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翌日は土曜日だったので、お休みだった。
今日と明日は、ゆっくりしようと思う。目が覚めると朝食も終わっていた。夜まで我慢しようか、何か食べに出かけようか悩む。いざとなれば出現魔術で食事を取り出すことは可能だけど、あまり僕はその方法は使わない。使わないことには別に理由はない。飲み物は良く取り出している。なお、僕は自炊はしていない。時間は有り余っているから、その内やってみようかなとは考えているけど。
魔力量はきちんと戻っていた。だけどまだ眠い。僕は寝起きが悪いのだ。
珈琲を出現させて、カップを傾けた。褐色の熱のおかげで、少し眠気が取れる。
今日は何をしようか。大体それを考え始めると、考えているだけで一日が終わる。ぼんやりしているとすぐに一日が終わってしまうのだ。なので、明日の予定を本日たてるのが良いのだろうけど、いざ当日になると気が変わることが多すぎる。考えて満足してしまうのだ。僕の家族はみんな行動的なのになぁ。
僕には特に趣味もない。時間が有り余っていて暇ではあるのだが、何かする気力が決定的に欠如しているのだろう。公爵領地にいた時から、なんとなく生きてきた。ぼんやりしていた事が多い。気軽に遊べるような友達はいない。
そもそも誰かと遊ぶという行為自体、想像しただけで疲れる。会話を考えたり大変そうだ。そこを努力で乗り切ると仮定しても、相手がいないのだ。僕は他人に心を開くのが苦手なのかもしれない。そして周囲も、僕に対して心を開いてくれることは無いような気がする。これは貴族だからじゃない。なにせ家族も僕に対して気を遣ってくれている。親しき仲にも礼儀ありだから良いのかも知れないが。別に嫌なわけでもないし。
そんなことを考えていた時、ノックの音がした。
扉へと視線を向ける。誰だろう。居留守を使おうか。ノックをされたのは、引っ越してきてから初めてのことである。来訪者の心当たりはない。嘆息してから、外の気配を探ることにした。四人いる。ノックしているのは、クラウディオ第二王子殿下だ。王族の気配を間違えることはない。何の用だろう。これは出ないとまずい。寝たふりをしていようか。
扉が開閉する側に立っているのは、近衛騎士だと思う。そういえば昨日紹介して貰った。多分男性騎士の方だ。あと二人は誰だろう。一人は気配的に魔術師だ。この魔力の色は、ええと。茶色い。確か、昨日紹介された、イスナンド伯爵子息のミレイスという学生だろう。宮廷魔術師になるっていう話だった。最後の一人は剣士だ。悩む。誰だろう。
覚えのある気配だが咄嗟に思い浮かばない。恐らく昨日紹介された誰かだ。殿下が休日に伴ってくる友人で、僕の家に連絡なしに連れてくるとすると、貴族の可能性が高い。お忍びだったら別だが。まぁ公爵家に連絡を入れていないのだから、お忍びと言えばお忍びだろう。家に連絡が行っていれば、とっくに僕には連絡が着ているはずだ。そう言うことではなくて、身分を隠しているかどうかだ。
一応僕は公爵家の人間なので、身分を隠して電撃訪問は、殿下でもまずいんだと思う。だから身分をおおっぴらに見せるとすると、連れは貴族だ。ならば、恐らく、ルバイアス侯爵子息のマーシェという学生だろう。殿下の乳母兄弟の。出ようかなぁ。でもなんか面倒くさいなぁ。止めておこうかなぁ。
ただ、僕が室内にいることは分かっているはずだ。殿下も人の気配が分かるはずだから。起きているのもバレていると思う。こうして考えている内に、何故出てこないんだと後で怒られる展開になるのだ。だけど僕は腰が重い。別に会いたくないとか、会うのが嫌だとかではないのだ。何事も億劫なのである。ノックが時折止まりつつも繰り返される。その内に激しくなっていった。
「俺だ、ネル。あけてくれ!」
ついに声をかけられた。ちょっと怒っている。あーあ。
溜息をついてから、僕は立ち上がった。折角来てくれたのだと思い直す。何か用があるのかも知れない。聞くだけ聞いてみよう。
まずはドアノブをゆっくり回した。扉を開けることを外に伝えたのだ。勢いよくあけてぶつかっては困るし。
「こんにちは」
挨拶してみた。すると近衛騎士が最敬礼した。殿下も動こうとしたので、僕は制した。手首を振って止めて欲しいことを示したのだ。これは同時に解礼も示すから、近衛騎士が姿勢を直す。侯爵子息と伯爵子息も礼を取ろうとしていたのだが、動きを止めた。公的な場ではないし、断ることは許される。心から礼を取りたい等だったら別だけど、挨拶だし。
「突然すまないな。ゆっくりとお前と話がしたくて」
「光栄です」
「手紙同様気軽に話してくれ。『本当に突然すぎる。本当にすまないと思っているのか。話なんて特にない。しかも大勢連れていて、面倒くさい』という本心をずばっと言ってくれても良い」
「外交官はそんな事言わないと思うよ」
人の考えが推測できてなおかつ当たっているというのは、外交官に向いているだろうけど。
「否定しろよ!」
「クラウ。僕の部屋には座る場所がないから話すのは向かない」
嬉しそうな顔で怒っている殿下に、僕は伝えた。僕らのやりとりを驚いたように他の三人が見守っている。特に、「クラウ」と愛称を呼び捨てにしたら目を見開かれた。手紙では呼び捨てなんだよ。いとこだし。殿下と呼ぶと、怒るし。
「そう言われる気がして、コラルド・フェクスに席を取ってくれるように頼んだ。下の食堂に行こう。昨日の夜も今朝も食事には降りていないそうだな。寝てたんだろ? 菓子を持参した」
「前から言おうと思ってたんだけど、お土産はシュークリームじゃなくても良いんだけど」
「でもお前、アレ好きだろ? お前の分だけ二つ買ってきた。俺達は一つずつ」
「クラウはシュークリームじゃなくてイチゴタルトじゃないの?」
「その通りだ。所で、これまだ読んでないんじゃないか?」
クラウ殿下が、小説の下巻を鞄から取り出した。出版されていたのか。
「ありがとう」
「この作者の前作も読んだか?」
「ホラー小説?」
「ああ」
「大分前じゃないっけ」
「絶版なんだ。貸してくれ」
ぱちんと指を鳴らして、空間魔術で取り出した。娯楽本は際限なく溜まっていくので魔術空間の本棚に収納してあるのだ。殿下と本を交換する。
「結婚でもするの?」
「しない。お見合いを円滑に進めた上で断るためのアイテムを欲しているんだ」
「この二冊も読んでおいた方が良いんじゃない」
僕はその作者と並んで有名な別の作者の小説を二冊取り出した。どちらも恋愛小説だ。多分前作よりもこちらの方が話題になる可能性が高い。殿下もついにお見合いするのか。恋愛結婚したいって昔から言っていたんだけど、現実は大変だな。
「こきおろすための読書って無駄だよね」
「面白ければ褒める。借りておく。よし、下に行こう」
クラウ殿下が歩き始めた。僕も外に出て、ドアノブに触れて施錠する。他の三人も歩き出した。食堂へとはいると、まばらに人がいた。緊迫した空気が走る。だが誰も声はかけない。事前に来訪を伝えて、不要だと告げたのだろう。出てきたご主人だけが声をかけてくれて、奥の個室に案内してくれた。このお店唯一の個室だ。
そこの入り口で近衛騎士が立ち止まる。一番奥に殿下、その隣に僕、殿下の正面にご学友の侯爵子息、入り口側に伯爵子息が座った。殿下が最奥なのは最低限の礼儀だ。そして全員親しい場合であれば、僕が殿下の正面に座ることになる。だけど親しくないし、僕も侯爵子息でもあるから、同じ階級の相手を尊重する姿勢を見せるのも礼儀なのだ。
こういう時は、先に入った方の判断になり、入る順番としては殿下の次は僕だったので、『譲る』という形を取る事にした。席順は結構決まっているのだ。後は、親族は隣に座るパターンも多いのだ。そちらを考慮しても、この席順が最適だった。すぐにシュークリームが四つと、イチゴタルトが一つ運ばれてきた。シュークリームは近衛騎士の分ではなくて、僕が二つ食べるのだ。それにしてもこのお店は持ち込みが可能なのか。それとも殿下だから許されたのだろうか。
「ネル、改めて紹介する。マーシェとミレイスだ」
「よろしくお願いします」
僕が言うと、二人が息を飲んで大きく瞬きをした。視線が痛い。
一拍おいてから、マーシェが右の口角を持ち上げた。
「ルバイアス侯爵家次男のマーシェです。お会いできて光栄です」
「マーシェにも敬語という概念があるんだな」
「クラウ殿下。俺をなんだと思ってるんだ」
「出世欲の固まり」
騎士団で出世を目指すと言うことは、騎士団長を目指しているのだろうか。父の多忙さを見ているからかも知れないが、僕は絶対にやりたいとは思わない。彼はドMなのだろうか。
「殿下、それは間違っている。俺は、殿下の一番の理解者で、殿下と最も親密な友人の座を誰にも渡したくないだけだ」
「え、自分が一番の理解者で、最も親密だと思っているのか?」
「クラウ殿下……ちょっと黙ってろ」
「誓ってお前より俺はネルと親しいぞ」
「そんなこと無いよ」
「ネル、そこは否定する所じゃないからな!」
殿下が僕を睨んだ。僕は顔を背けた。するとミレイスが呆れたように吐息していた。
「イスナンド伯爵家長子のミレイスです」
会話が途切れたところで、僕をじっと見て彼が名乗った。観察する眼差しだ。僕は公爵家特製の腕輪で、魔力の見え方を操作しているから、余程のことがなければ相手には悟られない。あんまりこういう技術は普及していないから、僕から魔力をあまり感じないのが不思議なのだろう。
「ネル様とお呼びしても宜しいですか?」
「ネルで結構です。どうぞお気を楽にお話下さい」
「では俺のこともミレイスと。そちらこそお気を遣わずに」
頷くと、マーシェにも同じ事を言われたので、敬語でなくて良いと伝えた。これは殿下に紹介されたのだから信頼しているというアピールである。本心から呼び捨てで良いと思っているし、敬語じゃなくても気にしないけど。気にしないと言うより、何でも良いのだ。僕は呼び方や話し方にそこまで興味はない。