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僕は病棟へ戻った。なんだか如月さんと出会ってから、日々が、非日常的な気がする。しかしもうそれも終わった。今日は公園まで出かけて煙草を吸っている。規則違反だが、缶チューハイなどというものを買って見た。嘗て洋二さんと過ごしていた場所で、同じ味のものを飲む。不思議な気分だった。この路地を抜けて出た通りに、青井さんのカフェがある。そこに行く勇気は僕にはない。だからただ一人追憶にふけっていた。ニコ生でも配信しようかななんて考える。一回だけやって見た。そして終わった。ニコ生は、七緒君が生主をしているから、たまに見るようになったのだ。そんな毎日を送っている。お昼ご飯には味フライを食べた。それから僕はこの記録を書いている。記録をかけるくらい、僕は元気になった。

七緒君は退院した。この記録を書いていたら、先ほど道で遭遇した。この街は狭い。寒空の下チューハイを飲みながら、静かに目を伏せた。その時だった。

「あれ、皐月君? おい、皐月君? 皐月君だよな?」

声をかけられ瞼を開けると、そこにはタカノ君が立っていた。金色の髪が輝いている。柔らかそうだ。

「何やってんだ?」

何と無く日記を書いているとは、恥ずかしくて言えなかった。

「ネット見てたんだ」

「俺もタブレット欲しいんだよな」

僕のiPadをタカノ君が見た。
僕はこの記録をiPadで打ったり、OT時にPCで打ったり、原稿用紙に手書きで書いたりしている。いつか纏める日は来るのだろうか。

「店に来いよ」

タカノ君は、ニヤリと笑った。僕は首を振る。

「手持ちがなくて」

事実だ。僕の百円ショップで買ったお財布の中には、現在五百円しか入っていない。明後日弟が面会に来て、預かってもらっている通帳を受けとるまでは、それでやりくりするしかない。

「おごってやるよ。多分俺が言わなくても、青井君が」
「いいよ、悪いし」

断ろうと僕は試みた。しかしその時には、タカノ君が僕の荷物を持っていた。持ってやるよ、病人だろ、なんて言いながら。

そのまま彼は歩き出した。結局断れないままで、僕はその後をついて行く。
そしてカフェの前に来た。改めてみれば、ドルチェという名前の看板が下がっていた。どういう意味だったか。

中に入ると、扉が鐘の音を立てた。店内には青井さんと、カウンターに座る如月さんの姿があった。軽く会釈した時、青井さんに柔和な笑みを返された。

「ちょうど今、あなたの話をしていたんですよ」
「何をしているんだ?」

僕の話も気にならないことはなかったが、如月さんの声にいたたまれなくなる。
やはり僕は来ない方がよかったのだと思う。

「さっさと座れ」

しかし続いた声に、僕は驚いた。ここにいてもいいのだろうか?
青井さんが、思案していた僕の正面にブレンドコーヒーを置いた。タカノ君が椅子をひいてくれる。

「本当、如月は名探偵を事件のたびに引き寄せますね」
「そんなんじゃない」

如月さんが片目を細めてから、カウンターの上に広げていた紙を僕の方によこした。そこには、様々な新聞記事が貼り付けられていた。

「ここにあるのは、一ヶ月ごとの、自殺者と失踪者のリストだ」

如月さんの声に、コーヒーを頂きながら、僕は首を傾げた。

「なんでそんなものを見てるんですか?」
「この中にいくつ殺人事件があるのかと思ってな。お前の言った通り、俺は多分観測者なんだろう」

真顔で如月さんは言ったが、僕には冗談に思えた。気の遠くなる作業だ。そっとしておけばいいのに。

「俺は犯罪が許せないんだ」

僕は何も言えなかった。僕は多分、犯罪を許せないほど綺麗な人間じゃない。例えば、國岡さんのことを僕は嫌いにはなれない。彼はおそらく、如月さんの中では犯罪者だ。

「そうだな」如月さんが頷いた。
「何のお話かわかりませんが、僕は『まだ』皐月さんが無事でホッとしています」
「え?」青井さんの響いた声の意味がわからなかった。
「洋二さんが来るんじゃないかと話していたんですよ」

そういうことかと納得した。僕の話というよりも、洋二さんの話をしていたのだろう。

「必ずお前に会いに来るだろうな。お前は退院したらどうするんだ?」
「GHに入るんです」この前申し込みが受理されたという話を僕は聞いた。
「グループホーム?」

グループホームとは、障害者が一緒に暮らす場所だ。僕が簡単に定義を思い浮かべると、如月さんが腕を組んだ。

「一人暮らしはできないのか?」
「弟が許してくれないと思います」
「じゃあ弟を説得できたら、このカフェの二階にすまないか?」
「それはいい案ですね」

如月さんと青井さんの言葉に僕は苦笑した。

「朝昼ご飯付きで、五万位内で、本当に弟を説得できたら。僕が1人になることと、タバコの日の不始末を弟は心配してるから」
「三万円で部屋はお貸しします。二食どころか、三食つけますよ、まかないでよければ」

そんなうまい話があるのだろうか。そうは思いつつ、僕も本音を言えば一人暮らしがいい。ただ、弟を説得できるのかは疑問だ。

「面会に来た時にあわせてくれ」

そして、そういうことになった。

弟が面会に来る日、先に来たのは如月さんだった。
二人で椅子に座りながら弟を待つ。弟は一時頃来た。

「皐月、久しぶり。元気にしてた?」
「うん」

やはり弟の顔を見るとホッとする。面接室で向かい合った弟の柚季は、それから僕の隣に座っている如月さんを一瞥した。

「それでこちらの方の隣の部屋を借りたいの?」

どうなんだろう。僕自身良くわからない。