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ぼんやりと見送っていると、入れ替わりに人が入ってきた。
見るからに執事だった。片眼鏡をつけている。時代錯誤感に襲われた。首元の白いリボンを見てから、癖のある髪をみる。
すると目があった。軽く会釈されたので返す。直後、燕尾服のようなものをきたその人物は、中へと入ってきて、片腕を前におき腰をおった。
「青猫館執事の鵜野と申します。以後お見知り置きを」
周囲が静まり返った。皆が執事さんを見ている。
「我が主を紹介する前に、皆様には試験を受けていただきます。正解者にだけ当主がご挨拶いたします。見事名推理をしてくださった皆様には、当家のシェフが腕によりを込めたディナーを召し上がっていただきます。残念ながら不正解だった皆様には、その場でおかえりいただきます」
淡々と執事さんは言った。そして右手の壁まで歩み寄る。人混みが割れた。執事さんは進んだ先にあった壁についている穴を手で示した。
「ここに覗き穴があります。中には双子の少女が入ります。すると一人だけが巨大化いたします」
その場に、人混みの中から2人の少女が歩み寄った。本当に双子だ。髪を結う位置だけが左右逆だが、それ以外は頭から爪先まで同じに見える。ゴスロリ風のドレスをきている。中学生くらいに見えた。彼女達が近くの扉から中へと入って行く。そして執事さんが扉を閉めて施錠した。
「それでは、お一人ずつご覧ください」
これが探偵選抜試験なのか。擬似殺人事件などでなくて良かった。演技でももう遺体なんて見たくはない。覗き穴の前には、我先にというように列ができた。ぼけっと僕がそれを見守っていると、森永さんにため息をつかれた。この人はわざとらしいため息が多い。幸福が逃げるぞ……。そんなこんなで最後尾に僕らは並んだ。すると紙を渡される。何でも回答を書いて執事さんに渡すらしい。
順番が回ってきたので中を見る。市松模様――ギンガムチェックの床に背をかがめた巨人化した少女が立っていた。右側だ。左側の壁には普通に立つ少女がいる。ディナーを食べて帰ることができそうで僕は安心した。
目を離して脇にそれる。続いて森永さんが中を覗き込んだ。
「簡単すぎてつまんない」
少年探偵がそんなことをつぶやいた。それを睨むように美女探偵が見た。怖いな。自称名探偵さんは、床にバラの花びらをちぎって投げている。
「不思議だな」
顔を上げて、森永さんが僕を見た。
「本当に不思議ですよね、錯視って」
思わず僕の頬が持ち上がった。僕はこれでも心理学を勉強していたから、今回は幸いわかった。
「え、分かったのか?」
森永さんが息を飲んだ。その声に、周囲の様々な人の視線が一気に僕に集まった。狼狽えて思わず俯いた。そんなに大したことではないと思うのだ。知っていれば誰にでもわかることなのだし。
これはエイムズの部屋だ。中を覗くと正方形の部屋に見えるのだが、実際には斜めの床で天井にも高低差がある。それらが作用すると、人の視覚は錯覚するのだ。片方が巨大化したように。
「錯視……そう、なるほどね」
その時妖艶に美女探偵に微笑まれた。ちょっと見惚れてしまう。
「このトリックにはそういう名前があるの?」
少年探偵が興味深そうに僕を見た。そして僕に紙を見せた。
「これで合ってる?」
そこにはエイムズの部屋の見取り図が描かれていた。知らないのに推測して書いたのだとしたらすごい。本物の名探偵だと思ったら、なんだかワクワクした。頷いてから僕は、紙にエイムズの部屋と書き、それを少年に見せた。すると隣から自称名探偵が覗き込んできた。そして自分の紙に、エイムズの部屋と書いた。カ、カンニング……! その後一人ずつ、執事さんに紙を渡した。
結果的に残ったのは、僕と森永さんを除くと三名だった。少年探偵、美女探偵、自称名探偵だ。他の人々は容赦無く帰還させられた。僕達は、ダイニングに案内されることになった。
「ねぇ、名前なんて言うの?」
歩きながら少年探偵に聞かれた。背が小さくて可愛い。白磁の頬に触って見たくなる。
「皐月です」
「僕は成田晴日っていうんだ。よろしく」
「よろしくお願いします」
小さな名探偵が手を差し出してきたので握手をしていると、さらに声がかかった。
「先ほどは素敵なヒントをありがとう。私は柊探偵事務所の柊ユリコ。よろしくね」
ちょっとグッとくる微笑をされて、僕は小刻みに頷いた。美人だなぁ。
「あんなに簡単なトリック、私が解くまでもなかった! 私は流浪の名探偵、安芸孝人。私に解けない謎はない」
「黙ってろよお前は」
自称名探偵――改め、安芸さんに、森永さんが言った。
僕以外は皆顔見知りという雰囲気だった。
ダイニングの扉の前に立った時、くるりと執事さんが振り返った。
「それでは当家の主人より挨拶がございます」
そして仰々しい扉を押し開いた。中には既に、如月さんと青井さん、タカノ君の姿があった。なんだか見るだけでホッとしてしまった。彼らこそ探偵っぽい。僕はせいぜいがんばって語り部だろう。語り部も重要だから僕には荷が重いか。
そんなことを考えてから、長い机の突き当たりのところに座っていた人物が、立ち上がるのを見た。緩慢にそちらを見て、そして僕は目を見開いた。
「ようこそ名探偵諸君。如月を助手に存分に僕を調べるといい。さぁまずはディナーを」
そう言って両手を広げた少し髪が長めの青年。嘘だろ? 全然変わっていない。だけど、ここにいるはずがない。この世界にいるはずがない。彼は、死んでしまったのだ。洋二さんは死んでしまったのだ。自殺してしまったはずなのに、どうして? 凍りついた僕は動けない。他人の空似? それにしてはあまりにも――……。
酸素が上手く肺に入らない感覚がした。皆が席に着く中で、僕は立ち尽くしていた。すると彼が僕に歩み寄ってきた。
「久しぶりだね、皐月」
「洋二さん、生きて……ああ、もう、ああ」
生きていた。生きていたんだ。だったらどうして連絡してくれなかったんだろう。涙がこみ上げてくる。純粋な歓喜だった。
その時、愉悦まみれの笑みが降ってきた。
「洋二さん……?」
「そうだと証明できるかな?」
僕は息を飲んだ。そうだ、ここに皆は、館主が双子の弟で無いことを証明しにやってきたのだ。どういうことだ?
「僕は菅原洋一という名前なんだよ」
「そんな、だけど、僕のことを知ってるじゃないですか。なんで」
変わらない声。優しい声音。記憶の中の洋二さんそのままだ。
「それは僕が本当は洋二だから知っているんだよ」
混乱して何も考えられなくなって行く。僕の耳元で、彼は囁いた。
「洋二が生きていることを喜んでくれるのは君だけだ」
それから僕の目元を拭った。その指先は、かつてマルボロを挟んでいたものと全く同じ温度に思えた。
「離れろ。余計なことを吹き込んで推理の邪魔をするな」
我に返ったのは、いつの間にか横に立っていた如月さんに腕を引かれた時だった。
そのまま引きずられるようにして、僕は如月さんに連れられてダイニングを出た。
そして廊下の壁際で詰問された。
「どうしてお前が洋二のことを知っているんだ?」
一緒に入院していたことがあるからだ。
声にならなくてそう思い浮かべることが精一杯だった。
「そうか。やっぱりお前はダメだ、帰れ」
「洋二さんがいるのに帰るなんて、僕はもっと話を――」
「あいつは洋二じゃない。俺たちはそれを証明するためにここにいる。それにお前は、考え方が洋二に近すぎる。だから関わらない方がいい」ー
「あの人は洋二さんです。それに近いってなんですか? 僕とあの人は全然違う」
「そっくりだ。そっくりだった。そのすぐに死にそうなところが」
「僕にはそんな勇気はない」
「死ぬことは勇気じゃない」
「如月さんこそどうして洋二さんのことを知ってるんですか。洋二さんの何がわかるんですか」
「洋二は俺がただ一人認めた名探偵だ。あいつが自殺なんてバカなことをするまでの間、ずっと組んでたんだよ」
「え」
それは、亡くなったという、固定で組んでいた名探偵のことだろうか?
「そうだ。俺はもう、名探偵が死ぬところを見たくない」
何を言えばいいのかわからなくなった。だけど、だけどだ。
「あの人は洋二さんです。だって僕のことを知ってた」
「冷静に考えろ」そんなことを言われても無理だ。
「僕はあの人が洋二さんだということを証明します」
「洋二が兄を自殺に見せかけて殺したことを証明する気か?」
僕が息を飲むと、如月さんが舌打ちした。
「まぁいい。推理内容は同じだからな。求める結果が違うだけだ」
「……あの人の心を読めば如月さんにはすぐに分かるんじゃないんですか?」
「それができたら、苦労はしない。あいつの心だけは、読めないんだ」
「役立たず」
「うるさい」
口走った僕の脇の壁を、如月さんが殴りつけた。
その時パンパンと手を叩く音がした。視線を向けると、そこには呆れ顔の青井さんが立っていた。口元の笑みが引きつっている。
「喧嘩はよそでやってください。とりあえず食事をとってから」