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玄関の隣にある『移動魔法陣の間』まで先導してくれる。そこで、ユリウスから、『サザーカインツ王都邸宅魔法陣使用許可証』を受け取った。これが同時に、身分証にもなるのだ。これを所持している人間は、サザーカインツ家が身元を保証していることになる。よって僕は、必要に迫られない限り、『ネル・ローランド』と簡単に名乗るだけで良くなるのだ。身分証を持っていないと、どんな場面でもフルネームを使わなければならず、大変面倒だ。何が面倒かって、まず署名するだけでも大層な手間である。それに、本名は目立つ。だが、『ネル』ならばそこまで珍しい名前ではない。ローランドにいたっては、この国で一番多い名字だ。
「いってらっしゃいませ」
ユリウスに見送られて、僕は魔法陣の中央に立った。
目を伏せて、瞼の向こうの光を感じる。それがおさまってから、静かに目を開くと、そこは見慣れぬ部屋だった。王宮の魔法陣の上である。黙々と僕は、魔法陣から出た。魔法陣はひっきりなしに使用されているので、すぐに退いて場所を空けるのが礼儀なのだ。
それから正面の扉へと向かい、検問所で身分証を魔石の上にかざした。
淡い緑色の光が瞬時に光り、許可が下りる。
小さく吐息して、僕は外へと出た。正面には、第二庭園が広がっている。
庭園を入ってすぐの場所を左折すると、石畳が広がっていて、そこを直進すると塔が並ぶ区画に出る。王宮の地図は、身分証の裏側に載っていた。
庭園の時計台を見ると、現在午前十時三十分。
午後一時から午後三時まで以外にも人が勤務しているのかは分からないが、見学時間の指定はなかった。不在で無人だったら、王宮図書館でも見に行こうと考えている。王宮レストランも外部に開かれているから、昼食をとっても良いし。過ごし方は色々あるのだ。
僕は前を向いて、歩く事にした。ちらほらと視線がとんでくる気がする。思いの外人通りがある。さすがは王宮だ。
無事に特務塔にたどり着いた僕は、入り口前で上を向いた。
周囲に点在する他の塔よりも、細い。高さは他の塔と同じくらいだ。階段を上る手間を考えるなら、もっと横に広くして、縦に短くすればいいのに。外観の問題だろうか。
入り口の扉は開いていて、守衛などはいない。
短い外階段をのぼって中へと入る。一階は全て、エントランスホールだった。
壁際に横長のソファがある。そして正面の壁に、案内表があった。奥には階段がある。
まずは案内表を見た。
一階が、エントランスホールであり、現在地だ。
二階が、応接間。
三階が、本部。
四階は、空欄。
五階が、資料室。
六階が、魔法陣。
屋上には庭園があるそうだ。
なんと、直通の魔法陣が存在するのか。便利だ。ここで働きたい気持ちが高まった。
とりあえず僕は、三階に向かうことにした。
階段をしばらくのぼり、一応二階でも立ち止まる。応接間の扉も開いていた。壁には、『未使用』という札がかかっている。無人だ。それを一瞥してから、三階へと向かう。
三階につくと、今度は扉が閉まっていた。飴色の扉は、固く閉ざされていて、中は見えない。右手に小さな机があって、鈴がのっていた。『ご用の方は鳴らして下さい』とある。その脇には、紙の束があって、氏名を書く欄と用件を書く欄があった。僕は、鉛筆を手にとって、『ネル・ローランド』と記入し、用件欄の選択肢の『職場見学』に印を付けた。
鉛筆を戻して紙を手にしてから、鈴を鳴らす。二度大きく揺らした。
扉はすぐに開いた。
「遅かったですね、お待ちしてましたよ、ミセリウス様――……え?」
誰かを待っていたのだろう。人違いをされた。出てきた人が、僕を見て硬直してしまった。
目を見開いている。唇が半開きだ。
フードで顔を隠してはいなかった。しかしローブを纏っている。魔術師だ。
身長は僕よりも低い。十センチくらい違う。百六十代半ばだろう。姉と同じくらいの身長だが、男の人である。子供というわけでもない。少なくとも、僕よりは年上だろう。
「あ……し、失礼しました。こ、ここは、その……と、特務塔本部ですが……な、何かご用でしょうか?」
見守っていると、震える声で聞かれた。我に返って僕は、紙を前に差し出した。
「はじめまして。ネル・ローランドと言います。職場見学にうかがいました」
「えっ……え? け、見学? うちの、見学?」
「はい。出直した方が良いでしょうか?」
「出直すというか……ここ、特務塔ですけど……?」
「はい。特務塔勤務魔術師の求人票を拝見して参りました」
「間違いなく、正真正銘、特務塔が目当てで!? え!? 嘘!? え!? いやぁ……な、なんで!? どうして!? 真面目に!? からかってる!? 馬鹿にしてる!?」
「あの……?」
思わず首を傾げてしまった。そんな僕の前で、『信じられない』と、ひたすら相手は繰り返している。どう対応すれば良いのだろう。
「ま、まぁ、立ち話も何だし、どうぞ中へ」
「有難うございます」
五分くらいしてから、中に通してもらえた。僕はそれまで一言も喋らなかったが、ずっと正面の人物は独り言を繰り返していた。何がそんなに、『信じられない』のだろう。
本部の室内は、横長の巨大なソファが二つと間に低いテーブルが一つ、窓際に執務机が一つだった。他には本棚とチェスト、姿見と、クローゼットがある。扉が三つあって、『トイレ』『給水室』『仮眠室』という看板がそれぞれ出ていた。
ソファに促されたので、座って待っていると、パチンと音がした。
目の前に茶器が出現した。出現魔術だ。
テーブルを挟んで、正面に相手が座る。僕は観察してみた。
その人は、茶色い癖毛で、少し長めだ。猫っ毛とでも言うのだろうか。服装は、真っ黒いローブ。かっちりとした作りだ。縁取りは灰色である。中肉中背。
動揺しているらしく、右を見て左を見て、それからちらりと僕を見るという動作を、何十回も繰り返している。口元には、ひきつった笑みが浮かんでいる。無理矢理唇の両端を持ち上げているのだ。魔力量は、十段階評価で四くらいだ。一般的な魔術師は、二に到達していれば、十分だとされる。青い色の魔力なので、水系統を得意としているはずだ。濃い色だから、氷では無い。氷や雪の場合は、薄い色合いになるのだ。そもそも出現魔術は、四は無いと使えないし。地・水・火・風の四属性よりも圧倒的に難しいのだ。
「ええと……何故こちらをご希望されているんですか?」
質問されて我に返った。もう入室してから十分以上経っている。就職活動なのだし、自分から話した方が良かったかもしれない。少し後悔したが、もう遅い。
「求人票を拝見いたしまして、勤務スタイルに強く惹かれました」
「勤務スタイル……? なんて書いてあったの?」
「――午後一時から午後三時までのコアタイムの他は、完全裁量制で六時間とありました。個人の采配で有効に時間を活用できる点が、非常に魅力的です」
「ま、ま、まぁ、た、確かに……時間に嘘偽りはないけどさ……他の王宮の仕事は、朝九時から夕方五時までが基本だよ。みんなと時間が合わないよ? それとも、ブラックな勤務態勢の所を辞めてきたとか? あ、なるほど! そういうことか!」
彼はポンと手を叩き、一人で納得した。
「なるほどねぇ。うんうん、超過勤務は辛いよねぇ……安心して、ここには、そう言う心配はないよ! 改めまして、俺はキース・ルレイド。特務塔に勤務している魔術師の一人だよ。キースって呼んで。歓迎するよ。ちょっと待っててね、今から代表に連絡して採用の許可を貰うから」
「ありがとうございます」
良かった。採用してもらえるようだ。なるほどの意味がいまいち分からないが、別に良いか。超過勤務は、したことはないが、辛そうだと思うし。否定することもないだろう。きっと僕は、どこかのブラックな職場を辞めてきたと思われているのだろうが、別に構わない。嘘をついているわけではない。