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「まぁ……その……なんだろうな……」

父が珍しく口ごもった。それから、笑った。父は基本的にあまり笑わない。そしてこの表情は、物事を誤魔化す時に浮かべる笑みだ。特に後ろめたい時に浮かべる。

「……特務塔の求人票を紛れ込ませたのは俺だからな」

そう言って父が空笑いした。周囲が「え」と声を上げた。これは僕も知らなかった。

「ネルなら、特務塔を選ぶような気がしていたんだ……まぁ……ネルは俺によく似たところがあるからな……」

僕は納得した。父は現在大変早起きだし残業をこなしているし働き者だが、本当は僕同様勤労意欲にかけているのだ。だらだら過ごすのが好きな人なのだった。多分みんなにはそういうイメージはないと思うけど。何故僕がその事を知っているのかというと、父の日記を読んでしまったことがあるからだ。

悪いなと思ったが、つい興味があって、公爵家で見つけた時に読んでしまったのだ。前半には、父の学んだ剣技のメモがあったのだが、後半が日記だった。そして剣技メモの棚に放り込んであった。多分父も日記にしていたのを忘れているのだ。上位古代語で書いてあるから、多くの人は読めないし別に良いだろうけど。

ちなみに父は、本当はギルドに所属する冒険者になって、好きな時間に起きて寝て、好きな時に仕事をする賞金稼ぎになりたかったらしい。僕もその案はいいかも知れないと思った。ただ僕は、旅をするのが面倒くさかったから、それは選択肢に入れなかった。

「有難うございます父上。大変魅力的でした」
「……あ、ああ、魅力的というのは、うむ、自分のペースで勤務できる点か……?」
「はい」

父がやっぱりなぁという顔になった。若干遠い目をしている。父は良く僕のことを分かっているようだ。僕はそんな優しい父が好きだ。父は頷くと、キースとグレンさんに向き直った。

「キース、グレン、息子のことをよろしく頼む」

声をかけられた二人が、ビシッと視線をただして、魔術師の最敬礼をして答えた。父が騎士式の礼で返礼している。それを見ていて、僕は気づいた。父がこの二人を知っているのは不思議だ。なにせ王宮には他に沢山の人々が働いているからだ。僕が就職したから調べたとは思えない。面識があったような気がする。そこでかまをかけてみることにした。歩み寄り小声で囁く。

「父上は顔を出さないんですか?」
「ぶ」

父が吹き出した。やっぱりそうだ。父上が反射的に、首もとを押さえたのだ。父は首からいくつも指輪がはまった銀のチェーンをかけているのだ。騎士の場合は、邪魔になるから指輪を填めずにチェーンにつけるのだ。沢山あるから分からなかったが、恐らくその内の一つは特務塔のものだ。父は特務塔の勤務騎士でもあるのだろう。自分が関わっていなかったらいくらなんでも、求人票を渡してくるような性格じゃないし。

「ネ、ネル……俺はフードを取ったことはない……そう言うことだ」

つまり特務塔に勤務している人たちにも正体を伝えていないのかも知れない。

「母さんには上手く言っておいてやるから、それ以上言うな」
「もしかして庭園を散策してるって言ってくれたの?」
「ああ」
「ありがとう」

僕は頷いた。兄と妹の反応を見る限り、母も驚く反応をすると思うので、大変有難い。
父はそれから、思い出したように、ポケットから紙を取り出した。
差し出されたので受け取ると、魔法陣がかいてあった。

「忘れるところだった。これがなんだか分かるか?」

魔法陣は、知識があれば、なんの魔術を発するか分かるのだ。図形の中に上位古代魔術語が記されているからである。今手渡されたものであれば、天候を操作する魔術が発動する。

「雨を降らせるものみたいだよ」
「そんなことが可能なのか?」
「理論上は可能だけど、天候操作魔術は五賢人会議で禁止されてる。会議の承認がないと使用しちゃ駄目だ」
「――効果を打ち消す事は可能か?」
「反対魔法陣をつくれば消せるはずだけど」
「すぐに構築できるか? できれば今すぐ紙に描いて欲しい」

よく分からないが、僕は頷いた。パチンと指を鳴らして、空間魔術で紙を取り出した。
頭の中で、記憶している図形と文字を組み合わせて、何通りか考える。どうしようかなぁ。一番簡単なデザインにしたい。勿論描くのが面倒くさいからだ。僕は結構お絵かきは好きなのだけど。頭の中で想起する分には、一部が曖昧でもニュアンスさえ上手く伝えられれば魔術が発動するのだ。

しかし紙などに出力する場合は、完璧じゃないと魔術は発動しない。もっとも僕の場合は、不安なので頭の中でも完璧を期すけど。紙の正面に掌をかざす。そして転写魔術を使って、ぺたんと魔法陣を描いた。掌と紙の間に光が溢れて、それが消えると紙に魔法陣が描かれた。一度確認すると思い描いたとおりに出来ていた。同時に指に魔力を込めて、下部に署名する。オリジナル魔法陣を作成した時の規則だ。

「念のため空中展開したいんだけど」
「ああ、頼む」

父の同意を得たので、僕は動作確認をすることにした。
宙に浮かべていた紙を手に取り、水平に動かす。空に表面を向けたのだ。

魔力を込めると、紙から魔法陣が空に浮かび上がっていった。どんどん巨大化していき、丁度今いる敷地の上空を覆った。術式がいっぱい書き込まれていたから、こんなものだと思う。もっとコンパクトだと良いのだけど。青と緑に煌めく光で魔法陣が構築された。成功だ。紙を掴んで横に二度動かすと、魔法陣が紙に戻った。

「大丈夫」

それを父に渡すと、父が頷いて受け取った。それから聖剣エルフェナンドを抜き、ずばっと親指の表面を斬った。そのまま紙に血を落として、剣で左上を貫く。指を刀身にそえてそこを流れる血を紙に吸わせていく。ぽたぽたと落ちた直後、血が黒く変わり、魔法陣が聖剣に吸い込まれた。

後は、聖剣を持っている限り、あの魔法陣の効果を得られる。聖剣は魔法陣を記録できる上に、魔術の発動も自動的に行ってくれるのだ。ただ聖剣を持っているのは父だけなんだけど。痛そうなので、僕は治癒魔術を発動させた。父の親指の傷がふさがる。

「助かった。解読作業がもう二ヶ月も進捗無しだったらしいんだ。先ほど報告を受けて困っていてな」

パッと見て理解できないならば、解読するのは難しい気がするから曖昧に頷いておいた。例えば一文字ずつ解析して単語を見いだして、文を見いだして、辞書と照らし合わせるなんていう風にやっていたら、年単位の時間がかかるはずだ。何の魔法陣か、なんていうのは、長くて三分もあれば解読できるのが普通だと僕は思うけどな。しかし頑張って解読していた人たちがいるのだろうから、余計なことは言わないようにする。

それよりも、眠くなってきた。魔力の使いすぎだ。

腐竜退治では魔力を十分の一ほど使っていた。さらに今、残る六分の一を使った。魔法陣記述の方が魔力消費は大きいのだ。魔力が三分の一以下になると魔術師は体調不良になる。空っぽになった場合は、魔術が不発するだけじゃなくて、気絶することが多い。最悪の場合は、そのまま意識不明で死ぬ。

まだ体調不良になるまでには余裕があるが、僕は普段はそんなに魔力を消費しないので、ちょっといつもより多めに使うと眠くなるのだ。疲れやすいのだろう。魔力量は生まれ持った量を訓練で増やしていく事ができる。個人差で増やせる範囲も変わるけど。僕はお祖父様がつくった魔術空間で、増やす訓練をした。だからもう限界値まで増やしてある。あれはお祖父様のオリジナルで、お祖父様と僕しか入れない。

残るは、生きていけば、まだ伸び白があれば少しは増えるはずだと言われた。だけど今のところ、現在の量で特に不満はないし困ることもない。それより、帰って休もうかな。僕は殿下に振り返った。さすがに何も言わないで帰るのは不敬だろう。

「殿下、帰ります。また」
「あ、ああ。今日は本当に有難う」

ハッとしたように殿下が言った。頷いてから、僕は父を見た。

「失礼致します」
「またな。ゆっくり休むんだぞ。魔法陣まで送る」

父が歩き出したので、僕は後に従った。父は魔術師のことをよく知っている剣士なのだ。魔力欠乏症の危険を十分理解している。振り返って、兄と妹には笑ってみせておいた。キースには会釈しておいた。硬直された。

転移魔法陣まで送ってもらった僕は、王宮と特務塔を経由して、寮に戻った。
シャワーを浴びたかったが、気力がなかったので、魔術で体を清潔にしてから、ソファに体を投げ出した。夕食は諦めて、眠ろう。今はとりあえず、眠い。目を閉じると、僕は一瞬で眠りに落ちたのだった。