06



 僕はネガティブなのだろうか。

 今日は午前中にもOTに訪れた。その帰り、面接室をふと見た。そうだ、今日は直江さんの退院日だ。扉についた窓から、ワーカーさんと話をしている直江さんを眺める。そのまま通り過ぎ、僕は病棟に戻った。そしてすぐに外出した。本当はお別れを言いたかったが、それ以上に煙草を吸いたかったのかもしれない。我ながら依存している。ちなみに吸いたかった理由はある。本日のOTでは、今後の予定を立てたのだ。僕は予定を立てるという事が大変苦手だ。少しだけ心がざわついていて、涙が出てきて、僕はとにかく落ち着きたかったのである。煙草の依存性については記すまでもないか。落ち着く作用なんてないらしいけど。

 深く煙を吸い込んでから、病棟のほうを見上げた。今日は晴れのち曇りなのだという。僕の人生は、豪雨と快晴ばかりで構成されている気がしないでもないが、僕は曇り空が好きだ。雨も好きなのだが、雨の日は鈍い頭痛が酷くなる。

 それから戻ると、面接室にはまだ明かりがついていた。退院準備に時間がかかっているのだろうかと考えて一瞥した時、隣に國岡さんが立った。

「また誰か入院してきたぞ」

 ああ、本当だ。ぼんやりと眺めていると、面接室から出てきた人と視線が合いドキリとした。不躾だっただろうかと思い、それとなく視線を流す。

 新しい入院患者は、鴉の濡れ羽色の髪と目をした、鼻梁がスッと通った青年だった。二十代だろうか。三十代か。精神科の入院患者は、見た目が異常に若い人が多いため、実年齢は推し量れない。僕よりは年上だと思う。背が高い。どちらかといえばやせ形だと思う。切れ長の目をしていて、その瞳は険しかった。きっと初入院なのだろう。なんとはなしにそう直感した。

 その後特にその新しい入院患者と僕は接点が無かった。ごくまれに廊下ですれ違う事もあるが、会話をした事は一度もない。

 ただ名前は、部屋のネームプレートに表記されていたから知った。
 彼は、如月遥斗というらしい。
 しかしすぐに忘れた。

 そうだ、退院支援の会議について書く前に、今後も深く関ってもらう事になるだろうスタッフの皆様を記しておこう。

 ホールにいると、水野先生の姿が見えた。特に話す事も無く昨日と一転して元気な僕だが、反射的に駆け寄っていた。ただ一言、「今日は元気です」と告げる。すると先生は時に微笑する。

 患者さんの中には、水野先生の笑顔を見た事が無いという人もいる。しかし僕は比較的よく見る。明るい報告があれば、先生は一緒に喜んでくれたりする。

 先生は白衣姿で、黒縁眼鏡。すらっとして見える。飄々としていて穏やかだ。一番最初に診てもらった先生であり、僕が鬱ではなく、躁鬱である事を発見してくれて、現在でも治療してくれている先生だ。

 さて今日の準夜勤は、春川さんとマサミさんだ。

 前述したが、春川さんには最初の入院の頃からお世話になっている。本気で怒ってくれて、一緒に泣いてくれたような気がする。今も、「どうかしたの」と一言声をかけてくれたりする。

 一方のマサミさんは、僕の前回の入院――新しい病棟への初入院の際、そのちょうど一週間くらい前に四階へと配属されたと聞いた覚えがある。爪が伸びている時など、些細な変化にも心配ってくれる。

 他にもいろいろな看護師さんがいる。

 今回の入院生活では、僕の担当をしてくれているのは、仲野さんだ。とても優しくしてくれる。そろそろ退院できそうかなと、僕の体調も気遣ってくれる。仲野さんのように男の看護師さんも沢山いる。半々くらいかもしれない。以前は妊婦の看護師さんもいた。

 親しみやすい人もいれば、そうではないといわれる人もいる。怖がられたり、好かれたり、色々だ。ラブレターを患者さんから貰う看護師さんだっている。

 陽性転移という概念がある。平たく言えば、治療者とクライアント間で生じる好意だ。何かを投映していたりして、恋愛感情などを覚える。統合失調症の人の、「この人は私の事が好きに違いない」なんていうような、妄想の例とは異なる。

 今の病棟に、患者さんを恋愛対象として見ている看護師さんがいるとは聞かない。だが、嘗てはいた。

 病院外で患者さんと会い、ドライブに行き、車の中で途中までシたという話を聞いた。今その看護師さんは職を辞したようだ(別にその件が理由ではないだろうが)。

 こういう話を聞いたり、雑談まじりに、具合・体調を伝えている時、僕は看護師さんの人間性を強く意識する。だから僕は、病棟外――特に病院の敷地外では、ばったり会った時でも、あまり声をかけないようにしている。時間外まで僕に付き合ってもらうのは悪いし、プライベートは大切だと思うからだ。

 さて病院にいるのは、先生と看護師さんだけではない。

 まずはOTさん。作業療法士さんだ。
 僕の担当は他埼さんである。普段は明るく楽しく、穏やかに話をしてくれる。怒る時も基本的には笑顔だ。真剣な話をする時には、怜悧な面持ちになる。胸に響く言葉を放ってくれる事が多い。

 次にSWさん。ソーシャルワーカーさんだ。
 担当は阪田さんという。多忙そうだ。僕自身もPSWの専門に行っていたわけだが、阪田さんのように聞く力と行動力にあふれたワーカーさんは、中々いないのではないかと思う。

 最後に臨床心理士さん。
 現在僕はカウンセリングを受けていない。ただしもうすぐ受ける事になる。その担当のアラキさんについては、のちに記す。そこで、最初の入院の頃、ずっと担当してもらっていたカウンセラーの柳瀬先生について少し書く。昔と変わらず今も病院にいる。柳瀬さんは僕に、「十年・二十年と続ければ、必ず何らかの形になる」と言ってくれた。この言葉は、僕を何度も励ましてくれている。時折、今でも廊下で雑談をする。

 他にも清掃のおばさんや受付の人もいる。何よりやり手の介護士さんや、楽しい補助看さんの話も書かねばならない。また別の機会に記そう。