それから一ヶ月ほど経った。
もう三月だ。後一ヶ月もすれば、同じ歳の人々が、王宮で働き出す。誰か特務塔に来る人もいるだろうか? 少なくとも、見学に来たという話は聞いていない。来ていてもすれ違っていれば、僕には分からないけれど。

兄から緊急の連絡があったのは、そんなある日のことだった。
鷹が僕の寮の窓をくちばしで叩いていた。すごく目立っていたが、午後四時頃だったせいか、誰にも気づかれた様子はなかった。この時間はいつも人気がないのだ。
足から手紙をはずして、僕は内容を見た。

なんでも腐竜が出現したとの事だった。

腐竜はとても危険な存在だ。僕は、何度か兄と共に討伐したことがある。今回もその依頼だった。昔は、祖父と祖母と父で倒していたらしい。その後は、祖父と父と姉が倒していた。現在では、兄と僕である。何故こういう構成かというと、倒すためには、結界魔術と治癒魔術と攻撃魔術と剣術が必要なのだ。

治癒結界という複合魔術は、ほぼ必須といえる。そのため、祖父と祖母か、祖父と姉、もしくは僕は必ず行かなければならない。そして、攻撃魔術を使うために、やはり祖父か僕は行かなければならない。兄と僕で組む場合、僕が治癒結界と攻撃魔術を担当する。人数が一人に削減されたと家族は喜んでいた。たまに兄の手がどうしても離せないと、剣技も僕が担当して、一人で腐竜を倒す事がある。

そして今回も、僕に一人で対応して欲しいという依頼だった。

面倒くさいが、腐竜退治は、『高貴なる者の義務』の一つである。

一応公務扱いにしてもらえる。場合によって。なぜならば、五人以下で倒すことが可能なのは、大体が各国の貴族か王族だからだ。

それ以外の場合、大人数が必要となる。

僕は、祖父と祖母の遺伝のおかげで、一人で治癒魔術と結界魔術の複合魔術が使えるが、本来は別々にはるものだからだ。

一般的に、腐竜を退治する際に必要な結界魔術は、十段階評価で七以上の魔力の持ち主が最小の場合でも、三十人必要となる。安定させるためには、百人は欲しいとされる。さらに、治癒魔術は、十段階評価で八以上の治癒能力保持者が必要で十名は必要なのだ。三十名いて漸く余裕が生まれる。さらにこの二つを複合させるためには、それぞれの連携が必要となる。これがとても難しいそうだ。

そもそも七以上の結界魔術をはれる魔術師は、百人も存在しない。八以上の治癒能力保持者に至っては、特にこの国では三人しかいない。祖母と姉と僕だ。この時点で、連携訓練も無理だ。八以下の場合であれば、五百人以上が必要になる。治癒魔術を使える魔術師は、予備魔術師を含めても百人もいない。その上戦闘経験がある者はほとんどいない。安全な場所で回復していることが多い。

攻撃魔術に関しては、十段階評価で十が求められる。こちらはちらほらといる。魔剣士である兄も、十の魔力で攻撃魔術を放つことが出来る。それでも僕が受け持つ理由は、詠唱速度が理由だ。祖父に習う機会が多かった僕は、詠唱速度が速い。もっと言ってしまえば、僕は呪文の詠唱を必要としない。脳裏に上位古代語と象徴図による魔法陣を思い描けば、発動できる。人によっては、三日かけて詠唱しないとならない魔術を放つ必要があるのだ。

三日間徹夜で唱え続けるのはなかなか困難なので、その場合、分担して呪文を紡ぐことになる。そうすると、やはり複数人必要になるのだ。とはいえ、腐竜は、三日も正面に立っている猶予はくれない。さらに分担する場合は、魔力量を統一しなければならないので、かなりの訓練が必要となるのだ。そのため、僕だと人数が削減できるのだ。勿論祖父でも良い。

最後に剣技だ。腐竜は、首を刎ねないと絶命させることが出来ないのだ。そして腐竜の皮膚を貫通させるためには、『マーテルダム』という専用の長剣が必須だ。マーテルダムは、大変気位の高い剣で、一本一本が、意志を持っている。喋ったりはしないけど。大剣に認めてもらえないと、重くて動かすことも困難なのだ。このマーテルダムを扱える剣士の数が、非常に少ないのだ。

世界には、魔獣と呼ばれるS・A・B・C・D・Eランクの害獣がいるのだが、このSランクを千体以上一人で屠って、やっと認められる。しかし本来Sランクの魔獣は、魔術師と剣士と治癒魔術師が大勢で何日もかけて倒す相手だ。一人で立ち向かうのは自殺行為だし、千体も倒すのは気が遠くなるような年月を必要とするのだ。そのため、時間経過の無い魔術空間に魔獣を召喚し、ひたすら倒し続けることで条件をクリアし、マーテルダムに認めてもらうという訓練がある。兄と僕は、幼い頃にこの訓練を受けたのだ。ただこの訓練は、望んでも受けることは出来ない。

魔術空間には、血脈魔術を用いないと入場できないからだ。このウェザークラフト王家の血をひいていないと、入ることが出来ない。ちなみに父は、魔術空間に入ったことはない。父は、何でも斬れる聖剣に選ばれたから、マーテルダムが無くても腐竜退治が可能なのだ。だから兄と僕は、王子殿下達と共に、国王陛下に教わって魔術空間に入ったのである。

ただ王家の直系男子は、基本的に前線には出ない。そのため余程のことがなければ、殿下達が腐竜退治に出かけることはないのだ。さらに、殿下達が出撃する場合、臣下として公爵家の僕達兄弟はどちらにしろ護衛に出る。結果的に、僕か兄は参加するのだ。
このような条件を考えた時、もっとも効率が良いのは、僕なのだ。

でも僕は剣士ではないので、兄か父と一緒の方が安全だ。治癒結界が必須なのは、腐竜を倒す時に怪我をするからだ。死ぬ前に結界の中に戻って、治癒しなければ死んでしまう。腐竜退治は、命がけなのだ。討伐に時間がかかればかかるほど大怪我をする。なので、攻撃魔術を放った直後に首を刎ねるのがベストだ。それには、一人よりも二人の方が良い。また、事故で治癒魔術か結界魔術、あるいはその両方が効果を失ったら大変だ。なので、安全確保のために、二人で行く方が良い。治癒結界内から攻撃魔術を放つだけならば、怪我をしないから、維持し続けることが出来る。

しかしみんな忙しいので、僕一人で行く場合はそれなりにある。

僕は死にたくないので、いつも必死だ。勿論出来ることならばやりたくない。
だが腐竜を放っておくととても危ないので、行くことにした。

そもそも兄からの緊急連絡だ。
今回は出現場所が最悪だった。

王立学園のど真ん中に出現しているらしい。

王立学園は、騎士・魔術師・文官・領地経営・礼儀見習いのそれぞれの校舎が男女別に計十校、円を描くように建っている。その真ん中の敷地に現れたのだという。腐竜は神出鬼没なのだ。さらに最悪なことに、生徒や教職員、その他居合わせた人々が巻き添えになっているらしい。早く行かなければ、みんな死んでしまうだろう。あるいは今からでは間に合わないかも知れない。それでも行かないよりは良いだろう。

また、僕一人に頼みたい理由は、出現場所へ兄が入れないからだ。腐竜の障気が強い魔力を孕んでいて、円筒状に周囲に結界化した魔力壁が出現しているらしい。その内側にはいるためには、転移魔術しかない。そして今回の魔力壁は、三百メートルも幅があるそうだ。魔法陣無しの転移魔術の場合、やはり長い詠唱が必要になる。

しかも詠唱しても適性がなければ、ちょっとしか移動できない。五十センチ移動できると、優秀だと呼ばれる部類だ。一般的な使い方としては、攻撃回避だ。移動にはあまり適さない。とはいえ、祖父も中に転移魔術で移動は出来る。だが祖父は治癒魔術と剣技が使えない。それでも手伝ってくれたらいいのになと少し思った。まぁ公爵領地からでは、間に合わないだろうけど。人命救助の観点からは。

実を言えば、腐竜退治に際しては、人命救助は義務ではない。
全員見捨てても、腐竜を討伐できれば、成功なのだ。

それに兄も、僕が公爵領地にいると考えているはずだ。公爵領地から王都までは、移動魔法陣を駆使してものすごく急いだとしても、半日はかかるのだ。急がなければ一週間から十日間、馬車で旅をしなければならない。有事でなければ、馬車を絶対的に使う決まりだ。

今回のケースならば、馬車と移動魔法陣を併用して、三日程度で王都入りする流れだったと思う。人命救助は含まれないから、『有事』には完全には該当しないのだ。さらに言うと、腐竜退治には、基本的に最低十日間は準備期間を与えてもらえる。移動時間はカウントせずにだ。つまり僕は、後二週間くらい腐竜を放っておいても怒られない。

怒られないどころか、二週間後に倒したら、迅速に討伐したことを褒めてもらえる。さらに優先順位としては、腐竜を倒すことは前提だが、僕の安全確保の次ぎが人命救助だ。囮にその辺の人を文字通り餌にして討伐しても良いのだ。この件に関しては、相手が王族でも変わらない。例えば場合によって僕は国王陛下を見捨てても良いのだ。


そんなことをつらつら考えながらも、僕はきちんと行動していた。

鷹が来た時点で予想したので、手紙を読みながら階下へと向かい、移動魔法陣にのった。

寮から特務塔に向かう。寮からは、特務塔にしか通じていないからだ。そして特務塔の魔法陣は、王宮のメイン魔法陣と寮にしか通じていない。王宮からは、王立学園にも通じている。王立学園の魔法陣は、それぞれの校舎にある。手紙には、対策本部が魔術学院に立ち上げられたと書いてあったので、そこへ向かった。結界が一番強固だからだろう。到着までに僕は、生まれた時から左手首に填めている腕輪に触れて、戦闘用のローブ姿になった。公爵家の規定のローブだ。皮膚の露出は0である。

勿論腕輪も特務塔の指輪もみえない。顔もインナーとフードで見えない。障気対策と魔法陣描写のための仕様で、隠す意図はないんだけどね。本来であれば、ここで対策本部に顔を出すべきである。しかし人命がかかっている以上、時間が惜しかったので、転移魔法陣から一歩出た段階で、腐竜の魔力を探索して、そのまま移動魔術を使うことにした。

義務でないとはいえ、人命は尊いものだと僕は思うので、極力死は見たくない。