【002】《コンバート》と《ゲーム》と“F機関”








 草壁が見舞いに出かけた日。
 その日の朝、雨宮颯人はオフィスに遅めに出勤したい。午前十一時の出勤の理由は、深夜三時に昨日の張り込みと摘発が終わったからだ。公安部は相変わらず多忙だ。

 すると高遠が部屋から出てきた。

「ちょうど良かった。珈琲を三つ淹れて、同席してくれないかね?」
「来客ですか?」
「ああ……F機関の人間が来ているんだ」

 その言葉に雨宮は驚いた。二十八歳になった雨宮は、時折官僚となった同窓生らと今も飲むことがある。その際、噂話として、政府の特務機関について耳にしたことがあった。

 曰く――『不可思議な事柄を扱う部署があるらしい』、だったか。

 言われたとおりに珈琲を三つ用意して高遠の部屋に入ると、そこには黒い髪に黒縁の細いフレームの眼鏡をかけた青年が座っていた。自分と同世代に見えるが、どことなく老成した雰囲気を醸し出している。

「これはまた……適正のありそうな人材の宝庫で間違いないですね」
「適正?」
「いえ、こちらの話です。ところで、雨宮颯人警部補ですね?」
「ええ。俺は雨宮ですが」

 カップを差し出してから、雨宮は高遠の隣に座った。

「私はこういう者です」

 すると名刺を差し出された。そこには、川嵜緋砂と記されていた。
 F機関とも記載されているが、それ以上の事柄は書かれていない。

「高遠警視にはもう伺いましたが、先日《コンバート》が大型ビジョンをジャックした事件をご存じですか?」

 川嵜の言葉に、何度か雨宮は頷いた。
 有名な事件となっているからだ。

 ある日、都内のサイネージに、唐突に動画が流れた。そして、いきなり『退屈』な日常を吹き飛ばすがごとく《ゲーム》を展開すると一方的に放送した。なんでも、“コンバチャンネル”という『ゲーム配信』を見ろとのことだった。

 どこの配信者かと話題になっていたが、初配信として最初のステージ・【神隠しの部屋】について語ったらしい。するとまことしやかに、不思議な部屋が出たという噂話が、SNSを中心に広まった。だが不思議な事に、それらの発言は少しすると削除されてしまうので、やらせではないかという噂もある。

「ええ。それがなにか?」
「――《コンバート》は、《ゲーム》と称して、【異質な現象を発生させるさまざまな『異常』】を世間に放ち、人々を巻き込んでいます」
「異常……?」
「不可思議な現象とでも言えばいいでしょうか」
「それと公安に、一体どんな関係が?」

 そもそも不可思議な現象などこの世に存在するのか疑問だったが、あえて否定はせずに雨宮は尋ねた。

「F機関は、《コンバート》に対応するための協力者を求めています」
「協力者?」
「はい。それには、適正がある方が望ましい」
「適正というのは?」
「――《コンバート》が《ゲーム》に巻きこみたくなるような、“不可思議”に無縁のようでいて親和性のある人間のことです。以前こちらでお会いした方もそうですが、貴方にも十二分に適正があるというのは、F機関の職員として多くの人間を見ているので分かります」
「以前? それは、誰のことだ?」
「草壁広親元警部補です」

 その名を聞くと、雨宮は顔を歪めそうになった。いつか、昼食を買いに行くと言ってそのままいなくなった先達は、雨宮から見ると、逃げたようにも思えた。強盗誘拐犯を射殺したとは聞いていた。だがそれは、あくまでも大切な職務だ。それだけを苦に仕事を放棄するなど、逃げたのと同じだと雨宮は思う。

 草壁は雨宮の憧れだった。いつも強い先輩の背中を追いかけていた。それだけに、落胆した記憶は色濃い。

「草壁広親元警部補にも、そして貴方にも協力者になって頂きたい。どうか、草壁元警部補を説得してきて頂けませんか?」

 淡々と無表情で川嵜が言う。眉を顰めてから、雨宮は高遠を見た。高遠はなにも言わずに、テーブルの上の書類を見ている。

「探しだして下さい」
「……」
「これは政府からの命令だと受け取って頂いても構いませんよ」

 少し低くなった川嵜の声に、雨宮は息を詰める。するとようやく高遠が口を開いた。

「きみも、久しぶりに会いたいんじゃないかね?」

 その気持ちがないわけではなかった。
 だから暫しの間沈黙した後、雨宮は頷いたのだった。