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この国の伝承の一つで、紅い眼は悪魔の子だとするものがある。それが言いたいのだろうか。別に僕は、個人的には興味がない。
「白雪ウサギの目の色と同じ色をしていると思います」
必死で考えて答えた。うん、そっくりである。白雪ウサギは、目が赤いのだ。僕はあまり動物は好きじゃないけど。変わってるなと思う。見ている分には、綺麗だ。白雪ウサギは、貴族のペットとしてはメジャーである。僕の回答に、殿下が虚を突かれたような顔をした。それから喉で笑い、何度か頷いた。
「後で友人を紹介させてくれ」
「光栄です」
「何で敬語なんだよ」
「大勢の人の前だから」
「ぶは。お前、本当変わらないな。ちなみにその友達は、平民なんだ」
「へぇ」
「さっきな、腐竜の正面にいた連中、悪魔の子かつ平民だっていう理由で俺の友達を結界からはじき出したんだよ。本人も空気読んで入らなかったけど。俺とルナの位置は遠すぎて入れてやれなかった。他にも平民は入れてもらえないでいた。平民で結界をはれた者達は近くにいた場合は固まっていたけどな。勿論、一緒に入れた貴族もいたけど。お前が差別なく助けてくれたこと、本当に感謝している。そもそも貴族や王族であっても助ける義務がなかったことは理解しているけどな。その点も含めて、感謝を示してる」
殿下がわざと大きな声で言った。助けなかった貴族への当てこすりだ。
それにしても学園生活の人間関係とは大変そうだ。階級差別があるのだろう。しかし僕は別に平民を差別せずに助けたわけではない。なぜならば、僕には平民か貴族かを見抜く力など無いのだ。みんな同じ制服姿だったのだから。非常時なのに区別できる人々は大変すごいと思う。僕には見た目で判断なんか出来ないし、大勢の人の顔を覚えるのも無理だ。
そもそも僕は平民と貴族の違いがあまりよく分からない。どうやら就職先は異なるようだけど。僕が区別できる限界は、王族と家族と我が家の使用人とその他となる。最近、職場の人、と言うことでキースも区別できるようになった。そのカテゴリには、寮の隣の食堂の人々も入っている。我ながら大雑把かも知れない。ただ、僕には、相手を見た時に、剣士か魔術師か、どちらでもないかを見抜く能力がある。僕の家の人はみんな出来るけど。
「みなさんご無事で何よりです」
そう返して頷いてみせると、殿下が微笑した。妹もその隣で笑っている。兄もだ。
実際には、僕はあんまり深いことを考えていないので、少し申し訳ない。彼らは優しく善良で心が広い。不当な差別をよしとしないのだろう。まぁ時と場によっては、「無礼者!」とか叫んでいる所も見るが。
不当な、というのは、例えば今回のような学校の場合だ。原則として、学内では階級にかかわらず過ごす権利があったような気がする。これは職場も同様だ。例えば騎士団だとすると、階級が下の上司のもとについても、従う義務がある。ただ上司と呼ばれるようなポジションになるためには、爵位が必要だったような気もする。
「よろしいですか?」
そこへ声がかかった。振り返ると、ザッと音がして、声をかけてきた人と連れられてきた人が礼を取った。声をかけてきた人は、騎士の最敬礼を取り、片膝を突いている。騎士は他にも二人いた。その隣から六人ほどは土下座だ。平民だ。その隣には、宮廷魔術師式の最敬礼をしている人、その横には戦略魔術師の最敬礼をしている人が二人いる。それから貴族式の最敬礼をしている人が三人、最後に神官式の最敬礼をしている教師がいた。
学園の教員は、神殿の神官式の礼をする事が定められているのだ。こうやって礼をしてもらえば、流石に僕にも階級が分かる。礼は階級と職業と性別で変化する。そして礼をされた場合は、向けられた集団で一番くらいが高い者が、代表して前に出るのだ。現在、殿下が一歩前に出て、右手の指を二本立てて、下に降ろした。
「楽に」
礼を解除して良いという動作である。基本的に、下の階級の者には礼を返さなくて良いのだ。礼をしあうのは、同階級が基本なのである。だから僕はいつも殿下に対して困ってしまうのだ。許しを得て、一同が立ち上がった。
「ご厚意感謝致します」
声をかけてきた騎士がそう言ってから、再度一礼して、兄を見た。
すると兄が一歩前に出た。兄とその騎士は、同じ第一騎士団の装束を着ている。
「ロイド団長、ネルレイン卿をご紹介頂けませんか?」
「分かってるバイル。もちろんだ」
頷いた兄が、僕に振り返った。なんだかすごく面倒くさい。別に紹介してくれなくて良い。僕はとても内向的だからだ。人付き合いに向いていないと思う。だが紹介されたら、今度会った時には、挨拶くらいはしないと悪い。しかしそんな本音は口には出来ないし、兄の顔を潰すのも申し訳ない。
「ネル、紹介する。俺の副官のバイル・カロルだ」
「お初にお目にかかります、ネルレイン卿。王立騎士団第一騎士団副団長兼団長副官のバイル・カロルと申します」
「はじめまして。いつも兄がお世話になっております。どうぞお見知りおき下さい」
僕は答えた。彼は長い髪を後ろで一つにまとめていて、眼鏡をかけている。優しそうに微笑している。だけど隙が全くない。かなり手練れの剣士だ。殺人経験がある気配だから、戦争に参加したことがあるかもしれない。魔獣討伐をしている剣士とは空気が違う。二十代後半くらいだ。この国自体が戦争を起こすことはあまり無いが、同盟国の支援に騎士団を派遣する場合はそこそこあるのだ。
「丁度良い。俺にも、俺の騎士と友人を紹介させてくれ」
見守っていると、殿下が言った。小さく頷いて返すと、今度は正面で二人の騎士が前に出た。近衛騎士の正装をしている男女である。
「近衛騎士団所属の俺の騎士で、ファレル伯爵子息のエルンストとタカミルラ伯爵令嬢のアンナだ」
二人がそれぞれ名乗って挨拶してくれた。男性騎士の方は、短髪で鋭い眼差しをしている。女性騎士も切れ長の瞳だった。二人とも表情を引き締めている。冷たく威厳ある表情だが、剣士の気配としては柔らかい。多分実戦経験はないな。近衛騎士は王族の護衛をするので、国際舞台に立つことも多いから、容姿も重要な就職条件となるらしい。だがあんまりピンと来なかった。僕にはあまり美意識はないのかも知れない。無難に挨拶を返しておいた。
続いて王子殿下は、六人の平民を紹介してくれた。服装的に全員学生だ。
「彼はラジル・レネイン。春から宰相府で働くことになっている」
近衛騎士の隣から順番に紹介してくれるようだった。
宰相府と聞いて、僕は義兄の事を思い出した。文官になるのかと考えながら、相手をまじまじと見る。よく見れば、先ほど僕が取れた右腕を渡した人だった。ちなみに左腕も半分取れそうだった。両腕を失うところだったのだ。そうなっていれば、文官はペンを使うので難しかったかもしれない。不幸中の幸いである。
「こちらはコラルド・フェクス。春から騎士団に入る」
続いて紹介された生徒は、僕が右足を渡した人だった。こちらも不幸中の幸いである。
なるほど、ここに連れてこられた人は、僕が腐竜から救出した人々だ。副団長とかは違うけど。それにしてもコラルド……僕は彼に見覚えがある。視線を合わせると、あちらも困惑したような顔をしていた。僕は「コラルド! 早く食べちまいな!」と度々耳にしている。フェクス食堂で。食堂の料理人であるご主人と給仕をしている奥さんの一人息子だ。多分。話したことはないけど。
「彼はジール・エニジア。春から宮廷魔術師となる」
僕はジールという名の生徒をじっと見た。珍しい。魔力の色が紫色だ。水と火に適性があると言うことだ。二属性に適性がある人間は少ないのだ。十段階評価でも四の状態だ。訓練でさらに伸びるだろうから、もしかしたら六くらいまで伸びるかも知れない。また彼の名前を僕は、やはり知っていた。僕が魔術師試験を受けた時、彼も受けたのだ。魔術師試験は、十五歳以上で受けられる。僕も彼も十六になる年度に試験を受けたのだ。彼はその時、三位だったはずだ。上位三名は名前が公表されるのだ。一応僕も上位に入った。
「それから、ライル・ウェライト。俺の親友だ。さっき紹介したいと言った友人だ。春からは戦略魔術師になる」
紹介された彼は、なるほど、黒い髪に紅い眼をしていた。彼は四属性全てに適性があるからさらにすごい。十段階評価では三くらいだけど。ただ色々な魔術が使えるはずだから、評価が高い相手に対しても有利な属性を利用して効果的に戦えるはずだ。戦略魔術師には向いているだろう。
「そして、ラース・ルレイド。彼も俺の親友だ。紹介したかった一人だ。彼も春から戦略魔術師となる」
頷きながら紹介を受けた僕は、少し考えた。ルレイド、か。どこかで聞いた。どこだっただろうか。長めに瞬きして、キースのことを思い出した。彼は、キース・ルレイドと言うのだ。魔力の気配もそっくりだ。色はラースの場合は薄い青だ。強い氷魔術を使えそうだ。一撃集中型の殺傷力の高い攻撃魔術を放てるだろう。十段階評価でも四。兄弟だろうか。
「彼女は、マニス・ベリア。春からは財務府の文官となる」
「お兄様、私の友人なの」
平民最後の少女に対して、妹も声をかけた。なので「妹がお世話になっております」と伝えたら、硬直された。恐れ多いと泣きそうな顔で言われた。もしかしたら、僕が殿下に敬礼された時のような気分なのかも知れない。貴族をやっていると、必要以上に平民に萎縮されることがある。僕はこういう逆差別を経験する機会が結構ある。
続いて殿下は、魔術師達をとばして、三人の貴族を紹介した。学生だからだろう。
「彼はルバイアス侯爵子息のマーシェだ。春から騎士団に入る。俺の乳母兄弟だ」
ルバイアス侯爵家は、勿論聞いたことがある。次男が確か僕や殿下と同じ歳だったから、彼がそうなのだろう。乳母兄弟だとも聞いたことがあった。それに確か、ご学友だったはずだ。殿下と同じく騎士学校の生徒なのだろうな。僕の父も含めるとして、侯爵家は五つしかないので、家同士の付き合いもあるはずだ。僕は関与していないから知らないけど。なお彼は肩がかなり抉れていたが、無事ふさがっている様子だ。良かった。
「それからイスナンド伯爵子息のミレイス。春から宮廷魔術師となる」
僕は、彼こそ戦略魔術師になった方が良いと思った。彼は茶色の魔力をしている。火と風に適性があるのだ。この組み合わせは、高火力型の典型だ。しかも評価は七。八に近い七だ。恐らく十に到達する。まぁ就職先は、個人の自由だけど。そして僕は彼の名前も知っていた。彼は試験で二位だったのだ。ちなみに彼も先ほど手が取れていた。不幸中の幸いである。
「そして彼女は、ミハルデ侯爵令嬢のユーネリア。俺達の一つ年下だ。ルナと同じ学年だ」
「私の親友よ」
妹の嬉しそうな声がした。ミハルデ侯爵家も聞いたことがある。僕は、妹がお世話になっています、と伝えた。彼女は優雅に微笑していた。彼女は、腐竜の障気で座り込んでいたような気がする。実は僕は彼女の名前は知っていた。兄がお見合いを断った相手だからだ。兄が断るなら僕はどうかと釣書を見せられたことがあるのだ。僕も断ったんだけど。
最後に殿下は、教師を見た。
「こちらはローゼンバーグ先生だ」
僕は彼をじっと見た。魔術学園のエリオット・ローゼンバーグ男爵だ。僕は彼を知っている。著者近影で見たのだ。本物だ。彼は空間魔術理論の第一人者だ。困ったように僕を見ている。僕もちょっと困った。話を振ってみようか思案する。なぜならば僕は以前、質問の手紙を送ったことがあるのだ。覚えているだろうか。忘れられていたら恥ずかしいので止めようかな。しかし先達の偉大なる魔術師には、教えをこう敬意の礼をとる事が許されている。これは職業式の礼だから、魔術師である僕もやって良いのだ。と言うことで、僕は礼を取った。すると周囲の空気が少し奇妙なものに変わってしまった。ちょっとざわっとしたのだ。その上、ローゼンバーグ先生は、貧血でも起こしたかのようによろめいてしまった。慌てたように周囲が支えている。
「ローゼンバーグ先生を知ってるのか?」
殿下に聞かれた。頷くと、兄まで興味深そうに僕を見てきた。
「エリオットの理論は、お前の好みだと思っていたんだ。その内紹介しようと思っていたんだ。エリオットは、俺の学園の同期なんだ」
それは知らなかった。是非改めて紹介して欲しい。しかし兄は僕の好みをしっかりと把握している。さすがだ。ちなみにローゼンバーグ先生は、王宮の研究塔の客員魔術師でもある。できたら見学に行ってみたい。
「それはそうと、後四人紹介させてくれ。別に覚えなくても良いが」
兄がそのまま続けた。冗談めかした言葉だ。場の空気が少し和んだ。
「宮廷魔術師の第二師団長のランド・ハザー。彼も俺の同期だ」
彼は僕と、食堂のご子息を交互に見て、ものすごく目を疑っている。名前は初めて聞いたが、僕は彼の顔を知っていた。彼は食堂の常連さんなのだ。何度か隣でご飯を食べたことがあるのだ。僕の左手を何度か見ている。手袋をしているから、指輪はみえないけど。後で挨拶しておこう。
「で、戦略魔術師の第三部隊長のグレン・バース。バース侯爵家の三男だ」
彼は完全に引きつった笑みを浮かべていた。バース侯爵家の名前は勿論知っている。僕は彼のことも知っていた。ただ少しだけ混乱した。なぜならば彼は、僕の隣の部屋の住人なのだ。ようするに、特務塔に所属しているはずなのだ。さらに彼の横でご飯を食べたこともある。ランドさんと彼は、食堂で顔を合わせた時、かなりの頻度で口げんかをしている。
仲が良いのか悪いのかよく分からない二人なのだ。グレンさんはランドさんをちらりと見た。あちらも同様で、二人は頷き合っている。まぁ特務塔は副業をしていいそうだから良いのだろうか。彼にも後で改めて挨拶をした方が良いだろう。ちなみに彼とは話をしたこともある。何を話したかはいまいち覚えていないが、食堂で雑談した気がする。名前は知らなかったが、一応顔見知りと言っても良いのかもしれない。
「最後が、戦略魔術師第三部隊副隊長のラスク・エッチェル。エッチェル子爵だ」
最後に紹介された魔術師は、僕を見て吹き出すのを堪えていた。瞳がニヤニヤしている。隣のグレンさんを見て目が合うと、グレンさんが頷いていた。それを確認した瞬間、さらに楽しそうな顔になった。多分僕のことを聞いていたのだろう。あちらも僕が隣人だと気づいているに違いない。ラスクさんの挨拶する声は、震えていた。完璧に笑いを堪えているのが分かる。僕も笑った方が良いだろうか。そうしようかな。
考えつつ、実行する前だった。走ってくる音がした。視線を向けた時には、一人の魔術師が後ろから、来春戦略魔術師になると言うラース・ルレイドという学生に抱きついた。
「ラース! 無事で良かった!」
あ。
僕は声を上げそうになった。キースだった。怒濤の勢いで無事を喜んでいる。涙ながらにラースを抱きしめて、怪我をしていないか確かめている。叫ぶように口早に喜んでいる。
本当に良かったと繰り返している。お兄ちゃんがどれだけ心配したかと言っている。やはり兄弟だったのだろう。その勢いに、周囲がポカンとした。一瞬皆が気圧されたように聞き入った。しかし、すぐにみんな我に返ったらしかった。
騎士達は全員そろって剣の柄に手をかけている。真正面に王族がいて礼を取らないというのは、不敬罪が適応されるからだ。勿論殿下が命じればだが、命じなくても形式的に剣を抜く構えをするのだ。
「兄さん!」
それに気づいてラースが声を上げた。やっと気づいた様子で、キースが顔面蒼白になり土下座した。殿下が許しを出す。処分はなかった。謝罪と礼を口にしてから、キースが立ち上がる。そしてこちらを見た。目があった。
「え?」
キースは率直に声を上げた。いつも通り過ぎる。
「ネル……?」
続いて響いた小声に、大勢がぎょっとしたような顔をした。
そして今度は、兄以外全員が抜刀した。ギンと鞘を抜く高い音がする。
「不敬だ、キース・ルレイド。恐れ多くもサザーカインツ公爵家のネルレイン卿に向かい頭が高い」
誰が言ったのか僕は分からなかった。ただ誰かがそう言った。