【第七話】二週間後





 転入生が来て、二週間。本日も金曜日だ。気が付いたら、金曜日の朝になっていた。俺は目元を指でこすり、腕時計を一瞥する。現在、午前六時。今日も徹夜だった。

 というのも、風紀委員会のメンバーの陥落は止まらず、今では本来の活動をしているのは、正直俺だけである。皆、古い規則を変更すべきだという藤竹の主張を良しとし、風紀委員会の仕事を放棄した。楓先輩までもが、あちらに賛成だ。

 よって俺は、転入生――に限らず、親衛隊の対応も、その他の強姦事件などの対応も、喧嘩の取り締まりも、日常的な見回りも一人で行い、放課後に一気にそれらの書類を作成し、自分でサインをし、という生活に変わった。仮眠室と浴室があるから、シャワーこそ浴びてはいるが、寝る暇はない。

「……」

 もう丸三日、寮の自室には帰っていない。仕事詰めだ。

 そのまま俺は書類をなんとか終えたので、朝の見回りに出た。眠気のせいなのか、頭がぼんやりとする。しかし俺以外に仕事をする者がいないのだから、頑張るしかない。

 なんとか見回りを終えて、風紀委員会室へと戻ってから、俺は昼食時まで書類の整理をした。せめて明日からの土日は、一度寮に戻りたい。じっくりと一度、睡眠をとりたい。

 栄養ドリンクと10秒飯の生活で、肉体的にも限界が近い。

 だが一番は、離れていった委員達の事を考えると憂鬱になるのが問題だ。

 規則を変えるのならば、それはそれでいいだろう。しかし、誰も具体的にその手続きをしてはいない。要するに、理想論を語っているだけだ。そうは思うが、俺に人望がなかったのだろうかだとか、至らない点が多かったのだろうかだとか、ふとした時に物思いに耽ってしまう。

「……しかし、腹が減ったな。そうか、もう食事もまともには、三日は食べていないんだったな」

 呟いた俺の声は、我ながら陰鬱だった。瞬きをしてかぶりを振り、俺は気を取り直して食堂へと向かう事にした。

 この学園の学生食堂はとても豪華だ。ただ特待生は、無料で食べる事ができる。

 また風紀委員と生徒会役員のみが立ち入れる二階席がある。そちらならば、静かに食べる事もできるだろう。普段、生徒会役員達はあまり来ないのだし、今となっては他の風紀委員達もいないに等しいから、俺以外は無人の可能性が高い。

 そう考えながら歩いていくと、給仕の職員が二名、学食のドアを開けてくれた。


「きゃー!」
「嵯伊委員長!」
「風紀委員長素敵!」
「目の保養!」

 内部に入るとそんな声が上がった。俺は耳栓を忘れた事に気が付いた。なぜなのか、おそらくは風紀委員長という役職がいいからなのだろうが、食堂に入るとチワワ達は、いつも俺や一緒に来る事が多かった楓先輩に向かい、黄色い悲鳴を上げていた。なんだかこの光景があんまりにもいつも通りだったものだから、少し肩から力が抜けそうになった。

 ――しかし。

 正面の、二階席へと続く白亜の階段の方角を見て、俺は思わず眉を顰めた。

 生徒会役員達と……藤竹が、そちらを目指して歩いている。一番後ろを、ゆったりと少し間を開けて、バ会長が歩いていた。二階席へ向かうつもりならば、校則である以上、注意して立ち入りを禁止しなければならない。俺は慌てて、足を速めた。

「おう、アホ風紀」

 すると会長の隣に並んだ瞬間、ニヤリと笑った榛瀬に声をかけられた。

「おい。二階席は、一般の生徒は立ち入り禁止だ」
「ああ、そうだなァ」
「なぜ止めない?」
「それは、てめぇの仕事だろ」
「っ」

 その通りである。俺は榛瀬を睨んでから、ついに階段を上り始めた藤竹達のもとへと向かった。

「二階席への一般生徒の立ち入りは禁止されている。この階段をあがるのも同様だ」

 俺が大きく声を上げると、先頭を歩いていた書記が止まり、その後ろにいた会計と副会長が俺へと振り返り、最後にきょとんとした様子で藤竹が振り返った。俺は慌てて階段をのぼり、そちらへと近寄る。

「あ、篝! 久しぶりだな」
「先輩と呼べ」
「……うるさいな」
「すぐに一階席へと戻れ」
「お前、煩い!」

 その瞬間だった。

 藤竹が俺を突き飛ばした。いつもだったら、俺は踏みとどまったかもしれない。いいや、無理だったか。なにせ、藤竹の腕力は、校門を破壊するほどだ。いくら俺に眠気がなかったとしても、きっと踏みとどまる事は出来なかっただろう。それでも足に俺は力を込めた。それが逆に悪かったようで、グキリと自分でも嫌な感覚を覚えた。

 俺はそのまま体勢を崩し、後ろに落下する。目を見開いていた。すると藤竹もまた驚いた顔をしていた。ああ、このままだと後頭部から床に転落する。そう理性的に考えながら、スローモーションのように世界を見ていた。

「ッ」

 体に衝撃を感じた。だが、覚悟していたような痛みはなかった。

「……?」

 俺は自分が抱き留められている事に気が付いた。両腕が俺の体を支えている。首だけで振り返れば、榛瀬が俺を抱きとめていた。俺の後ろにいたのを忘れていた。会談の一番下で、俺は榛瀬に抱き留められたまま、座り込んでいる。

「大丈夫か?」
「あ、ああ……」
「チ」
「……悪い、助かった」
「……」
「もう立てる。感謝する」
「……」
「? もう大丈夫だ」
「あ? おう」
「腕を離してくれ」
「っ、おう」

 こうして榛瀬が俺から手を離したので、俺は立ち上がろうとした。

 だが――。

「っく」

 ズキリと右足が痛んだ。やはり階段を踏み外した際の嫌な感覚は気のせいではなく、俺は足を捻っているようだった。思わず右足首を押さえる。

「嵯伊?」
「……」
「捻ったのか?」
「……悪い」
「あ? なにが。保健室に行くぞ」

 すると、不意に榛瀬が俺をそのまま抱き上げた。驚いて俺は目を丸くする。

「え」
「歩けねぇんだろ? 立てもしないんだからなァ」

 そのまま俺は、榛瀬にお姫様抱っこをされて、保健室へと連れていかれた。