<6>学食にて、腐男子が鼻血を出す。



 副委員長の夏海に連れられて、十二時手前に俺は学食へと向かった。
 いつもならば二階の専用席に行くのだが、道中で「今日は一階で食べよう!」と合計三十回も言われたので、俺は頷いておいた。

 扉を開けてもらう手前で、俺たちは耳栓をつけた。
 馬鹿げているが、洒落にならない大歓声が飛んでくるので仕方がない。
 風紀委員会というのは、人気らしい。

「「「「「きゃー!!!」」」」」
「綾崎様抱いてー!!」
「何言ってんだよ!!」
「綾崎様は誰もお相手になさらないんだから!!」
「いいや俺は夏海様推し!」
「綾崎様に罵られたい!」
「けど俺、綾崎様なら抱け――」
「黙れー!」

 耳栓をしているので内容は聞き取れないが、どうせ夏海かっこいいとかだろう。
 大歓声の中、俺達は中へと入った。

 見れば、兄も来ていた。兄まで教職員専用席ではなく、一階の片隅にいる。
 同僚の数学教師の高倉先生と一緒だ。

 兄が手を振ってきたので頷いて返してから、俺と夏海は空いている席を探した。
 そして二階への階段そばに席を見つけて、そこに座った。
 一階は、タッチパネルでの注文形式である。

「何食べる?」
「王道展開でご飯三倍はいけそう。来るかなぁ、来るよねぇ」
「いや、おい、昼食だ」
「そば。天ぷらそば」
「――わかった、注文しておく」

 頷き俺は、自分の食べたいものを探した。グラタンでも食べようかな。
 普段は俺は、ひっそりと自炊をしているので、あまり自分で作らないものが食べたかった。そうして注文を終えた時、食堂に奇妙な空気が流れたので、俺は顔を上げた。何やらざわめいている。

 見れば――……?
 足運びといった身体動作を観察する限り先ほどの転校生なのだが、なぜか頭にすごい縮れ毛のアフロをかぶり、どういう仕様なのか瞳が見えないレベルの分厚いメガネをかけた少年が食堂に入ってきたところだった。

 右には、抱きたい男ランキング七位の一年生がいる。
 左には、抱かれたい男ランキング三十一位の一年生がいる。
 一歩後ろには、抱かれたいランキング四位の一匹狼というあだ名の生徒が居る。

 この三人は同じクラスだったはずだ。寮も同じだろう。
 転校生は、早速仲良くなったのだろうか?
 そういえばあのクラスは、臨時のクラス会をして転校生を迎えたはずだ。

 もう耳栓を外しているので周囲の会話が聞こえてくるのだが、「あのマリモ」「何あのマリモ」と、聞こえてくる。人気者を引き連れている事への阿鼻叫喚や、一匹狼として誰ともつるまないことで有名な生徒が一緒にいることへの驚きなどが聞こえてきた。

 眺めていると、その四名はこちらの方角へとやってきた。
 そして俺達の隣の席に座った。空いていたしな。
 挨拶しようか迷ったが、朝、覚えられていない可能性が高いので気にしないことにした。

 それよりも明らかに鼻血をこらえ気味の夏海と、やはりと奥の席でその素振りをしている兄が気になった。転校生を見ただけで鼻血っておかしくはないだろうか。なぜ装着しているのかは謎だが、あのかつらを取ったら確かに顔は端正だったからわからないこともないが……思うに、腐男子が鼻血を出すのは、キスシーンとかを見たあとだと思うのに、早すぎはしないだろうか。妄想が先走っている。

 大歓声により思考が途切れたのはその直後だった。
 生徒会メンバーが入ってきたのだ。

 見守っていると、彼らもまた、俺達の席の方へと歩いてきた。
 てっきり二階席への階段だろうと思った。
 夏海が身を乗り出しかけているのをぼんやりと見ていると、生徒会メンバーは――俺達の席のすぐそばで立ち止まった。

 顔を上げたら、副会長が、転校生に歩み寄っていた。

「陽向!」
「おう! 翼!」

 すると「副会長様を呼び捨て!?」という阿鼻叫喚ざわめきが食堂中にあふれた。
 俺は風紀委員アンテナで嫌な予感を察知した。
 親衛隊による報復が怖すぎる。これは荒れそうだ。

「へぇ。お前が翼のお気に入りか」

 そこへ篁が声をかけた。「お気に入り!?」と、また食堂がざわついた。
 余計なことを言いやがってと俺は腕を組んだ。

「陽向ちゃんって言うんだ。俺はぁ、会計の亘理隼人だよぉ、よろしくね」

 チャラ男がウインクした。こいつの癖らしい。
 様になっているのがすごい。それを見ていたら、生徒会補佐の双子の一年生が、自己紹介してから、立ち上がっていた転校生の周囲を回りだした。

「「どちらがどちらでしょう!?」」
「右が兄で左が弟!」
「「え!? みんな見分けが付かないのに!」」

 そんなやりとりを俺は眺めていた。正直、どっちがどっちでも良いと思う。見分けて欲しいなら名札を下げるべきだ。だって、奴らは絶対にわざと見分けが付かないようにしている。そのようにして、悪事を働いた際に、風紀委員会から言い逃れをしているのだ。自分ではない側の犯行だといつも主張しているのである。一年生ながらに要チェックの双子なのだ。が、夏海にはこの回転劇がツボだったらしく、口と鼻を手で覆って震えている。

「ん? なんでこんなところに風紀委員長様がいるんだ? あ?」

 その時不意に、篁が俺を見た。
 俺は首を傾げた。

「お前、キスしに来たんじゃないのか?」
「――は?」
「てっきりそうだと思って、待ってたんだ」

 俺は、夏海と兄が期待しているだろうことを代弁した。
 目の前で夏海があからさまに硬直した。
 篁は、口をポカンと開けている。そして――何故か若干赤面してから、俺の前に立った。

「!?」

 そして俺のネクタイを掴むと、強引にキスした。
 ――あれ?

「「「「「「「「「「きゃー!!!!!!!」」」」」」」」」

 食堂中に驚愕の声が溢れた。え?

「何をするんだ篁……?」
「お前がキスを待ってたっていうから仕方なくだ。満足か?」
「いや待て、俺は待ってない」
「待ってたって言っただろうが。まったく世話の焼ける」

 俺はどうしていいのかわからなくなった。
 すると夏海が声を上げた。

「え、ちょ、え!? 何、何何何、委員長一体どういうこと!?」
「ん? いや俺が聞きたい」
「つ、つ、付き合ってるんですか? いつから!?」
「四月からだな」
「おい篁、さらっと嘘をつくな」
「え」
「えって何だ」
「付き合ってないのか!?」
「は!?」
「最近は忙しいが、毎日保健室でお勉強デートをしているだろうが!」
「おい止めろ」

 食堂中の視線が俺達に集まった。俺は背筋が冷えた。
 まさか篁、ここに来て、俺の突っ込まれたい願望を暴露する気なのだろうか……?

「けどお前俺のことが好きだろう?」
「篁、お前、保健医がいる保険室に行って診察してもらって来い」
「俺にキスされて嫌じゃなかっただろう?」
「っ、あのな、俺が言ったのは、お前が転校生とキスするのを夏海が楽しみにしているということで――」
「ぶはあああっ、ちょ!」
「は!? なんだと!? なにか? おい、綾崎、お前俺がそこの転校生、すなわち自分以外と目の前でキスしても良いってことか!? 嫉妬しないのか!?」
「風紀委員長として学内での不純行為に注意はするが、嫉妬は別に」
「ふざけるな!」

 そういうと篁が転校生に歩み寄った。そしてシャツを掴んで引き寄せた。
 あ、キスする……!
 そう思って俺は目を見開いた。

「やっぱりダメだ!」

 思わず言ってしまった。すると食堂に奇妙な空気が流れた。夏海の鼻血が溢れた。
 そして、転校生が呟いた。

「――生徒会長と風紀委員長に取り合われるなんて……俺、変装してまで魅力的なのか……叔父さんの言ったとおりだ」

 そんなことをしていると、グラタンが届いたのだった。