことなんか見ていないかもしれないけど。そもそも夜会には正式にデビューしていないし、茶会も知らない人がいるものには出たことがないから分からないが、予想だ。僕は笑顔を浮かべて楽しそうに会話する事など出来ないと思う。そのための努力が出来ないのだ。僕には会話の引き出しがない。どうやったら話題を豊富に出来るのか見当もつかない。そもそも豊富にするための努力も面倒なので出来る気がしない。何もせず黙って座っていることならばできるかもしれない。だがそれならば、出席しなくたって良いと思うのだ。参加することに意義があるのかも知れないが、その意義と、精神的苦痛を天秤にかけた時、僕は苦痛を選べない。僕は自分に限りなく甘いのだ。

王都に到着し、我が家の前に馬車が停車した。
ずらっと使用人達が並び、出迎えてくれた。母と姉が玄関前に立っていた。姉は、わざわざ駆けつけてくれたらしい。

「ひさしぶりですわね、ネル」

母が柔和に微笑した。歩み寄ってきた母は、僕が答える前に、僕を抱きしめた。
華奢である。今では僕の方が背が高い。顔を合わせたのは、夏以来だ。両親は、毎年夏に、祖父の家に顔を出すのだ。なお、姉と会うのは、二年ぶりである。兄とも二年は会っていない。丁度二年前に、兄と、姉夫婦が連れだって祖父の家を訪れたのが最後だ。妹は毎年春休みに祖父の家に来ていた。

「大きくなったわね、ネル。もう私よりも背が大きいじゃない」

母にかわり、今度はエリザ姉上に抱きしめられた。姉は、とてもスタイルが良い。背がすらっと高くて、胸も大きい。しかし腰は細い。足も細い。

挨拶を終えてから、僕は二人にお土産を渡した。母も姉も喜んでくれた。薔薇の香りがするお茶と、蜂蜜を買ってきたのだ。『これからお世話になります』と言うと、『ここは貴方の家でもあるのですよ』と母に苦笑された。残念ながら、あんまりそういう気がしない。
中に通された僕は、久しぶりに、この邸宅内の自室へと向かった。
よく掃除されていて、生活感は全然無い。三年ぶりに入った。三年前に忘れていった本がそのまま机に載っている。懐かしい。鞄をそこに置いてから、すぐに階下へと向かった。そして母と姉に促されて、テーブルの前に座った。こちらの執事であるユリウスがお茶を淹れてくれる。本当は部屋で休みたいのだが、待っていてくれた二人に対して断れなかった。それに久しぶりに話すのは悪くない。二人は様々なことを僕に対して話しかけた。気が楽なのは、無理矢理僕に会話を促してこないことだ。黙って座っていても、この二人が僕を咎めることはない。というよりも、僕が口を挟む間がないほど、二人は良く喋る。それに聞いていると結構面白い。僕は時折質問に答えるだけだった。質問の内容は、お祖父様とお祖母様に関する事がほとんどである。他には、ローランドの領地の話くらいだ。
しばらくそうして過ごし、姉は夕食前に帰っていった。
僕は母と共に夕食を食べた。その席では、今度は、両親と、兄姉、そして妹の事と、王都の話題になった。楽しそうに母が話してくれた。聞いていても楽しかった。

食後、入浴してから、僕は早々に自室に引き上げた。
明日は見学に出かけるから、早めに眠ろうと考えたのだ。
ちなみに今回王都にくるにあたって、僕は『久しぶりに王都で過ごしたい』としか手紙に書かなかった。だから仕事について聞かれることもなかった。伝えていれば、今頃大騒ぎだったと思う。母も姉も、そういう話が大好きなのだ。特務塔について聞いてみようかとも考えたが、やめておいた。なぜならば、以前から母には宮廷魔術師を勧められていたし、姉には文官として宰相府に入ってはどうかと言われてきたからだ。特に宰相府の方は、義兄である宰相閣下本人からも勧められた。王立魔術師団の中で花形の宮廷魔術師は大変目立つ。宰相府も文官の最高峰だ。やっぱり目立つ。僕は度々遠回しに断ったのだが、二人は諦めていない様子なのだ。なお、父と兄には、騎士団を勧められた。勿論そちらも断り続けている。コネではないので、そのいずれにしろ実力で試験を突破する必要があるというのもネックだが、何より仮に突破しても、目立つという僕にとっての難点があるので頷くことは出来なかったのだ。それに、コネではないとしても、近しい人々が過去あるいは現在関わっている職場では、変に期待されてしまいそうで嫌だった。残念ながら、僕には期待に応えられる力量はないのだ。
なお、その日は、父も兄も出張中だったので、顔を合わせなかった。
妹も友人宅の若年層女性限定の夜会に出席しているとの事で、外泊不在だった。
だから早々と僕は就寝した。馬車ではなく、久しぶりの寝台だったので、ぐっすりと眠ることが出来た。

翌朝、母は朝食を食べないので、僕は一人で席に着いた。
そこで執事のユリウスに声をかけた。ユリウスは、父よりも少し年上だ。ずっと昔からお世話になっている。

「少し出かけてくる」
「馬車を手配致します」
「必要ないよ。それと食事も外でしてくる」
「承知致しました。何時頃お戻りになられますか?」
「分からない」
「かしこまりました。従者は何名に致しましょう?」
「僕一人で大丈夫だよ」
「そういうわけには参りません。御立場をご理解下さい」
「ユリウス」
「なりません」
「ユリウス」
「駄目です」
「ユリウス……」
「僭越ながら、どちらへお出かけになるのですか?」
「……その……」

僕は答えるか迷った。ユリウスに伝えれば、母にも伝わる。かといって、その辺をぶらぶらするだけだと言えば、従者をつけられる。職場見学に従者をつけて行く人はいないと思う。口止めすれば、彼は黙っていてくれるだろうか。何か上手い言い訳はないだろうか。

「……職場見学に行くんだ」

結局僕は正直に告げた。上手い言葉が思いつかなかったのだ。
僕の言葉に、驚いたようにユリウスが大きく瞬きをした。しばらく沈黙が降りた。
ユリウスはまじまじと僕を見た後、小さく首を傾げた。

「なるほど。馬車や従者は不利になる場合がございますね」

響いた声に安堵して、僕は大きく頷いた。するとユリウスが顎に手を添えた。

「理解は致しましたが、納得は出来かねます。家名を隠さなければならないような職なのですか?」
「そういうわけではないと思うけど」
「騒ぎになりたくないと言うことで宜しいですか?」
「うん……」
「でしたら、お召し物もご一考下さい。一目見ただけで、高貴な方であることが分かります。馬車や従者など無くとも、現在のお洋服と装飾類で、大抵の者は気づきます」
「え?」
「そもそも、生まれながらに溢れる気品を隠せるか、大変難しい問題でしょう」
「気品……?」
「悪いことは申しません。無理に隠すべきではありません。いつか露見します」
「別に隠すつもりじゃないよ。ねぇユリウス、どんな服を着て、どんな立ち居振る舞いをすれば良いのかな? ようするに、今の僕は、どこかおかしいという事だよね?」
「おかしくはありません。完璧に洗練されているんです」
「真面目に教えて」
「私は真面目です」
「……とりあえず、相応しい服を用意してもらえる?」
「即座に新品を用意することは可能ですが無意味です。今から人を走らせて用意すれば、誰が購入したのか詮索されます。それを身につけていれば、すぐに素性が割れます。口止めできる商人を呼び寄せるにしろ、仕立屋を呼ぶにしろ、即座にとはいきません」
「新品じゃなければ用意できる?」
「……ええ。当家の使用人の私服は最適でしょう……」
「買い取るよ」
「そう言う問題ではございません……」
「ユリウス。僕は急いでる」
「……かしこまりました」

僕は押し切った。それから私服を受け取った。
自室に戻ってから、まじまじと服を見る。確かに、僕には馴染みのないものだった。見た目はそんなに変わらない。ただ、決定的に布地が違うのだ。あまり触り心地が良くない。僕はこれまで気にしたことがなかったから、今後は注意しよう。問題は、靴だ。靴も貸してもらったのだが、すごく歩きにくい。我慢できるだろうか。自分の靴で出かけたら目立つだろうか。悩んだ末、僕は自分の靴の中で一番地味なものを選んだ。そして、借りた靴を見本にして、魔術で見た目を変化させた。結果、履き心地はいつも通りだが、見た目は借りたものそっくりになった。なるほど、これはいいじゃないか。僕は借りている服も一度脱いだ。そして本当の自分の服の一つを、借りたものそっくりの見た目に魔術で変えた。着心地が一気に良くなった。無理をして着なくても、見た目を変えれば良かったのだ。大発見である。

「今度はどうかな?」
「お渡しした服とサイズが異なるようですが……?」
「自分の服の見た目を変えたんだ。これ、返すよ」

もう着ないので、借りた方の服を返した。お金も渡そうとしたのだが、受け取ってくれない。ユリウスは、複雑そうな顔で僕を見ている。

「元に戻すことは可能なのですか?」
「できるけど、どうして?」
「非常にもったいなく思えてならないからです。ぜひ、元に戻す事をお考え下さい」
「分かった。それで、どうかな?」
「……」
「……変?」
「変ではありませんが……なんというか……騒ぎにはなるように思います……」
「どうして?」
「お顔立ちが……非常に申し上げにくいのですが、目を惹きすぎます。その上、現在の装いですと、普段とは異なり話しかけやすいように思います。普段通り、話しかけることすら恐れ多いような出で立ちの方が良いかもしれません……うっかり婚約者を探しているご令嬢に遭遇でもしたら、押し倒される可能性があるでしょう……」
「押し倒されるって、僕が? 女の人に? いくらなんでも、体力だってそれなりにはあるよ。押し倒されて殴られても、反転して取り押さえる程度の護身術は使える」
「殴る蹴るの暴力ではなくて、率直に言えば、性的な暴力です」
「それこそ、まさかだよ。僕は、これまでモテた試しがない」
「ですから普段は恐れ多いと申し上げているんです」
「考えすぎだよ」

思わず僕が吹き出すと、ユリウスが眉を顰めた。目も細めている。
まぁこの件は、もういいや。顔を隠して職場見学をするわけにはいかない。それではただの不審者だ。後は立ち居振る舞いにも変なところがあるかも知れないが、極力喋らず無駄な動きをしなければ、何とかなるのではないだろうか。パッと見が大丈夫ならば、きっと何とかなる。そう願おう。

「有難う、ユリウス。助かったよ」
「いえ……」
「じゃあ行ってくるね」
「お待ち下さい。やはり、従者はおつけ下さい」
「それじゃあこの服の意味が無くなる」
「見学場所の前で目立たないように別れれば問題ないと存じます。その場までも距離を置いて歩けば良いではありませんか」
「魔法陣で転移するから、結果的には同じになる」
「魔法陣……? では、王宮ですか?」
「あ……」

バレてしまった……。口が滑ったのだ。

「王宮ならば、素性が露見しても何の弊害も無いですよ……?」
「ユリウス。兎に角そう言うことだから」
「……承知致しました。王宮ならば……そうですね……お帰りをお待ち致しております」

だが、結果的に、ユリウスが頷いてくれた。