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兄は僕が魔術を近くで使えば感知してくれるので、直接伝えなくても分かるはずだ。
探索していたら、兄の他に父と姉の魔力も感知したから、みんな気づいていると思う。
それに腐竜の真上に映像記録魔導図を展開しているから、倒し始めれば本部側の図に映像も流れる。遠くからだが、皆に見られるわけである。目立つ事も、僕が腐竜退治を嫌だなと思う理由の一つだ。

内部に入ったのは、連絡を貰ってから十分後だった。出現してから二十分後みたいだ。
真正面で、黒い髪に紅い眼をした青年が、しりもちをついていた。腐竜に食べられそうになっている。口が迫っていて、涎が垂れていた。大変まずい事態である。僕は跳んで、腐竜の巨大な頭を蹴り飛ばした。勢いをつけて、魔力で加速し打撃も加味した。

やってしまった。咄嗟に助けたが、本来は治癒結界をはり、方針を立ててから倒すべきなのだ。まぁ仕方がないかな。呼吸したら、喉が焼けた感覚がした。障気のせいだ。吸い続ければ、内臓が熔けていく。さらに経過すれば、体が全部溶け始める。三十分以上吸っていれば致命的だ。幸い目の前の青年は、まだ大丈夫そうだ。

しかしもう立ち上がるのは無理だろう。乱暴で申し訳ないが、風の魔術で壁際まで吹き飛ばした。他に腐竜の側にいるのは、右の前足に掴まれている女生徒だ。意識がない。でも気配的に生きている。剣を出現させて、腐竜の足ごと斬った。黄緑色の体液が勢いよく跳んだ。その足ごと、女生徒も壁際に風で飛ばす。後は何人か周囲に倒れていたので、やっぱり風でおいやった。足や腕が切断されていたものは、拾った。

そして、治癒結界を構築する前に、それぞれの部位を適切にあてがった。きちんと患部を当てて持っているように指示した。流石に治癒魔術でも欠損した部位は生えてこない。しかし切断しただけだったらくっつくのだ。念のため何度か皆の体がそろっているか僕は確認した。大丈夫だと分かった段階で、無詠唱で治癒結界を展開した。

本来であれば、腐竜の前に、円形に展開して、そこに戻りながら戦う。だが今回は、腐竜を中心に壁が出来ていて、その壁沿いに多くの人々がいるので、壁に沿って治癒結界を展開した。僕が入った段階で、流石は専門で学んでいる人々や教えている人々がいただけあって、弱いものだがいくつもの結界と治癒フィールドが存在していたのだ。それらを全て覆った。

多分僕が助けた人々は、逃げそびれたか入りそびれたのだろう。腐竜をじっと見れば、攻撃した形跡もあった。誰か攻撃魔術を放ったのだろう。剣も突き刺さっている。専用の剣でなければ致命傷は与えられないが、傷をちょっと付けるくらいは可能だ。槍や弓も刺さっている。それに大人数が範囲内にいるが、死亡者がいないのは、やはり結界と治癒魔術のおかげだ。防ぎきれていなかった障気によるダメージも、僕の治癒結界で消えているはずだ。一度僕も治癒結界の範囲内に入った。

それから改めて腐竜を見る。思ったよりも大きいし、凶暴だ。凶暴になってしまったのは、僕が殴ったからだろうけど。治癒結界に体当たりしている。攻撃魔術を五つ放った。ほぼ同時に、残っている三本の足と頭部、背中から心臓までを光りの巨大な矢が地に縫いつける。轟音をたてて腐竜が地面にはいつくばった。

動きを止めるのが、第一段階なのだ。後は首を落とすのである。僕は剣を構えて、意を決して結界から少し走ってから跳んだ。上から下にギリギリと剣を突き立てる。三分の一ほど斬れた。引き抜き、後ろに跳んで結界に戻る。ちょっとずつやらないと、僕の内臓が熔けてしまうからだ。飛び散った体液がローブにかかって気分が悪い。しかもこれは、僕のこのローブでなければ猛毒となる。服どころから体まで溶けてしまう。

公爵家の戦闘用ローブはとても優秀なのだ。それからまた外に跳んで、首を斬る。半分ほど斬れた。骨のところが固いのだ。次には、骨だけ折った。さらに同じ事を二度繰り返して、やっと頭が落ちた。砂埃が舞う。結界の表面に、体液がどばどばとかかっている。何度見てもえぐい。気持ち悪い。

剣を持っていた手の感触もぐにょぐにょしていてすごく嫌だし。今回は、そんなこんなで、救助時間も含めて十五分ほどで討伐できた。残るは魔力壁の除去だ。どうしようかな。魔力壁はあんまり出現しないのだ。僕は久しぶりに自分の杖を呼びだした。杖が無くても魔術を使えるので、あんまり使用しないんだけど、この量の魔力を吸収させて耐えられそうなのが杖しか思いつかなかったのだ。

何度か同じ事をしている。迂闊に耐性のない人に渡したりすれば、魔力に当てられて死んでしまうくらい今じゃ強力な魔力を持つようになってしまっている。その内何とかしないとなぁ。とりあえず今回は、そんな感じで上手く収まった。

後の処理は、兄たちに任せれば良い。とても疲れた。気疲れだ。

魔力壁が消滅した瞬間に、治癒魔術師と騎士団員・王立魔術師団員が駆け寄ってきて、巻き込まれた人々の保護を始めた。怪我などは治っているだろうが、感情のケアなどは必要だろう。騎士と魔術師は腐竜の遺骸の始末と誘導だ。確認した限り死者もいない。

ただこれは幸運だっただけだ。僕は腕輪に触れて、真新しいローブに着替えた。古い方は、公爵領の保管施設に自動的に転送される。そこで体液などを解析してから、王宮に報告が行くのだ。ローブはサザーカインツ家の独自のものだから、秘密保持のために提出しない事になっている。

「ネル!」

声をかけられて視線を向ければ、兄が走ってきたところだった。

「早かったな。助かった」
「王都にいたんだ」
「いや移動時間じゃなく討伐時間の話だ。いつ見ても見事だな」

僕はフードを取り、口布をほどいた。新鮮な空気が美味しい。

しかしちょっと後悔した。いっきに周囲の視線が、僕を捉えたからだ。あからさまに目を見開き、息を飲んでいる人が沢山いた。目立っている。兄と話しているからだけではないだろう。みんな腐竜を退治した人間に興味があるんだと思う。溜息をついて、すぐにフードを被りなおした。

「ただ、王都にいてくれたのは、幸いだった。いつ来たんだ?」
「来たというか」
「どこに滞在しているんだ?」

特務塔の専用の寮にいるのである。今は伝えるチャンスだ。

でも人目が気になった。わざわざ大勢の前で、自分の勤務先を公開する必要はない気がする。それに職務内容を聞かれた時も、とても困る。何せ僕は何もしていないからだ。

「ネルお兄様!」

考えていたら、続いて声がかかった。視線を向けると、妹が走ってきた。隣には第二王子殿下の姿もある。二人が巻き込まれていたことには気づいていた。ただ、丁度反対側にいたし、倒すことを優先していたので、声はかけなかったのだ。

「助けて下さって有難うございます!」
「久しぶりだな、ネル。本当に助かった」

二人に言われて、僕は再びフードを取ることになった。殿下の前では顔を隠しているのは不敬だ。微笑して返すと、妹に抱きつかれた。そこまでは良かったのだが、殿下が胸の前で腕を折り、最敬礼の姿勢を取ったので困ってしまった。このお辞儀は、本来自分と対等か少し上の相手に向かって行うのだ。恐れ多いのである。そしてその一つ下にあたる敬礼のポーズは、公爵家の人間は取ることが許されないのだ。

今王子殿下がしたポーズが、公爵家の人間が許される、唯一の目上に対する姿勢なのである。つまり僕が殿下に対してすべきポーズがそれなのである。だがその姿勢を返したら、対等であるという表明になってしまう。だが何も返さないわけにはいかない。とりあえず同じポーズを返すことにした。それから剣をよびだして、地面に突き立てる。そして俯いて発言した。

「我が剣を殿下の広い友情への答えとして」

これは公爵家の剣技の礼の取り方の一つだ。なんちゃらの答えとして、と言うのだ。あくまでも配下の公爵家の人間であるというアピールである。

礼が終わると、殿下がポカンとしていた。目が合うと殿下は、我に返ったように破顔した。

「有難う」

そして短く礼を言われた。別に礼を言われるようなことはしていないのだが、返礼のことを気遣ってくれるのならば、もっと人目を気にして最敬礼なんてしないで欲しかった。いつかはっきり言おうと思っているのだが、未だにタイミングがつかめないでいる。何度かこれまでにもその姿勢を取られたのだ。

「ところでネル」

今回も、言う前に、話が変わってしまった。家族とばかり話すから気にしなかったのだが、もしかすると僕の家族がマシンガントークをしているのではなくて、僕が口を開くタイミングが遅いのかも知れない。

「悪魔の子ってどう思う?」

殿下が口元に薄い笑みを浮かべてそんなことを言った。瞳は探るように僅かに細められている。いきなり何の話だろう。どうって、何がだろう。そういえば、先ほど黒い髪に紅い眼の青年がいたことを思い出した。