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立ち上がったキースさんは、執務机に歩み寄ると、台座に載っている水晶球へと右手を乗せた。

「――あ、お疲れ様です、ハーレイ様。実は、就職希望の魔術師が一人いて……ええ、はい、名前は、ネル・ローランドさんです。はい、ああ、はい、えっと……ええ。そうですか。じゃあ、指輪は渡しておきますね。はい、はい、今日付けで。はい。じゃあ――え? ああ、あれは、レイフェロードさんが……はぁ、なるほど……ん? カロルですか? カロルはしばらく見てませんけど……うーん、いやぁ、俺も手一杯なんで……あ、いやいやいや、新人教育は任せて下さい! 俺が責任持ちます! はい、はい、では!」

通信魔術が終了した。執務机の引き出し側に周り、キースさんが鍵を差し込んでいる。暫く眺めていると、指輪を一つ手に戻ってきた。

「これを填めた瞬間から、特務塔勤務魔術師になるよ。特務塔勤務魔術師としての身元を保証する指輪で、魔力指定口座に月々給与も振り込んでくれる。怪我や病気の感知と管理もする。残念ながら、ずる休みは出来なくなるんだ。それは良いかな?」
「はい」
「犯罪行為も記録されるし、開示要求があった場合は、指輪が記憶している情報を公開しなきゃならない。だから例えば、事故現場に遭遇したら、提出しないとならない。勿論個人情報は、要求以外では部外秘で本人以外には閲覧できないんだけどね。ちなみに指輪は、国王陛下から退職許可を貰わないとはずせない。填めたら、余程のことがない限り、死ぬまで特務塔勤務魔術師だよ。例外があって、今日から一ヶ月後に、一度だけ継続確認がある。その時が、自分の意志ではずせる最後のチャンスとも言えるのかな」
「分かりました」

王立魔術師団の他塔の指輪と、基本的な内容は変わらない。むしろ、一ヶ月後に自分で判断できるのは、この特務塔だけだと思う。しかし、今日から……か。春から働くつもりだったのだが、折角の採用だし、無駄にしたくない。まぁ、良いか。

手渡された指輪を一瞥してから、僕は左手の中指に填めた。魔術師の指輪の定位置だ。
ぶかぶかだった指輪が、淡い白光を放って、僕に丁度良いサイズに変化した。
何の変哲もない、銀色の指輪である。じっくりと見れば、そこに古代文字が掘られていると分かるが、細かいのであまり分からないだろう。

「指輪を二回転させると、指定ローブが出現する。仕事着だよ。別に着なくても良いけど。本部の外では、フードを被ってる人が多いかなぁ。でも別にこれも自由。うちの職場、服装自由なんだよね」

頷きながら、僕は指輪を回した。気づけばローブを上に纏っていた。出現したそのままの状態だと、鼻まで覆うようなハイネックの上着に、すっぽりとフードを被った形になる。透過魔術がかかっているようで、布越しに外が見える。

「月曜日から金曜日まで、午後一時から午後三時までの二時間だけ来てくれたら良いからね。土日は、お休みだよ。その他の曜日も自由に休んで良いんだ。ちなみに何日休んでも大丈夫。休む連絡も不要だよ。はっきり言っちゃうと、来たい日だけ顔を出してくれれば良いんだ。来ても、特に仕事も無いからね。副業も自由だよ。持ち込んでここでよその仕事をしても構わないし。寧ろここに来る時は、何か暇つぶしの道具を持ってきた方が良いね。飲食も可だ。何か質問はある?」

伝えられた言葉に、僕はフードを被ったまま目を細めた。想像以上にユルい。

「ここへ来て何をすれば良いんですか?」
「何もしなくて良いよ。何かしたかったら、それは個人の自由!」
「分かりました」
「今日はどうする? また後で来る? もう帰っても良いよ」
「……帰宅して、また明日来ます」
「了解。あ、そんなに気を遣って話さなくて良いよ。気楽に気楽に! お偉いさんと話す時にちょっと気を遣うくらいで良いんだよ! お偉いさんって言うのは、隊長クラス以上の人とか、有名人とか、お貴族様とか! 雰囲気で判断してね。俺にはタメ語で良いよ」
「キースさんは先輩ですし、そう言うわけには……」
「いいから! キースで良いって! 敬語も禁止ね!」
「分かりました」
「まだ固い!」
「う、うん……」

なんだかすごくフランクになってしまった。まぁいいか。本当に良いのかな……。
そんなこんなで、とりあえず僕は帰ることにした。
寮に関しては、一ヶ月様子を見てからお願いしようと内心決意する。
その後、上階の移動魔法陣を使用させてもらった。食事をして帰る予定だったのだが、気疲れしたのでそれは止めた。自宅に移動してすぐに、指輪を回転させて、元々の服に戻した。ローブがあるから、今後は服装のことは気にしなくて良い。しばらく待っていると、執事のユリウスが出迎えてくれた。

「おかえりなさいませ」
「ごめん、早く戻ってきちゃった」
「昼食をご用意致しますか?」
「お願いするよ」

頷いた僕の左手を、ユリウスが一瞥した。完璧に指輪を見ていた。
話しておいた方が良いだろうか。
思案していると、ユリウスが歩き始めた。多分、この優秀な執事の側から詮索してくることはないだろう。どのみち、家族に伝える時には、ユリウスにも知らせることになる。
その家族と言えば、本日日中は、母は茶会で不在だ。
出張中の父と兄も、まだ帰らないと聞いている。妹は帰ってくるだろう。妹には、ハンドクーラーをお土産に買ってきたのだっけ。
結局話さないままで、僕は昼食を食べた。それから少し、昼寝をした。