04
そんな風にして日々を過ごし、週末が訪れた。土日は、OTが無い。病院近くに、十三時まで百円でカラオケができる店があるので、僕は週末、大体一人でそこにいる。別に歌うわけではない。大抵の場合、そこでも僕は小説を書いていた。過去形だ。今はこの記録を書いている。
昨日はケア会議があった。
両親と主治医の先生、SWさん、OTさん、そして看護師さんと会議をしたのだ。退院支援の一環だ。僕は四月末ごろには退院するらしい。そうしたらグループホームに入ろうと思っている。入院していられるのがベストだが。GHが見つかり次第、僕は病者ではなく、地域で暮らす生活者となるのだ。
このシステムについては、専門学校時代に、この病院自体が授業で取り上げられた程で、先進的なものだ。後に詳しく記そう。
さて先週は、このカラオケに、しばらく前に約束していたので、秋江君と遊びに来た。同じ歳という事もあって、秋江君が寛解して通院している今では、さまざまな話をする。
――尤も、初めて出会った昨年の入院時も、毎日話はしていた。僕は選曲しながら、その頃の事を思い出していたる。
「看護師さんが僕の部屋を盗聴していて、患者の悪口を言っている」
秋江君は当時、病室(個室)の天井にあるスピーカーを一瞥し、小声で僕に訴えた。世界が違って見えるのだとも言っていた。
細く病的で、十代半ばにすら見えた。青白く、少年といった外見だった。
病室にはそれぞれスピーカーがついていて、スタッフルームから放送ができる。
その際例えば、代表的なものならばナースコールなど、「どうしましたか」という問いに、こちらも応答できるようになっている。
秋江君は、この設備越しに、スタッフルーム内の声が聞こえてくるのだと言っていた。同時に、常にすべての病室をスタッフが傍受して、患者の事を笑っているのだとも口にしていた。そのように、彼には聞こえたのだ。
幻聴である。
監視されているから外へと出たい秋江君。
その考え自体が妄想であり、病状が大変悪いため退院できない現実。
どの部分が妄想かというと、僕がはっきりと断言できるのは一点だ。
――患者の陰口を笑いながら『真実を知っている秋江君の部屋だけに』聞こえるようにしている、という点だ。
彼に聞いてと言われて、秋江君の部屋で耳を澄ましたが、少なくとも僕には何も聞こえなかった。
それよりも当時の僕の個室の、クローゼットの中に描かれていた、目のラクガキの方が余程怖かった(先生にも見てもらったので幻視ではない)。
僕はその時、秋江君の話を交えつつ、水野先生に聞いてみた。
「部屋を看護師さんが盗聴したり盗撮しているなんて事ないですよね?」
「うん。そんな事は無いよ」
僕は先生を信じている。
ただ國岡さんも言っていた。部屋での会話は、建造物の構造的にも詰所に聞こえるはずだと。彼は大工さんだったらしい。そしてナースコールの応対の例もあるし、聞こうと思えば聞く事は可能だろうと僕も思う。
実際にありえない事ではない――寧ろそうしている病院もあると聞いている。
専門学校に行っていた頃、都内の病院に見学に行った班が報告していた。常に音声を拾っている病室が存在する病院だったと。理由は、「何かあった際に即座に対応できるように」だ。ナースステーションに常に音声が垂れ流しで、老人が多い病室だったと聞いた覚えがある。
また僕が入院中の病棟にも、いくつかの病室には監視カメラがあるのは周知の事だ。入院初日などに優先してあてがわれる部屋などだ。天井に目に見える形でカメラがある。
だが僕は別に、全室の音声・映像とも、詰所で聞こえても困らないと思う。
そもそも全てを拾っている程、時間的余裕があるのかは疑問だが。
ただこの、『聞かれている』という訴えには頻繁に遭遇するため、自分の中で、それを耳にした時の回答を用意している。
「聞かれて困るような話はしていないんだから大丈夫だよ」
半数は、心の中までは知らないが、頷いてくれる。頷く人は幻聴の事を公言せず、寛解した風に、先生に幻覚の事は黙ったままで退院する。残りの半数は、筆談に移行する……秋江君も移行した。
他には、携帯電話に盗聴器が入っているともよく聞く。逆に、存在しないスマホをひたすら耳に当て話をしている人もいた。その人はFBIと通信していた。
「FBI! FBI! 応答してください」
幻聴と通信していたのだ。FBIはグローバルなのだろう。日本語で通信していた。
懐かしい。その他、秋江君と出会った頃には、太鼓の達人と呼ばれている人がいた。今も五階に入院中だ。規則正しく保護室の壁を叩く音が連日響き渡っていたものである。太鼓の達人は、一度秋江君の腕をとり、捻じった事がある。机をひっくり返したり、荒ぶっていた。
閉鎖(四階)には、本当に色々な人がいる。
古い頃の話だが、キリストの生まれ変わりが同時に三人いた事もあったな。
その日は、そんな事を考えながらカラオケを終えた。そしてランチを食べて、僕たちは別れた。