【004】背負い投げ





 雨宮の家についてすぐ、草壁が尋ねた。

「どの鏡だ?」
「こちらだ」

 雨宮が寝室の姿見の前へと、草壁を促した。

「ばぁ」

 するとドアを開けた瞬間、【鏡のドッペル】が顔を出して、満面の笑みを浮かべた。

「【鏡のドッペル】」

 草壁は、片手を差し出した。

「本当にお前は雨宮じゃないんだな?」

 すると【鏡のドッペル】が、右手を差し出した。左手に腕時計をつけている。特徴としては反転している。

「でも、本物よりも俺の方がいいんじゃないのか? “優しい”俺の方が」
「ふざけるな」

 雨宮が目をつり上げた。端正なアーモンド型の瞳には、憤怒が宿っている。
 草壁はそれには構わず、【鏡のドッペル】の右手を握った。
 そして雨宮を見た。

「確かに、冷たい本物よりも優しい雨宮というのも悪くないかもしれないな」
「なんだと?」

 その言葉に、雨宮が顔を歪める。

「なーんてな」

 直後草壁は笑うと、【鏡のドッペル】の手を引き、背負い投げをした。

「な」

 突然のことに、【鏡のドッペル】が体勢を崩す。

「雨宮、逆の手を持って姿見に当てろ」

 草壁は己の持つ右手を、鏡に接触させる。ハッとした様子で雨宮は、【鏡のドッペル】の左手を掴むと、鏡に当てた。

 すると鏡の表面が歪み、吸い込まれるように【鏡のドッペル】の頭から肩、胴体と、鏡の中へと沈んでいく。そのまますっと【鏡のドッペル】は、鏡へと吸い込まれた。暫くすると鏡の表面は静かな平面に戻る。水面のような歪みは跡形もなく消えた。

「……」
「……」

 二人は揃って鏡を覗き込む。そこには、間違いなく二人が映っていた。

「雨宮、ちょっと笑って見ろ」
「……ああ」

 無理をするように引きつった顔で雨宮が笑う。すると不機嫌そうな眼差しなのに口元にだけ笑みを浮かべている雨宮が映った。

「戻ったみたいだな」
「そうだな、草壁さんも手荒だな」
「他にどうしろって言うんだ。解決は早いほうがいいだろう」

 そんなやりとりをしてから、お互いに視線を合わせる。

「草壁さん」
「ん?」
「――優しい俺の方がよかったか?」

 雨宮の何気ない風を装った問いかけに、少し思案するような目をしてから、草壁が答える。

「本物じゃなきゃ、意味がないだろうな。マガイモノの笑顔なんて、所詮は偽りだ」

 そう言って唇の片端を持ち上げた草壁を見た時、雨宮は自分が安心していることに気がついた。そんな雨宮の心中を、草壁は知らない。

 当然、この一連の出来事を、F機関の職員である川嵜緋砂が『監視』していたこともまた、二人の関知するところにはなかった。