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 さてその日の夜の事だった。國岡さんの退院日が一日早まった。

 彼は僕が今回入院した初日、最も長く言葉を交わした人である。前回入院時に顔を合わせた事がある山口君は除くとだけど。前述した特殊な入院をしている人である。最初に会った時に一目で、『今』の病棟のヌシだなと思った。精神科病棟には大抵ヌシがいる気がする。その直感は当たっていた。

 彼はずっとホールにいた。

 僕も入院当初から、ずっとホールにいたため、自然と多く話をするようになったものである。そのうちのある日、ランク5の國岡さんが、看護師さんと共に外へと出た。他科受診にしては帰ってくるのが遅い。僕はすぐに、裁判所に行ったのだろうなと考えた。何せその日までの間、ひたすら國岡さんは繰り返していたのだ。

「自分は本当にやばい。だから、入院理由は言えない」

 それを口にする頻度から、入院理由に想像がついていた人も多かった。その頃入院していたハルコさんや直江さんと、國岡さんの帰りを待ちながら話した覚えがある。
 そして國岡さんと二人の時、僕は直接聞いた。正確には見せてもらった。

 ――刑法四十二条に処す。

 社会復帰調整官にあこがれていた過去もある僕は、この四階に國岡さんが入院している理由を悟った。鑑定入院後の治療なのだろう。

 専門学校時代、犯罪者のその後について討論になった事がある。日本では、実刑後、報道される事なく外へと出る。私は、人はやり直せるのではないかと思う。過去は消せないにしろ。

 國岡さんが犯したのは放火だ。心神喪失状態というよりは、本人はPTSDが原因の解離だと言っていた。診断が解離性障害だったらしい。

 僕は誰にも言わないと約束したのだが、一週間後、上手く抱えきれず相田さんに聞いてもらった。勿論最初は濁した。すると逆に、相田さんに聞かれた。

「人は殺してないでしょ?」
「多分」僕に断言はできない。
「ランク8くらい?」

 そんなランクは無いが、頷いておいた。それから放火だと話すと、相田さんは言った。
「それはランク10だね。俺、絶対國岡さん、かっとなって火つけちゃっただけだと思うな。だってあの人、まともだもん」

 そういう場合もあるだろう。単純に犯罪前に精神科を受診していただけ。ただ國岡さんの場合は、二十五歳から三十二歳まで八年間社会的入院をしていた過去がある。

 なお、犯罪に病気は関係ないという考え方もある。あるいは、やった事はやった事とする考えだ。そこから二つに派生していく考え。一方は、病状次第で、病気でも判決を変える。もう一方は病気自体を問題視する。

 日本の場合は、その後や刑期終了後、すぐに外へ出られるが、知識不足ゆえの再犯率も高い。

 ちなみに國岡さんの場合は、弟二人も刑務所にいるのだという。片方は出所、もう一方は服役中らしい。父親はガンなのだという。話を聞いていると、家族関係や環境による行動について考えてしまう。生立ちは犯罪の要因になる事がある。貧困も。何よりストレス脆弱性モデルもある。弟二人が服役、父親は末期ガンかつギャンブル依存、自分は精神疾患――世を憂いて実家に放火した(ボヤ程度だとも聞いたが真偽は知らない)という現実は、情状酌量とでもいうのか、決して理解できない事ではないような気もする。ちょうど電話が来た時に、弟に話してみたら、「可哀想だ」という言葉が返ってきた。なお退院後に僕は七緒君にもこの話をしたのだが、彼は、「かっとなっちゃったんだろうね」と言っていた。どちらにしろ、だ。理解できる――放火の理由を見いだせる。心中しようとした理由を。常軌を逸した精神状態になった理由を。

 何もないのに死にたい僕のほうが、よほど奇怪ではないか。

 そんな國岡さんも明日退院する。
 寂しくなるなと皆で話した。皆は國岡さんの入院理由を知らない。ただ最後のポーカーは意味なく僕が勝利した。

 なお退院に際して、僕は外出して見送った。その後、一人になった時、煙草を吸いながら一度泣いた。僕は多分寂しくて泣いたのではない。

 精神疾患があるだけでも仕事を見つけづらく、クローズドでも体力的に厳しいのに、そこに犯罪者というレッテルが加わったら――と、また勝手に人の事、将来を考えて不安に思ったのだ。仕事を探すと明るく笑っていた彼を見て。

 僕は退院祝いにセブンスターとライターと携帯灰皿を、病棟外で渡した。

 帰り際、エレベーターで水野先生に会い、その話をした時、僕の口からは、「大丈夫かなぁ」という言葉が漏れた。先生は微笑しながら、「大丈夫だよ」と言ってくれた。「良い事をしたんじゃない」と言ってくれた。僕はその言葉に、また泣いてしまったのだった。